歴史ガイド (3)中原街道

← (2)東海道と大師道     (4)津久井道と枡形城祉 →


■解説


 江戸虎ノ門を起点として三田・馬込を通り、丸子で多摩川を渡り、佐江戸・瀬谷・用田を経て、さらに相模川を越え、平塚の中原で東海道につながるこの道は、「相州街道」「お酢街道」「江戸間道」などと呼ばれていた。ずっと後、小杉あたりでは下肥を積んだ荷車が頻繁に往来したので「こやし街道」などともよばれていました。

 徳川家康が江戸に入った1590年(天昇18年)には、まだ東海道は整備されておらず、家康は平塚からほぼ直線で江戸に向かうこの道を通ったのです。二代将軍秀忠が中原御殿と同じように小杉に御殿を建てたのは1608年(慶長13年)。家康、秀忠、家光の三代にわたる将軍が鷹狩りなどの際、この御殿で休息し、さらに街道を通る西国の大名なども利用していたようです。

 やがて東海道が整備されると、大名行列などの多くがそちらを通るようになり、中原街道は脇往還となり、以前の賑わいを失いました。しかし、その後も沿線の物資や農産物の輸送などに欠かせない重要な道として、人々の生活に深い関わりを持ち続けてきました。

■見学のポイント(ガイドパネル所在地)


ルート総合案内
 (武蔵中原駅前)
丸子の渡し場あたり旧名主家と長屋門
明治の醤油づくり小杉御殿と「カギ」の道小杉御殿の御主殿跡
小杉陣屋と次大夫御蔵稲荷と多摩川西明寺と小杉学舎
小杉駅と供養塔庚申塔と大師道小杉十字路
二ヶ領用水と神地橋泉沢寺と門前市旧中原村役場跡
木月堀と「くらやみ」街道と地蔵尊南武線の歴史
中原街道

■ルート情報


「丸子の渡し場あたり」
(ガイドパネル@) 
ガイドパネルが行方不明です。
「明治の醤油づくり」
(ガイドパネルB)
ガイドパネルはありますが、現在は醤油は造られていません。ガイドを見て訪ねてくる方が何かと質問するため、石橋醤油店が迷惑しています。ご注意ください。



← (2)東海道と大師道     (4)津久井道と枡形城祉 →