ほんの花物語

エリカ

著:薊野佑子

 鉢植えの花を買おうとするときの、罪悪感。
 エリカというその植物は、白い小さな花が鉢の上で霞むように咲いていて、見ているだけで心が柔らかくなる気がした。

 夜遊びが大好きで、朝はなかなか目覚めない。だからわたしは、いつも鉢植えを枯らしてしまう。朝夕の水遣りをきちんとできないから。それでも、涙が出るほど花を愛でたい気持ちになることがあるのだ。

 きっと枯らしてしまう。いつか枯らしてしまう。わたしはわかっていて、それを回避する決心もないくせに、明るくていい匂いがする花屋のレジで、「どうやって世話をしたらいいんですか?」と一生懸命店員にたずねた。

 きっとわたしたちの間に横たわっているのは、あのときの苦い切なさによく似たもの。


『あなたが欲しいんです。
どうやって世話をしたらいいんですか?』


 ふたりきりで、何度も会った。わたしは彼に、あなたが好きだと言った。でもそれは、通りすがりの花屋のウインドウで、この花が好きと言ったのと同じ重さの台詞。可愛いねと言ってキスをされた。でもそれは、店先の気に入った花に、ちょっと手を伸ばして触れたのと同じこと。ふたりきりで何度会っても、わたしは彼のものではなかったし、彼もわたしのものではなかった。
 わたしたちはそうやって、ずっと互いを好きでいたかった。なにも始めずにいれば、なにも終わらない。わたしたちはいつも笑顔で会って、キスをすればいいだけだった。

 彼と最初のキスをしてから、もう二年あまりがすぎた。なにも始めないうちに、わたしに触れる彼の手はどんどん優しくなって、彼に向けるわたしの笑顔はどんどん柔らかくなった。いつのまにか心がすっかり寄り添っていて、なんの誓約もないままに、わたしたちは離れることができなくなっていた。

 ベランダには、枯れて茶色い枝だけになったエリカの鉢植えがある。もはや死骸でしかないその鉢植えには、ずっと触れていない。いつもわたしの視界の端にありながら、それときちんと向き合って処分することもできないでいる。きっとこうなると思っていた。だからわたしは、この鉢を花屋のレジに抱えて行ったあの瞬間に、罪悪感でいっぱいだった。


『あなたをきちんと愛せるでしょうか。
 自分のものにしてしまったら、いつか枯らしてしまうでしょうか。』


 彼が優しくわたしに触れる、わたしがやんわり笑顔を見せる。いつまでこのまま、なにも始められず、抽象的な愛情を漂わせて、誰も知らない公園のひだまりみたいななかで、わたしたちはまどろむのだろう。

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