■ サイレント ■

著/ 薊野佑子 (2006.5.20)
(朗読7分)

 これは、太宰治の『待つ』という短編を、自分の言葉で現代風に書いてみたいというのが、創作のきっかけになっています。
 特に、締めくくりの部分は、ちょっとお借りしました。

   静かに。
   静かにしているためには、騒音が必要だった。


 バスのエンジン音が、座席の振動と一緒に響く。ふっと流れて途切れた、携帯電話の着信音。それから耳をかすめる、後部座席からの囁き声。大きなフロントガラスから見える信号機の、赤や青のランプを眺めながら、わたしは人形のように膝をそろえて座ったまま動かない。
 深く引きこもった意識が、鉛のように重たい。けれど、わたしを取り巻く音の渦は、体を湯船に沈めたときのように、そっと軽さを与えてくれる。

 天気のいい昼下がりのバスは、どこかへ出かけていく人々の、能動的な意識をつめこんでいる。けれどわたしには、どこへも行く場所がない。
 こんな晴れやかな休日に、以前は何をしていただろう。恋人と、買い物にでも行っていたかもしれない。
 例えばあの日の、スクランブル交差点。
わたしは窓の外の明るい街を眺めながら、彼とふたり包まれていた喧騒を思い起こした。

   黙って。
   黙っているためには、喧騒が必要だった。


 スクランブル交差点では、ひしめきあう群衆がざわめきを作っていた。声の集合体が、波のように発生する。
 わたしの隣で彼が言った。
「ねえ、あの通りの…」
 言葉の続きは喧騒に溶け、わたしは何も言わずに微笑んだ。彼も「しょうがないね」という意味で、微笑み返す。彼はそれ以上大きな声で話そうとはしなかったし、わたしも彼の声を聞くためにそれ以上のことをしなかった。
 わたしが彼に飲み込ませてしまった言葉の中には、なにがあっただろう。それらすべてをきちんと聞いていたら、わたしと彼とは、心が通じていただろうか。

 停滞していく日常。何か悪いことが起きたわけではない。けれども、何も起こらない。ただ、少し疲れてしまった。こんな日に、会いたい人が誰も思い浮かばない。これは、片思いよりも深い絶望。

   静寂 ――― 静かなことは寂しさに続いているのでしょうか。
   沈黙 ――― 黙っていることは沈んでいくことなのでしょうか。


 唐突にバスの空気がしんと凍りついた。エンジン音がアイドリング・ストップで途切れたのだ。隣の車線のタイヤが滑る音、店頭販売の声や、人がたてる無数の音。それらが一斉にバスの中の静けさを、生々しく描き出した。
 みんなが息をひそめていた。シルバーシートのおじいさんが、居心地悪そうに鼻をすすり、前の席のおばさんは、ヘアピンに触れて位置を確認した。わたしは膝を組んで、軽くため息をつく。
 途切れた考え事は、地面ではじけたシャボンのように、微かな余韻を残して消えた。
 エンジン音を失ったバスの中は、騒音の不足で息苦しかった。

   沈黙するためには、騒音や喧騒が、必要だった。
   それはちょうど、演説や演奏のために、静寂が必要であるように。


 信号が青になり、再びエンジン音がうなりだす。走り出したバスに乗せられて、白々しかった車内の緊張がほぐれていく。絡み合う騒音に紛れて、機械仕掛けのアナウンスが次の停留所を告げた。わたしは、どこへ行くのだろう。たしか終点は、そう先ではない。わたしは、窓側にこめかみをくっつけるようにもたれかかって、そっと目を閉じた。
昼下がり、見知らぬ人と一緒のバスが、ひとりきりの時間を緩慢に埋めてくれる。

   海鳴りの奥底で、貝がじっと閉じている。
   激しい雨音の影で、蝶が羽を閉じている。
   わたしはそれに、なりたいと思う。


 席を立つ人の気配に目を覚ますと、バスが終点に到着していた。わたしはしかたなく、立ち上がってステップを降りた。駅前の道に出ると、陽射しが目に突き刺さって、ぼんやりとした意識を切り開く。
 わたしは、人の流れに乗せられて大通りの信号を渡った。
 人の群れの中に混ざって歩いていると、まるで誰かを探しているような気持ちだった。

 晴れた日の休日には、わたしはまたバスに乗るのだろう。そしていつか、まだ見ぬあなたに、そっと口を開いてあいさつをする。
 だから今は、押し黙ってバスに乗っているわたしを、笑わないでいて。いつかきっと、この喧騒の中に、わたしはあなたを、見つけるから。