雪ふる村に咲く花

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
極度の空腹に、頭痛とめまいも重なったためか、恐ろしく長く思えた闇が晴れていく。
不揃いな石で詰まった道の上を、何とかバランスを取って進んでいた。
しかし今や、その足にも感覚はない。
自然と足が止まった。
そのまま大の字に線路の上に寝そべる。
――助かった。
その思いが僕の全身をめぐり、
同時に疲れがどっと重くのしかかった。
もう動けなかった。
しんしんと降る雪。
灰色に染まった空を眺めていたせいか、意識が遠のいていくのに気付けなかった。
――あんた?!――
最後に耳に響いた女の声だけを、なんとなく覚えているような気がする・・・

「・・・覚えているのはそれだけ?」
湯飲みにお茶を注ぎながら、アラハは僕に問い掛けた。
「・・・うん、あとはさっぱり。」
僕はそのお茶を受け取って答える。
でがらしだと言われて差し出されたそれは、本当にその通りで、お世辞にも美味しいとは言えない。
「まったく、何考えてんの、あんた。一文無しだからって、線路の上を歩いてトンネルくぐってくる奴がどこにいるってのよ。」
あのあと、気がつくと僕はアラハの手によって、この彼女の家に運びこまれていた。
「いやぁ、一度この目で雪が降っているのを見てみたいと思ったから・・・。」
一応本心を言ったつもりだったが、アラハはぺちんと額に手を当てて、呆れ果てたと言いたげな顔をする。
「私が助けてあげなかったらどうなったと思ってるの?」
「さぁ、優しい運転手さんが汽車を止めて乗せてくれてたかもね。」
僕がお茶を飲み終えるのを見届けると、アラハは立ち上がって井戸のある方を指差した。
「その様子ならもう大丈夫ね。それ、自分で洗ってきてちょうだい。」
そう言うと、となりに寝かせていた赤ちゃんを抱いて、寝室へ歩いて行った。
彼女の子供で、名前はカルア。
男の子だそうだ。
村の男たちは彼女の主人も含めて、皆この時期は出稼ぎに行っており、
今、村には女子供しかいないのだと言っていた。

アラハの家は外から見ても、よりかかっただけで崩れてしまいそうな粗末な作りだった。
雪はやんでいたが、空はまだ雲におおわれている。
おそらくずっとこんな天気が続いているのだろう。
そこらじゅうに雪が積もっている。
男手が無いのだから、雪かきが行届かないのも仕方無い。

氷まじりの冷たい水を井戸からくみ上げて湯飲みを洗っていると、
一人の老婆が近づいてきた。
「もう大丈夫なのかい、身体の方は?」
「――はい、おかげさまで。」
「そうかい・・・」
しわだらけの顔で僕を見下ろし、じろじろと見回す。
はじめの言葉に感情がこもっていない事に、僕はすぐに気付いた。
「そりゃあ、びっくりしたさ。アラハがお前を引きずって村に戻ってきた時は。」
「・・・本当に、ご迷惑おかけしました。」
湯飲みを洗い終わると、僕は立ち上がって老婆に一礼し、その場を立ち去ろうとした。
「待ちな。」
言われて僕は立ち止まる。
「私の家においで。あんたの荷物を預かっているから。」

連れてこられた老婆の家は、少し大きいだけで、
内装や外見はこれと言ってアラハの家とは変わりない。
ただ一つ違ったのは、出されたお茶がでがらしでは無い事だった。
「――名を言っていなかったね、私はハヤ。この村の長だよ。」
「――僕は・・・」
「いい。あんたの名なんて私にゃ興味無い。ほら、あんたの荷物だよ剣客さん。」
そう言って老婆は僕の荷物と刀を差し出す。
「受け取ったらとっとと村を出ていっとくれ。アラハに近づくんじゃねぇ。」
「――なぜです?」
「あんたがこの村にいる権利はないと言っているんだよ。」
「確かに。ですが彼女に近づく、近づかないは僕の勝手でしょう?」
「何と?!」
「僕は彼女に命を助けてもらった。そのお礼がしたいんです。」
「なるほど、その気持ちはありがたいよ、剣客さん。でもね、これはアラハのためなんだ。言う事を聞いておくれ。」
「・・・どういうことです?」
「――アラハはなんと言っていた、主人の事を。」
「今は村の男たちと出稼ぎに行っていると。」
「――それは嘘だよ。アラハの夫はもう死んだ。」
「・・・・・?」
「二年前、アラハはトンネルの向こうからやって来た旅の男と結ばれた。
あれが出稼ぎに行ったのはちょうど一年前。仕事中に亡くなったんじゃそうだ。あいつはカルアの顔も知らない。」
「彼女にはその事を・・・?」
「話しちゃいないよ。村の者には話したけどね、アラハには話せないさ。
あの娘は毎日トンネルの側で待ってるんだ。主人が帰ってくるのを、今も信じてね。」
「・・・・・。」
「あんたが村に来てから、アラハはトンネルに行くのをやめた。
旦那とちょうど同じくらいの年頃の男が、トンネルの向こうからやって来たんだ。
重なって目に映るのも仕方ないのかもしれないが・・・。」
「・・・僕は僕です。アラハの旦那さんじゃない。」
そこまで話をして、僕は席を立った。
「――近くの山で、何か獲って来ます。食料にはお困りでしょうから。」
「――ああ、助かるよ。気をつけて・・・」
老婆は鼻をすすり、目を大きく開いて涙を隠そうとしていた。

あれからどのくらいたっただろう。
右も左も知らない山道を歩き続けて、やっと獣を一匹狩ることが出来た。
クマにも似ているが、なんとなく顔はキツネっぽい。
どうもこの辺りの獣のことはよく分からなかったが、とりあえず肉はあるので持って帰ることにした。
印をつけて通ってきた道を戻りはじめる。

アラハは幸せだと思う。
夫を亡くしても、彼女を気遣い、大切にしてくれる人がいるのだから。
僕は違った。
僕は両親の顔を知らない。
誰にも頼れなかったから、自分で生き残るしかなかった。
身を守るために剣を取り、
食べるために狩りを覚え、
生きるために仕事を求めて旅をする。
幸せは人それぞれ。
僕はそう思う。
現に、僕はこの誰にもしかられない気ままな生き方に満足しているから。

そんな事を考えながら進んでいると、道の脇に雪にうもれた石像を見つけて立ち止まった。
頭に積もった雪をはらうと、それは地蔵様だった。
僕はこの獣を村の皆が喜んでくれるようにお願いした。
すると、北の山の奥で爆音が響き、煙が上がった。
僕はそれを見て驚いたが、きっと地蔵様が返事をしてくれたのだろうと、勝手に解釈することにした。
危なそうな物には手を出さない方が身のためだ。

「ああっ!ヒガシヤマギツネだー!!」
村に帰ると、広場で遊んでいる子供たちが走り寄ってきた。
どうやら僕が背中にしょっているクマを指しているらしい。
「これ、おいしいの?」
と僕が聞くと、
「うん、すっごくおいしいよ。」
「すごいねー、めずらしいね、ごちそうだよ。」
「3年に一度しか獲れないって父ちゃんが言ってた!」
「僕、5歳の時に一回食べた!」
「そうそう、ハヤばあちゃんが料理してくれたの!」
などと、一同に返事が押し寄せてきた。
「お兄ちゃん、アラハに助けてもらった人でしょ?」
「アラハ姉ちゃん、あれからトンネル行かなくなったよねー。」
「なー。ずっっと行ってたのになー。おじちゃん、死んじゃったのに。」
「ばか!アラハはそのこと知らないんだよ!」
「えー。でも私、アラハにその事聞いたら“知ってる”って言ってたよ。」
「うそだ!教えてないって母ちゃん言ってたもん!」
「でも、私はアラハに直接聞いたのよ!」
「うそだ!」
「うそじゃない!」
「うそだ!」
「ほんとだってば!アラハは・・・」
「はいはい、そこまで。」
ぱんぱんと手をたたいて、とりあえず興奮してしまった子供たちを静める。
ただでさえ余所者である僕は、この村で評判が悪い(たぶん)のに、
目の前でケンカをされてしまってはたまらない。
と言うか、それ以前にやかましい。
「村長さんに頼んで皆の家にも分けてもらうから、向こうで遊んでおいで。」
「遊ぶんじゃないもん。お仕事だもん。」
「お仕事・・・?」
「そうだよ、お花を育てるの。お父ちゃんたちね、今、鉄道会社にお仕事に行ってるの。
そこでね、新しく鉄道を作ってるんだって。それが完成したら、この村の近くにも鉄道が通るの。
だから、この村がもう少しきれいに見えるように、皆で雪の上にも咲くお花の種をまいたの。」
「長生きになる幸せの花なんだって。」
「長生きになる・・・?」
僕は色々な花を思い浮かべたが、思い当たる花はなかった。
「もうすぐ咲くんだって。お父ちゃんが帰ってくるころには満開だって、ハヤばあちゃんが言ってた。」
そう言い残して、子供たちは広場の方へ走っていった。
僕はとりあえず、クマ(ヒガシヤマギツネ?)を背負って村長の老婆に届けた。

その夜は、老婆の作った得体の知れないクマ料理が村中に配られて、
僕は一躍有名人とまでは行かないけれど、とりあえず不信感は取り除いてもらえたようだ。
僕はその晩、老婆の家に泊めてもらえることになった。

夜遅く。村中の人々が寝静まったころ、多数の人の気配を感じ取って、僕は目を覚ました。
何やらひそひそと、小声で話しをしている。
僕は寝巻きなんか持っていないので、服のまま寝ていたから、
枕元に置いていた刀を持って、広場の方へと静かに歩み寄った。
広場に着くと、5・6人の人影が目に映って、僕は刀を握った。
「――誰だ?!!」
そう僕が叫ぶと、影は皆しりもちをついて、村中の家に一斉に明かりがともり、
勇敢な女たちがホウキやシャベルを手にして駆け寄ってきた。
しかし、女たちは影の正体を知って驚いた。
「――あ、あんた?!」
「父ちゃんだ!父ちゃんが帰ってきた!!」
子供たちも家を飛び出して走り寄る。
どうやら、責任者の一人を除いた人影の正体は、この村人だったようだ。
明かりのおかげで、今では皆男だと分かる。
悪いことをしてしまったかな。と、僕は少し反省しかけた。

が、すぐに話しは急展開する。
男たちは、勤め先の鉄道会社の命令で、村の中央に鉄道を引くようにと言われ、
爆弾を数発隠し持っていたのだ。
「村の真ん中って、広場を壊すの?」
「そんな・・・せっかく種を植えたのに!」
子供たちは口々にそう言った。
「さあさあ、とにかく離れるんだ。壊れるのは広場だけなんだから。」
えらぶった都会の男が、人々を村の外へ追い出そうとした。
「広場だけ?そんな保証がどこにある。」
僕はそのヒゲをはやした男に言った。
「何を言ってるんだい、剣客さん。仕事の邪魔だよ、どいてくれ。」
「嘘をつくな。僕は見たんだ。今日、東の山へ狩りにいった時、北の山のほうで爆音を聞いた。
その時広い範囲にわたって木が吹き飛んだんだ。この村なんて、一発で蒸発するはずだ。」
村人はざわめいた。男たちも、聞いていないと言った表情だ。
「同じ爆弾となぜ言い切れるんです?」
「それ以外にこんな辺ぴな所で爆弾が使われる理由なんて無いはずだ。」
きっぱりと言い放った僕の目をヒゲ男がにらむ。僕は更に続けた。
「僕は余所者だから、あんたの会社には多生は詳しい。
この鉄道は、国からの多額の援助金によって開発されている、
この国と山脈の向こうにある大国とをつなぐための物。
長年の交渉を成立させて条約を結んだ他国に、この国の貧しい所は見せられない。
たとえそれが会社の意志でなかったとしても、国王の命令に反することは出来ない。以上、訂正はあるか?」
「なかなかカンの鋭い奴だな・・・だが、これ以上おしゃべりがすぎるようなら、
この男たちは俺の部下ではなく、人質になるぞ。」
「僕は別にこの事を訴えたり、言いふらすつもりはない。かえって厄介なことになるから。
だが、彼等を人質にすると言うなら、僕はあなたをこの場で始末して、訴える必要がある。」
そう言って僕は刀を抜いた。
「貴様・・・」
「僕の望みはただ一つ。この村を消して鉄道を引くのではなく、
この村の見えない所に鉄道を引いてもらうことだ。
分かったら爆弾を捨てて、男たちから手を放せ。」
「無茶言うな。朝までに障害物を爆破させるのが我らの仕事。
手持ちの爆弾だけでは別のルートを作ることなど不可能だ。
出来なければ俺だけでなく、この男たちももちろんクビ。この村の生計はどうなると思う?」
「・・・朝までに別のルートを作ればいいんだな?」
僕は刀をしまい、男の爆弾を取り上げて、東の山へと歩き出した。

翌朝。僕はその条件通りに東の山にルートを作った。
ヒゲ男は相当悔しがっていたが、成すすべも無く、村の男たちを連れて仕事場に帰って行った。
「すごいわね、一体どうやったの?!」
アラハが興奮気味にそう聞いてきた。
「別に。他人の力に頼らなくったって何とかなる物さ。心の中で誰かが支えてくれていればね。」

僕は、顔も知らない両親の手のぬくもりを思い浮かべる。
肉体こそなけれど、僕の心の中にはなぜか存在するその温かさ。
誰もいなくても誰かがいた。いつも誰かが僕の中に。
そして僕は、生きる意味を見失った時、彼等の手の温かさからこう悟るのだ。
僕は生きるために生まれたのだと。

アラハは小さくつぶやいた。
「あの人に頼らなくても、村の皆がいればカルアを幸せに出来る・・・」
そのおかげで僕は、実は北の山から爆弾を運んできて使ったなんて、言い出せなくなってしまった。

それからアラハは、トンネルに行くのをやめた。

村の人たちの好意で、僕は男たちが帰って来るまでこの雪のふる村に泊めてもらうことが出来た。
そして別れの日。
広場では子供たちが育てた福寿草が満開だった。
僕は鉄道ができた東の山の地蔵さまの所へ行って、もう一度お願いした。

村の人たちが
美しく咲く花のように
寒さに負けることなく
末永く幸せでいられますように・・・


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