準・メルクル ワルキューレ講演会
インタビュアー 山崎太郎さん

2002年3月14日 新国立劇場オペラ劇場

(管理人注:今回の講演会、「演出」はすべてメルクル氏自身がお考えになったとか。この記録は講演会をお聞きになった方々からのご協力を頂き作成したものですが、メモ等を参考にしているため正確さにかける個所もございますが、ご了承下さい。)

ワルキューレ,嵐のモチーフで入場

(M:メルクル、Y:山崎さん)

Y:前回が総論的な一般的なお話でしたが、今回は、音楽に絞ってワルキューレ,という作品に視点を絞っていきます。それではあらかじめ募集した質問の中からですが、
ワルキューレ,は人気が際立った作曲。魅力はどこにあるか、『ラインの黄金』の音楽と比べて、叙情的、悲壮的な悲劇的な面というのが際立っているという気がします。演奏上、こうったことの条件で何か気をつけていらっしゃることはありませんか?

M:皆様こんばんはと申し上げたいと思います。大勢の方々においでいただきまして、まことに嬉しい限りです。これからの上演の関心を示すものと考えられます。かくも大きな関心が興味寄せられているのが嬉しいと同時に身の引き締まる思いが致します。このリングのプロジェクトは、非常に大きいものであり、このプロジェクトを成功させるということは東京にとっても大きな意味をもちます。

ご質問の件について、ワルキューレの原典素材、ラインゴールドの原典素材そして、音楽の形式の違いを視野に置かなければなりません。

インの黄金の音楽は全体の提示部にあたります。舞台は“地面の上、天上世界、神々がいるところ”そして、“ニーベルングの地底の世界、ラインの乙女のいる川の底の世界”というものを舞台としています。ここで全てのモチーフというものが提示されているわけですけれども。全体として『ラインの黄金』の音楽は説明的であり,なおかつ客観的な性格が強いといえると思います。
『ラインの黄金』のお話の部分ですけれども、まずヴォータンという主人公が出てきます。ヴォータンにとって大切なのは全世界を自分の秩序の下に治めること。この場合契約という問題が浮上してまいります。
『ラインの黄金』の中でもっぱら大きな感情の起伏を表しているのが、アルベリヒです。アルベリヒはまず苦境に落とされて、愛を呪って、大きな成功を収めます。でもそれもつかの間、虐げられた存在となって,呪いを指環にかけるのです。虐げられた存在というのがひとつのキーワードになるような気がします。
まとめますと客観的であり、法律というものが問題になった。構造としては、神々が上に立って、下に小人族、ニーベルング族がいます。これを虐げています。指環はどういう立場にあるかといいますと,その両者、神々とニーベルング族のどこか中間にいる存在。という風になると思います。


『ワルキューレ』というのは新たな要素が入ってきます。嵐の音楽というのをお聞きいただきましたけれどもまずその後に登場するのは一人の人間、人間達であります。これが劇の中に大きな影響を与えていると思います。
したがって音楽というのもすぐに感情に起伏を際立たせた情熱的な音楽に変わってゆきます。そして、ドラマの焦点は何よりも人間と人間の関係。ここに焦点が当てられます。第2幕では,神々が登場するわけですけれど。人間というところでは,第一幕と変わりません。ワルキューレの音楽が、人と人との対話というものを中心に構成されているということができます。
ラインの黄金は、例えて言えば一種の方眼紙に透かしだされた、整った秩序のシステム。というものがそのまま我々の世界を透かし見るようなそういう姿があるのですけれども、それが『ワルキューレ』の中では、知性的というよりむしろ、感情、情熱そういうもの、人間的な側面というものが表に出されています。これこそが我々の心をこの作品が捉える理由ではないかと私は思います。

Y:いきなり『ワルキューレ』の全体論のところに話が行きましたけれども、少し細かくいろんなところを見て行きたいと思います。
まずですね、『ワルキューレ』には主役脇役含めて重要な役が6人ジークムント、ジークリンデ、フンディング、ヴォータン、フリッカ、ブリュンヒルデ。さてその6人なのですけれども、特に人間的な面がクローズアップされることで、それぞれの性格、この人はどんな人間なんだろうか、音楽によってどんな風に表されているのだろうということをお聞きしたいと思います。

M:これは非常に大きな問いかけで、答えが長くなります。まずは一つ一つ細かい所に焦点を絞って答えていきたいと思います。

さて、第一幕に登場する3人の主要な人物。ジークムント、ジークリンデ、フンデリングですけれども、ここでは2種類のまったく異なる音楽が使われている。そういっていいと思います。
一つ目の音楽というのは、ジークムントとジークリンデの親密な関係を表す音楽。これがフンディングを表すところになると、全くがらっと音楽の雰囲気が変わっていきます。

ここで、フンディングの音楽はどうかと言いますと、一番決定的に特徴付けるのはあの“バンバン タカタッタ バンパ-パン“(?)と最初に出てくるときのモチーフですね。非常にリズミックでありながら、荒々しいところがあります。これはフンディングの人に対する接し方、家の中で、ジークリンデに対してどんな風に接していたか、そこにいわゆる愛情というものは無いのですね。彼の性格を表すようで角の立った音楽が使われています。
フンディングの音楽に使われている楽器ですけれども、主な楽器は実はワーグナーチューバです。このワーグナーチューバというのはワーグナーの時代に楽器の発達がありました。これにワーグナー自身が寄与したということもあるのですけれども、これが使われているところに、ワーグナーの表現目的の明確さを感じます。

さて、一方ジークムントとジークリンデの音楽ですけれども、これはただ一つの楽器というわけではなくて、広い音の幅、音色の幅というものを持っています。一つは、弦楽器の非常に情感のある暖かい音色です。それに、木管楽器が絡んでいきまして、この木管楽器が様々なライトモチーフを吹くのですけれども。愛の動機、ヴェルズングの動機というのが木管楽器で奏でられます。

ワーグナーの音楽作りの中で典型的だと思うのは、リング,指環の中で、アンサンブルというのは殆ど出てまいりません。有っても一つか二つかだったと思います。特に『ワルキューレ』の中には全く無いのですけれども。二人以上の人間が同時に声を合わせて一緒に歌うということが無いのです。これはどういうことを表しているかというと、一方が歌っている間は、片方は黙っている。ナレーションの場面では、これはワーグナーに典型的なもので、一登場人物が30分喋っていたり、今度は相手の方が30分喋っている。そういうような雰囲気です。これが逆にドラマの緊張を高めていく、という作りになっているわけです。
ワーグナーがドラマに緊張を作り出す。対話のところでも、やり取りが急激さを増すのですね。決して声が一緒になることが無い、声が一緒になることが無いからこそ、全ての登場人物に聞き取れ、我々に聞き取れるのです。
音楽を聴く際に、楽器、楽器の響きとかそういったものを頭に入れて、お聞きになると、理解が深まると思いますけれども。

私にとっての『ワルキューレ』の音楽の美点は、もう一度まとめますと、人と人との関係、それから、対立とか葛藤といったもの。これが浮き彫りにされてくるというものです。

第一幕ですが、まず最初に、ジークムントとジークリンデが出てきますね。その二人の間の関係がどういうものであるかというと、まだ一幕のはじめなので、そのことは知らないですが、実の兄妹である。そして、互いに愛し、惹かれあうものを感じるという。こういう関係が問題になってきます。
それが今度はフンディングが登場してきます。フンディングとジークリンデの正に夫と妻、制度上の結婚した夫と妻との関係というのがクローズアップされてきます。

そして、第2幕ですけれども、ヴォータンとブリュンヒルデの長い長い対話ですね。ここでクローズアップされるのは、父と娘の関係です。
それに対して、第2幕の1場では、再びヴォータンとフリッカの口げんかの場面ですけれども。結婚した夫と妻との関係というのが出てきます。
私にとって安心しますのは、神々でさえ結婚問題とは無縁ではないということです。(笑)

ここで、実際の音楽、ヴォータンとフリッカの第一場と第2場の間の音楽をお聞きいただきたいと思います。今ステージに上がってくださいますのが、ヴォータンのドニー・レイ.アルバートさんとフリッカは小山由美さんです。

(第2幕第一場、フリッカの「これでおしまいね、永遠の神々も(…から…一場終わりの)どう運命を割り振ったかとくと教えてもらいなさい」までお二人にお歌いいただきました)

(以下メルクル氏自身が小山さんへインタビューしました。)
お二人をご紹介したいと思います。小山さんは皆さんもご存知かと思いますが、去年もフリッカ役を歌いました。現在は、ドイツのシュツッツガルトの町の郊外に住んでいまして、そういうことでこの音楽と非常に縁が深いです。
ここで、二つほど質問したいのですけれど、まず一つ目の質問です。ヨーロッパの様々な舞台でもいろいろと歌っていらっしゃると思うのですけれども、ヨーロッパの舞台で歌う場合と、特に東京のここで歌う場合と、心情というか、違いはありますでしょうか。ここで歌う意味というのは特別ありますでしょうか。

小山由美氏:基本的には同じと思って歌っていますが、やはり故郷である日本で歌うのは喜びでありますし。新国で私自身、育てていただいていると思っておりますので、やはり特別な気持ちがあります。

M:『ラインゴルト』でもフリッカを歌っていただいているのですけれども、今回フリッカが2度目の登場です。『ラインゴルト』のフリッカと『ワルキューレ』のフリッカとこの二人の役に何か違いが有るでしょうか。これは全く別の人とは考えられないのですけれど、強くなっているのか、弱くなっているのか、ご説明いただければありがたいです。

小山由美氏:おそらく皆さんよくご存知だとは思うのですけれども、『ラインの黄金』では、結婚したてというかヴォータンとフリッカは本当はまだまだアツアツの状態でしたが、一種の我の強さがちょこちょこ出ていましたが、最後には基本的には愛する夫について行く。
『ワルキューレ』になると、『ラインの黄金』の後、何十年かよく分かりませんが月日が経ちまして、ヴォータンはその間にいろいろな女性と上下左右と(関係がありました)。それを全部(フリッカは)ぐっと我慢してきた。そういう意味ではもちろん恨み辛みもありますし。ただ、キース.ウォーナーの演出において、演出家はよく始めからもう全く色気が無くなって、ヴォータンをいじめる『ワルキューレ』のフリッカは多く演出されますけれども、彼の場合には、フリッカがヴォータンを叩きのめした、要するに“あなたから誓いをいただきますね”と言ったあとの、喜んだ後の仕草を見ていただきたいと思います。これにフリッカの本当の気持ちが私は表れているように思っています。ここはなぞ賭けではないのですが、クエスチョンマークのまま終わらせて下さい。

M:歌手が自分の役についてどんな風に考えているのか捉えているのか、私にとって重要なことであり、興味深いことです。ここで小山さんが非常に詳しく役の捉え方を話されたことに改めて御礼を申し上げたいと思います。

この二重奏が終わったあとに、場面は変わりまして、指環の流れからいってもターンニングポイント、転機になるというか、決定的なドラマの転回点になります。
『ラインの黄金』のヴォータンは、若々しい、(羽利きあって)活動的で、建設的で、力がみなぎっているそういう人物です。
 フリッカとの二重唱の直前の場面。幕が開いたところです。ここではヴォータンはまだ『ラインの黄金』で引き続いて持っていた男性的な面を見せています。自分の人生を心から楽しんでいて、未来の(展望に?)対し非常に楽観視しています。そういうところがあります。
そして、その二重唱のあと、この二重唱でもの事が、全部計画していたことがひっくりかえされるわけです。
そしてその二重唱の後のヴォータンがどういう風になるのかといいますと、すでに厭世的で老人のような存在なんですね。ひたすら苦痛のときを待っている。このような人生観に囚われた普通の人物となるわけです。その結果、先になりますが、神々の世界の義務を投げ出して、さすらい人として世をさまよう。

何が二重唱で起こっているか、何にヴォータンは囚われているかというと、ここで本質的なヴォータンの罪が明らかになる。それはすでに『ラインの黄金』で犯しているのですけれども。契約に基づいた世を打ち立てようとします。ところがそのためにワルハラのお城を作りながら、むしろ自分から契約を破っていって、指環を盗むわけです。
このように『ラインの黄金』で彼は契約を破って指環を盗むという行為を行うわけです。結局、指環は他の人物に渡ってしまうことになりますが。この先の段階でも、実はヴォータンは契約破棄を行っている。ジークムントとジークリンデをひきつけ、しかも彼らを合わせる運命にしまた。これは正に法律の世界から見ると、不倫でありなおかつ近親相姦です。

ここで、フリッカは結婚の女神。結婚という制度ですが、これは全て代表する存在なのですが、そのためにはヴォータンに改めて想い起こさせる。それは何かというと、今の法律はヴォータン自身が作ったものであること。ヴォータンがそれを破ってしまったということです。ヴォータンがそれをとことんまで破ってゆけば、結局、彼が作った世の秩序全体が危機を迎えざるを得ない。

私としましては、この場面を重要視しています。例えば、ハイライト上演でもその中に入ってくることはありません。あまり目立たない場面として見過ごされますが、この場面こそ、最後の神々の黄昏を予感させる要素を大きく含んだ場面なのです。

Y:音楽についてもうちょっと質問をしてみたいと思うのですけれども。あらかじめ寄せられた質問の中で。「ワルキューレの騎行」の音楽、馬の動きが描写されます。馬の動きはどれだけどの程度分かるのでしょうか。神話の中では神々の馬が8本足であったり、こう言った記述が出てくるのですけれど、ここで描写されるワルキューレのお馬さんは何本足でしょうか」

M:ワカンナイ(笑)。私としては、この答えは非常に簡単だと思います。3本足。なぜかというと4分の3拍子なんですね、(ティンティポティンポン ティンティポティンポン ティンティポティンポン)
この拍子の中に、足というのは書き込まれているというのが私の答えです。
とは言っても今のは半分冗談かもしれませんけれども。本質は実はもっともな質問でもあると思います。馬というものを考えた場合、馬は何を象徴しているかと言うと、ヴォータンが本来持っているべき途方もないエネルギーを象徴させているということができます。ヴォータンは『ラインの黄金』の後、実は自分で飼いならせた軍隊というのを持つようになります。
ヴォータンは『ラインの黄金』の後、活動的になりまして、8人の別々の女性に娘を産ませます。娘達が、アマゾネスといいますか戦士になります。ヴォータンが鍛え上げます。彼女たちの乗っている馬は、エネルギーですとか、敏捷さといったものを象徴しながら、共々ヴァルハラの方にやっていくわけです。
「ワルキューレの騎行」の音楽がエネルギッシュな理由は正にこういう理由がありまして、馬が2本足か3本足か4本足か、あるいはヴォータンの馬は伝説によりますと8本足ということになっていますけれども、それは実はどうでもいいことではないかと思います。むしろ馬に投影されたエネルギーの象徴としての馬がここから出てくればいいのではないかと考えます。

さて、先程、お聞きいただいたフリッカとヴォータンの二重唱の最後の部分ですけれど、ここでビリュンヒルデ登場するわけですね。その時に、例の騎行のモティーフというものが正に、ワルハラの中に、持ち込みながら、そのエネルギーを萎むように無くなって行く。その音楽をお聞きになったと思うのですけれど。その後の、ヴォータンの長い長いモノローグになりますと。それはオーケストラの音量も歌唱も含めて全ての音楽の音量が最低限まで抑えられ、エネルギーが抑えられたということが出てきます。

『ワルキューレ』のなかで、2つ注目すべき箇所があります。
オーケストラの音が殆ど無くなって、オーケストラの音が殆ど静まりかえって、歌だけがソロででてくるというそういう場面があります。
一つ目は、ヴォータンのモノローグの初めの部分。
二つ目は今度は3幕で、今度は、ブリュンヒルデがワルキューレがヴォータンと二人だけ舞台に「私の行為は過ちだったのでしょうか」という場面、ここもオーケストラが鳴りません。
ヴォータンの音楽は、そのモノローグを含めて、非常に多くの色というか、多くの段階があります。最初は軽やかだったり、静かにくもったり、そして、オーケストラがバーンと音量を出してそれとヴォータンが張り合ったりというところではヴォータンの中の葛藤とかエネルギーを表している。
そして最後の有名なヴォータンの告別の場面。ここでブリュンヒルデに対する愛情といのが再び戻ってくる、暖かい情感豊かな音楽。そして、ヴォータンの最後の告別の場面ですけれども、オーケストレーションも素晴らしいです。弦、それから木管、ここに金管が加わって色彩豊かな感情豊かな、情感あふれる音楽が展開されますけれども、またこれがどんなものか、もう一度味わってもらいたいと思います。

ドニー.レイ.アルバートさんにヴォータンを、告別を歌っていただきます。

(ここで再びメルクル氏がドニー.レイ.アルバート氏にインタビュー)
アルバート氏はアメリカ・テキサス州出身

M:ヴォータンの役へいたるまでの途上でどんな歌を歌ってきたのでしょうか。そしてヴォータンをうたうのにどう役立ってきたのでしょうか?

アルバート氏:これまで歌ってきた歌は、イタリアオペラ、ヴェルディ、プッチーニ等。ワーグナーはあまり歌ってこなかったです。歌ってきたのは『さまよえるオランダ人』などです。ヴォータンはテキサスで初めて歌ったのです。イタリアオペラは声を成長させるには有益です。(ヴェルディ、プッチーニ、トスカ、ラ・ボエーム、リゴレット、トロヴァトーレ、ナブッコ...)まだまだあります。

M:ヴォータンの到達するのに長い道のりだったと思います。 ヴォータンに入れ込むのにどうされるのでしょうか、全体の力配分は?

アルバート氏:ヴォータンは最も難しい役です。テキスト、言葉、セリフ、長いナレーション。ヴォータンに娘がいますが、とくにブリュンヒルデにこれまでのいきさつを語る所が難しいです。そしてもうひとつの難所が、ヴォータンの告別のところだと思います。最後に最後に至って、自分の感情を爆発させる。仕置きをしながらも将来自分のために何かしてくれるのではないかという希望を託します。
(強調)その日の上演を聞いてください!

 

M:ヴォータンとビリュンヒルデ(神々)が人間という存在と出会う。神と人間との間に感情のやり取りがおこるのです。
一番重要なのはブリュヒンヒルデがジークムントに運命を告げる場面です。死ぬ運命にある(人間と出会うこと)は、ビリュンヒルデは毎日同じことをやってきました。でもここに来て深い愛情をみました。初めて人間に対して兄であるジークムントに対して感情を抱きます。ワルキューレではブリュンヒルデとジークムントの葛藤が強く打ち出されています。ブリュンヒルデがジークムントに近づいた結果ブリュンヒルデは人間となります。三幕で。
2幕は2つの生命の曲線。ヴォータンは2幕で頂点にあったエネルギーが急激に下降し、ジークフリートの3幕にはその線が消えてなくなります。ブリュヒンヒルでは2幕から上昇して行って、2つの曲線が交わります。

会場から質問:指環の全体の構造をお話しいただきましたが、われわれに対しどういう意味を持っているのか、リングのメッセージがあるのでしょうか。

M:(指環には)無数の(テーマがあります。)ひとつの舞台では全部の答えを出せない。ひとつのメッセージには還元できません。さまざまな切り口があると思います。社会、世代間、権力の維持、抑圧された人々がいる。いろいろな切り口があります。
個人的にはリングのメッセージの中心となるのは、リングの世界も我々の世界、唯一愛のみによって救い出すことが出来るということだと思います。
ヴォータンは契約によって世界を統治しようとしました。アルベリヒは指環を使いました。(でもうまく行きませんでした)
ブリュンヒルデは父親、夫、人類に対する愛を歌って死んでいく。新しいチャンスを投げかけています。

会場から質問:キース.ウォーナーさんは、3月9日の講演会で、「音楽はワーグナーにとって第一ではなかった」と言っていました。メルクルさんにとってショックではないですか?

M:メルクル氏:ショックじゃないです。驚きもしません。ワーグナーのオペラは、創作の段階でも様々な要素を秘めています。1848年に着想しました。色々な文献を読むに、テキストがワーグナーにとって最も大事だといっていいと私も思います。着想時はテキストが重要でした。理論的著作。
第2の段階は、テキストのための音楽を作って行くということです。独自(の方法での作曲)。単にテキストをなぞるだけでは駄目だったのです。作曲の段階は、ワーグナーにとって音楽が第一だったといえます。作曲の段階が長いのですが、途中ジークフリートの2幕で筆が止まってしまいます。スランプの時代、ジークリンデを、菩提樹の下において12年置いておきましたとワーグナーも言っています。作曲は着想より26年後に完成されました。かけた年月をみても音楽がいかに大切だったかということが分かります。ワーグナーはやはり音楽家だったのです。ワーグナーの著作を読んでも揺れ動いていることが分かります。
 テキストが重要ですが、様々に彼が書いたことが矛盾をきたしてきたこともあります。音楽というのは、しばしば、言葉で表せない深い次元で表現する力を持っています。
そして、これで結びになりますが、音楽家ですので強調します。
CDを聞くのが好きな人は居ますが、ビデオの音を消して見るのが好きな人はいません。これで音楽が大切だということがわかるのではないでしょうか?(笑)

 

講演会終了後、メルクル氏はサインをもとめホワイエに出来た長蛇の列に対し、並んでくれた人ひとりひとり丁寧にサインをされていました。
今回の講演会の半券でBキャストのゲネプロ3幕を見ることが出来ました。メルクル氏とウォーナー氏のご尽力によるものだそうです。今までも賛助会員向けのゲネプロ公開は行っていたようですが、一般向けの公開は今回が初めてとなりました。当日は半券と引き換えにステッカーをもらい、それを貼って入場しました。

←ゲネプロを見るためのステッカー

ホームへ