アキ姫は、丘の上のクリスタルガラスのお城に住んでいました。
丸い天蓋、彫刻のしてある柱、そして大きな窓にいたるまで、すべてが透明なクリスタルガラスでできています。飾り戸棚は、金彩やエナメル彩で華やかな模様が描かれ、瑪瑙ガラスの花瓶にはガラス細工の花が生けてあります。このお城でガラスでない物と言ったら、わずかばかりの銀の食器とドレスくらいでした。
お城はいつでも曇ることがありません。晴れの日には、青空がきらきらと天蓋に映り、夕暮れにはお城ごと朱に染まってしまうのです。そのお城の美しいことといったら、世界中どこを探してもこんなお城は見つかりません。
そして、このお城の一番立派な部屋に住んでいるアキ姫は、お城に負けないくらい美しい姫です。透き通るような白い肌、プラチナブロンドのしなやかな髪。それこそ硝子細工のように華奢で美しい姫でした。城下町の娘たちは、誰だってガラスの城のアキ姫にあこがれたものです。
そんなある日、ひとりの若いキャラバンがこの国にやって来ました。大陸を渡ってはるばる珍しい異国の品物を売りに来たというのです。そしてこの噂はお城へも伝わって、アキ姫は、キャラバンをお城へ呼ぶことにしたのです。
「キャラバンというのは、遠い国を旅して、たくさんの美しい品物を売っているのでしょう?わたしもちょっと見てみたいわ。」
やってきたのは、みすぼらしい男でした。もともとが砂色なのか、本当に砂にまみれているのかわからないような、色あせた服を着ています。肌の色も、日に焼けたのか垢まみれなのかわかりません。この男が城に現れたとき、門番は浮浪者とまちがえて追い返そうとしてしまいました。荷物をいっぱい積んだ駱駝(らくだ)を連れていたおかげで、なんとかキャラバンだとわかりはしたものの、大臣たちも眉をしかめました。いつもおっとりと落ち着いているアキ姫さえも、最初に彼を見たときは目をまるくして、ぽかんと口を開けてしまったほどです。けれどキャラバンは一向に気に止めぬ風で、明るく堂々とした態度です。
キャラバンは大きな荷物から、不思議な品物を次々取り出しました。
大きな巻き貝や鰐の革、草木で染めた麻布。干した果物、木の実を磨いて作った首飾り。千代紙、砂絵、押し花、コバルト色の蝶の標本、牛の革を張った太鼓。どれも上等の物には見えませんでしたが、この国では見ることのできないものばかりでした。そして最後に取り出したのが、なんともみすぼらしい「蛙の土人形」でした。
「本日特にお薦めなのは、この品です。」
キャラバンは、ものおじせずにこう言いました。これにはお城の人たち皆が驚きました。
「まあ、これはいったい何なの?」
アキ姫もとても驚きましたが、これこそ今まで見たこともないような物だったので、大変興味を持ちました。けれど、姫の側に使えている大臣は、
「こんな汚らしい物を姫様にお出しするなんて、なんという無礼者だ!」
怒って家来に、キャラバンを捕らえさせようとしました。姫は慌てて家来を止めました。
「乱暴なことはおやめなさい。かまわないのだから。」
そしてキャラバンにたずねました。
「これが何か説明してください。」
するとキャラバンは言いました。
「これは大陸の向こうの、神様の像です。」
「だってこれは、蛙じゃないの」
「そうですとも。その国ではこれが神様の化身なのです。雨が降ると聞こえる声、蛙の声は雨を讃える声だそうです。」
「雨を?」
「そうです。そして、それが彼らの神なのです。神の名は"ケロクコロ"。日照りが続く時、彼らはこの神に祈ります。ケロクコロの化身でもある、この蛙の像に。」
アキ姫は、この土でできた蛙の像が不思議と魅力的に思えました。
「そうなの。雨の神様、ケロクコロの像…」
姫は大切そうに、その異国の神様の名前を、何度も呟きました。けれど、まじまじと眺めて見るにつれて、なるほど大臣が怒るのも無理もないと思うのでした。クリスタルガラスのお城に住んでいる者から見ると、いかにも無骨な品物なのです。
「この品、とても素敵だと思うわ。でも、どうしてまたこのような城に不釣り合いな、珍妙な物を持ってくる気になったのですか?」
アキ姫がたずねると、大臣や家来たちもそうだそうだとばかりにうばずきました。けれどキャラバンは相変わらず、何事でもないように応えました。
「姫様が美しいガラスばかりで、さぞ退屈なさっているだろうと、お気の毒に思いまして。」
アキ姫はこの言葉に驚きました。
「お気の毒ですって?」
家来たちはまたもキャラバンを無作法者として捕らえるところでした。
「おやめなさい!」
姫は家来たちを制しました。
「この土人形は気に入りました。買い取りましょう。大臣から代金を好きなだけ受け取りなさい。けれど、もう二度とこの城へは来ないこと。おまえに哀れみをかけてもらう覚えはありません。」
キャラバンは姫の言葉に驚いた様子できょとんとしました。
「申し訳ございません。姫様、ただ私は自分の目で見て良いと思う物を、姫様にもご覧になって頂きたかっただけです。」
キャラバンは慌てて言いましたが、最後まで言い終わらないうちに、家来たちに城からつまみ出されてしまいました。
アキ姫は、なんだかすっきりしない気持ちでした。
それから毎日、アキ姫は蛙の土人形を眺めて過ごしました。夕日にキラキラお城が輝く日も、しとしと雨にお城がつややかに浮かぶ日も。
「雨の神様、ケロクコロ。その名前は、蛙の鳴き声、雨への賛美」
そっと土人形の匂いを嗅ぐと、まるで雨上がりの土の匂いが漂ってくるようでした。クリスタルガラスのお城では、こんな匂いのするものは、他にひとつもありません。
「姫様、汚い人形に、そんなに触れてはいけません。お病気にでもなられたら、困ります。」
侍女は言って、眉をひそめます。けれど実際、アキ姫は病気も同然でした。
「あのキャラバンは、これから一体どんな国へでかけるのかしら。」
蛙の土人形を見れば見るほど、大地の香り立つ異国への想いが、胸を熱くするのです。そのうちアキ姫は、美しいクリスタルのお城の何を見てもつまらなくなりました。すべてがつややかで、きらめいていて、清潔で、それはアキ姫そのものでした。色白の肌とプラチナブロンドの細い髪。やがて、アキ姫は自分のそんな姿すら、つまらなく思えるようになりました。
ひと月が経ちました。
「あのキャラバンは、まだ城下町にいるかしら。」
すっかりやつれてしまったアキ姫が言いました。姫を取り巻くガラスたちは、今や姫にとって、冷たくそっけなく、かたくなな存在でした。
「姫様、いったい何をお考えですか。こんなにお元気をなくされて。きっとこの土人形には呪いがかかっているのです。姫様のためには、捨ててしまわれたほうがいいんですわ。」
侍女は心配そうに言いました。けれどアキ姫は、とんでもないと首をふりました。
「いいえ、いいえ。確かにこの土人形を手に入れてからというもの、わたしの目に映る世界はすっかり変わってしまった。それは悲しいことかもしれないけれど、もう今更取り返しのつかないことなのよ。」
ますます青ざめて線が細くなり、ガラス細工のようなアキ姫は、大臣を呼んで言いました。
「あのキャラバンを探して、お城へ連れてきて。」
大臣は、最初反対しました。
「あんな男、二度とお城には入れないと、姫様も申されたではありませんか。今でこそ姫様のお具合がよろしくないのに。」
「お願いだから、連れてきて。きっとわたしはあのキャラバンに呪いをかけられたのよ。ならば、あのキャラバンにもう一度会って、呪いを解いてもらわなければ。」
それを聞いて、大臣は仕方なくアキ姫の要望を聞き届け、町に使いが送られました。
アキ姫の言葉は、キャラバンを連れてくるための口実でした。けれどそれも、あながち嘘ではなかったのです。アキ姫は、キャラバンと異国のことを考えるだけで夜も眠れません。このままでは、いてもたってもいられなかったのです。
そして三日後、城下町から旅に出るところだったキャラバンが、無理矢理お城に連れて来られました。相変わらず、砂まみれの汚い服装でした。それを見たアキ姫は、なんと口をきいていいかわからずに、目に涙を浮かべてキャラバンを凝視するばかりでした。
「アキ姫様、その後いかがなさいました。」
やつれた姫の様子に驚いたキャラバンが、先に口を開きました。それを聞いてやっと我に返ったアキ姫は、背筋を伸ばしてキャラバンに命令しました。
「おまえから買った品物は、とても気に入っています。わたしはもっと、異国のことが知りたいのです。ご褒美はあなたの好きなだけ出しましょう。これから毎日お城へ来て、異国の話をわたしに聞かせてちょうだい。」
しかし、それを聞いたキャラバンは少し困ったような顔をした後、はっきりと言いました。
「わたしは今日にも、別の国へ旅立つつもりです。ですから、アキ姫様のご要望にはそえません。」
アキ姫は、今にも泣き出しそうになるのをこらえていました。お城の家来がまたも、この無礼者を捕まえようとしているのを、アキ姫はじっと見ていました。キャラバンは言いました。
「姫様が望まれるなら、また珍しい品物を持って、どこかの国のお話をしに参ります。」
アキ姫は、なぜだかますます泣きたくなりました。いったい何を望んでいるのか、姫自身にもわかりません。
「もうよろしい。キャラバンをどこへなりと、行かせておやりなさい。」
やっとアキ姫は、家来たちに言いました。
アキ姫はその日から、ますます元気がなくなりました。
キャラバンは、今度いつやってくるのかわかりません。そして、どんな国に行っているのかまったくわかりません。アキ姫は、毎日変わることなく美しいクリスタルのお城で、蛙の土人形を前に物思いにふけるばかりです。
「雨の神様、ケロクコロ。きっと長い日照りが続く時、その国の人は心から祈るのでしょう。わたしだったら、いったい何を一番に願うでしょう。」
毎日毎日考えて、やっとアキ姫は自分の気持ちが見えてきました。
わたしもお城の外を旅したかった。土の匂いのする国の空気を吸いたかった。珍しい物をもっと見たかった。あのキャラバンと一緒に…。
それが自分にできないことを、アキ姫は最初からよくわかっていたのです。お城から出してもらえることはめったにありません。でかけたとしても、たくさんの家来がついて、行く先もそう遠くではありません。
誰の目にも、アキ姫にとってクリスタルガラスのお城はぴったりで、蛙の土人形は不似合いでした。
だからすべては、夢だったのです。
遠い大地の地平線。なめらかな砂丘。景色を揺らす、熱い陽射し。
駱駝に乗ったキャラバンが、遠くに背を向けて歩いて行く。
どこかへ行ってしまう。どこかへ行ってしまう。
アキ姫は、ふとベッドの上から、お城のガラスの壁越しに、キャラバンの後姿を見つけました。裸足のままクリスタルの冷たい床に飛び起きて、その姿を見失わないようにとアキ姫は壁にはりつき、目をこらしました。
どうやったらお城を出ることができるでしょう。仮にお城から出たとして、いったいアキ姫にどうすることができるでしょう。それでも、アキ姫はもう、ただじっとクリスタルガラスのお城から、キャラバンを見送ることはできません。
ふいに、壁に飾ってあった銀の弓矢を、椅子によじ登って手にすると、壁に向かってかまえました。ガラス越しのキャラバンの背中へぴったりとねらいが合いました。アキ姫の手から矢が離れると、それは、ガラスの壁にピシリと蜘蛛の巣のような、輝く亀裂を走らせて…。キランカランと澄んだ音をたてて崩れたのでした。
アキ姫は裸足のままで、崩れたガラスの壁の向こうへ、歩き出しました。キャラバンの背中は、もうずいぶんと小さく見えました。姫の足にガラスが突き刺さって、足元を赤く染めました。それでも、アキ姫は確かに、外の空気を吸ったのです。
土の匂いがする、あのキャラバンの運んできた空気を。
姫の白い肌に、熱い陽射しが降り注ぎ、ゆるやかな風がブロンドの髪を揺らしました。
姫の後ろにクリスタルガラスのお城は見当たらず、行く手には広い砂漠がひろがっているのでした。
FIN