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仮想ワイナリー巡り in 勝沼(2)

まるきワイナリー
車で走りながら・・・
Mu「そこの派手な建物な。それが『まるきワイナリー』言うて、またなかなか個性的なワイナリーなところやねんけど、今日のところはその手前を左に曲がって、坂をグーッと登ると・・・」
「えらい長い説明やな・・・・あれ?フジッコがあるわ。フジッコやったら知ってるで!・・・・・・こんなとこで、葡萄の佃煮でも作ってはるんやろか?」
Mu「あほなことを言たら怒られるで。ここはフジッコワイナリー!フジッコさんがやってるワイナリーや」
「へー、そりゃ驚いたわ。どんなワインなん?」
Mu「これがなかなか美味しいんや」
「へー、そうなん。」
Mu「2005年もJapanWainCharengeで入賞してはるから、十分に実力を持ったワイナリーなんやで」
「そりゃたいしたもんやわ。・・・ところでな、ちょっと聞いてもええか?」
Mu「なんな?」
「ワインはな、赤・白・茶とあるけど・・・・」
Mu「ちょっと待て、待て、待て!・・・赤・白はわかるけど、茶とはなんや!?」

フジッコワイナリー前より望む
「いや、フジッコさんやから醤油風味とか・・・」
Mu「そんなオカキみたいなワインあるかいな!フジッコワイナリーの人が読んだら怒りはるで!」
「でも、赤でも白でも無いようなワインは見かけるで」
Mu「それはロゼとちゃうか?」
「ああ、夏がくれば思い出すとこやな」
Mu「それは尾瀬や!」
「(笑)・・・どっちでもええけど、そのロゼと他のワインはどう違うんな?」
Mu「それはやな・・・」

赤ワイン
赤ワイン用葡萄を破砕して、皮・種ごと漬け込んで発酵。果皮に含まれるタンニンから、渋みとコクが生まれます。

白ワイン
白ワイン用葡萄を使い、破砕後に皮や種子を取り除き果汁だけを絞って発酵。渋みが少なく、すっきりでフルーティ−な味わい。

ロゼ・ワイン
1:白ワイン用葡萄を、赤ワインと同じように皮ごと漬け込み発酵させ、色がピンク色になったところで圧搾し、皮を分離する方法
2:赤ワイン用葡萄を破砕し、白ワインと同じように皮や種子を取り除き果汁だけを絞って発酵(ブラッシュ・ワインとも呼ぶ)


勝沼町・・・・電柱が邪魔じゃ
「・・・なるほど。ええ勉強になったわ」
Mu「・・・ところで、ここは勝沼町が一望に見えて、ほんまに絶景やね」
「そうやね。ここはほんまに気持ちがええとこやね」
Mu「勝沼と言えば葡萄ということやけど、いつくらいからこんなに葡萄造りが盛んやったんやろか?」
「・・・そういう話題ならまかしとき。『勝沼や馬子はぶどうを食べながら』って句は知らんか」
Mu「知らん」
「あっさりしとんな。これは江戸時代の松本蓮之という人の読んだ俳句でな」
Mu「俳句か・・・松尾芭蕉やないねんな」
「ええとこついたね。この句は芭蕉の句と言うてる人もあるみたいなんや。そやけど、多分違うやろうね。調べてみたら、文化八年(一八一一)刊『青ひさご』に松本蓮之の句として載ってたそうやから、芭蕉とは100年以上の隔たりがあることになるわな。」
Mu「ほー・・・ということは、江戸時代にはもう盛んやったんやな」
「そういうことやね」

つづく

by Kirakusai

さて、勝沼と言えば「日本葡萄伝説」に触れなくてはならないでしょう。あまりに有名である話しですから、知っている 方の方が多いのではと思うくらいなのですが、今だご存知ない方の為に簡単に説明いたしますと・・・ まずは、有名な甲州ぶどうの身上書を述べますと、「ヴィテニス・ヴィニフェラ種」とい欧州系のワイン用ぶどうの 一種になるのですな。
そのヴィテニス・・・ムニャムニャ・・・は、本来ならヨーロッパに居るはずなのに、何故か日本の山梨県にポツン と生育していたわけです。例えて言うならば、山梨県の奥地でいきなり野生のライオンが見つかったようなものでして、 一体どういう数奇な運命をたどって日本にたどり着いたのか想像がふらんでくるわけです。
そういえば、東北のどこだかでキリストの墓があるとかいう話しがありましたが、その話しはその後どうなったんでしょ う・・・まあ、余談ですが。
ぶどうの伝播ルートの話しに戻りましょう。誰でも考えつくのが、シルクロードを通ってきたということで、面白みには 欠けますがそう見るのが常識的な解釈と言えますでしょう。時代は8世紀とも12世紀とも言われていますので、相当に古い 時代のことですが、問題はシルクロードを通って日本に渡来したぶどう君が、どうやって山梨・・・当時の地名で甲斐の 国まで到達し得たのでしょうか?当時の都は関西方面ですから関西でまず根付いて広がったというのならわかるが、どう もそういう感じでもないようでして。関西でのぶどう栽培は、せいぜい300年前ですので甲州ぶどうの渡来より数百年の 差が出てきております。
一説には奈良時代のテクノクラートと言うべき高僧の行基が伝えたというのがあるようです。大仏建立にあたって絶大な 力を発揮した行基のことだから、ぶどう栽培にも通じていたということなのでしょう
もう一つの説は、12世紀頃の勝沼地方の小領主の雨宮勘解由が旅先に道端で見つけて持ち帰り、苦労して栽培に成功し たというもので、どうもこちらの方が信頼性が高そうだという意見もあるようです。
個人的にはより面白みのある行基伝来説の方を押したい気分ですが、皆さんはいかが思われますか?

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