夜、高層ビル最上階。ガラス張りスケスケフロアの中は、パーティの真っ最中であった。 カミシマ園芸の新作バラ「ムーランルージュ」完成慰労パーティである。カミシマ園芸の 社員が談笑するフロアはきらびやかな照明と楽しげなさざめきに満ち、あちこちに これでもかといけられた「ムーランルージュ」がその空気に晴れやかな印象を沿えている。
突然だが、その和やかな雰囲気の中を女子事務員の悲鳴が切り裂いた。
「きゃあああー!」
高音域に耐えられずにガラスが5・6枚ぱーんと吹っ飛ぶ。
「なんだなんだ」
集まった人々はシャンデリアの上に、燃えるような赤い髪をなびかせた 一人の男が立っているのを見つけた。

「はっはっははは」
男の高笑いがフロア中に響き渡る。
「花泥棒、イチイヒロタカ参上!」
「何だって、花泥棒だって?!」
「警備は何をしている!」
パーティ参加者たちの間に驚愕が電光石火伝播する。
「はっははは、タンポポの綿毛がエーゲ海を越えるように、私に入れない場所など存在しない!」
さっと男が部屋の一角を指差すと、そこには警備員が12人ほど緊縛されてダンゴになっていた。
「ぬ、ぬう、なめやがって!しかし、「ムーランルージュ」は渡さん! このバラは選ばれたもののみが見ることを許される高貴なるものなり!」
拳をたかく突き上げて叫ぶのはカミシマ園芸の社長である。
「笑止!花は咲き微笑みかける相手を選んだりはせん!」
花泥棒は真紅の髪を肩から払って声高く笑うと、ぱちんと指を鳴らした。
「な、何を…ぬおおお?!」
突然フロア内に風が吹き荒れる。部屋のあちこちの「ムーランルージュ」が散り、 晴れやかな色の花びらが花吹雪となって舞い狂った。カミシマ園芸の社長は、 飛んで行きそうになるヅラを必死で押さえながら いつのまにかシャンデリアの上から消えていた花泥棒の姿を探す。「ムーランルージュ」の 香りが鼻腔に場違いに甘い。このバラを作るのに一体いくらかかったかを 思い出して社長は歯噛みした。その強い怒りが頭を押さえた指に隙を生んだ。
「あっ!」
気づいたときにはヅラが花びらと共に窓に向かって一直線に飛ばされていった。

社員たちが瞠目する。
「やっぱり…!」
「社長は…ヅラ!!」
「くぅ…」
社長は強い敗北感にさいなまれながらヅラの飛ばされていった窓の方向を睨んだ。 良く見ると、散った「ムーランルージュ」の花びらも吸い込まれるようにそちらへと 飛んでいく。窓の外にカッとライトが灯り、浮かび上がったのはぞうさんジョロの 形をした飛行物体であった。ぞうさんの鼻の先が巨大な吸気口となっており、 花びら(含、その他ゴミ、ヅラ等)はそこへと吸い込まれているのである。そして 花泥棒イチイヒロタカは真紅の髪をなびかせながらその鼻部分につかまって鋭い視線をカミシマ園芸社長に 注いでいた。
「貴様、よくも!」
社長の叫びに、花泥棒は憂いを含んだ声で答える。
「何故、その輝きを隠した…」
「な、何だと?」
「貴殿のその頭の輝きで、何故サンタのおじいさんを導かなかった…、 貧しい子供の勉学を助けなかった、迷える子羊を救わなかった?!」
「な…」
「いいか、社長よ!良く聴くがいい。人の目の幻に惑わされ、自らの輝きを見失った 貴様の心がこの悲しい花を生んだ!雪を割るふきのとうの美しさを感じる心を失った者に、 真実の美しさを見抜く力などあるわけがない!!」
フロア中の人々が呆然と花泥棒の叫びに聞き入る。彼の声はしっかりと 芯を持ち、不思議な説得力で人々の心を打った。ぞうさんジョロマシンの鼻につかまり、 熱っぽく語る彼の頭が動くたびに、真紅の髪が何かの奇跡のように闇に花開く。
「自然に耳を傾けろ、社長!心の灯台にふたたび光をともすのだ!そうすれば… 花が全ての人のためのものであることが分かるだろう!!!」
ビシイィ、音を立てて空気を切り裂き、花泥棒イチイの人差指がカミムラ園芸社長を指す。

一瞬の沈黙がフロア中を覆った。
「ば、バカな…」
社長がやっとのことで口にした言葉はかすれ、微妙に震えていた。はっとして彼は 自らの頬に手をやる。熱い液体が指に触れた。
「な、涙…?30年間会社を大きくすることのみに情熱を注ぎ、情というものに 別れを告げた筈の私が、涙を…?!」
「しゃ、社長…」
社長の周りに社員が集まってくる。
「ヅラなんかに驚いて、すみません」
「今の社長のほうが、輝いて見えます…」
「社長、もう頭のことなんて気にしないで下さい!僕らはスのままの社長を 尊敬してますから…!」
「君たち…!」
社長は声を詰まらせる。
「さて、そろそろ時間だ。社長」
花泥棒はぞうさんの目部分にあるスイッチを押した。ぞうさんジョロマシンが青い炎を吹く。花泥棒を乗せたまま、 ゆっくりとマシンは上昇をはじめた。
「人も花も、愛と愛を感じる心があってこそ。心に光は蘇ったかな?」
「もちろんだ…!」
涙をぬぐい、カミムラ園芸社長は微笑んだ。内側から光の差すような笑みだった。
それを見て、花泥棒イチイヒロタカもにっと笑う。すこし照れくささを含んだ笑みは、 彼を少年のような表情にした。サワヤカツボを刺激された女子社員が2・3人卒倒する。
「発進!」
花泥棒の叫びと共に、ぞうさんジョロマシンのハイパーターボロケットが咆哮を上げ、 辺りが一瞬真っ白な光に包まれる。
「ありがとう、ありがとう、花泥棒!」
カミムラ園芸の社員たちは、みな涙しながら空高く舞い上がってゆくぞうさんジョロマシンを 手を振って見送った。ぞうさんはやがて遥か遠くに遠ざかり、一点の光点を残して、やがて 見えなくなった。
フロア内に静けさが戻る。
社長は割れた窓に近づき、空を振り仰いだ。
空からバラの芳香とともにピンクの花弁が舞い降りてくる。
「「ムーランルージュ」か…」
社長は再び溢れてくる涙を押さえることが出来なかった。静かに、だが確固たる口調で 自らに言い聞かせるように呟く。
「私は何か大切なものを、忘れていたようだな…。 「ムーランルージュ」は発表しない。私はもっと万人に愛される花を、 そして私自身が愛せるような花を作って行きたいと思う…!」
「社長…ついていきます!」
後ろに並んだ社員が、揃って頷く。社長もそれに答えて、力強く頷いた。
「君のおかげだ…花泥棒君…。」
バラの香りが薄れ、ふたたび彼は空を見上げる。
「…あれは…?」
何かが空から輝きを纏いながら舞い降りてくるのが見えた。夢のように。
「…花の…天使…?」
誰かが呟く。
社長は夢見ごこちのまま、それに手を伸ばした。ふぁさり、やさしげな音を立てて それは受け止められた。
それは、真紅のカツラであった。
「…」
「…」
カミムラ園芸社長、社員総勢260名が黙り込む。
「っていうか、かつらだったんかーぃ!花泥棒ー!」
その叫びがぞうさんジョロに乗って天空を行く花泥棒、 イチイヒロタカに届いたかは、さだかではない。
アメリカの軍事衛星のみが、月の光を受けて輝きながら空を横切る 彼の頭の画像を、とらえていたという…。
-了-