風が森を駈けるとき

ララキーノ・トコ

 とある森がありました。その大きいことといったら、どんなにはやく走る獣もはてを知りません。その古いことといったら、どんなにもの知りの妖精もはじまりを知りません。

 その森に、妖精はたったひとりで棲んでいました。だから森は妖精の森でした。森にはたくさんの樹がありました。妖精はどれもおんなじに好きでした。それで妖精のもえるようなみどりの髪は、秋になると樹の葉といっしょにまっ赤になるのです。森にはいくつもの風が駈けていました。妖精はどれもおんなじに好きでした。それで妖精の跫音は、風が樹々をゆするのとおんなじショウショウいう音だったのです。
 妖精はもの思いにふけるのも好きでした。あたたかな家の中で樹のことを考え、それから風のことを考えました。妖精の考えることはいつもおんなじ。だっておんなじことを考えるのが大好きだったのですから。

 獣はその森にたったいっぴきで棲んでいました。それで森は獣の森でした。森にはたくさんの樹がありました。獣はなかでもいちばん大きくて、いちばんたくさん葉っぱをつけ、いちばんさいしょに赤くなる樹が好きでした。なぜならなんでもいちばんのその樹がとても偉いと思ったからです。森にはいくつもの風が駈けていました。獣はなかでもいちばんはやくて、樹々をゆするショウショウいう音がいちばん大きな風が好きでした。でも獣はどんな風よりももっとはやく走ることができるのです。銀色のしっぽをなびかせて獣が森を駈けるとき、風はきまってあとから追いかけてくるのでした。
 獣は毛づくろいするのも好きでした。銀色のしっぽをなめると、獣はとてもりっぱに見えました。

 あるとき妖精がいつものようにもの思いにふけっていると、どうしてか銀色のしっぽのことが思われてきました。それは樹のかげや風のあいだでときおり見かける、けれどもまだ会ったことのない獣のものでした。
「わたしは随分ながいことこの森に棲んでいるが、森のどこかにいるという獣に会ったことがない。どうにかして会ってみたいなあ」
 そこで妖精は獣を探しに出かけました。

 あるとき獣が毛づくろいをしていると、なぜかショウショウと樹をゆする風の音が思いだされました。それはときどき耳にする、けれどもまだ会ったことのない妖精の跫音です。
「おいらはずっとずっと昔からこの森に棲んでいるけど、森のどこかにいるという妖精には、まだ会ったことがないや。どうにかして会ってみたいなあ」
 そこで獣は立ちあがって妖精を探しに出かけました。
 いくつもの風を追いこして駈けながら、獣はふと風とはちがう跫音を聴きました。そして風がふたたび追いこしていったとき、獣と妖精は出会ったのです。
「やあ、おいら知ってるよ。あんた妖精だな」
「うん」
 そうか、と獣は満足そうに頷きました。
「わたしも知ってるよ。きみ、獣だね」
 会えてよかった、と妖精は頷きました。
「あんた、おいらより偉いかい?」
 と獣がたずねました。
「いいや」
 と妖精がこたえます。
「それじゃ、おいらはあんたより偉いんだ」
 妖精はちょっと考えて、やっぱり
「いいや」
 とこたえました。
「わたしはきみより偉くなくて、きみはわたしより偉くないよ」
 獣はくびをひねりました。妖精は獣より偉くなくて、獣は妖精より偉くないとはどういうことでしょう。
「じゃあ、どちらが偉いんだろう?」
「どちらもだよ。そしてどちらでもないよ」
 妖精は云いました。
「どちらもで、どちらでもないのはよくないよ。どちらかが偉くなけりゃあ。おいらたち考えなくちゃ」
 獣は胸を張って云いました。でも妖精はどちらが偉いか考えるのを好きではありませんでした。そこでやっぱり胸を張って云いました。
「どちらかが偉くなくてもいいよ。わたしたちはおんなじだよ」
 すると獣はきゅうに怒ったように口をとがらせて、前足で地面を掻きながら云いました。
「おいらたちはおんなじだって?どこがおんなじなんだい。おいらは4本の足で歩くけど、あんたは2本だ。おいらの毛はきれいな銀色だけど、あんたのはおかしなみどり色だ。おいらは獣だけど、あんたは妖精じゃないか。おいらは森でいちばんはやく走れるんだぞ」
 妖精は、みどり色の髪をちっともおかしいと思いませんでしたから、すぐに獣とは感じかたがちがうことに気づきました。するとやっぱりわたしと獣はおんなじではないんだな、と妖精は思ったのです。
 獣は、妖精が黙ってしまったので、妖精より偉くなった気がしました。でもすぐにそれはちがうとわかりました。獣と妖精とでは、考えることがちがうのです。だから妖精が、どちらかが偉くなくてもいいと考えてもいいのです。獣は妖精にすまなく思いました。
「おいらたち、また会えるかい?」
 妖精はまたちょっと考えてからこたえました。
「会いたくなったら、いつでも会えるよ」
 ほっと頷いて駈けだした銀色のしっぽを見おくりながら、妖精は会いたくなったら、と心にきざみました。

 妖精のもえるようなみどりの髪はいつかまっ赤になっていました。妖精はときどき獣のことを考えました。でも、会いたいというのとはちょっとちがいました。
「わたしたちはいつだって会えるのだから、なにも今すぐでなくてもいいはずだ」
 そしていつものように樹や風について考えました。けれどもふと気がつくと、なぜか獣のことを考えているのです。
「でももしかしたら、獣はわたしに会いたいと思っているかもしれないぞ。いや、きっとそう思っているにちがいない。こうしてはいられない。会いに行かなくちゃ」

「いったいぜんたい、おいらと妖精のどちらが偉いんだろう」
 獣は風をつれて駈けながら考えました。
「これはたいへんな問題だぞ。だって偉くないほうがさきに挨拶するんだもの」
 もし獣が妖精より偉くないとすれば、獣はさきに挨拶しなければなりません。
「でも妖精はおいらとはちがうから、偉いほうがさきに挨拶するのがいいと思ってるのかもしれないぞ。それでおいらを待っているのかも。うん、こいつはいいぞ。そうするとおいらのほうが妖精より偉いってわけだ。妖精はおいらより偉くないって云ったもの」
 でもまてよ、と獣は足を止めました。そのとたんに、風がショウショウとうなりを上げて耳もとをかすめていきました。
「妖精は、おいらが妖精より偉くないとも云ったぞ。すると妖精はどちらがさきに挨拶したらいいのかわからなくなっているんだ。それでどちらがさきに挨拶するべきか、おいらと話しあいたがってるかもしれないぞ。よし、会いに行かなくちゃ」

 風にまうまっ赤な葉っぱの中に、妖精は風よりもはやく走る銀色のしっぽを見ました。
「おおい」
 妖精はさけびました。
「きみ、わたしに会いたくなったんだね」
 妖精は獣が会いに来てくれたのがうれしくてしかたがありません。
「ううん」
 と獣が云いました。
「あんた、おいらとどちらが偉いか話しあいをしたくなったんだね?」
「いいや」
 そしてひとりといっぴきは少し考えました。
「じゃあわたしは、きみに会いたくなったのかな」
 たぶん、と獣は頷きました。
「じゃあおいらは、あんたと話しあいたくなったのかな」
 きっと、と妖精は頷きました。
「わたしたちはぜんぜんちがうね」
「それで、おいらたちおんなじだね」
 風が森の樹々のあいだをショウショウと駈けて、まっ赤な葉っぱをおとしていきました。ふたりとも、この音が大好きでした。
「おいら、あんたの跫音が好きだよ」
 銀色のしっぽがはずかしそうにうごいて、獣は小さな声でつけたしました。
「このあいだはごめんよ」
「ううん。わたしも、走っているきみのしっぽが好きだよ」
 ひとりといっぴきはまたちょっと考えました。
「おいら、こんどはすぐにあんたに会いたくなると思うよ」
「わたしもいつもきみのことを考えていると思うよ」
 それからひとりといっぴきは、会いたくなったらすぐに会おうと約束をしました。
 妖精はショウショウと跫音をひびかせて、まっ赤な森のおくへと歩きだしました。その音よりもずっとはやく、獣は銀色のしっぽをなびかせて走りだしました。
 あとにはただ風が駈けていくのでした。

おしまい

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