春過ぎて、晴れ。

著/ 薊野佑子

 ひとつだけ、わからないことがある。
 それは、有馬くんが着ていた服が、ほんとうは何色だったかってこと。

 たとえばね、たとえば。
 カラスが黒いのはなぜかっていう昔話があるでしょう。
 いろんな鳥がうらやましくて、いろんな色をすべて塗ったら、真っ黒になっちゃった。ていう。
 じゃあ、カラスはもともと何色だったんだろう。

「おまえはなんでそんなこと気にするわけ?」
 有馬くんは、よくわたしにこう言う。
「えーっと、だってほら、ものごとの本質を見極める目っていうのかな…」
 わたしは有馬くんのあきれ顔を上目づかいに見ながら言う。
「おまえ言ってる意味わかってんの?」
しばし考えてみる。
「わかんないかも」

 有馬くんとわたしがこんな会話をするようになったのは、中学二年の一学期。新しいクラスになって、わたしが園芸部に所属したのがきっかけだ。

 わたしは昼休みに、昇降口わきの花壇の手入れをしていたのだ。手入れといっても一通り水をやるだけ。それから、天気が良かったので、うっかり水をこぼしてしまったプリーツスカートが乾くまで、ぼんやり花を眺めていた。
 ちょうどその頃はアブラナがいっぱいに咲いていて、とても綺麗だった。そこへ、サッカーボールが飛んできた。アブラナたちの一部がぐしゃっとそれを受け止めた。
それからまもなく、同じクラスの有馬くんが走ってきた。制服のブレザーをぬいで、白いシャツをひじまでまくりあげた格好だった。
「わりい!怪我なかったか?花壇荒らしちゃった?」
 有馬くんは男らしくたずねて、わたしの顔をのぞきこんだ。
 けれどその時わたしは、ボールをぶつけられて傷ついたアブラナのことよりも、気になっていることがあった。
「それよりもね、わからないことがあるの。」
 わたしはしゃがみこんでアブラナを眺めながら、ほとんどひとりごとのつもりで言った。
「大根の花は白くて、アブラナは黄色いでしょ。それでそっくりの形の花をしているの。」
「え?」
 有馬くんは、なんのことかわからない様子だったけど、わたしはそのまま続けた。
「だからね、もしかしてアブラナを掘り起こしたら、黄色い大根が植わってるんじゃないかという仮説が成り立つと思うのよ。もう最初っからタクアンみたいな。」
 有馬くんはしばらく立ち尽くしていた。それから
「成り立つわけねーだろ」
 と、信じられないというふうに言った。
「そお?有馬くん、アブラナの根っこ見たことあるの?」
「麻野…おまえ、乙女チックに花壇眺めながら、そんなこと考えてたわけ?」
 わたしが花壇から視線をあげて有馬くんを見ると、彼は目を丸くしてわたしを見ていた。
「…うん」
 乙女チックに花壇を眺めているつもりはなかったけど、有馬くんはいったいわたしが、何を考えていると思ったんだろう。

 それからだ。わたしがぼーっとしていると、有馬くんがからかい半分にわたしの考え事をたずねるようになったのは。

「よお、麻野。今日は何を考えてんだ?」
 有馬くんにたずねられたとき、わたしは今日も園芸部の当番で、花壇の水やりの後ぼんやりしていた。
「んーっとね、お天気のこと…」
 わたしは花壇の囲いのレンガに腰かけて空を眺めていた。薄曇りとはいえ、澄んだ青空の垣間見えるいい天気だ。
「お天気?おまえにしては、まともそうな考え事じゃねーの」
 有馬くんは言って、花壇の前にしゃがみこみ花を見る。
「今日の降水確率知ってる?」
「降水確率?」
「そうだよ。朝の天気予報で見たの。五〇%なんだって。」
「へえ、それが?」
「不思議だなあと思って。」
 笑顔になって有馬くんを見ると、彼はきょとんとした顔で、まじまじとわたしを見ていた。
「おまえの考えることって、ほんと、わかんねーな。降水確率五〇%の、何が不思議なわけ?」
「だってね、五〇%って言えば、十円玉投げて、表が出るか、裏が出るか、っていうのと同じ確率なんだよ?」
 わたしはブレザーのポケットから十円玉を取り出して見せた。
「表が晴れで、裏が雨。有馬くん、表と裏、どっちに賭ける?」
「…おもて」
 わたしは不器用な手つきで、えいっと十円玉をはじいて投げる。落下する十円玉を手のひらに受け止め、握ってからそっと開く。
「残念でしたー、裏です。」
 わたしが言うと、有馬くんは悔しそうにふくれた。
「ね、こんなに簡単に裏が出るんだよ。」
 わたしは十円玉を再びポケットに戻した。
「…なのに…、いい天気」
 降水確率って、別に今この瞬間に雨が降る確率が五〇%というわけではないのだ。そんなことわかっていたけど、わたしには「降水確率五〇%」という言葉がただ不思議だった。

「よくまあ、あきもせずに変な考え事を見つけてくるわね。」
 軽く笑いながら宮田は言った。
 彼女とは一年の時、隣の席になって以来仲良くなった。彼女はしっかりもので、ぼんやりしているわたしを助けてくれる友達だ。
 わたしたちは、よく屋上で一緒にお弁当を食べる。この日も天気が良かったので、そうしたのだ。
「うーん、わたしには大事なことなんだけどな。」
 宮田はなんだかんだ言って、嫌がらずに相手にしてくれるほうだと思う。
「まあ、麻野がそう思うのは自由だけどね。でも、時々心配になるのよねえ」
 宮田は、パックのジュースのストローを口にくわえたまま、考え込むようにして言った。
「心配?なにが?」
「うーん…夢中になってると、簡単なところを見逃していそうなんだもん。」
 宮田は優しい。でもわたしは、いつもなかなか彼女の言うことを十分に理解できない。
「そっか、ごめんね。なんか、わたしよくわかってなくて。」
「別に、わたしに誤る必要ないよ。」
 宮田にそう言われると、少しだけ不安になる。誰か、他にあやまらなきゃならない人がいるかもしれないのか…と思って。

 休み時間。わたしはいつも通り、大まじめで有馬くんに言った。
「だってほら、仮装大会で先生がしてた、あの格好。もしかしたら間違ってるかもしれないんだよ?大問題じゃない」

 今わたしが気になっていることは、チャップリンの服の色は本当に黒かったかってこと。
 チャップリンって、なんか昔の映画に出てくるおもしろいおじさん。背広着て帽子かぶって、ステッキ持ってて、ひげが生えてる。
 その格好を五月の文化祭で、うちのクラス担任の先生がしたのだ。

「別にいいじゃん?似合ってたし」
 有馬くんは指先でシャープペンシルを回しながら言った。
「でも、先生だよ?間違っちゃだめだよう。」
「おまえなあ、そんなこと言ったって、しょうがないだろ。白黒映画の中の人なんだから。」
「だからわからないでしょう?焦茶とか濃紺とか、もしかしたら赤かったかも。」
「そんなわけないだろ。赤い背広なんか着るのはルパン三世だけだ。」
 有馬くんは腕を組んできっぱりと言った。
「なんでそんなに自信まんまんなのよう。赤だって白黒にしたら黒く映るもん。」
「いーや、赤い背広はルパンだけだ。なぜならそれが彼のアイデンティティーだからだ。」
 有馬くんはますます自信ありげに言う。というか威張っているように見える。
「なによそれ、意味わかんないよ。それにルパンはピンクの背広着てたこともあるもん。」
 有馬くんは腕を組んだままちょっとわたしから目をそらした。都合が悪くなるといつもそうする。
「…ばっかじゃないの」
 あきれて呟いたのは、宮田だった。いつのまにかそばで話しを聞いていたらしい。
「あんたたち、最近いつも妙な言い合いしてるわよね。」
 両手を腰にあてて、なんだか含みのある言い方をする宮田。
「そお?」
 わたしが反射的に応えると、宮田は「べつに」と言っただけだった。

 窓際にあとずさりながら、わたしはそれを凝視した。
「さて問題です。これはアゲハチョウでしょうか。」
 有馬くんの手の中には、もったりとした頭をもたげる緑色のイモムシがいた。
「えーっと、アゲハチョウの幼虫だと思います。」
「でもさ、アゲハチョウになるんだぞ。同じ生き物だぞ?」
 有馬くんは言いながら手のひらをますますわたしに近づける。園芸部でご縁があるとはいえ、こういうの、実は苦手。逃げ腰になってしまう。
「おまえ洋服着替えるたびに、違う名前で呼ばれないだろ?」
「うーんと…」
 わたしは窓際に追いつめられながら考えた。
「でも、わたしが将来女優になるとして。でも今『女優さんですか』って聞かれても、違いますって言うでしょ。」
「ばーか、おまえが女優になれるわけねーだろ。でも、こいつは将来確実にアゲハチョウなんだよ。」
「うーん…わかんないよ…」
 わたしが真剣に考え込むと、有馬くんはにやりとした。
「おまえってほんっとバカだな。アゲハチョウの幼虫は、アゲハチョウの幼虫に決まってんだろ。」
「なによう、それじゃ最初の答えで正解だったんじゃないのー。」
 有馬くんはわたしの糾弾に答えず、勝ち誇ったように笑うばかりだった。わたしは、それを恨めしげに睨みながらふくれるしかない。

 最近、有馬くんはこの、「さて問題です」という遊びを気に入っているみたいだ。わたしの考え事を誘発して、撹乱するのがおもしろいらしい。
「やっぱりおまえ、考えるんだなー」
 なんて言って、半ば感心しつつ喜んでいる。「おまえはなんでそんなこと気にするわけ?」とバカにするくせに、わたしが気にするようなことをわざわざ言うなんて。ちょっとずるい。

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