悠遊館21えんぴつの匂い>アメしょん物語
アメしょん物語

 こないだ、とあるビルにある食堂街でのこと。トイレに入ったところで若者とすれ違った。その君は用を足した後手洗いに立ち寄らずあたふたと出ていった。某店の制服に板場の帽子をつけていた。昼時でその店にでもと思っていたが、別の店に変えた。あそこへ行くと次の時にもきっとこのことを思い出すと思う。アメリカのレストランやフードセンターのトイレも従業員兼用のようで、「従業員は手をよく洗いなさい」と書かれた表示を何度も見た。書いてあるからといっても、それは建前で、洗わないのやらいい加減に洗うのもいるとは思うが、マニュアル社会になった日本でも真似た方がいいのではなかろうか。

 この頃聞かないが「アメしょん」という言葉があった(記憶の仕組みが壊れていて確信はないのだが)。アメリカに行っても、どこに行っても人間食べ物を口にし、おしっこはする。行ったといってもおしっこしかしてこなかったというのは言い回しとしてはおもしろいが、トイレにだってその国らしい印象はある。

 アメリカのトイレに入って一番に目を引いたのは大の部屋の壁である。といっても落書きではない。落書きは見なかった。壁の下の部分が数十センチ、上にも大きな空きがある。視線を塞(ふさ)いでいる壁が少ないので、人が入っていたら一目でそれが分かる。背の高い人なら上からだってのぞき込めそうである。初めての女性には馴染みにくいことだろう。ボルティモアの球場のトイレに入った時、大の部屋で小の用を足し、横を向いて、小便器に立つ人と大声で話す巨漢を見た時には、記念になんとか写真を撮れないものかと思ったものである。

 私の入ったアメリカのトイレには概ね手拭き用の紙が備えられていた。巻紙がセットされ、ハンドルを下に押すと概ね20センチほどの紙がせり出してくる。私も一押し20センチの紙を使っていた。どこだったか、そうして紙を切り取った私を見てうしろの男性がにやりと笑う。目が合うと笑みを交わす、それが向こうの人にはきっちり身に付いているから、この時もその流儀かと微笑み返した。紙の箱に向かった彼はやおら腕を激しく上下させて、2メートルはあるかと思うほどの紙をむしり取って手を拭いた。あの笑いには含意があったに違いない。日本に帰ってしばらくはホテルやレストランのトイレにおかれた四角いティッシュを見るたび、あのおっちゃんの手からあふれる紙の膨らみを思い出していた。

 鉄道の駅のトイレでは様々な人たちに出会う。ニューヨークのペン駅のトイレは利用者が多いせいか、水栓がいくつもついた半円の手洗いが壁からせり出していた。水の出が実にしょぼくてじれったい。隣の老人は私がトイレに入った時からそこにいた。駅にでも寝泊まりしているのかと思うような出で立ちで、ただひたすらに手を洗っている。ちょろちょろ出る水をすくっては腕にすりつけるようにして、何時までもその腕をさすっているのである。彼はどうしたかったのか、その心境は推し量れなかった。皮膚の色から浮かぶ一つの連想がなかったわけではないが、それは愛すべき老人への思いやりに欠けるもので、受け入れがたいと感じた。
 同じトイレを出る時、反対側の洗面台の前に黒人の青年がいて、鏡をのぞき込んでいた。上下純白のスーツに身を包み、靴は鏡のように磨かれた白いエナメル。アフロヘアを丁寧になでつける仕草も滑らかである。スクリーンの中ではなく、現実の世の中に繰り広げられているドラマに主役を演じる、若々しい活気が周囲にあふれ出している。こういう光景こそまさにアメリカにいるんだと思う一瞬である。彼がステップを踏んで、颯爽とトイレから出て行くのを見ていたかったけれど、あいにくアムトラックの発車時間は間近に迫っていた。

 斯様なことで私の旅も又「アメしょん」でありました。尾籠(びろう)な話で失礼いたしました。
 だいたいこんな感じ  紙の収納箱


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