| うちのじいさまは青森県浪岡町(現青森市)で「浪岡文化劇場」という名の映画館を経営していた。昭和36年に消失するまで、日本映画の全盛期には100円札を足で石油缶に突っ込むほどに日銭が入っていた。
私は母屋と便所で繋がっているその劇場で育ち、ナイトレイト・フィルムの切れっ端を宝物にし、映写技師の部屋で遊んだ。当時田舎の映画館では映画だけではなく旅回りの芝居や演歌の興業も行われていた。5歳になるまで、私は映画館の暗闇で呼吸することが当たり前になっていたわけだ(このあたりの記憶は『あの川に遠い窓』1996年初演に詳しい)。
高校時代も5歳の頃の暗闇を引きずって映画館に入り浸ったことは言うまでもない。そして、それに続く浪人・大学時代を通して私は漠然と映画監督という職業を考えていた。
無論、それは強烈な思いではなく「なれたらいいなぁ」程度のものだった。しかし、ゴダールを見てしまってから後は金輪際そんなアホなことを考えるのはやめた。所詮、文化資本力が違うのだ。
少しだけその時代のことを書いておこう。私は全共闘世代にはるかに遅れ、オタク文化とも縁のない昭和31年生まれである。中学3年の時に「三島割腹事件」をぼんやりと受け止め、ビートルズはすでに解散していた。マイルス・デイビスは長い休養期間に入っており、フラワー・チルドレンという聞き慣れない年上達がぞくぞくとニューファミリー生活を初め、学園闘争の季節はとっくの昔に終わっていた。高倉健に代わって実録路線の菅原文太が東映のスターになり、ハリウッドではチャールズ・ブロンソンがまだスターだった。
その頃の弘前を端的に示すエピソードをひとつ書いておこう。その頃、弘前のメインストリートは土手町で、そのはずれに2階建ての今泉書店があった。
高校3年だった私は、学校帰りその本屋さんを冷やかすのを日課としていた。この1日に一回は必ず本屋さんに立ち寄るという習慣は、ネットで本が買えるようになるまで長く続いた。
ある日、ふとチェ・ゲバラの評伝を眺めていたときだった。背後から妙齢な女性が声をかけてきた「君はどこの高校?」「弘前南高校です」「部活はなにしてるの?」「演劇部です」「ブレヒトって知ってる」「いえ」「面白いから読んでみなさい」「あ、はい」「革命に興味があるの?」
その女性は私が手にしていた本に視線を落として尋ねた。
「ええ、まあ」「これから喫茶店に行かない?」
美しい女性である。寝ているとき以外はセックスで頭がいっぱいの高校生である。当然ふらふらとその女性のあとについていき、いろんなことをされるかもしれないという淡い期待は、「こりゃヤベぇよ」という内心からのささやきにあっさりと挫けた。「あ、すいません、電車の時間があるんで」私はそそくさと本を棚に戻して、引き留める声を無視して店を出た。
はたして3日後、私は昼休みに演劇部の顧問に呼び出された。「おまえ宛に手紙が届いてるんだけどさ」。顧問は封の切ってある封筒を私に差し出した。人の手紙を開封するのはどうかと思ったが黙っていた。「おまえはこういう連中と付き合ってるのか?」。急いで文面に目を通すと、われわれはある政治的なセクトに属する者だ、今度の土曜日に集会があるので来てみないか? ブレヒトの本を貸しますとある。
「古いなぁ」というのが最初の感想だった。そして「ダサいなぁ」という思いがやってきた。弘前にある国立大学には最後まで学園闘争が残っていたのである。郵便でオルグられた高校生は、しっかりと生徒指導部のブラックリストに載せられた。
大学に入るまでの2年間、1日に一冊の新書を読むこと以外のすべての時間を映画館に通うことに捧げたと言っても過言ではない。予備校へも行かずに通い詰めたのは新宿の昭和館で、まだニュースフィルムが存在し、任侠路線から実録路線へ移行中の東映と藤竜也と原田芳雄が活躍していた日活ニューアクションシリーズを3番館で見ていた。
大学は哲学科を選んだ。人はどうやって存在するのか、人にとって思想とは何か、自分にとって他者とは何かなどという問題意識が明確にあったわけではない。ただ、子供の頃から不思議に思っていたことがどういうことなのか、がひょっとしたらわかるかもしれないという期待があったためだ。
その不思議とは、単純だがいまだに考えつづけているものである。すなわち、目の前にチョコレートがある。私はそれを口に含んでみる「甘い」と感じる。はたして私とは別な誰かがその同じチョコレートを食べて、私が感じる「甘い」という感じを寸分違わず感じているのだろうか? という不思議である。
大学へも行かず、アルバイトでバーテンをしながらひたすら本を読んだ。1日二冊の新書を読むという己に課した義務を4年間守り通した。極度の活字中毒症は積極的に準備された。
そして、夏休みで帰省すると高校時代に知り合っていた野村、福士と芝居をやり始めた。演劇もまた人間を考えるためのツールであることぼんやりと感じつつあったのだ。
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