手渡された絵葉書

text by 薊野佑子

 長旅から帰ってきたあなたが、わたしに手渡した絵葉書には、宛名書きも差出人も書いてなくて、わたしの手元に届いたのが、なんだか不思議なくらいだった。
「きみに、あげようと思って。」
 葉書の角は、鞄の中でもまれたのか、すこしやわらかく、まるくなっていた。
「どうして郵便で出さなかったの?」
 わたしがたずねると、あなたは押し黙ったまま、すこし笑った。
 なんで笑うの?
 と、わたしは言う事ができず、涙をこらえるのに必死だった。
「どうしたの?」
 あなたは優しい声で言った。その声の響きはいつも犯罪的だと、わたしは思った。今日こそ怒ろうと思った時、今日こそ悲しいと思った時、そしてあなたを許さないと思った時。いつもあなたは「どうしたの?」とひとこと言って、わたしの言葉を封じた。あなたの声は優しくて、そしてまるで自分が傷ついているみたいな、寂しそうな響きを持って、そっとわたしに降りかかってくる。
「なんでもないよ!」
 わたしが突き放すようにそう言うと、見捨てられたような顔をする。
「もう知らない!」
 わたしはそう言った。彼が出かけていくときも、そう言った。心の中で繰り返し。

 泣いたりしない。寂しくなったりしない。わたしはただ、自分を強くて綺麗な女性なんだと、信じていたかったような気がする。そして、
「もう知らない!」
 この日すでに五回目くらいの「もう知らない」を心の中でつぶやく。忘れられないことを嫌というほど思い「知らされ」ていた。
「わたし、知ってる。」
 あきらめきって呟いてみる。
「知ってるよぉ」
 そう言ってしまうと、とたん泣き出しそうになる。
「やっぱり知らない、あんなやつ。」
 こんな気持ちでしか、この時わたしは笑えなかったのかもしれない。

 おとぎの国の王子様は、みんな旅に出る。そして冒険をして、やっと立派な「一人前」になる。ときにはお姫様を見つけて、そして幸せになる。だからあなたが出かける時、わたしはあなたが、お姫様を探しに行ってしまうのだろうと思ったような気がする。あなたに欠けているものは、わたしに理解することはできても、与えることはできないんだと、そう思った。
「一緒に行けたらいいなあ」
 それは、ほんとうに子供のような素直な発想で、あまりに儚い思いだった。お金、時間、状況。どれをとってもリスクが大きすぎる。すぐにそれを悟れるくらいには、わたしだって大人だった。無茶をしようとまで、思わなかった。

「それで、どうだったの?」
 そうたずねるとき、なぜかひどく胸が痛んだ。
「楽しかったよ。」
 何もかもが集約されたそのひとことを聞いた時も、余計に胸が痛んだ。わたしはそれ以上なにもたずねられなかった。彼の話を聞いてしまえば、後悔がこみあげてくるんじゃないかという恐怖があった。わたしの過ごした時間が壊れてしまうんじゃないかと、不安だった。
 あなた何を見つけた?何を得てきた?あなた、変わってしまった?
 わたしはそう思いながら、彼の表情をのぞきこむ。
「なによ」
 ちっとも変わってないじゃないの。わたしの好きなあなたのままだなんて。と思って、また、悲しくなった。
 足踏みしながら、ちっとも前に進めずに「もう知らない」を繰り返した。わたしのほうこそ、ちっとも成長してないくせに何かが変わってしまったのかもしれない。死んでしまうことも待ちつづけることも、あきらめることもできないくせに、慣れてしまうことってあるんだろうか。一日何度も「もう知らない」と呟いてあなたを思い出すことに、慣れてしまうなんて事が、あったんだ。
「だいじょうぶ?」
 彼はまた、あの犯罪的な優しい声でそう言った。わたしはもう、強くもなければ綺麗でもない馬鹿な女で、彼の胸におでこをくっつけて泣き出していた。彼はただわたしの頭をなでてくれたけど、わたしはなぜ泣いているかを、彼にちゃんと伝えられなかった。
「郵便で、出してくれれば良かったのに…。」
 こんなちっぽけなことが、この時のわたしが言えるすべてだった。
「ごめん」
 彼がそう言うのを聞いて、
「あなた悪くないじゃないの」
 そう言ってわたしは更に激しく泣いた。彼は困って、黙っていた。

「ふたりの関係を色で表すと、何色だと思う?」
 あなたが以前そうたずねたとき、わたしにはどんな色も思い浮かべることができなかった。
「わかんないなあ。何色だと思うの?」
「僕は、白だなあ。真っ白。」
 わたしはそれを聞いてあまり納得がいかなかった。
「ふぅん。わたしは、よくわかんないけど、白だとは思わないかなあ。」
 それからいろいろ考えて、自分の気持ちが複雑すぎて、綺麗な色が思い浮かばないのだという結論に達した。けれど、「彼という人を色で表すこと」なら想像できた。それは、わたしの中の一番純粋な彼への思いの色でもあった。つまらない状況や、コンプレックスや、その他いろいろな要素で濁ってしまう前の、純粋な愛情。わたしにとっての彼そのもの。その色が、夏の終わりの青い空。そう、わたしは思ったのだ。

 絵葉書の絵は、常夏の国の海と空。水平線に仕切られたふたつの青でいっぱいだった。わたしの手元にそれが渡ったとき、葉書は長旅のせいでくたびれていて、角が少しまるくなっていた。そして裏を返すと、宛名書きも差出人も書かれていない真っ白なままだったのだ。
 あなたの言う真っ白な関係は、たとえばこういうことだったのかしら。
 でもそれでも、わたしの手元にやってきたこの絵葉書。これがわたしたちを、もう一度結んでくれるのだろうか。

 わからなかった。あなたとわたしの道は別れてしまったのかも知れないし、それでも心が通じていたのかもしれないし、それはまったくの夢物語で、取り残された女に、出し忘れられた絵葉書が渡されただけのお話なのかもしれないのだ。

FIN

● 後記 ●

 これはわたしの未体験ゾーンの想像のお話。男の人って、ふっと遠くへ行ってしまうかも。そしてふっと戻ってくることもあるのかも。けれどその間、たとえばわたしだったらどうやって過ごすんだろう。そんなことを考えてみたのです。自分にとっては、なんだかホラーです。ほんとに怖いです。こんな状況に置かれたくないです。このお話がハッピー・エンドになるのかそうでないのか、本当にわかりません。それでこんな煮え切らないことになってしまったのです。読んでくださった方はどう思うんでしょうか。

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