「無限の可能性を秘めた・・・・」というキャッチフレーズでトレーニングキットTK−80が売り出されたのは1976年夏のことである。発売のねらいは文字通り、技術者を養成するためであった。
その頃は、ラジオ、オーディオ、アマチュア無線の送・受信機の自作が盛んに行われており、ラジオ技術、CQ、トランジスタ技術などの技術雑誌には、4あるいは8bitのマイクロコンピュータの製作記事がいろいろと発表され、製作記事で使われた基盤の通信販売が行われるなど、コンピュータを作ろう、あるいは作ってみたいという基盤は出来上がっていた。
TK−80は入力に25個のキー(*1)、出力は8桁のLED。補助記憶にカセットテープレコーダーを使用するという原始的(?)なものであったが、発売と同時にマニアと呼ばれる層に「自分のコンピュータ」が作れると人気を呼んだものであった。
「無限の可能性」に牽かれて、私がTK−80を組み立てたのは77年に入ってからであった。
丁寧な組み立て説明書が付いており、その順番に従って作業(主としてハンダ付け)をしていけば難なく完成できるようになっていた。私は2台組み立てたが、トラブルなしに完成した。
コンピュータを動かすための基本的なプログラム(BIOSに相当)は、わずか 768バイトのモニターROMに収められていた。
などコンピュータを動かす基本的な手続きを知ることが出来た。
ソースコードは公開され、フローチャート付きのていねいな説明があって、プログラムの仕組みを理解できるようになっていた。プログラム技術者の養成のためのものだから、これが目的といえる。
私にとっては、モニタープログラムの解説を丹念に読むことによって、以降のプログラミングの基礎となった。
サンプルプログラムの電卓やフリップフロップ、ヒットアンドブローなどのプログラムを打ち込んでみたものの8桁のLEDに表示するだけでは物足りず、結果を印刷して残したいと考えた。
当時は、本体(8万8500円)より遥かに高価な端末(ゴルフボールつきの中古のテレタイプが35万円)しかなかったが、マイコン雑誌の広告で安価な組み立てキットがあるのを知って、新大阪にある製造元まで買いに出かけた。
このプリンターは表面にアルミニュウムを蒸着させた幅6cmのロール紙の表面に火花を飛ばしてアルミを溶かし、文字を表示させるものであった。
機械的な組み立て、配線はていねいな説明がついていて、ハードは組み立てられたが、印刷のプログラムは1枚のフローチャートがあるだけで、これを参考にして各自で作ってくださいという代物であった。
プリンタードライバーは出来あがってしまえば簡単なソフトだが、印刷が出来るようになるまでは悪戦苦闘であった。よいプログラミングの勉強であった。
お 願 い
「コンピュータとのかかわり」は、私(小田桐 一良)が コンピュータについて体験したこと、コンピュータとコンピュータを利用した教育などについて考えたことを集めたものです。
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