雪姫(ユキヒメ)は、山の中。
雪人(ユキヒト)は、村はずれ。
それは、冬の村に住む人々も知らない、雪融けまでの小さな物語。
雪姫は、人の姿をした冬山の精霊で、銀狐や白兎の姿を借りることができます。
雪姫は、冬の国を渡り、雪山へやってきます。そしてたどりついたのが、いくつもの峰がなだらかに連なる、大きな山でした。
雪姫は、山を見下ろしながら言いました。
「あんなに白く輝いて、なんて立派な峰。」
雪姫は、両手を一杯に伸ばして、冷たい空気を吸いこみました。体のすみずみまで冴え渡るような、清らかな空気でした。
山のふもとには、村がありました。
村はずれには、雪人がいます。雪人は、人の形をした雪の塊です。この村では、毎年冬になって夜が長くなると、悪い鬼を見はるために、雪を固めて人の形をつくるのです。
雪人は、ある日自分が、雪山を前にして立っていることに気づきました。
雪人は、山を見上げて思いました。
「なんて美しい、白い雪山だろう。」
村はずれに立つ雪人は、村の子どもたちの人気者。
「外で遊ぶときは、ユキンヒトを離れちゃいかんよ。」
「はーい」
雪人は、村人たちに「ユキンヒト」と呼ばれているのです。
雪姫は山の上から、雪人と子どもたちが遊んでいるのを見ることができました。
「なんだか楽しそう。いつもずっとあそこにいて、優しそうにみんなを見ているのは誰かしら。」
雪姫は、真っ白な人影が、気になってたまりません。
雪姫が人里に降りて来られるのは、雪人が立っている村のはずれまで。それもなるべく人目につかないよう、白兎の姿で現れます。
ある夕暮れ、村の子どもたちがいなくなった後。雪姫はいつまでも立っている人影が気になって、山のふもとまで降りてきました。そして、はじめて雪人に出会ったのです。
白兎の姿をして、ちょこんと雪人の前に座り込んで見上げました。
「こんにちは。それとも、こんばんはかしら?」
雪姫は、青い薄闇の空を見上げて言いました。
「おまえは、鬼か?この先の村には入れないぞ。」
雪人は、少し低い声で言いました。
「いいえ、わたしは鬼じゃないわ。」
雪姫は言って、兎から人の姿になって見せました。白い肌に絹のような黒髪の少女です。
「これがわたしの本当の姿よ」
「それじゃおまえは人間か?」
「いいえ、わたしは冬山に住む雪の精霊。あなたは誰?」
「おれは、村人につくられた雪人だよ。」
「あなたは雪でできているのね。あの山と同じ白い色。綺麗ね。」
雪姫は、うっとりと雪人を眺めました。
それから夕暮れすぎになると、雪姫は雪人のところへやってくるようになりました。
「雪の山は綺麗ね。」
「うん、ほんとうに綺麗だ。」
夕焼けに、ほのかに朱に染まる山を見ては、ふたりしてそんなことばかり話していました。
ある日、子どもたちを迎えにきた村娘が、自分の赤いえりまきを雪人にかけてやりました。そしてそっと手を合わせておじぎをすると、弟たちを連れて家へ帰っていったのです。雪姫は、白兎の姿で山を降りてきた時、ちょうどそれを見かけました。
「変なことをするのね」
赤いえりまきを、つぶらな瞳で眺めながら、首をかしげる雪姫。
「どうして?あったかいよ」
当たり前のあいさつのように、答える雪人。
「だってあったかくしたら、あなたは溶けてしまうじゃないの。あの娘、ちっともわかってないわ。」
「そうだね。」
雪人は、少し寂しそうに言って笑いました。雪姫は、ちらりと赤いえりまきを見て言いました。
「でも、案外似合ってる。」
次の日の夕暮れには、赤いえりまきは雪を含んでバリバリに凍りつき、みすぼらしくなっていました。雪姫はそれを見て、そっと凍りついたえりまきをほぐして、雪人に巻きなおしました。
「やっぱりおれには、似合わないね。」
雪姫は何も答えませんでした。
「えりまきも凍らせてしまうし、それに」
雪人は、ぼんやり考え事をするように、しばらく黙ってから後を続けました。
「おれは、日に当たるうち、人に触れられるうちに、いつか溶けて消えていくんだ。」
雪姫は、そっと言いました。
「まだ冬は終わらないわ。だからあなたは、溶けないわ。」
雪人は言いました。
「そもそも、空から舞い降りて、そのまま溶けて、また空へ帰るはずだった。今こうして、人の形をして、人に触れることのほうが妙なことなんだ。」
雪人はおだやかに言いました。
「なぜそんなことを言うの?村の人たちにも、あんなに慕われているのに。あなたはちゃんとここにいるわ。」
雪人は、黙って雪山を見つめたまま何も言いません。
「それにわたしの中にも、あなたはいるのに」
雪姫は小さな声でつけ加え、胸に手をあてました。
「おれがいなくなっても、少なくとも君の中にはおれが残るんだね。じゃあ、おれは溶けてしまっても平気だ。」
「あなた、わからないの?いなくなったひとが、自分の胸の中にい続けることは、とても辛いことなのよ?」
雪姫の言葉に、雪人は遠い山に視線をやって、「うん」と言っただけでした。
静かな冬の日々は続き、晴れの日のたびに、雪人の背丈は少しちぢみました。それを見るたび、雪姫は思い出しました。雪人が、いつか溶けてしまうこと。
雪姫がそれを言うたび、
「別にいいんだよ」
と寂しそうに笑う雪人の笑顔が、雪姫は嫌いでした。
雪人の背丈がとうとう村の子どもたちほどになってしまったある日。雪姫は思いきって言いました。
「いいことを教えてあげる。わたしがくちづけをして、あなたに冬の息吹を吹き込めば、あなたは溶けるのを待つだけの雪ではなく、精霊になれる。わたしと一緒になれるのよ。」
雪人は言いました。
「いつも雪山や空を眺めていられるんだね。」
「そうよ」
雪姫はうなずいて、綺麗に微笑みました。
「おれ、晴れの日の雪山が一番好きだ。」
雪人は静かに言いました。
そうして、次の日。村の娘や子どもたちは、雪人が立っていた場所に、赤いえりまきだけがあるのを見つけました。
「溶けちゃったのかな」
子どものひとりが言いました。村娘は、「そうね」と言ってえりまきを拾い上げました。そのそばには、山へと消えていく兎の足跡がありました。
「兎になったのかもしれないよ」
別の子どもが言いました。「そうね」と村娘は言って、冬の山を見上げました。
春近い、暖かな日の光のなか、まぶしい白さの雪山が、そこにそびえておりました。
おしまい