アタシたちはコトリね。
アネ様、
籠の中のコトリ。
それぢゃ、コトリはシアワセ?
そうよ、お外の人はお可哀そう。
扇風機がゆるゆると廻っている。
あれがああして廻っている間は時が産まれるのだ、と時々モエギは思う。
時間なんてそんなところから出来ているのに違いない、だからこんなにもゆるゆると、
ゆるゆると、話は続く。
我が国の威信にかけて、踏みとどまるのもまた英断。
ツチケの声がゆるゆると攪拌される。
そう、今は未だ、時期尚早だ。だからモエギは、今こそ躍進の時だ、と発言した。
キハダの視線を首筋に感じる。振り返れば薄い嗤いが待っている。だからモエギは決して振り返ったりはしない。視線で女を犯せるものならば、もう幾度蹂躙されたことか。しかしここは男たちの国だ。籠のこちら側は。
アサギの顔を盗み見る。浅いレンズの向こうから、表情のない眼が冷たく見返している。
別に、助けを求めたわけぢゃない。アサギもまた男だ。籠の外の人間だ。
「時を過てば躍進も敗退に等しい。現状維持こそ最良の選択と考えます」
アサギの涼しい声が澱んだ時を押し流す。ツチケが満足そうに頷き、澱は解放された。
これだから女子供の云うことは、と聞こえよがしのキハダの言葉が耳を掠める。モエギは僅かに口の端をつり上げた。愚かな男たち。自らの頭でものを考えることも出来ぬ人種だ。女の云うことに反対すれば己の面子が保たれるとでも云うのだろうか。
気がつけばアサギが生真面目な顔で立っていた。
「私たちはよいコンビネーションだね」
モエギは可哀そうね。
アネ様こそお外をご覧になりたくはなくて、
この薄紅楼にふたりの花魁はいりませぬ。
よりによって双子とは、縁起でもない。
しっ、声が高い。
モエギは可哀そうね、お外は寒くなくて、
アネ様、
ヤマブキが姉です。
薄紅楼の花魁はヤマブキに。
モエギはしきたりに従って、里に。
アネ様、
アネ様はお可哀そうね。
扉の前で深呼吸をする。ここは戦場だ。気を抜けば男たちの不躾な視線に射抜かれる。里には里の法がある。それをモエギは身をもって学んでいる。
あそこの店はサーヴィスが悪くてね、ほら、なんと云ったかな。
薄紅楼でしょう。花魁はたいそうな別嬪だという話です。
別嬪ならうちにも一人居りますな、ちょっと生意気な娘ですが。
ちょっとなものですか、だいいちアレには艶というものがない。
なに、アレは未だ子供です。あと何年もしないうちにいい女になりましょう。ところでどうでしょう、例の別嬪を拝みに行くというのは。
よいですな。
ガチャリ、と大げさな音をたてて扉を開ける。
男たちの狼狽える貌、貌。この瞬間だけ、モエギは優位に立つのを感じる。
「なんのご相談です、皆さんおそろいで?」
職業用の笑顔で男たちを見回す。
「君には関係ない話だ」
モエギには顔を顰めて見せながら、ツチケは今度はアサギを見た。
「君もどうだね? 勉強のつもりで」
育ちの良さそうな貌を生真面目に頷かせて、アサギはそうですね、と云った。
男たちが必要のない一瞥をくれながら順に部屋を出ていくのをモエギは辛抱強く待った。
「アサギも行くの?」
勉強のつもりで、とアサギはモエギを見ずに答えた。
七つになるとアタシたちは違うことを習いました。
アネ様は舞とお唄を、
モエギは読み書きを、
アネ様はお茶とお花とお三弦を、
モエギは算術とよそのお国の言葉を。
アタシたちは習ったことを決して教えあいませんでした。
だってどこまでも続く柵のこちらとあちら、
どちらが内で外なのか。
モエギは可哀そうね。
アネ様はお可哀そうね。
カレハはずっと張り付いたままの万年笑顔で客をあしらった。花魁の我が儘には慣れている。馴染みの客ならば花魁の人見知りも承知のこと。会えぬなら会えぬで嬉しそうに帰っていく。
「客に会わぬとはどういうことか、客を取れというわけでなし、座敷に上がらぬ遊女がどこにいる」
ツチケが店中に轟く大声で喚き散らす。加勢しようと立ち上がるキハダも既に貌が朱い。
「旦那さん、花魁は遊女じゃござんせん。花魁は花魁です」
お気に召さずば余所へどうぞ、と言外に含ませ、カレハは客を宥めた。遊び心を知らぬ役人は質の悪い客だ。外の法を花街に持ち込みたがる。
「花魁が遊女でないわけがあるか。女のくせに酌も出来ぬと云うか!」
いきり立つ男たちの中で、一人育ちの良さそうな書生風の男が我関せずと座っていた。実際この喧騒にも興味がないようで、通りの客を眺めていた。
「花魁に酌をさせようとは恥知らずなこと」
モエギは座敷の前にぬっと顔を出して男たちを順に眺めた。
「お、お前、なぜこんなところへ」
「こいさん、ようお帰りで」
キハダとカレハの声が重なる。
「実家に帰ってきちゃいけませんか? アネ様は花魁です。花魁が会わぬと云ったら客は帰るのが礼儀でしょうに」
ルールを知らない客はこれだからイヤね、とモエギは呟いた。
「やっぱりアサギも来てたのね」
勉強のつもりで、と、アサギはルールに従って小声で答えた。
「何を云うか、客商売が客を選ぶとはもってのほかだ。金を払えば誰しも同じ客じゃないか!」
さらにいきり立つツチケを前に、モエギはうんざりとした貌を向ける。
こいさん、あと頼んます、ほかの旦那さん方に、と囁いて、カレハは行ってしまった。
「どこでもお役人は偉いとお思い召さるるな。見返り柳よりこちらには外の法は通用しません。女たちは客だから男に尽くすのではありません。もてなしたいからもてなすのです。花街には花街の決まりがある。それを守れぬお方はお役人であろうと何であろうと歓迎されません。ここでは女が絶対です。中でも花魁は特別な方。花魁に拒否された客は居られぬのが決まりです。お判りになったらお帰りください。二度とは来やるな」
一気にそこまで云ってから、モエギはゆっくりと男たちを見回した。怒りのあまり口の利けない男たちの中で一人アサギだけが不思議そうにモエギを見ていた。
「君は、お姉さんを可哀そうだとは思わないの?」
君だけが遊女にならずにすんで、と言外に含ませて。
モエギは深く溜息を吐いた。実際その場に座り込んでしまいたいほど疲れてもいた。
「アサギには失望したよ。どうしてあなたまでそんなことが云えるの? 遊女が哀れだというのは外の思想だよ。ここでは女が外の人間を哀れむ。辛い世間の荒波にもまれて男は傷ついて此処へやって来る。だから女は男をもてなすんだ。想像してもみ給え、どこまでも続く格子を。格子のこちらからあちらの人が見えるだろう。あんなところへ閉じこめられてなんて哀れな人間だろう。それともこんなところへ閉じこめられてなんと不運なことだろう。どう考えようともそれは君の勝手さ。しかし自分が閉じこめられた籠の中の鳥でいるという発想に耐えられるほど人間は強くない。だから相手を哀れむんだ、苦しまないために」
「それぢゃ、君は、」
「格子を自由に抜けられるというのも、楽ぢゃないね」
アタシたちはよく一緒に遊びました。
お気に入りはかごめかごめの唄。
かあごめかごめ、かあごのなあかのとおりいは、
アタシたちはコトリね。
コトリを飼っているおんなのこはシアワセ?
モエギは可哀そうね。
アネ様はお可哀そうね。
アタシたちは、
アタシたちは、シアワセね。