| JunZのバイオグラフィ |
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196X年、愛知県は木曾川のほとりで一女一男きょうだいの、弟として出生。 いわゆる僻地で育ち、男の子の遊び友達が少なかった為、キャッチボール、魚釣りなどの遊びよりもお絵かき、粘土細工などの遊びを好む幼児でした。そのためか、いまでも球技は苦手。また、この頃はウルトラシリーズやITCのスーパーマリオネーション、スタートレックなどが本放送されていたため、これらが強烈にインプリンティングされています。 |
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小学生になると模型工作等に熱中。父が買ってきてくれる「模型とラジオ」という雑誌を夢中になって読んでいました。ミニチュアカーや鉄道模型に凝ったのもこの時期ですが、幸か不幸か鉄道そのものにははまりませんでした。ただ、貧乏だったので、ラジコンの飛行機や車の模型は買えませんでした。そのことは、いまでもトラウマ(?)になっております。 |
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高学年になると、クリスマスに買ってもらった「電子ブロック」に熱中。以後、ラジオやワイヤレスマイクといった電子工作を作るようになります。その頃ON AIRされていたソニー、スカイセンサーのCMの影響もあって、エンジニアを志す様になりました。TVでは、第二次怪獣ブーム、ロボットアニメ、仮面ライダー等が流行っていたころです。おっと、忘れちゃいけない、旧ルパンと出会ったのもこの頃。 |
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中学生になると、タミヤの戦車の模型にはまりました。友人と模型を持ち寄ってジオラマ撮影などをやっておりました。これがきっかけで写真の現像、引き伸ばし等も行うようになりました。また、別の友人とは8mmムービーカメラで模型を使ったコマ撮りアニメーションにも挑戦しました。 |
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高校生になると、部活は、「報道部 写真課」という所に所属、ここで、写真一般の知識を習得しました。学祭や球技大会などのイベントの度に出動しては写真を撮っていました。今はどうか知りませんが、当時はモノクロ写真だけでしたが。今にして思うと部員は(自分を含めて)「変なヤツ」ばかりでしたね。「究極超人あ〜る」の光画部を地でいくような。 |
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大学に入ると電車通学になった関係であまり遊ぶ時間が取れなくなってしまいましたが(これでも一応真面目な学生で授業はきちんと出席していたのです。)、この頃初めて家にビデオデッキがやってきて(笑)、これで一所懸命に「うる星やつら」等を録画していました(爆)。根の暗い大学生でした(核爆)。当時のビデオは3倍モード、音声多重対応のものが出始めのころで、S−VHSはおろか、Hi-Fiビデオも出るか出ないかという情況。デッキ本体も20万円位しましたし、テープも120分のノーマルが\4,800、HGが\5,300、160分テープが\6,500という時代でした。なんか、テープ代だけでおこづかいが無くなっていく、という感じでした。今にして思うと、20歳前後の一番楽しい時期に何やってたんだろう、という気がします。一応、音楽とオーディオの趣味の方も活発にやってましたけどね。夏休みに製パン工場でバイトして、TASCAMのMTR:144を買ったのは懐かしい思い出です。 |
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さて大学卒業後は、無事地元のメーカに就職して子供のころの志望通りにエンジニアとなりました。とはいえ、夢見たように、自由に自分が作りたい商品を造る様な訳には参りません。「どうしてこんな無駄なことするんだ!」とか、「どうして今のまま生産するとトラブルが発生することは判りきっているの誰も発売を止めないんだ!(オイオイ)」とか、青臭い理想と現実のしがらみとの矛盾に悩むこともあったりしましたが、それなりに大人になって、なんとかかんとか止めずに続けて現在に至っております。
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(2000年6月 記す。)