沈黙の庭は、少女の眠りに続いてる。
星乃(ホシノ)は魔女で、そしてたぶん、花屋さん。たぶんというのは、彼女が花を「売った」ことがまだ一度もないからだ。
星乃の朝は、庭のチェックとブラック・コーヒーで始まる。
「今朝はどう?何かなくなってる?」
カーテンを引き、窓を開けると薄曇りの晴れだった。ここの天気はたいていこんな感じ。
窓の外は花が満開のハーブガーデン。まるで一年中の花が一斉に咲いたように、というよりも本当に一年分の花盛りがそこにはあった。
星乃は、肩までの髪を何度か梳いてから、ねじりあげてピンですっきりとまとめる。黒のカットソーにブラックジーンズ。エプロンの色もやっぱり黒。魔女の鉄則という色使いのスタイルだった。
「そうねえ、カモミールが少し減っているみたいよ?」
おっとりとした調子で答えたのは、背丈が4〜5cmしかない小さなおばあさん。彼女は、元・花の国のお姫様。実は年老いた親指姫。今はリーラと呼ばれる、星乃のガーデニングの師匠である。星乃が魔女としてひとりだちして間もなく、花の国で未亡人になっていた彼女を、連れてきてしまったのだ。リーラという名前は、それから星乃が付けた名前だ。「ライラック」をフランス風に発音する「リラ」から思いついたのだ。その名前は彼女にしっくりなじんでるように思えた。髪は白く体も痩せ細った老婆だが、いまだに少女のような雰囲気を身につけている素敵な人なのだ。
「カモミールかあ。咲いたばっかりだったわね。」
「そう、昨日つぼみがほころんだところだったわ。」
星乃は、開け放した窓から笛を鳴らす。バードコールだ。飛んできたのは、夢燕(ユメツバメ)。花の国からついてきた何羽かが、今では星乃の家の軒下に巣を作り、魔女の黒猫よろしく星乃との生活になじんでいた。
「おはよう。今朝はカモミールがやられたわ。犯人、探しに行ってね。」
夢燕は、すぐに黒い尾を翻し、一筋に空を裂いて飛んでいった。
星乃が次にする仕事は珈琲を淹れること。朝食の用意をしているうちに、コーヒー・メーカーがほんわかと湯気を立て始める。ちょっとした野菜炒めとソーセージとスコーンで朝食を済ませ、二杯目の珈琲をカップに注いだら、さて、仕事。星乃は口の中で何か呪文を唱え、カップからひとくち、珈琲を飲む。二杯目の珈琲は、保温しないで置いてあってので、だいぶ冷めてしまっている。星乃はカップの中のブラック・コーヒーを凝視した。テーブルの上で薔薇のジャムを食べていたリーラも、砂糖壺の上に乗っけてもらい、一緒になってカップをのぞきこむ。暗い珈琲の水面に何かが映る。夢燕だ。
「どう?犯人は見つかった?」
星乃がカップの中に語りかける。リーラが夢燕の言葉を聞き取ると、星乃に告げる。
「やっぱりわからないみたいよ。朝になってからじゃ、匂いも薄れてしまっているのよ。」
「それはこないだも聞いたわ。でもカモミールよ。かなり香りもきつい方じゃない?」
「そうだけど…」
おっとりした性格の小さな老婆は、強く言われるとすぐに自分が悪いことでもしたような顔でうろたえる。すると今度は星乃が悪いことをしたような気分になって、やんわりと言う。
「しょうがないわ。いつもの事だもの。リーラは気にしなくていいのよ。夢燕さんもご苦労さま。もう戻っていいわ。」
星乃は軽く溜息をつく。花泥棒は、ここのところ何日も続いている。ひとりだちして三年。ハーブ・ガーデンの手入れも行き届いていることだし、そろそろ本格的に魔女として商売をはじめようと思っている矢先だった。
「星乃ちゃん、そんなに気を落とさないで。カモミールは残念だったけど、大丈夫よ。お花って強いんですもの。またいくらでも花を咲かせるわ。」
リーラがゆっくりとした口調で、星乃をなぐさめる。しかし、その時星乃が考えているのは、カモミールのことでもそれを盗んだ泥棒の事でもなかった。
「思い出したんだけど、わたしのおばあちゃんのおばあちゃんの姉に当たる人が…つまりおばあちゃんの母の叔母さん?…そんなことは、まあいいんだけど。ともかくずっと昔に、大きな畑を持っている魔女が親戚にいたのよ。」
リーラは、星乃が何を言い出したのか飲み込めず、砂糖壺の上にちょこんと腰かけたまま首をかしげる。
「その魔女の畑に、ある日泥棒が入ったのよ。犯人はお隣のご主人で、ラプンツェルっていうお野菜を盗もうしたの。」
「まあ、お隣さんが?恐ろしいのねえ…」
リーラの反応に星乃はくすくすと笑った。
「恐ろしいって、そのご主人が魔女を怖れていたんでしょ。野菜くらい頼めば分けてもらえるだろう、とは思わなかったみたいだから。」
リーラは少し考えてから申し訳なさそうに「そうね」と答えて笑った。
「で、そのご主人がラプンツェルを盗もうとした理由はね。赤ちゃんがおなかにできた奥さんが、どうしても食べたいって言ったからなんですって。」
「優しい旦那さんだったのねえ。それで元気な赤ちゃんに恵まれたの?」
リーラがのんきな世間話でもするようにたずねる。
「そんな大昔の親戚の隣人のことなんて、わたしが良く知るわけないじゃない。まあ、赤ちゃんは女の子で、元気に産まれたみたいだけど、ラプンツェルと引き換えに魔女の養女に出されたんですってよ。」
「まあ、ひどいこと。なんでそんな酷なことをするのよ。お野菜くらい無償で分けてあげればいいじゃないの。これだから魔女ってわからないわ。」
リーラは見た目の歳からは想像できないほど純真だ。しかも見た目よりも何百歳も歳とっているのが真実なのだ。星乃は、時々あきれてしまう。
「リーラの言うことは、まあもっともなんだけれど、世の中そんな素直に善意を示せる人ばっかりじゃないのよ。」
星乃はそう言ってから、話がすっかりそれていることに気づく。
「わたしが言いたいのはそういうことじゃなくて、花を盗んでいく犯人は、やっぱり何かしら花の持ち主に、それが欲しい理由を伝えられない要因があるのではないか、と言うことなのよ。」
リーラはぽかんとした顔で星乃をながめる。
「わたし何か変な事言った?」
「いいえ。星乃ちゃんて、時々難しい事を思いつくのね。それ、犯人は星乃ちゃんが魔女だから怖がっているっていう事なの?」
リーラのこんなのんびりした言葉に、星乃は緊張感をそがれる。リーラのテンポは、このように星乃とは食い違っているように思えるかもしれないが、案外バランスがとれていたりもするのだ。
「うん、そうかもしれないし、花が欲しい理由をわたしに言えないだけかもしれないわ。だってね、ラプンツェルを盗もうとしたご主人は、魔女が赤ちゃんを欲しがることを予測していて、それで奥さんに赤ちゃんがいることを隠したかったのかもしれないわ。」
リーラがやや間を持ってから、よくわからないという顔をする。
「それってやっぱり星乃ちゃんが魔女だから…」
「うーんと、わたしもちょっと本末転倒っていうか、よくわからないけど。つまりこっそり欲しいわけよ、泥棒するってことは。」
星乃はリーラの言葉を遮って言った。たとえ話がうまくないせいで、星乃自身もだんだん自分の言いたいことがわからなくなってしまったのだ。リーラが、もう一度考え込んでから口を開く。
「普通の泥棒は、お金がないから盗んだりするんじゃなかったかしら。」
「そりゃ…まあ。シンプルに考えればね。でも魔女の庭の花泥棒よ?」
もはや自分でも何を主張しているのかわからない星乃。のんびりしていてお人好しのリーラに対しては、なんとなく意地をはってしまうのだった。けれどリーラは、寛容。
「そうねえ。」
おっとりとうなずくだけだ。
ともかく犯人の動機は、犯人にたずねるしかあるまいという結論に達する星乃だった。
魔法書をひっくり返して何かを調べている星乃。リーラは、出窓に置いた小さなクッションの上で縫い物をしている。
「珍しいわね、星乃ちゃんが机に向かって本を開くなんて。」
リーラが窓辺にやってきている夢燕に囁く。
「本を読むのが嫌いで、だからわたしに花の育て方を実地に教えて欲しいって言ってきたくらいなのに。やっぱり花泥棒のことを気にしているのかしら。」
星乃は、とっくに冷えて酸っぱくなったブラック・コーヒーを口に含んで、眉間にしわを寄せた。星乃の様子が気になるのか、一羽の夢燕がすいと飛んできて彼女の肩にとまる。
「花に目印を付けることができれば、あとでおまえにも追跡可能なはずなのよ。」
夢燕は、無邪気な仕草で首をかしげる。
「でもね、どの花が盗まれるかわからないでしょう?どうやって目印を付けたらいいと思う?」
誰にともなく星乃が呟いていると、別の夢燕に乗ってリーラが机の端にちょこんと降り立った。
「例えば、宝石とかなら、透明な薬で呪文を書きつけておくとかできるわけよ。」
星乃は、ほこりっぽい分厚い本の一ページを指して言った。
「やっぱり花泥棒を気にしているのね。」
リーラが気遣うように言う。
「当たり前じゃない。わたしの花なのよ?リーラだって気になるでしょう?」
「いいじゃない。きっと欲しかったのよ。」
「だからって無断で持っていかれて、気にしない方がおかしいわよ。」
リーラは、困ったように黙り込んでしまった。
「もういいや。」
言って星乃は急に立ち上がった。肩にとまっていた夢燕は、慌てて羽ばたいて部屋の中をくるりと飛んで回った。
「花に水やってくるわ。」
外は昼下がりのほんわかした空気が漂っていた。
きめ細かいシャワーになっているホースで、たくさんの花に水をやる。水滴がきらきらと輝いている。それをぼんやり眺めながら星乃は考えごと。
「いいんだけどね。お花くらいわけてあげるけど。なんでわたしに無断なのかしら…」
さて、全部の花にお水はいきわたったかしら…と星乃が思った時。
「あ、そっか」
手元のホースから、細かい水飛沫が出ているのをじっと見つめた。
「これならなんとかなるかもしれないわ!」
家の中に駆け込んできた星乃は、湿っぽいエプロンもそのままに、再び本をひっくりかえした。
「どうかしたの?星乃ちゃん」
リーラは窓辺にもどって、天道虫とご歓談中だった。
「できるかも!」
星乃が、リーラのほうを見ずに叫んだ。
「なにが?」
「わたしの花に目印をつけること!水そのものに呪文をかけて、花にかけるの。たぶんできるわ。あ〜、もっと呪文の勉強もしとくんだった。」
それから星乃は大忙しになった。
「だめだわ。大量の水に呪文をかけなきゃならないから…お風呂場に溜めたって間に合わないかも。いっそ蛇口ごと魔法をかけることってできないかしら…あ…」
なにか思いついたらしい星乃は今度は物置に駆け込むと古いブリキの如雨露をとりだしてシャワーになっている先端部分をのこぎりで切り始めた。
「星乃ちゃん、大丈夫かしら。なにか恐ろしいことをしているように見えるんだけど。」
リーラは心配顔。
星乃は紫色のインクでなにか模様を書いたり、呪文を唱えたり。如雨露の先をホースにつけて水を出しては何かを考え込むようす。
「まだ水が濁ってるわ。これじゃ花に悪影響が出ちゃう。なるべく悪意のない呪文(スペル)を使わなきゃ。」
こんな時の星乃の独り言は、リーラにはさっぱりわけのわからないことばかりだった。