とうとう大晦日です。でも気分的にそういう気分になれないのは、暖かくてお正月の雰囲気がないからかもしれないし、お店も元旦から開いていて、そんなに買い物とかしなくても大丈夫っていう気持ちがあるからかもしれません。私が子供の頃は三が日はどこもお店が開いていないので、年末までの買い物に忘れ物はないかと一生懸命だった様に思えますし、お正月になれば何もする事がないので、のんびりとしていた様に思えます。元旦からお店が開いていろいろな物が買えるので、便利にはなったと思うのですが、その反面その職場で働いている人達は家族で過ごすお正月ではないんですもんね。まぁ、お店だけでなく、私の父親もそうでしたが、電車やバスなど動いているのが当り前の様に思っている乗り物やその他でもお正月でも仕事をしなくてはならない職場があるのですけどね。そういう人達に支えられている便利さだと思うのですが、ここ最近はそこまでしなくてもいいんじゃないのかなって思う事もあります。便利な事って慣れてしまえばありがたみも感じなくなってしまいますが、こんなに便利過ぎる世の中になって、もう少し不便でもいいんじゃないのかって思うのは贅沢な事かもしれません。
湾岸祭りで始まったこの一年。ここ最近になく少年隊で盛り上がり、気が付けばホームページまで開設していました。これはやはり、オフ会で知り合った方々からの影響が大きかったのかもしれません。お知り合いになって1年そこそこだというのに、「少年隊」という共通の想いがあるからか、随分前からのお知り合いであったかの様な深まり方でした。そして、そのお友達はインターネットをされている方が多いんですよね。私は仕事でもパソコンを使っているのですが、こんなに仕事がらみでなく、浸透している事にびっくりしてしまいました。少年隊関連の情報や連絡にはE−MAILが欠かせませんでしたし、随分助けてもらいました。
この1年お世話になりました皆様、どうもありがとうございました。
99年も良い年になります様に。
「年末つれづれ」(98/12/27)
一旦治ったと思っていた風邪がぶり返し、ぶり返した風邪の方がきつくて大変です。安静にしていたらまだなんとか大丈夫なんですが、ちょっと動いたり、夜になると熱が上がってきます。大変なのが熱と咳。今日も電話で話をしたのですが(声が出てる内に連絡をしなくちゃ!)、「すごい声だ」と言われてしまいました。自分一人だとそんなに声がひどくなっているとは自覚出来ていなかったのですが、あんなに咳がひどけりゃ仕方がないかって感じです。
熱が出ていないといろいろと出来るのですが、その代わりすぐだるくなってしまうので、ちょっと動いては寝て、ちょっと動いては寝ての繰り返しです。だもんで1時間弱もかかる通勤も辛いし、連続で作業するのも辛いです(^_^;)。年末の掃除はもういい事にしちゃったので、後は、年賀状くらいなものなんですが、あと一筆書く位なのに(宛名もぷりんとごっこも出来てるんで)、まだ投函出来ない状態で・・・(^_^;)
そうそう、’98KOBEルミナリエは、25日に閉幕しましたが、会期15日間で最終日に来場者数が500万人を超え、国内でも有数のイベントに成長したと26日の神戸新聞朝刊で紹介されていました。期間中に新聞に寄せられた声の中で「車椅子で見に行けない」とか「小さい赤ちゃんを連れて行けない」等の声が挙がっており、それらがこれからの「ルミナリエ」の課題であるとも。
野菜が食べたくなって、病院帰りに買い物をして帰りましたが、久々に行くと野菜売り場って面白いですねぇ・・・
まだまだキャベツは高いですね〜。そろそろ春キャベツの季節ですが、それでも1玉300円くらい。
地場産モノと有名産地モノと輸入モノ等々。後、減農薬野菜だとか、水耕栽培ものだとか。大きい束もあれば小人数束もありました。
いろいろ見てみて、調理しやすい豆苗(とうみょう−豆の新芽)を選びました。これ、中華料理の食材なんだそうですが、結構美味しいです。炒めても煮てもおひたしでも大丈夫。そして、根っこに水を上げれば2〜3回は再収穫が出来るそうで、楽しみ。「ひまわりの苗」というのもありましたが、これにはまだ手を出していません。なんかその内、「朝顔の苗」とか出てきそう・・・。でも、確かに間引き菜って結構美味しいんですよね。父親が家庭菜園をしている関係で、大根や菜っ葉の間引き菜を食べる事が出来ますが、これでお漬物とかにして食べると美味しいんです。最近は大根の葉っぱも付けて売ってくれる所もありますが、葉っぱは虫が付きやすいせいか切られて売られてる事が多いですよね。これもお漬物やお味噌汁の中に入れると美味しいのですが。昔はにんじんの葉っぱも食べてましたが・・・これはなんかパセリみたいでしたよ。
「『河童が語る舞台裏おもて』 (妹尾河童著・文春文庫)」(98/12/17)
やっと文庫化された!と店頭で見た瞬間迷いもせず買っていました。他のハードブックは文庫化を待ちきれずに買ったものもあるんだけど、この「舞台裏おもて」は大きな本で高いし、買うのはちょっとなぁという感じだったんです。この本の「文庫版のためのあとがき」を読んだら、やはり同じ思いをしていた人が多かったんだと納得。でも元々は「芸術新潮」に1年に渡って掲載されたもので、そのまま連載時の形態を踏まえたB5版の大きな本で出版されたので、写真や図版や手書きの文字が小さくなるのではとなかなか文庫化に踏み切れなかったそうです。
舞台というか、少年隊のミュージカルに1年に1度行く程度な私ですが、それでも舞台の裏側には非常に興味があります。不思議に思っていたこと、疑問に思っていたこと等がいろいろと分かって面白い本です。
1985年に連載されたものですから、内容的に古いものもあります。確か「ピーター・パン」って今も続いていますよね!?1985年は榊原郁恵ちゃんが初めて飛んだ年で、河童さんはその舞台美術を担当していたのだそうです。で裏側からみた「フライング」は今年少年隊のフライングを見ていただけに、ふむふむって感じでした。1985年当時で、太さ1.5ミリのワイヤー1本で飛んでいた事、フライングの為に装着する皮製のハーネス、飛ぶ直前の郁恵ちゃんやワイヤーの綱元操作の様子など、表の華やかな場面からは想像も出来ない様な苦労や真摯な気持ちが伝わってきます。
あと、回り舞台は日本が元祖だとか、大道具小道具の現場だとか、本物より「本物らしい」舞台の作り方だとか、照明、舞台装置、音の作り方などの話が写真や河童さんお手の物の図版で説明されているので、すごく楽しく読む事が出来ました。舞台側の河童さんはこの本の中で、「観客に媚びるということと、観客を引きつける魅力とは、発するところが違うと思う。」とし、お芝居は演じ手も裏で支えているのも生身の人間だから面白いのだと言ってます。だから、たまたまガッカリするような舞台に遭遇したとしてもそれだけで懲りないで欲しいのだとも。
そうそう、今迄プレゾン以外の舞台は観に行った事がなかったのだけれど、来年は行く機会が増えそうです。まずは新年早々の『蒲田行進曲』。つかこうへいさんが演出で、銀ちゃん役に錦織君、ヤス役にSMAPの草なぎ君が出演するもので、大阪と東京で公演されるものです。この手の舞台って東京で公演されるものが多いので、なかなか観に行こうなんて思えないんですが、今回は大阪!まだチケットは入手出来ていませんが、手に入るといいなぁ。
「『五体不満足』 (乙武洋匡著・講談社)」(98/12/16)
この強烈な題名の本を新聞の新刊紹介で知りました。両手両足が生まれつきなかった著者が敢えて着けたこの題名。あとがきの中で、「五体が満足だろうと不満足だろうと、幸せな人生を送るには関係ない。そのことを伝えたかった。」と書いています。
妹尾河童さんの「少年H」と同じく、おおくのこどもたちにも読んで欲しいと、小学校4年以上で習う漢字にはルビがふられています。
本を読んでいると、おそらく出会った人々や学校や先生にすごく恵まれてラッキーだったのかもしれないと思う程彼は障害を気にする事なく学生生活を送れたそうです。でも、著者が「幸せな人生を送るには関係ない」と書いてある通り、その環境をラッキーだと受け取れるか、受け取れないかはやはり本人次第で、それは目に見える障害には関係の無いものだと思います。両手両足がないという障害は、本の表紙を見ればはっきりと分かります。でも彼は公立中学校ではバスケット部に入部、試合にまで出られる程の技術を身に付け、都立高校ではアメフトと生徒会で大活躍。どういう活躍をしたのかは本書を見れば分かる事なので省きますが、健常者というか両手両足を持っている人と一緒に生活していく上で、どうしても出来る事と出来ない事があり、それをどういう風にこなしていくのかを考える事は決して差別ではないと思うし、障害にも関係のない事だと思います。配慮は幼い人や年を重ねた人、怪我をしている人、いろんな人に必要なものだから。
この本を読んでると、著者はすごく表現力の豊かな人なんだなと思いました。ユーモアも散りばめられていて、失礼かなと思いながらもぷっと笑えそうな個所もいくつかありました。「感動は求めません。参考にしてほしいのです」と本の帯に書いてある通り、お涙頂戴的な部分はありません。あぁ、車椅子に乗っている本人にはこう感じられるんだとか、こういう方法があるんだとか、はっとさせられる事が多いです。
表紙は著者が笑顔で電動車椅子に乗って道を渡っているところです。その笑顔につられてこの本を手に取って、まえがきを読んでみたら、つい買って続きを読んでみたくなる様なそんな本です。
いよいよ、神戸ルミナリエが始まります。10日の神戸新聞夕刊でルミナリエの事業費の記事が載っていました。入場料はなく、約6億円の事業費を企業の協賛金や行政からの補助金に依存しているもののこの不況下で思う様には集まらないようです。一般からの募金もありますが、今回からはピンバッジ募金(1個あたり500円)も始めたそうです。ピンバッジは長野オリンピックの時に大きく取り上げられてましたよね。わざわざ振り込みをするのも何だかなって思っても、1個500円のピンバッジなら気軽に買えるかもしれないですね。
記事を見て始めて知ったのですが、一番のスポンサーは「JR西日本」で1億円。特別協賛として、他の企業とは一線が引かれています。確かに電車に乗る度、ルミナリエの宣伝をしてるもんなぁ。。。ルミナリエの期間中は半端じゃない人出だし、会場が元町から三ノ宮にかけての旧居留地を一方通行だから車ではルミナリエは見る事が出来ないから絶対電車に乗る事になりますもんね。JRだけでなく、阪急電鉄、阪神電気鉄道も「大きめ」の字になっています。(出資した金額によって6通りの字の大きさで順番が付けられているんだそうです)協賛企業になれば、ルミナリエ関連グッズが認められると言ってもある程度限られてしまいますもんね。。。確か阪急電車はルミナリエのデザインのプリペイドカードを作ってたし、角川文庫はオフィシャルガイドブックを作れるけど、ルミナリエデザインのパンとかお風呂とか靴とか家なんて作れないですもんねぇ(でも、お酒とかワインとかケーキなら作れそうな気がするけど・・・)。
確かにこんな事にお金を使っている場合なのか?って声を聞いた事もあります。4年も経つのにまだ仮設住宅も解消している訳ではないですしね。
それでもお金(確かに経済波及効果はすごいらしくて、去年で479億円だったそうです。)だけでないものがあって、兵庫県以外の来場者やリピーターも増えて今年は去年の473万人を超える500万人(15日間)以上の来場者が来るだろうという事です。震災の時もテレビの映像や写真では絶対に伝えきれないものがあると思いましたが、ルミナリエも同じで、写真やテレビで見ても、絶対に生で見る以上の感動は伝わらないと思うし、だからこそ混雑するのが分かっていても足を運ぶのでしょうしね。
今年のテーマは「光の星空」なんだそうです。今までは震災で犠牲になった人達の鎮魂の意味合いの方が強かった様に思うのですが、今年は未来への希望を持って歩み続ける人々のこころの星座、道しるべになるよう、トンネルの高さも低くなって手が届きそうな光の星空を作りだすのだそうです。
神戸で会いましょう。
昨日、中学校時代の友人の事を書いたのですが、今日テレビを見ていたらなんと偶然にも中学校時代の恩師がテレビでしゃべっているではないですか(*_*)!びっくりした〜。
そのテレビは読売テレビの『特命リサーチ200X!』で私は「デマパニックの謎を追え!!」が見たかったのですがその特集が終わり、「人は何故オンチになるのか!?」が始まってしばらくすると今や大学教授となったかつての恩師が映ったのでした。
実は私は音痴なんですが、そういうのもあって音楽が苦手だったのですが、そんな私でも楽しめる様な音楽の授業でした。教科書は勿論あるし使ってはいるのですが、それ以外に授業の前に好きな人とグループを作って、好きな楽器を使い(ギター、シンセサイザー、笛、ドラム 等々)、好きな曲をクラスの皆の前で演奏するミニミニコンサートや延々とギターの練習をしたりしていました。何よりも先生の話も授業も好きでした。今ではそうでもないですが、当時では珍しいシンセサイザーは10何台か、ギターは一クラス分の数が揃っていました。楽器を粗末に扱う様な事があると音楽室出入り禁止になったりもしていましたが、基本的には何でもありな自由な雰囲気がありましたので、私達が在学していたあの頃には音楽的に目覚めた人がとても多かったのではないのかなと思います。
試験も一風変わっていました。放送テストで、持込可(持ち込んでも出来ない・・・)ではありますが、リズムを取ったり、音楽を聴いて解答する様なテストであったように思います。そう言えば、一度だけ持ち込みしてはいけないものがありました。多分1年生の最初の頃だとは思うのですが、校歌の楽譜を書くもので、その時ばかりは歌詞、楽譜付きだった生徒手帳だけは持ち込み不可となりました。生徒手帳でなく、ノートか何かに楽譜を書いたものは持ち込みオッケーだったんですけどね。
元々は神戸市立中学校の先生だったそうですが、後に神大附属中学校に来られたのだそうです。
私の大学の先輩でもあるのですが、私達が専門学部に上がる前年までは集中講義等で大学でも教えておられたので、再度大学でも授業が受けられる事を楽しみにしていたのですが、私が専門に上がった年にはその授業はなく、間もなく中学校から他の大学の方に変わられたと聞きました。私の上にも20年近い年が流れたのですが先生の上にも流れた様で、テレビでお見受けした限りではかなり落ち着いた雰囲気でした。当時はかなり烈しかった様に感じたものですが。音楽の先生って事で担任ではなかったので、なかなかお会い出来る機会も無かったので、テレビを通して先生のご活躍を拝見出来た事はなんだか嬉しかったです。
中学校時代がかれこれ20年近くも前だと思うと愕然としてしまいますが、それでも一番楽しかった時代でもあり一番一生懸命だった時代でもあります。いろんな楽しい事や当時は深刻だった事など、結構楽しく思い出されます。今でも通勤する電車の中からその中学校が見えるのですが、いつも懐かしい気持ちと共に見ています。少し前までは雑踏の中でも制服を着ていれば後輩が分かりましたが、私達のと全然違う制服に変わってからはもう全く見分けが付かなくなり寂しい限りです。セーラー服にあこがれてましたが、残念ながらださださのブレザーでしたが、それでもジャンパースカートなんかすごくお気に入りだったんですけどね。その中学校時代に先生に言われた言葉の中で忘れられない一つが「今知り合った友達は一生の友達になるから」というものです。
私が通っていた中学校は1学年が3クラスしかなかったので、クラス替えをしても「そのままさようなら」という様な状況にはなりませんでした。いろんな人と仲良くなったり、離れたりしながら2年生の時に仲良くなった友達と細く長く今に至っています。仲がいいとは言え、それぞれの進路も違いました(高校は見事にバラバラ!)ので、それぞれの付き合いもありますから、高校から大学ぐらいにかけては1〜2年に1度会うか位でした。それでも昨日まで会っていたかの様に戻ってしまえるんですよね。特に私は地元に残っている癖になかなか連絡が付かなくなってしまうので、やっぱりそれっきりになってしまう人もいます。
なぜこの4人(私自身も含めてです)が仲良くなったのかは、あやふやなんですが、友達同士でくっついたり離れたりする中で落ち着く所で落ち着いたという感じです。クラブも所属していた委員会も皆バラバラでこの4人が同じクラスだったのも2年生の1年間だけでした。多分3年生も同じクラスだったら、修学旅行とか遠足とかも同じグループになって行動していたかもしれませんが、それが出来なかったので大学に入ってからもう一度修学旅行をとばかりに、自由行動の地であった長崎旅行をしたのでした。
交換日記はまた別のグループでした(私ともう一人の友人Aさんは上記の4人に含まれているのですが)。
そのグループは1年の入学直後からどういう経緯で日記をしようという事になったのかは分からないのですが(多分私が最後に入ったのだと思うのです)、男子2人、女子3人で3年間、ノートを回し続けました。1年の最初の頃はいろんな所で日記を回しているグループがあったと思うのですが、多分3年間殆どメンバーが変わらず続けたのは私達だけかもしれません。最終的にはノートをばらばらに分けたと思うのですが、それでも手元に約10冊くらいありますがこれがまた見るのも恥ずかしい(^_^;)。そして、そんなに一生懸命ノートを回していたというのに、それぞれが好きになった相手はグループ外の人で、陰ながら(!?)応援してるからという感じでした。
多分3年生になってからだと思うのですが、「山電友達」というのもありましたっけ。殆どの友人達はJR(当時は国鉄)通学だったのですが、山陽電車で通学している4人で、駅のホームや駅近くのマクドナルドでしゃべっていたように思います。(内の一人は「4人」の友達の中のKさん)男子2人と女子は私達2人。駅で売られてる鯛焼きや立ち食いソバを食べたり、とりとめの無い事をしゃべっていたり。。。多分クラブを引退してからだと思うので、3年生になってからだと思うのです。私達の学校は弱小クラブが多かったのですが、それでもやってる私達は一生懸命だったので引退する迄はそんな時間はなかったと思うんですけど、この辺はちょっとあやふや。
そして4人の友達の中の最後の一人、Hさんがブライダルプロデュースの仕事を始める事になって ホームページも開設しました。どうしてそういう仕事をする様になったのかという経緯は彼女のHPの中の「プロフィール」や「What’s New」のコーナーで紹介されています。彼女がどういう仕事をするのがすごく興味はありますが、残念ながらまだしばらく縁はなさそうです(^_^;)。
神戸市北区
非常にローカルな話です。今は大阪勤務の私ですが、平成3年から約5年ほど、神戸市北区まで通勤していました。神戸市と言えば、港町だのハイカラだのおしゃれっぽい形容詞の付く街ですが、神戸市北区は六甲山より北側に広がる「田舎(^_^;)」です。同じ市内でありながら、三ノ宮から電車で片道1000円もかかる所で、ここに通勤している時には、半年間の定期券がすごく高額で新しく配布された時には非常に緊張したものです。当時は、高速道路建設中だとか平成**年開通予定だとかの看板も出ていたのですが、なかなか工事が進んでいる様子も見られなくて、たまに車で通う日もあったのですが、山道と言ってもいいくらいの細くてくねくねしている有馬街道はかなりの渋滞でしたし、冬になるとその道が凍結するので本当に緊張したものでした。
12月1、2日と久々に車で通ったのですが、まず車の通行料にびっくり。以前は阪神高速伊川谷から北神戸線に分岐していくのですが、北神戸線に入ると自分以外の車を見掛けたりする事も少なく、たまに「あ、後ろから来た!」と思ってもあっという間に追い越されて姿形も見えない状態になっていたのですが、それなのに、車が多い!北神戸線の途中から明石海峡大橋へ分岐する道もあるのですが、そちらだけでなく北神戸線そのものの通行量が増えています。その北神戸線も私が通勤していた頃は途中(箕谷)までで、有馬街道に降りなければならなかったのが、今では五社、別料金を払えば三田迄繋がっており、また中国自動車道、舞鶴自動車道や山陽自動車道への接続も便利になっています。有馬街道も部分的に車道が広くなっており、久々に来た私は驚く事ばかりです。渋滞にかかると片道1時間半〜2時間近くかかる事もありましたが、今日は1時間もかからないで帰ってこれました。殆どが山の中ですが、きれいな紅葉で目を奪われそうでした。
デジカメ
衝動買いでデジカメを買いました。まだ解説書もろくに読んでいないのですが、なんとか使っています。デジカメで撮った画像をパソコンディスクに取り込むのが面倒なのですが、これもなんとか出来る様になりました。今はコード経由ですが、出来れば他のオプションツールを買って、フロッピィディスクと同じような扱いで取り込みが出来る様にしたいなぁと思っています。画像を扱う為のドライバーファイルをインストールしたりしなくてはなりませんでしたが、一度設定したら結構簡単に画像を取り込んだり出来ます。
私が買ったデジカメは声も録音したり、テレビで画像の確認、ビデオに録画したりも出来ますが、まだろくに解説書(マニュアル)も読んでいないので、いつになったら出来る様になる事やら。
という訳で、とんと画像に縁の無かった当HPですが、近々「写真館」のコーナーを開設しようかと思っています。ニフティのHP容量も10MBと増えておりますので、画像をアップするのは問題がないのですが、見て頂くのにはモデムの性能とかあって画像を開くまで時間がかかったりすると思うので、軽めの画像にしたり、メニューから選択するとかしてなるべく画面が固まらない様に工夫したいと思ってはおりますが・・・どうなる事でしょう(^。^)。