ウィンター・トリップ  〜せめて雪でも・・・

text by 薊野佑子

 国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。
それが幸いなのかそうでないのか、わたしにはわからなかった。でもここがひとつの終着駅だったんだとわたしは感じた。安息の地などという大げさなものではないが、その雪景色はわたしにとって救いだった。

 

 昼休みの女子大。外が寒い季節になると、キャンパスの庭で昼食をとることができないため、あまり広くない食堂は混雑している。身の置き所のない食堂で、サンドウィッチとペットボトルのお茶を買ったルイは、どこか空いている教室でも探しに行くところだった。
「ルイ!ひっさしぶりじゃん!」
「あ〜れ、サヤカじゃん。」
 ルイに声をかけたのは、彼女の同輩のサヤカ。女子大生らしく、真っ白なコートをはおった小奇麗な服装で、あまり濃くはないが丁寧な化粧も欠かさない。ジーンズスタイルで毛糸の帽子をかぶったルイとは奇妙なコントラストだった。無愛想でのんびりしたルイに、この手の綺麗めな学生はなんとなく近寄りがたいらしい。しかし利発で気さくなサヤカは、ルイ対してもその社交的な性質をおかまいなしにふるってくる。
「最近授業出てきてる?ぜんぜん会わなかったじゃないの。」
「あ〜、風邪ひいてたからね。薬飲んでも熱さがんなくって、起きられなかったんだよ。」
「ルイっていっつもこの季節風邪ひくよねー。大丈夫なの?」
「うん、もうだいたい治った。」
「だいたいってねえ・・・」
 苦笑するサヤカ。
「だって、寒いの苦手なんだよね、あたし。」
「あ〜、見るからにそんなかんじ。」
「そお?」
「ルイって誕生日夏だしね。やっぱそういうもんなんじゃない?わたしは誕生日11月だから、秋冬は絶好調って気がするわよ?」
「ふーん、やっぱそうなのかな。夏って休暇中だから調子いいの当然かなって思ってたけど。」
「で、最近どうなの?」
 サヤカが意味ありげに詰め寄る。こういうときの「どうなの?」は、恋愛関係についてであるという法則がなんとなくある。
「どうって・・・まあ、いろいろ」
 ルイは言葉を濁す。
「サヤカはどうなのさ。彼とは。」
「ああ、別れたの。」
「え、あんなにのろけてたのに?なんで」
「うーんなんでかなあ。よくわかんない。わたしはあんまり別れたくなかったのよお。」
 そういうサヤカの表情はまったく曇りがない。綺麗に整った眉が少しひそめられたくらいだ。
(そういうあんたこそ、あたしにはよくわかんないよ。)
 ルイが不思議そうな顔をしていると、サヤカは素早くルイのコートのポケットからはみ出していた携帯ストラップをつかんだ。
「あー、やっぱこの機種。ダイヤルの履歴がランキング表示されるのよね。」
 ひきずり出した携帯電話をながめて楽しそうなサヤカ。
「そんな機能あるの?知らなかった。」
「あるわよ。見てあげる。」
(というか、見たいんだろうなあ。)
 ここまで人に興味を示し、またものすごい記憶力を発揮するサヤカを、ルイは自分とは別の生き物のような気がしていた。しかしそれが面白くもあり、サヤカを友達として気に入ってもいた。
「なんだ、一位はお母さんじゃないの。自宅生だもんねえ。あ、」
 別に面白い情報なんて出てきまいと、ルイはぼんやりしていた。
「タカヤって誰?」
 その言葉に、ルイの心臓はぴょこりと反応した。
「ええ?」
「ほらだって、着信送信、総合、三位をぶっちぎって二位はダントツでタカヤって人になってるわよ?一位とは僅差ね。」
「・・・そうなの?」
 ルイにはまったく自覚がなかった。
「ねえ誰よ。男の人でしょ?」
「うん、でも友達なんだ。」
「ふーん、仲いいんだ。」
「そう・・・かな」
 サヤカは、いくらつついても思うような反応が返ってこないルイに不満げだった。そして通りかかった別の友達を見つけると、明るい笑顔を残して去っていった。
 暖房の効いている教室で、隅の席に腰掛けサンドウィッチを食べるルイ。周りにも生徒たちのいくつかのグループがいて、ざわめきが辺りを包んでいる。ルイは眠気に襲われた。サンドウィッチを口に含んだまま何度か瞬きをする。
(ちゃんと眠ってるのになあ。なんか夢のせいで、起きると疲れてるんだよなあ・・・)

 

『え〜、特急ヨビコ。次の駅は、霜降り国、コガラシ市になります。』
 車掌の放送が聞こえる。わたしは電車に揺られていた。外は暗く、どうやら夜だった。
「お嬢さんは、どちらまで行かれるんですか?」
 向かい合わせの席で合い席になっている初老の乗客がわたしに声をかけた。
「いえ、あの・・・周遊券で・・・」
「そうですか。それはそれは、この沿線は素敵な国が多いですからな。」
 わたしは曖昧に笑って応じた。どこへ行きたいのか自分でもわからない。ただ電車に乗っていたいのかもしれない。
「出身はどちらですか?」
 また向かいの席の男性がたずねた。
「太陽の国です。」
「それじゃ、次の駅は寒いところだからこたえるんじゃありませんか?」
「さあ、どうなんでしょう。でも、太陽の国にも季節があるんです。いつも暑いばかりじゃないんです。」
 大好きな夏は、残暑までしっかりと満喫した。その名残を胸に抱きながら、いつのまにか秋も過ぎた。わたしの苦手な、冬が来ていた。
 コガラシ市は、確かに寒い。駅に降り立ったわたしは身震いした。ここはたくさんのビルが立ち並ぶ都会だった。都会の寒さというのは、なんというか病的で、足の先や背中の辺りから血の気が引くように冷えていく。山の上の寒さは、こんなふうではない。冴えるようにさわやかに引き締まった寒さで、こんなに気が滅入る寒さではないはずだ。
「せめて雪でも、降ればなあ・・・」
 見上げた空はまだ夜で、街の明かりでほんのりと照らされ、薄曇りなのが見て取れた。

 

「冬ってさ、恋人欲しくなるのよねえ〜」
 講義中、ルイの後方の席で、数人の女友達と小声で話しているのはサヤカだ。
「クリスマスはあるし、そのあとはお正月で初詣とか一緒にしたいし、それが過ぎたらバレンタインでしょ?ひとりだとつまんないのよね〜」
「サヤカ、これからつくればいいじゃん。まだ間に合うよ。」
「そうだねえ、リョーコは年下の彼とラブラブだもんね。いいなー。」
(クリスマスにお正月、バレンタイン・・・)
 ルイはそれを思って憂鬱になった。どうでもいいことなのに、そうやってウキウキと年に一度のイベントを楽しもうという気力が自分にないことが、嘆かわしい気持ちだった。
(だってタカヤは、そんな感じじゃないもんなあ)
 具体的な名前を思いついて、余計に気が滅入るルイ。
 今日最後の講義を終えたルイは、携帯電話の留守番電話をチェックする。
 ピーッ・・・
『あのさあ、こないだ言ってた小説のタイトルなんだっけ。今本屋にいるから。じゃ』
(タカヤだ。)
 そっけないメッセージを聞いて、いつぞやのやり取りを思い出す。
「あんたさ、電話するとき名前くらい名乗りなよ。留守電の時もそうでしょ。」
「なんで?必要ないじゃん、着信履歴、名前出るだろ?」
「そうだけどさ、礼儀ってもんがあるでしょーが!」
「そりゃ、たまにかける人とかには名前くらい言うよ。でもおまえだろ?意味ないじゃん。」
 そして結局ルイのほうが言いくるめられた。この時ルイが心の中で呟いたこと。
(あたし、こいつにふられたんだよなあ・・・。なんかバカバカし。)
 丸一年くらい友達づきあいがあり、なんとなくルイが気持ちを伝え、なんとなく断られた。ふられた理由は、以前ふられた女の子が忘れられないかららしい。それでもふたりの馬が合うことには変わりなく、それから更に丸一年。今に至る。
 ルイはタカヤに電話する。
「もしもし、まだ本屋にいるの?」
『うん。なんだっけあれ。』
「『0(ゼロ)をつなぐ』でしょ。」
『そうそうサンキュ』
 そこであっさりと電話が切れた。
(ダイヤル履歴ランキング二位の正体はこれか。)
 あまりに些細なことが多かったため、そんなに連絡をとっているなどとは思っていなかったのだ。

 

 コガラシ市の空気にどうしてもなじめなかったわたしは、また特急ヨビコに乗り込んだ。次の駅はまだ霜降り国内なので降りるのをやめ、その次の大地の国でまた下車するつもりだ。
「あ、そこってあの、タカヤって人が生まれた国なんでしょ?」
 いつのまにか隣に座っているサヤカが言った。
「なんで知ってるの?」
「だって前に言ってたじゃない。」
 そうだったかな。サヤカはこういう事に関して記憶力が優れているのできっと間違いないのだろう。
「そっか、じゃあタカヤに会えるかなあ。」
「あー、会いたいんだー」
 冷やかすようにサヤカが言った。
「うん、だって好きなんだもん。」
「じゃあなんでつきあわないの?」
「ふられたもん」
「変なのー、恋人じゃないけどつきあいはあるんだ。」
「変じゃないよ別に。」
 わたしは言い返したが、サヤカは慌ててコートの袖に腕を通しているところだった。
「わたしここで降りるから。じゃあね」
 網棚からヴィトンの旅行鞄をひっつかむと、ブーツのかかとをコツコツ鳴らしながらいそいそと電車を降りていった。
 大地の国は、日差しの明るい、土の匂いのする国だった。わたしは急に嬉しくなった。サヤカの言うとおり、やっぱりここはタカヤが生まれた国なんだ。

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