| 五所川原市は人口約5万人。太宰治の生家のある金木町はすぐ隣で今では合併されている。日本の青少年の永遠のアイドルである太宰は、五所川原に出ることを都会に出ることだと考えていた。五所川原を一言で言うと「ハイカラな街」である。映画館の数の多さ、粋な喫茶店、そして最先端のブティック。数こそ少ないが、マニアックさでは津軽一番であると思っている。
そして、話は思いっきり脇にそれるが、美人はおそらく青森県で一番生息数が多いはずである。煎餅のふち囓りをやって教壇の上からじっくりと観察した同僚たちの意見も私と同じである。「弘前には美人が多いですねぇ」と言われることがあるが、私はうんうんと頷きながら「あのね、五所川原に行ってごらんなさい、即座に住みたくなるから」と心の中ではほくそ笑んでいる。
しかし、五所川原はまた津軽の芯がある街である。津軽に情念であるとか、神秘があるとすれば、その元は五所川原とその周辺地域である。ひとつのエピソードをあげておく。
定時制高校のピカピカの教員になった私は無論初めての担任を持たされた。今では定時制高校も様変わり(不登校生徒が圧倒的多い。ちなみに世の中には学校が合わないこどもだって確実にいて、4時間しか生徒を拘束しない定時制に来た瞬間に不登校が直ってしまう生徒が50パーセントくらいいる)しているが、当時はまだまだ働きながら勉強するっていう生徒が多かった。
学校現場には「保護者カード」なるものがあり、生徒の保護者に関する個人情報を書き込むものがある。その一枚一枚を点検しているときだった。「……?」。私は放課後に生徒を呼び出した。「おまえ、オレをナめてんのか」「え?」「おまえのお父さんの職業な」「はい……」「神様ってあるけど、これってマジか? オレをからかって楽しいか?」その女生徒はさめざめと泣き始めた「泣いたってだめだよ今更」「ほんとなんです」「神様なんて仕事あるか!」「……だって、神様なんですから」。
「ない!」「神様なんです」「ない! 絶対にあり得ない!」。押し問答は続いた。しかし、その女生徒は最後まで押し通した。
仕方なく私は家庭訪問に出掛けた。神様に会いに。足取りは重かった。なにしろ神様である。どんな顔して、どんな態度で会ったらいいか、私の心は千々に乱れていた。
そして、神様はいた。
「いやいや、まだ神様やって2年目なんですが、なんとかやってます」
「はあ」
「私の仕事はね、地域の精神分析家なんですよ」
「へ?」
「入学、縁談、離婚、姑との戦い、家庭内暴力、失せもの、ま、大体なんでも占いますっていうか、相談に乗るんですね。うちは一応水神様系ですけど」
「あは、なるほど、そうなんですか」
津軽にはイタコを初めとして、霊的世界との「糊代」になる人々が多く存在する。正式な(?)イタコは初潮前に修行に入る者をさすが、今ではそんな正統的なイタコはまずいない。五所川原を中心とする奥津軽の貧しい農家は冬の暖房に泥炭(ピート)を使う。つまり、室内を燻して暖をとっていたのである。その結果、もうもうたる煙の中で幼児期を過ごす者に盲目になる確率は高かった。その幼い頃に盲目になった少女が生きていくためにイタコになったのである。
そして、街場の神様とはもっと気軽にご託宣が貰える精神の安定に寄与する神様なのである。
「一昨年まで隣で町議会議員してたんですがね、落選しまして」
「ああ、なるほど」
私は娘さんに対する無礼を詫び、生徒に対しても真摯に謝罪した。なるほど神様なのである。イエローページにその項目がないのが不思議なくらい津軽にはまだ街場の神様がいて、エスタブリッシュメントとしての信仰の対象ではなく、精神の安定のために機能している神様がいるのである。
少し興味があったので帰り際に尋ねた。
「失礼ですが、どちらの政党に属してらしたんですか?」
「共産党です」
津軽の懐は深い。唯物論者であるべき人が2年後には神様を名乗って生活できるのである。人間にある訳のわからなさを救済するシステムが根付くことを私は田舎とは呼ばない。その娘はその後上京し、カリブの音楽に心酔してジャマイカ人と結婚した。
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