試作車は1939年9月に完成し、同年冬に始まった隣国フィンランドへの侵略戦争(第一次ソ・フィン戦争、フィンランド側名称「冬戦争」)に実戦評価のため投入された。KV重戦車は12月19日に制式採用となり、続いて量産に移された。名称のKV(キリル文字のKB)は、革命軍事会議議長他を勤めたクリメント・イェー・ヴォロシーロフの頭文字。
量産当初の型は、主砲は30.5口径76.2mm砲L-11、最大装甲厚75mm、重量44t、500馬力のV-2ディーゼルエンジンを搭載していた。
一方、KV-1の制式化と前後して、対フィンランド戦争にあたり強固な防衛線であるマンネルハイム線を突破するための、言わば「攻城用兵器」として、強力な榴弾砲を備えた重戦車開発の要請が出された。
このため、すでに開発の終了していたKV重戦車に、152mm榴弾砲を備える新たな大型砲塔を載せたタイプが急遽試作された。この戦車は当初単に「大型砲塔付きKV」と呼ばれていたが(これに対し本来のタイプは「小型砲塔付きKV」と呼ばれた)、生産開始にあたり、大型砲塔付きは「KV-2」、小型砲塔付きは「KV-1」という制式名称が与えられた。
KV戦車の各仕様に対する呼称は、かつてはドイツ軍が識別用に付けたアルファベット式のものが(戦後も長くソ連からの情報が閉ざされていたために)長く使われていたが、冷戦終了に伴って豊富な資料が出回るようになり、年式による区別が通常用いられるようになってきた。
中でも一般的と言えるのが、「グランドパワー」誌1997年10月号(「第2次大戦のソ連軍用車両[下]」)で高田裕久氏が紹介されている、実車マニュアルに記載されているという年式呼称で、これを大まかに仕様と対照させると、次のようになる。
KV-1 1939年型(KV-1m1939)……30.5口径76.2mm砲L-11を搭載。
KV-1 1940年型(KV-1m1940)……39口径76.2mm砲F-32を搭載。増加装甲型(エクラナミ)、装甲強化型砲塔搭載型を含む。
KV-1 1941年型(KV-1m1941)……40.5口径76.2mm砲ZIS-5を搭載。初期の一部車両はF-34を搭載したとされるが、防盾形状はZIS-5型と同じ。
KV-1 1942年型(KV-1m1942)……武装はZIS-5のまま、装甲強化型の車体(および砲塔)となった型。
実際には、この年式呼称については、なお資料によってかなりのブレがある。
例えば1939年型といっても(確かにKV-1の制式化は1939年12月だが)実際に量産が始まったのは1940年で、そのため、これを「1940年型」と呼ぶ資料もあるらしい。また、1940年型も開発は1940年後半だが生産は基本的に1941年に入ってからであり、Tankogradでは、エクラナミ以降の仕様を「1941年型」と呼称している。また、同じくTankogradでは、「1942年型」の呼称を(車体の別に関わらず)装甲強化型鋳造砲塔搭載型のみに用いている。前記、高田氏の解説を載せた「グランドパワー」誌でも、その後に刊行された号での古是三春氏の解説中の年式呼称は若干違う。模型の商品名、例えばトランペッターの一連のキットなどでは、さらに混乱がある。
KV系列は、T-34ほど多くの工場で並行生産されてはいないものの、それでもやはり多くのコンポーネント工場が動員されているせいか細部仕様にはかなりのバリエーションがあり、その組み合わせは入り組んでいる。恐らく、「実車マニュアルにある年式呼称」も、全ての仕様を対照できるわけではなく、細かな差異のどこに線引きをするかは研究者次第になっていると言えそうである。
ただし、前記「グランドパワー」誌1997年10月号での年式別は、主砲の換装(1942年型は車体の強化)に則ったもので(一部生産年とのズレはあっても)判りやすい。模型製作上は、どの細部仕様がその他の箇所のどんな仕様と関連しているかが重要であって、呼称は二次的な問題だが、それでもある程度の目安として便利である。当サイトでは、基本的に前記の年式分類に従い、また便宜的に以下のように細分化する。
KV-1 試作車
1939年に作られたプロトタイプ、およびそれに続く数両の試験車両。
KV-1の最初の量産型であり、76.2mm砲L-11を搭載する。
76.2mm砲F-32に換装されたタイプ。うち、1941年前半に生産されたもので、増加装甲等の施されていないもの。
KV-1E (KV-1 1940年型 エクラナミ、もしくは 中期生産型)
1941年半ばに一時的に生産されたもので、F-32搭載型のうち、応急的に各部に増加装甲をボルト止めされたタイプ。これは特に「KV-1 1940年型エクラナミ(増加装甲の意)」、あるいは「KV-1E」と呼ばれる。
1941年後半に生産された仕様と考えられるもので、F-32搭載型のうち、車体各部に増加装甲、砲塔リングガードなどが溶接されるようになったタイプ。砲塔は一般に「装甲強化型」と呼ばれる、バッスル下が直線的に処理されるようになったものが使われ始めるが、なお、バッスル下が円弧状の従来形状の砲塔(もしくはその小改修型と考えられるもの)も引き続き使われている。
主砲がより長砲身のZIS-5に換装・強化されたタイプ(一部はF-34)。1941年秋のキーロフ工場の疎開前後に開発・生産が始まったとされる。主砲換装に伴い、防楯は駐退・復座器カバーごと一体鋳造されたものに変っており、これが外形上の識別点となる。当初は1940年型後期生産型とほぼ同一仕様で主砲のみが違うが、生産途中で側面の砲塔リングガードの形状変更、全鋼製転輪の採用、鋳造砲塔の導入などが行われる。
ドイツ軍の新型火砲に対処するため、車体側面装甲が75mmから90mmに増厚された新型車体を持つタイプ。車体後端が直線的に処理され、トランスミッション部上面の傾斜も無くなる。従来型よりもやはり装甲が強化された溶接砲塔、鋳造砲塔の2種が標準。
1940年1月末に試作車完成、続いて2月より増加試作型3両が製造され、その最初の2両は早々に対フィンランド戦に投入された。これらの車輌は、圧延鋼板を直線的に組み合わせた、7角形の平面形を持つ砲塔を搭載していた。
試作型、先行量産型の7角形砲塔に代わり、若干背が低く、側面は圧延鋼板をゆるくカーブさせた、基本的には4面で形成されたシンプルな形状の砲塔が載せられたもの。
「グランドパワー」誌1997年10月号において高田裕久氏は、たぶん実車マニュアルに基づき、前者の先行量産型を「KV-2
1940年型」、量産型を「KV-2 1941年型」と分類している。一方、スティーブ・ザロガ氏の著作ほか、これまでの多くの文献では、それぞれを「
KV-2 1939年型」「KV-2 1940年型」と分類していることが多い。ただし、いずれにせよ、両方の型ともに1940年中に生産されている(量産型は1941年にまたがる)。
KV-1型の車体との関連性を考えれば、後者の呼び名にも十分合理性があるが、いずれにせよ、この両呼称は混乱を招くことは必定なので、当サイトでは、「先行量産型(または増加試作型)」「量産型」と呼び分けることにする。
KV-2は、40年から41年にかけて202両が生産された(GP97/10)。
またその後、ドイツのティーガーなど新型戦車の登場により、もはや76.2mm砲装備の戦車では対処しきれないことが判明、85mm砲装備の新型戦車の開発・設計が進められることになった。チェリャビンスキー・キーロフスキー工場の第二設計局においても、KV戦車の設計をベースに、より発展させた新型戦車の開発がスタートした。
この設計はJS系列として結実するが、前線からは一日も早い85mm砲型戦車配備が要望される一方で、この新型戦車の生産には、なお時日が必要とされたことから、その穴埋めのため、KV-1Sの車体にJS-85の砲塔を載せた折衷型が急遽生産されることになった。KV-85は、1943年後半、143両(または130両)が生産された(GP97/10)。
KV-1SのSは「スコロツノイ(高速)」を意味する。KV-1Sは、基本的なスタイルはそれまでのKV-1のそれを踏襲しているが、車体各部に軽量化のための改設計が行われている。砲塔もより形状がリファインされた鋳造のものを搭載、転輪、履帯も軽量型のものが用意された。
KV-1Sの車体にJS-85の砲塔を載せた折衷型。主砲は85mmD-5Tを搭載する。(川畑英毅)