地縛鬼   

 ある昼下がりのことだった。近所の道端に小さな女の子がじっと突っ立っていた。あまりにじっとしているので、何か困ったことでもあったのかと声をかけた。
「どうしたの?お嬢ちゃん」
「達磨さんが転んだの。」
 わたしはその意味がとっさに分からず聞き返した。
「え?」
 次の瞬間しまったと思った。彼女はにやりと笑った。わたしはそこから動けなくなっていた。見れば、鬼につながれた人々の列が彼女の後ろにあるではないか。


内罰の小部屋   

 四方に窓のある小さな四角い部屋の中で、四角い机の前の堅い椅子に腰かけ、ぼんやりしている。白くて堅い床、少し高い天井、そして白い壁にはアルミサッシの枠の四角い硝子窓があるのだ。
 ふいに前方の窓にひとりの細い女性が浮かぶ。(窓の向こうは廊下のようだ。)
「許してあげる。」
 口元で笑い、そう言った。何のことかわからずわたしはうなずく。
 何かの間違いだろうと思い、気にも留めずまたぼんやりしはじめる。すると、左側の窓に人がのぞきこう言う。(窓の向こうは路地で隣の家の壁が見える。)
「許してあげる。」
 わたしは自分の胸を探りながら「ありがとう」と言った。その人が誰かすらも思い出せない。いったい自分が何をしたというのだろう。次第に真剣に考え始めた頃、またも右側の窓が開いて、こう言われた。(窓の向こうは天気の良い野原だ。)
「許してあげる。」
 不安にかられて顔を背けた。許してもらうようなことは何も思い出せない。しかしいつのまにか自分の中に罪悪感が生まれている。わたしは嫌な予感に緊張する。
「許してあげる。」
 背後の声に振り向くと窓辺に黒い服の人がいた。
「ごめんなさい。」
 何のことかもわからずにわたしは答えた。その人の向こうの緑の丘に、処刑台が見えたのだ。


朝食は爆弾処理   

 ぬるいぬくもりの布団の中で目覚めると、机の上には時限爆弾があるのです。おなかが痛くなるけれど、早くそれを食べなければなりません。赤いスケジュール帳には「もうすぐ」の枠にどくろ,髑髏の印が付いています。食べるのは「今」のうち。
 次の日のっそり目覚めると、別の爆弾が机に乗っているのです。壁に掛けたカレンダーで昨日見た髑髏が「今日」、にたりと笑っています。わたしは急いでこれを食べなければなりません。そうすればなんとか一安心。
 だけど明日は、もう目覚めるのをやめたいと思います。


遠い所   

 小さな少女が夜中にひとり。寂しくて泣いていた。お星様が遠すぎる。天も地も闇にとけて、どちらも遠い。すると影が言うのです。
「遠い所は、あなたが突き放したところに在るのですよ。」
 こんなにも遠いのは、何光年もの距離のせい。どんなに歩いても走っても、叫んでも届かない。とうに忘れられたような光が、そっと落ちてくるばかり。
「『こっちへおいで』とあなたが言えば、アンドロメダはすぐそこに。そして、『あっちへいって』と言えば、隣のあの人は光の届かぬ、途方もない遠くに居るのですよ。」
 小さな少女はわからなかった。お星様が遠すぎて、寂しくて泣いていた。


尋ね人   

 ただ追い立てられるように歩いている。大きな灰色の街。木が一本も生えていない街。広い道路に長い歩道橋。まるで道がわからないし、知らない名前のビルばかりだ。オフィスビルばかりで、お店がない。つまりわたしが入れる建物がひとつもない。やけに天気は良くて、ビルの照り返しがきつい。
 たくさん人が歩いている。立ち止まることなく絶えず通りすぎていく。わたしは誰かに逢いたかった。こんなにたくさん人がいるのにわたしは誰にも逢えない。どこへ行けば逢えるのかわからない。炎天下のなかいつまでも歩き続けるしかない。わたしはひたすら誰かを探した。好きな人でも嫌いな人でもなく、ただ自分でないものを求めていた。


背中の角   

 背中から大きく曲がった角が生えている。ちょうど心臓の後ろあたり。鼓動にあわせて角も脈打つ。まるであふれた心臓だ。僕からはみ出たその角は、放っておくと自分の邪魔になったり誰かを傷つけたりする。
 切ってしまおうか。それは痛い。たたんでしまおうか。それも苦しい。
 僕から飛び出したこれは、どうしようもなく大切な僕自身だった。傷つけれは胸が痛む。けれどこれがひとを傷つける。僕だってほんとうは誰も傷つけたくなかった。そのためには僕はもう死んでしまうしかないのかもしれない。


玉乗り娘   

 玉乗り娘は、今日はじめて一座に加わった。
「お嬢さん、あなたの玉乗りは素晴らしい。」
 口々に言われるのが嬉しかった。だからいつも玉乗りをした。今日だって青い旗のついたこのテントで、拍手喝采をもらうはずだった。垂れ幕の隙間から玉乗りしながらご登場。けれどテントの中は真っ暗で、ひとっこひとりいなかった。いいえ、いたかどうかもわからないくらい、とにかく真っ暗で何も見えない。玉乗娘は大きな玉の上で、右も左もわからなかった。入ってきた入り口も、もうどこかわからない。そのうち天と地もわからなくなってきた。足の裏の感覚がなくなって、どれくらいの大きさの玉に乗っていたかもわからない。どこに床があるのかもわからない。娘は真っ暗なテントの中で、誰の拍手も得ることなく、ずっと玉乗りを続けている。


旅の理由   

 痩せ細った男が、ボロをまとって旅をしていた。消し去りたくて旅をしていた。
 だけどいったい何を?
 なまえ? かこ? かぞく? こいびとのかげ?
 とにかく何かを捨てたくて、ひとりで旅を続けていた。
 どこかの大きな街に着いた。何でもそろう大きな市場で、誰かが声をかけた。
「なにか欲しいものは?」
 男は答えず、うつむいて通りすぎた。男はもう長い間誰とも会話したことがなかった。誰かと話せば、何かを捨てるどころか、何かをしょい込むのがおちだと、そう思っていた。そして心の中だけでこう言った。
(欲しいもの?もうなにもない。なにをみても吐き気がする。わたしはただ、捨てたいのだ。)
 だけどいったい何を?
 こころを? からだを? いきてきたじかんを?
 街を抜けて砂漠に出た。街よりもここのほうがよっぽど落ち着いた。まだ男は旅を続ける。何かを消したくてたまらないからだ。
 けれどいったい何を?
「わからない」
 男は久しぶりに言葉をしゃべった。それは砂漠に吸い込まれて消えた。
 彼は結局、何かを探し求めていた。


乞食   

 痩せ細った男が、ボロをまとって旅をしていた。長い間旅をしていた。花が咲く野原にたどり着いた。小さな少女がそこにいた。
「あなた誰?」
 珍しそうに少女は言った。
「ただの乞食でさ」
 男は久しぶりに口をきいた。もう長い間、誰も彼に話しかけなかったからだ。
「いつからどうして乞食なの?」
「生まれたときから生まれつきの乞食でさ」
「うそ」
 少女はあきれたように言いきった。
「赤ちゃんは誰だって、お母さんのお乳をもらうのよ。乞食なんかするはずないわ。」
「どうだかね。なら、いつからどうして乞食だと言えば信じるかね。」
「ほんとうのお話をして」
 しばし男はだまりこみ、ゆっくりと口を開いた。
「生まれた時は王子だった。王子は大きくなったら王様になる。おたまじゃくしが蛙になるのと同じにね。王様になってからは毎日パーティーだった。ご馳走が食べきれないほどだった。ところが食べきれなくてもご馳走はいくらでも出てくるんだよ。とうとう気分が悪くなって寝込んでしまった。それでもご馳走はわたしのところへ運ばれてくる。わたしが食べないとコックは首にしないでくれと泣くんだよ。わたしはとうとう逃げ出した。もうご馳走に追っかけられるのはたくさんだ。」
 少女はじっと聞いていたが、男が黙るとこう言った。
「でもおなかはすくでしょう?だから"乞食"なんでしょう?」
「わたしの話を信じたのかね。」
「わたしはほんとうのお話をしてと言ったわ。それが今の話なんでしょう?」
 男はうつむいて黙ったままだった。
「後悔しているの?ご馳走を置いてきて。」
「いいやちっとも。乞食をやって食える食いぶちがちょうどいい。」
「そう?」
「そうとも」
 男はそう言って久しぶりに笑った。そしてまた旅の続きをはじめたのだ。