| <ガラスの靴> 琴川 みや ―― 1 ―― 王子は、深い深いため息をついた。 目の前にはガラスの靴が片方、ろうそくの明かりを受けてキラキラ輝いている。その輝きさえも、王子にとっては切ないものだった。 「どこへ・・・・行ってしまったんだ」 そう呟き、深くうなだれる。 彼の想い人は、夢のように去ってしまった。つまらぬ、くだらぬ舞踏会の中、ささやかに現れ、そして王子の目を捉えて離さなかったあの人。唯一の手がかりは、目の前のガラスの靴だけだった。 「きっと・・・・探してみせる」 靴を握り締めた王子は、数人の従者を従え、連日靴の持ち主を探した。ガラス職人にも靴職人にも、このような靴を作らなかったかとたずねて回った。それでも、靴の持ち主は見つからなかった。 それでも諦めない。王子にとって、それは初恋に近いものだったが、この機会を逃しては自分に恋をするタイミングなどないことが、わかっていたのだ。だから、諦めない。 少女は、深い深いため息をついた。 目の前にはガラスの靴が片方、ろうそくの明かりを受けてキラキラ輝いている。その輝きさえも、少女にとっては後悔の証でしかなかった。 「どこで・・・・落としたのかしら」 そう呟き、深くうなだれる。 夢のような時間は、あっという間に過ぎ去った。辛く苦しく、退屈な日常から、突然現れた魔法使いが与えてくれた、すばらしく幸運な時間。後に残ったのは、目の前のガラスの靴だけだった。 「これじゃお金になりゃしないわ」 靴は片方では売り物にならない。確かに素晴らしい細工ではあるが、質屋は引き取ってはくれないだろう。魔法使いの与えてくれたドレスは、言い値で売れた。しかし自活していくためには、やはり資金が足りない。 義母が給料をくれない以上、金は自分で稼がねばならない。ガラスの靴は楽して丸儲けのいい機会だったのに。今度一応城との間を往復して探してみよう、と少女は思った。 少年は、深い深いため息をついた。 目の前にはガラスの靴が片方、ろうそくの明かりを受けてキラキラ輝いている。その輝きさえも、彼にとっては遠いものだった。 「どうすれば・・・・あえるかな」 そう呟き、深くうなだれる。 魔法の時間は、ほんの一瞬だった。ただ何も考えず、ひたすら生きていただけだったのに、魔法使いが突然少年を引き込んだ運命の渦。運命とのつながりは、目の前のガラスの靴だけだった。 「もうだめかな・・・・」 靴は隣にいる少女のものであるし、自分に出来ることは何もない。夢のような魔法の時間は、再び訪れるとはとても思えない。チャンスの女神の前髪は、それと知る前に目の前を過ぎ去り、その色さえも判別できなかった。 それでも、これは恋だった。芽生えたばかりの、小さな心。これは自分の小さな一生の中でも、大事件だ。出来るなら、あの人の側にいたい。あの美しい人の側に。 ―― 2 ―― 流石の王立警備隊も、小さなガラスの靴に見合った足を持つ少女の探し方など、知る由もなかった。連日の慣れない仕事に、隊員は皆疲れきっている。期待に目を輝かせる少女が、その一瞬後落胆する姿は、見ていてあまり楽しいものでもない。しかし涙をにじませて必死になっている自国の美しい王子の願いは、出来ればかなえてやりたい。隊員はクッションに乗せた靴を壊さぬよう気をつけながら、ひたすら家々の扉を叩いていった。 「この家に娘はいるか?15歳から18歳程度の娘がいたら、すぐに連れてくるのだ」 しかし、隊員と、そして王子の願いは、届かなかった。靴に合う足を持った少女など、どこにもいない。警備隊は、捜索範囲をついに下町まで広げなければならなかった。 少女は毎日城と家を、買い物のついでに往復した。だがガラスの靴などどこにも落ちてはいない。そんなものが落ちていたら、目立つことこの上ないし、既に誰かが拾って持っていった可能性が高い。どこで落としたか解らないということは、城の中に落としてきたのかもしれない。しかしわずかな可能性でも残っている限り、少女は諦めない。毎日夕方になると、光るガラスの靴をひたすら探していた。 「草むらに落ちてないかしら。道の脇に転がってしまった可能性だってあるわ」 しかし、少女の願いは届かなかった。派手なガラスの靴など、かけらも落ちていない。少女は、捜索範囲を通った記憶のないわき道にまで広げることにした。 少年は、ひたすら毎日ガラスの靴に願いをかけた。どうかもう一度魔法が訪れるように。今のままではいたくない。魔法の時間があと1時間でもあれば、何かを変えられるはずなのだ。自覚した恋心は、膨張しとどまることを知らない。しかし彼にとって、あの美しい人のいる場所はあまりに遠く、ただこうして願うしか、出来ることがなかった。それがあまりにも空しい事であるとわかっていても。 「神様、お願いします。もう一度だけチャンスを下さい。このまま終わらせないで下さい」 しかし、少年の願いは届かなかった。何度眠って、また起きても、魔法は訪れない。少年は、祈りの対象を死んだ母親にまで広げる事にした。 ―― 3 ―― そして王立警備隊は、ふと立ち寄ったわき道で、探し人とめぐりあう。下を向いて歩いていた小柄な少女と、先頭を歩いていた隊員がぶつかり、そして顔を上げた少女は警備隊の掲げる靴を見て驚きと喜びの声をあげたのだった。警備隊は、ようやく安息のときを迎えることが出来た。 そして少女は、ふと立ち寄ったわき道で、落し物とめぐりあう。下ばかり見ていたためにぶつかった相手の後ろにいる人が、なぜか大事そうに掲げていたのだ。落し物は、かならずしも下にあるものでもないらしい。少女は、ようやくガラスの靴をその手に取り戻すことが出来た。 しかし少年は、いつまでも祈っていた。彼にだけ、まだ幸運は訪れない。 ―― 4 ―― 王子は、ガラスの靴の持ち主をしげしげと眺めた。美しい顔立ちは、確かにあの日の少女のものだ。しかし、着ている物はあまりにみすぼらしい。 「本当に、あなたのものなのですね?あなたが、あの日私とダンスを踊った方?」 おそるおそるたずねる。 「ええ。先日は大変楽しいときを過ごさせて頂いてありがとうございました。その時の忘れ物のこの靴を、ずっと探していたんです。私の物ですし、持って帰っても構いませんよね?」 少女はやっと手にした靴を、大事に抱きしめる。 「それは構いませんが・・・・ひとつお聞きしたいことがあります」 「なんでしょう」 王子は咳払いを二つして、周囲にいた付き人を下がらせた。 「その・・・・あなたは貴族ではありませんね?」 「はい。すみません、あの日はたまたまドレスが手に入ったもので、舞踏会に忍び込ませて頂いただけなんです」 「ということは、あなたの付き人たちはなんなのですか?どこの屋敷に仕える人々を従えていたのです?」 少女は、眉根を寄せた。 「王子様・・・・信じていただけないかもしれませんが・・・・」 「なんでもいい、教えて下さい」 王子は、身を乗り出した。 「魔法なんです」 「は?」 少女の口から出た途方もない答えに、王子はぽかんと口をあけたまま固まった。 「あの、魔法使いが来て、ドレスと靴を出してくれたんです。そして台所のかぼちゃを馬車に、沼のかえるを馬に、ねずみを御者と付き人に変えてくれたんです」 「そ・・・・それは・・・・本当に?」 「ええ。信じられないことですが、現に靴はこうしてありますから」 王子はガラスの靴をじっと見つめた。どの靴職人もガラス職人も、自分にはこれを作ることは出来ないといった、ガラスの靴。魔法で出来たものなら納得もいく。 「わかった。それではあなたの家に連れて行ってください。お願いだ」 「え?えっと、はい。たいしたところではありませんが・・・・」 少女は首をかしげながらもそう答えた。何故王子が来たがるのかはわからないが、王族には恨まれないほうが自分のためになる。それに金目の話に繋がらないとも限らなかった。 王子は少女を馬の上に上げると、自分もその後ろにまたがる。後から慌てて付き人が追おうとするが、それを振り切って馬に鞭を当てた。そのいつになく乱暴な指示に、馬も一大事と察したのか、かつてないほどのスピードで走る。橋を越え、下町の込み入った道を、少女の案内で駆け抜ける。少女の住む家まで、10分もかからなかっただろう。 「こちらでございますが・・・・」 少女が扉を開けるよりも早く、王子は自分で玄関に飛び込んだ。 「台所はどこにある?」 「え?台所ですか?地下室ですけど・・・・あ、王子様!」 少女の案内も待たず、王子は地下室への階段を探し当てるとあっという間に駆け下りていった。もうすぐ恋焦がれたあの人にあえるかもしれないと思うと、はやる足は抑えられない。 「どこだ、どこにいる?」 王子は、暗い地下室を見回した。暗いので、どこに何があるかよくわからない。 「王子様、何をそんなに急いで・・・・」 少女は言いながら、ランプの火をつけた。ついでに壁のろうそくにも火を移す。 「どこにいるんだ?」 「え?」 王子は少女に詰め寄った。明るくなった部屋の中で、動くものは自分と少女だけ。あの人の影すらない。 「あの、王子さま?どなたを探してらっしゃるんです?」 「私はあの夜、恋に落ちた。君の連れていたあの人に」 「連れていたって・・・・え、まさか・・・・」 あの夜、少女と共に城へ行ったのは、ドレスのすそを引きずらないように支えていてくれた従者だけ。その従者は、でも、ねずみだ。 「君はさっき、あれを魔法だったといった。でも魔法でもいい。もう一度会いたいんだ。」 少女はあっけに取られた。自分の住んでいる国の王子は、ねずみに恋をしているらしい。こんなんで大丈夫なのだろうか。 それでも王子の目は真剣で、国の将来を憂いている場合ではないらしい。少女はあたりを見回すと、部屋の隅にある自分のベッドへ歩み寄った。 「あのねずみは、なんだか私になついてくれてるんです。芸を仕込めるかもしれないと思って餌をあげて飼ってたんですよ。今は多分ここに・・・・」 ベッドの横の小さなチェストの、2番目のひきだしを開ける。王子が覗き込むと、白いねずみは、ガラスの靴の中で、丸くなって眠っていた。 ―― 5 ―― 少年は、なんだか周囲が明るくなった気がした。少女が戻ってきたのかもしれない。ガラスの靴に触ったことを怒られるだろうか。 「ああ・・・・」 小さな声がした。でもそれは低く優しく響いて、とても心地がいい。まるで、あの人の声のような・・・・。 「やっと会えた・・・・」 うん、僕も会いたかった、と言いたくて、少年は身を起こした。それが夢の続きでも良かったのだ。あの人の夢は、起きてしまえば寂しいが、見ている間はこのうえなく幸せだ。あの人は、こんな小さな僕を見て、気づいてくれるんだ。あの日のあの僕であることを。 「姿がどんなに違っていても解る。君を、探していたんだ」 そう、きっとそう言ってくれる。 少年は身体を起こして、まぶしい光のほうを向いた。そこには優しいあの人がいて、こちらへ手を差し伸べてくれている。そっと靴の中から出ると、その手にそっと触れた。 「いっしょに、来て欲しいんだ」 いっしょに行くよ。ずっと、いっしょにいたいよ。少年は大きな手のひらの上に、身体を預けた。手のひらはゆっくり上へあがっていって、あの人の綺麗な顔がもっと近くに来る。少年はその綺麗な顔に、自分の顔を近づけた。薄くて形のいい唇に自分の鼻先をそっと押し付ける。夢なら。夢の中だけだったら。こんなことも出来るんだ。瞳から小さな雫が流れ落ち、そのまま少年の意識は遠くなった。 少女は、目の前で起こったことが信じられなかった。あの日、魔法を目の当たりにしたとき以上に、驚いた。 ねずみをいとおしそうに王子が抱き上げると、ねずみはそれに応えるようにキスをした。そこから何かまぶしいものが湧き上がって、気づくと王子の腕の中には銀色の髪をした少年が一人、抱かれていた。 「魔法には、続きがあったのかしら・・・・」 王子は少年を、きつく抱きしめる。やがて少年は目を覚ますと、自分の姿に驚き、喜び、そして王子に抱かれたまま馬に乗って去っていった。 少女の手元に残ったのは、両足揃ったガラスの靴。かわいいねずみを失ったのは少々惜しかったが、これがあれば義母の家から出て行ける。それに、いざとなったら城へ行って王子にたかることも出来るだろう。あの日の出来事は、本当に自分にとって幸運であった、と思いながら、少女は満面の笑顔で、質屋を目指して飛び出していったのだった。 おわり。 |