タイムマシン-2 '03.01.07


 2000年6月9日にそれは発表されていた?

 迂闊であった。前回の記述を覆す事実があったことを今まで知らなかった。既にタイムマシンがヤフーオークションに出品されてい たのだ。

 内容はネット上の当時の痕跡を辿るしかないので詳細はつかみずらい。しかし、そこには確かに『タイムマシン(本物)』と書かれている。 この(本物)というのが意味深だ。説得力あるし嘘臭くもある。ちなみにこの出品を機にそれ以降同様な出品が相次いでいる。 一例を挙げると、
 『宇宙戦艦ヤマト 初期型(本物)』初期型にポリシーを感じる。
 『タイプマシン』上手い!
 『新鮮!獲れたてピカチュウ!』捕れたてじゃないのか?
 『原寸大ガンダム(実物)』原寸大と(実物)って相反する気が?
 『どこでもドア』ドラえもん繋がりか?
 『タケコプター』おいおい。
 『どらえもん(本物)』本物ならドラえもんだ。
 『ガンダムRX−78(ガンダニウム合金製)』初期型がいいな〜。
 『ドラえもん(試作版)』試作版って印刷物か?
 『超レア!特攻野郎Aチームハンニバル大佐愛用の葉巻』個人的にすごく欲しい。
 『オビワンのライトセーバー』オビワンのという所が逆に邪魔。
 『翻訳こんにゃく(本物)、ついに完成!』ほ、欲しい!!
 『ザク売ります(傷あり)』と言うことは出撃済みか?
 『あけみ帰ってきてくれ』ぎゃはははは。
 『ムサイ巡洋艦』ホワイトベースはないのか?
 『月』実際に土地は売ってたよね?
 『マクロス13』マクロスは知らないんですが13もあるの?
 『地球(ちたま)』ちきゅうでは無いって事だよね?
 『どこでもドア (ジャンク品)』ついにジャンク品登場!
 『篠原重工業(株)製造 98式AV(通称イングラム) 』もう何がなんだか。
 『MS-05 ザクI(旧ザク)・・・・・・★本物 買ってください』これ欲しいな〜。

 ちなみに最初のタイムマシンの最終的な入札最高額は、99,999,991,988,224 円 にまで達している。つまりほぼ100兆円。 う〜ん、個人はおろか、国家予算からの捻出にもかなり無理があるような気がするが、どうも締め切りの20時間ほど前でオークション自体が 遮断されているみたいだ。まっ、当然と言えば当然かな〜。しかし開発費は2000万円(出品者談)とは言え、実機一台の製作費用は20万円 位(同)らしいから、えらい儲けになるな〜やっぱりタイムマシン造りたい。ちなみに、このタイムマシンが果たして本物(偽物)だったのか どうかの確実な所は、最初に書いたが当時の痕跡から推測するしかない。では、当時出品者に寄せられたQ&A等から事実に迫ってみよう。

 まず、動力は家庭用100V電源とある。開発期間は5年との事。ただし、この100V電源は時間移動の際の動力とは無関係らしい。 この100V電源はマシンを起動(電源オン)した状態から移行可能状態になるまで約20秒、それから 移行開始まで2分〜2日くらいかかる とあり、この間に必要らしい。恐らく最初の20秒は暖機時間、2分〜2日とあるのは移行作動回路が移行可能な状態に出力UPするために 必要な時間だと考えられる。但し恐ろしいことにこのマシンはバッテリーを持っていない。つまり起動の際にはかならず100V電源が必要になる。 また搭乗の際には裸にならなければならない位、一切の所持品持ち込みは不可能とある。よって移行した先に100V電源が存在しなければ 帰ってくることが不可能になるのだ。つまり時代設定もさることながら、起動可能地域もかなり限定される事になる。ふ〜ん。

 また、マシンは一人乗りとの事だ。出品者はこれまで7回ほど試乗したとある。正確には書かれていないが、そのどれもが2時間程度の 時間移行だった節が書かれている。ただし、移行の際の体感時間は個人差こそあれ3年程度とある。これはあくまで体感時間であって、 実際に3年が経過する訳ではなく、従ってトイレなどの生理現象も頑張れば耐えられるとある。けれども3年とはあまりにも退屈ではないか? 実際に100年程度以上移行するのであればまだ良いが、数時間の移行に体感時間3年では割に合わない。ちなみに出品者はうつらうつらと 寝たり起きたりを繰り返して体感時間3年を乗りきってきたとあるが、生理現象の心配は要らないのに睡眠は出来るんだ。ふ〜ん。

 また、実際に近未来の出来事について質問した方がいるが、その回答には「「ごく近い将来」に行ったことがないので。申し訳ありません。」との 事だ。ものすごく怪しい回答だがこれだけでは嘘を言っているとは言いきれない。しかしQ&Aの中にはなかなか鋭い質問をする方が いて、どうしてそんなすごいものを造ったのにオークションに出すのか?と聞いた方がいる。確かに普通は特許関連を真っ先に 想像するだろう。これに対して出品者はそれしか思い付かなかったと言っている。これもかなり苦しいが、苦しいと言うだけで別に 矛盾点は見つからない。ただし、ずばり特許のことを聞いている質問にはこう答えている。 「特許については既に、というか将来取得済みですのでご安心を。」ごく近い将来に行ったことは無いらしいが将来に特許は取って いるらしい。ふ〜ん。

 しかし好意的に考えれば特許を取った将来とは遠い将来であって、だからごく近い将来の知識が無いと言えなくも無い。なにしろ 「ドラえもん」の事を「ドラいもん」と言及し、何の事だかよく判らないと述べている。もはやドラえもんの痕跡がほとんど無くなっている 遠未来から来たと考えれば一応つじつまは合う。
 しかし、この後にこの推測を根底から覆す事実が発覚している。この出品騒動からしばらくして同じIDナンバー、同じ出品者名で 「共同研究者募集」のオークション参加があったのだ。ちなみにこの時の出品者談では、前回のタイムマシン出品者騒動は一切知らない と言及している。あくまである機械の開発に関して共同研究者を募集しているとの事であった。実際にこの時には落札者が現れたのだが、 出品者と一度連絡を取り合った後音信不通になってしまった様だ。常識的に好意的に考えれば、同じID、同じ名前を使っている事、 及びタイムマシンについては将来に特許を取得したとあることから、この共同研究者募集の出品者はタイムマシン出品者と同一 人物であり、しかもタイムマシンを開発する前の現代に生きている人間だと言う事は容易に推測される。そしてこの共同研究者を 落札しておきながら、音信不通になってしまった事実は、タイムマシンの開発を一人で行ったとの言及とも一致する。ただし そうすると、先ほどの予測との矛盾が生じる。彼は少なくとも現代に生きている研究者であり、どんなに若くても2000年当時で 20歳程度だったとしか思えない。だから彼が将来タイムマシンを開発して2000年のオークションに出品したとしても 先ほどの「近い将来を知らない」という話とは食い違うのだ。むしろ近い将来しか知らない可能性のが高いくらいだ。

 よってこれらの推察から僕は声を大にして言う。このタイムマシンは本物ではない。と。こんな事を書いている自分が 我ながら色々な意味で空しい。



タイムマシン-1 '02.12.15


 何がきっかけだったのかも良く思い出せない。何だか判らないが、半年ほど前からまとわりついて離れない妄想が頭の中を 渦巻いている。僕はタイムマシンに乗りたいんだ。

 タイムマシンに乗るには当たり前だがタイムマシンが存在しなければならない。そこでとりあえず H.G.ウェルズ著 「タイムマシン」 を買ってきたりもしたがまだ読んでいない。よく考えなくても判るがこの本を読んだところでタイムマシンが作れるとは思えない。なら何故買ってきた?
 タイムマシンに乗るのに一番良い(?)方法は自分でタイムマシンを作ることだ。ではタイムマシンは作れるのか?

 僕の答えはしかしながら「No」だ。理論もへったくれもない。火のないところに煙は立たず、人の口には戸は立てられぬ。 もしもタイムマシンが未来に存在するのならば、そして過去への時間旅行が可能ならば、絶対に「私は未来人を見た」的な 話がもっと大々的に普及しているとしか思えないからだ。同じ論法で僕はUFOの存在は信じる。それは目撃証言の多さだ。 UFOの写真や果ては異星人の写真まで存在する現実はそのほとんどはでっち上げや偽物だとは思うのだが、その手の話が これだけ人口に膾炙している背景には現実にそれが存在しているからだと言うのが僕の解釈だ。同様にして霊の存在も 僕は信じる。その話の大半は嘘臭いとは思うけれども信じるのはUFOと同じ理由だ。ネッシーの話だって僕はある意味信じる。 恐竜の生き残りかどうかは別にして、ネス湖には世界的に有名になる前から地元の人には「この湖には何かがいる」と 言うのはまことしやかに囁かれていた話だったらしい。従って本当に何か巨大な生き物がいたのだろう。それが単に 魚だったのかどうかは知らないが、何かでっかいやつは確かにいたのだろうと信じている。

 だからその論法で行くと残念ながら少なくともタイムマシンで過去へ行くことは出来ないと考えざるを得ない。未来人の 目撃証言が無いに等しい現状がその答の全てだ。えっ?仮に未来人が来ていても、現代人と区別が付かないから気が付かないだけ だって?「俺は未来人だと」勝手にべらべら喋るような輩はタイムパトロールによって厳重に管理されているから判らないだけだって? あんたそれは、SFの読み過ぎだって。仮にタイムパトロールが存在したとして、彼等がその犯罪のどの程度を管理しきれると言うんだ? その言っていることは警察が存在するから犯罪は一件も発生しないと言っているのと同じ事だと僕は思う。人の道徳には頼り切れない いから取り締まる人間が存在し、法の管理には限界があるから犯罪は無くならない。それはタイムマシンを利用した場合だって 絶対に同じに決まっている。

 何だかこう書いてしまっては、タイムマシンに乗りたいと言っているのに初めから身も蓋もない。のっけからタイムマシンは 作れないと結論づけてしまっているからだ。しかしである。この論法には一つの欠陥がある。タイムマシンで未来に行けないとは 言えないのだ。現時点でタイムマシンが完成されたという報告は確認できないため、過去からの旅行者の存在が皆無なのは致し方がない。 しかし、未来のある時点で未来行きオンリーのタイムマシンが完成したとしても、現在ではそれは感知できない。だから未来には 行けるかもしれないのだ。問題は未来に旅行したとて帰ってくる手段が無いことであり、僕は未来の世界は見てみたいのだが 現在には戻ってきたいから、僕自身の使用目的は明らかに達成できない。けれども仮に未来行きのタイムマシンが完成したとすれば それはそれで利用価値はあるはずだ。そんな訳で例え一方通行だとしてもタイムマシンは作れるのだとしたらそれはそれで面白い。 僕にタイムマシンが作れるはずがないとか色々な疑問はこの際一切考えるのは止めて、タイムマシンについてちょっと色々と 考えてみたい。そんな訳で、次回から僕のつたなくもアホな妄想について、時折書いていこうかなとか考えています。 我ながらアホちゃうか?とも思うのですが、こんなシャレは僕の人生の基本コンセプトなもので。



サクマ '02.12.11


 ダン♪ダン♪ダンロップ♪サクマ〜のダンロップ♪…?

 昨日からこのフレーズが頭から離れない。子供の頃にテレビで見たサクマの缶ドロップスのCMソングのはずなのだが ダンロップって何だ?それじゃゴムの名前じゃないか。サクマの缶入りドロップを舐めたらゴム味だったなんて聞いたことないぞ?
 気になったのでさいに聞いてみたらそんなCMソングは知らないと言う。どうも30才を超えていないと記憶にないらしい。 そこで30を超えている友人に聞きまくったら、ダンロップと答えた人間3割、キャンロップと答えた人間3割、曲は覚えているけど 判らないと答えた人間2割、そんな歌知らんと答えた人間2割だった。どうでもいいが、
 「ほらあの、サクマのドロップの昔のCMで、ダン♪ダン♪…って聞こえるやつ」
 と説明しながら歌っている自分は今思いだしても何だか情けない。

 子供の頃のことだから、言葉の意味なんてどうでも良くて耳に聞こえた音をそのまま口ずさむ。故にダンロップだの キャンロップだのになるのだろう。正解が判らなくて気持ち悪いがサクマの缶ドロップスの宣伝だから恐らく、
 カン♪カン♪カンドロップ♪サクマ〜の缶ドロップ♪と歌っていたのだろう

 ところで僕の記憶にあるサクマの缶ドロップは緑色が主体の缶だった。ところがさいの記憶では赤白の缶であり、そもそも サクマドロップではなくて、サクマ式ドロップだと言う。何だかサクマ式とか言われるとガンダムみたいでちょっと格好いい。
 からからと缶を振ってハッカ味が出てくると元に戻してもう一度振る。ブドウ味やイチゴ味だとそのまま舐める。チョコレート 味だとしばらく考えてから舐める。パイン味だとラッキーだ。しかし喜び勇んで口に入れると実はハッカ味だったりして 目を白黒させたりもする。故に最後にはハッカ味の白いドロップばかりが残る。僕はそのハッカ味を
 「これは舐めると頭が良くなる味のドロップだ!」
 と言って、いつも弟に舐めさせていた。弟が未だにハッカ嫌いなのとこの事が関係あるかは定かではない。

 それにしてもサクマドロップとサクマ式ドロップって一体どういう事なのだろうか?SAKURAドロップはこの際多分あまり 関係がない。
 え〜と、調べてみたら驚いた。何と会社が違うのだ。てっきり一つの会社かと思っていたのだが。 何でも戦前は一つの会社だったものが、戦後の混乱で元の社員が別々に2つの会社を立ち上げてしまったらしい。それで 「佐久間製菓株式会社」が戦前からある「サクマ式ドロップス」を継承し、「サクマ製菓株式會社」が「サクマドロップス」を 新たに発売する事になったらしいのだ。いや〜知らなかった。ちなみにサクマ式ドロップスは
 こんなやつ
 サクマドロップスは
 こんなやつ
 です。戦前のものは
 こんなやつ
 で、これはジブリでも出てきますね。あと番外で
 こんなやつ
 も有るようです。非常袋にでも入れておくのでしょうか?ビタミンC配合って言われても…



Forget-me-not '02.12.09


 尾崎豊の歌が好きだった。
 高校3年の時、友達のつきあいで入ったレコード店で聞いた「Forget-me-not」。それが僕と彼の音楽の 出逢いだった。ちなみに、このシュチュエーション…スチエーション?…シュチエーション??あっ、シチュエーションだ。は映画「LOVE SONG」2001 監督・脚本 佐藤信介(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 101min. と全く同じである。後述するが、大学の友人のタカキも全く同じだったらしい。どうもこの歌には流れているだけであるタイプの 人間を立ち止まらせる力があるようだ。

 当時の僕は、音楽はほとんど聴いていなかったと言ってもよい。もともと「音」人間ではないのだ。もちろん音楽は聴くけれども いつも歌詞の方に関心が向いてしまう。だから当時の音楽性は洋楽に数十段劣るアイドル路線まっただ中の邦楽はほとんど 聞く気になれず、洋楽は意味がすんなり入ってこないのでもどかしい。加えて一応受験生だったこともあり、 佐野元春の古いLP以外を聞くことはほとんど皆無に等しかった。

 尾崎豊は以前から一応知っていたし、テレビのプロモーションビデオも目にしていた。だけどペンキが次々浴びせかけられ、 のたうち回る彼を逆回しにしているそのビデオを見た感想は、「気持ちの悪い映像だな」というものだった。だから 初め、この歌と尾崎豊が結びつかなかった。

 大学でタカキと連むようになったのも、彼が尾崎豊を好きだと知ってからだった。当時、尾崎豊の音楽は異端視されている節が あり、またその「字余り」の旋律と、「語りかける」歌詞を敬遠する人間は多かった。要するに、音楽が好きな「音」人間 には尾崎豊の曲は耳障りでしかないのだ。だけど、僕みたいに歌詞に関心が向く人間にとって尾崎豊は強烈なインパクトを放っていた。 そして彼の放つ苛立ちにも似た悲しみは、一種異様でさえあった。恐らく同じ種類の苛立ちや悲しみを持ち、同方向の感受性を持って いなければ彼の曲は理解出来なかったのだろう。だから彼の音楽が一般には受け入れられないのは良く理解できたし、逆に、彼の 音楽を好む人間は、趣味が合うと言うレベルを超えて、当時の感覚ではそれだけで何となく信頼できるような気がしたのだ。

 ある時、タカキとお互いに買って間もない尾崎豊のCDの話を学校の図書館でしていた。そのCDは尾崎豊が刑務所から出てきて 最初に出したアルバムであり、僕らにとってはある意味待望の一枚だったのだ。そこへ及川さんと小川さんがやって来た。 当時、タカキは小川さんが、僕は及川さんが気になる女性だった。僕らは結構一緒に連んでいた、まあ仲の良い4人ではあった。

 「二人とも尾崎豊が好きなんだ」
 及川さんが言った。
 「そうだね、二人とも『Forget-me-not』にひと聞き惚れしたんだぜ」
 僕が言った。そう言いつつ僕もタカキも彼女たちが尾崎豊に対してどういう反応を示すのか、 何となく不安でもあった。
 「ふ〜ん、どんな曲なの?」
 小川さんの問に僕らは少し戸惑った。
 「どうって言われても…説明するのは難しいな〜、興味があるなら貸そうか?」

 そんな会話があって、僕とタカキは次の日に尾崎豊の「壊れた扉から」を持ってきて、それぞれ及川さんと小川さんに 貸した。
 貸した次の日にタカキが僕に言った。
 「小川さん、もうCD返してきたよ。全部聞いたけどあまり好きな音楽じゃないってさ」
 「ふ〜ん、まっしょうがないね。残念だけど」
 「それにしても、一日で返すかな〜?何だかショック」
 「…」
 「及川さんはまだ、津村に返してないだろ」
 「…ああ」
 「いいよな〜じっくり聞いてくれてるんだな〜」
 「…」

 結局僕のCDは2ヶ月ばかり彼女の手元にあった。タカキはああ言っていたけれど、僕は実は タカキがうらやましかった。だって一日で返してきたと言うことは、気に入らない内容だったのは しょうがないけれども貸してもらってすぐに聞いたという事だ。僕のCDは彼女の所に2ヶ月もあったけれどもその間彼女から尾崎豊の 話がでた事は一度もなかった。要するに、最後まで彼女は僕が貸したCDを聞かなかったんだと思う。

 「及川さん、2ヶ月もそのCD借りてたんだ、よっぽど気に入ったんだな〜尾崎の事」

 タカキはうらやましそうにそう言ったけど、僕は余程タカキの方がうらやましかった。だって、好きでもない歌手のCDを 借りたその日に全部最後まで聞いたんだぜ。僕のCDは2ヶ月間ほっとかれただけだ。

 尾崎豊の「Forget-me-not」(わすれな草)を聞くと、僕は今でも思わず苦笑いになる。



時間旅行機械考察道逸脱前期量子論 「勝手に一人雑文祭」参加作品 '02.11.23


 一九二七年の祖留米会議は、派以前部流具、母亜、出楽、度風呂威、派瓜、簿流、負欄区、阿印種他印、種宇蓮泥賀、が同席している という興味深い事実がある。これはつまり黒体放射と紫外発散、光電効果、輝線術区捕留の古典物理参拾年戦争を終局させた由縁でもあり、 量子論の確率解釈に於ける、母亜-阿印種他印戦争の幕開けをも意味する。

 松楠植瑠の理想気体を電磁波の波として考えた怜悧寺院図は、紫外発散により焚き火で暖まることさえ出来なくなった。羽印は逆に 赤外線が大嫌いになった。しかし負欄区をして不連続な得寝義威達を考えたときに周波数が高いと当分配され、発生する波の数が減り 放射光は弱くなり、紫外線の発散は止まった。怜悧寺院図は欣喜雀躍して暖炉に火を入れたという。そんな不連続な定数がつまり、 零.零零零零零零零零零零零零零零零零零零零零零零零零零零六六弐六である負欄区定数だ。

 例菜戸は、光が明るければそれは基底から励起が強い電子だと思っていた。だけど阻止電圧なんか測定しなければ良かったと 後悔しても先に立たず、しかも周波数しきい値は彼にとって断崖絶壁となる。ここで阿印種他印はむしろ羽印の事実から、光は粒子でも あるとして問題を簡単にしてしまった。簡単なのは良いことだ。頭の固かった粍巻は、簡単なのが嫌いで何とか難しくしようとしたけど、 結局苦労して簡単である事を証明した。

 母亜は、場瑠真の数学遊びと裸座府緒度の後方散乱により原子構造の幕を開けた。それは軌道の量子条件に始まり、量子論的な 遷移条件を導いた。そいて損魔増得瑠斗や是絵漫、そして偉大なる大天才派瓜により軌道の形や大きさ方向、そして回転方向、排他律 が見通される事になる。しかしここに大きな問題が残ったことは否めない。光は果たして粒子なのか波なのかはたまたそれは融合化。 度風呂威の意見は粒子は波の様に振る舞うという事だった。量子論の本質はある周波数に対応しない得寝義威を考えないことにある。 つまりはそこから周波数を粒子の内部周期運動ではなく、内部運動と位相が同期する付随波として扱った。つまり位相速度と群速度を 持つ杯路津斗波の誕生であり、これにより今日異音中に放たれた光、つまり蛍光灯の中の光が滝音として過去へ旅立つことが 阻止されている。また、彼は光の波長が短くなるとき個々の粒子は大きな運動量になるとも考えた。これは後に派以前部流具の不確定性 原理の基礎となる。

 さあさ困った驚いた。最初は上流図の他医務間芯について書こうと思っていたのだが、何がどうしてこうなった? 私はどうしても未来に行って帰ってきたい。だから阿印種他印を否定するつもりだったのに。大体何億侍医もの重力場に 入れる訳がない。輪亜無補緒留を捜すのか?あいや、こいつも同じだ、あっという間ぺしゃんこだ。何がどうしてこうなった。 これでは只の量子論の幕開けだ。

「勝手に一人雑文祭」
縛り
1. ナルシスティックに専門用語や横文字を駆使する。
2. 自身の創作的表現を用いてさらに難解に見せ掛ける。
3. 自分で書いている文章を自分でも理解していない。
4. 意味が理解されたら負け。


よーするに適当。



かげろう かげろう雑文祭参加作品 '02.11.15


 1993年の出来事を、僕が普通に振り返えられる様になるまでには、2年という時間が必要だった。
 そして未だに、全く冷静でいられるという訳ではない。



 今想い返してみれば

 あの頃の僕らにあったものは

 君がこの唄を歌った様に

 『かげろふ』という名のものだったのかも知れない…



 後ろめたい思いとか、あたたかい思いだとか、思い出したくない記憶だとか、忘れられない風景だとか、言葉で言ってしまうのは 簡単だ。けれどもどれ一つとして、あの出来事を正確には言い表せない焦燥が僕の中から消えずにいる。

 『愛』というものの意味も知らずに、僕は人を愛することが出来るのだろうか?愛しているというその言葉さえも、全ては 僕の創った錯覚でしかなかったんじゃないのだろうか?僕はまるで正義のヒーロー気取りで、君を守る事が当たり前の様に 感じていたけれども、結局はそれすらも僕が求めた僕だけの安らぎを得るために演じていただけじゃなかったのか?



 君が泣いているのを見るのが

 何よりも僕はつらかった

 他のどんな時間よりも

 僕は君の笑顔がほしかった…



 僕には未だに『愛』の形が判らない。けれどもそもそも愛には決まった形なんてあるのだろうか? そこに愛があればそれが既に愛の形だったとしたら、その形の幼さを、稚拙さを、一体誰が責めることが出来る?僕が欲しかったのは まごう事無く君の笑顔だ。たわむれにも僕を満たすその微笑みだけだ。けれども、それを欲しがることが何故いけない?例えそんな僕の一途過ぎた想いが、君の笑顔を 妨げていたのだとしても。



 けれども、あの時君は

 確かに一生懸命生きようとしていたし

 僕は僕で

 まるで初めて恋をした中学生の様に君を見ていた



 見えなかった理(ことわり)が、見えるようになった時、その全ては手遅れになっていた。それはまるで僕をあざ笑うかの 様に、手遅れになるのを待って現れたみたいだった。
 僕が見る事の出来た君の影は目に見えて薄くなり、それに反する様に、僕の中の戸惑いは膨らむ一方だった。だから僕は、 いつも力いっぱい君を抱きしめた。ただそれだけが、あの時の僕に出来た唯一の逃げ道だった。
 僕は時折、君の幼さに非道く苛立っていたけれども、そんな僕の幼さにまるで気が付かなかった事が若さと いうものの核心なのだろう。



 19の歳に初めて恋をした君のそれは

 あまりにも不器用で

 手を触れると、たちまち壊れていってしまいそうな

 そんな危うさを隠しもっていたから…



 1993年という年を考える時、そのあまりの目まぐるしさに僕は絶句する。書きかけていた論文はとん挫し、 2度の学会発表は容赦なく僕をせめ立てた。険悪になった教授との関係を修復するのには嫌気がさし、事実、博士課程に 進みたいとの希望は議論の余地もなく断られ、僕は自力で就職先を見つけなければならなくなってもいた。
 彼女から届いた一通の手紙は、そんな全てに背を向けていた僕への最後通牒だったのかも知れない。その手紙を受け取った時、 僕にはまるで現実感がなかった。初めは手紙の内容すら理解できなかった。やっとその意味を理解した時、僕の中で積み重ねて 来た5年という歳月が音をたてて崩れ落ちていくのを感じていた。

 そして僕は、その手紙にさえも背を向けた



 僕にとって

 あの五年間の意味は

 まるで『かげろふ』の様に通り過ぎていった歳月の意味は

 いったい何であったのか…



 もしもあの時、その手紙に背を向けていなかったら、僕の今は変わっていたのだろうか?思うほどの変化はなくとも、 多少なりとも違ったものにはなっていただろう。もしもとか、仮にとか、過ぎてしまった事を仮定するのはそれほどたやすい。 けれども、僕があの時背を向けたのは事実だし、あれ以外の行動は当時の僕には取りようが無かったはずだから。 背を向けるのは一番楽な逃げ道だったし、僕はそうして二十数年を過ごし続けていたのだから。 仮に未来に少しの変化があったにしても、それは結局、結論を数年引き延ばす以外の何物でもなかったはずだから。
 だけど、あの時背を向けたことによって、その後に少しの時間は必要だったけれど、僕は逃げることの結果を考える力が 付いていた。逃げるのは簡単だったし、楽だったけれども、その結果僕には何も残らなかったから。まるで『かげろう』の様に 全てが目の前をふわふわと通り過ぎていっただけだったから。



 あの時君が、僕にくれた最後の手紙は

 一番辛く、そして一番優しい君の

 精一杯の僕への想いだったんだと

 今はそんな気がしている



 背を向けることはたやすかったけれど、その後はずっと背を向け続けなきゃいけない。だからいつも、僕の欲しがる全ては 目の前を『かげろう』の様に、届きそうな所で儚く消えていってしまう。
 『かげろう』の儚さは、ある意味とても美しい。その美しさ故に僕は甘美な世界だけをとらえ続ける事が心地よかった。
 けれども、今は少し泥臭くなった自分の存在や考え方が、そんなに嫌いじゃない自分がいる。




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