歴史ガイド (1)大山街道

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■解説


 江戸赤坂御門を起点として多摩川を渡り、二子・溝口を経て多摩丘陵をあがっていくのが大山街道で、さらに厚木・伊勢原・秦野を経て関所のあった矢倉沢を過ぎ、足柄峠を越えます。東海道と甲州街道のあいだを江戸に向かう脇往還として、「厚木街道」あるいは「矢倉沢往還」とも呼ばれてきました。この道は五穀豊穣、商売繁盛の神様として、広く江戸庶民の信仰を集めた阿夫利神社・大山祭りの道として知られ、お参りのための「大山講」が盛んにつくられ、夏には金剛杖などを手にした人々が、賑やかに街道を過ぎて行ったことでしょう。

 物資を輸送する商業ルートとしての役割も重要でした。溝口・二子の宿が定められたのは、 寛文9(1669)年。通行人や物資の量が増えたのは、江戸後期のことです。駿河の茶や真綿、伊豆の椎茸、干し魚などが馬の背で運ばれ、また 秦野地方の煙草づくりも盛んになって、これらを扱う商人たちで宿は活気を呈していました。

 今、二子・溝口・ねもじり坂にかけて旧街道を探訪すると、蔵造りの商家や急な坂道などに昔の面影をしのぶことができます。

■見学のポイント(ガイドパネル所在地)


ルート総合案内
 (二子新地駅前)
二子の渡し二子神社とかの子碑
大貫家の人々光明寺と二子学舎蔵造りの店
江戸時代からの薬屋二子・溝口民権運動と上田家
陶芸家浜田庄司の家溝口・二子宿の問屋跡二ヶ領用水と大石橋
国木田独歩と亀屋溝口神社と簡易水道宗隆寺と御会式
蘭方医太田家と種痘庚申塔と大山道標ねもじり坂
笹の原の子育て地蔵

■ルート情報


「大貫家の人々」
(ガイドパネルB) 
大貫家と大貫病院が解体されたためパネルは撤去されています。
蘭方医太田家と種痘
(ガイドパネルO)
太田家の跡地が駐輪場になっており、パネルは撤去されています。
二子の渡し
(ガイドパネルA)
行方不明で見あたりません。



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