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有閑倶楽部 '07.11.01
『有閑倶楽部』は、我々の世代には馴染みが深く、『一条ゆかり(敬称略)』が1980年代前半から『りぼん』〜『コーラス』等に書いていた、
お金と閑をもてあました文字通りセレブな高校生6人組みの、今読むとかなりバブリーな匂いの強い作品である。ちなみに初期の頃は作品中の時間軸を意識していた様で、
進級してしまう彼らを留年させて、無理やり高校生を続けさせようとしていたふしもあるが、途中から季節感はともかく時間軸に関しては『750ライダー』状態となった。
作品は秀逸で文庫だが僕ももっているが、最近これを原作にしたドラマが『 KAT-TUN 』 主演でテレビ放送されている。けれどそもそもカトゥーンなんてこのドラマで初めて名前知った位で、
まあドラマに関しては興味も無かったし、妻が 見ている横で少し眺めたが、内容はハッキリ言うとコメントのしようが無い。所が、見ていてかなり凹んでしまった事があった。
実は、今僕は大型自動二輪の免許を取ろうと教習所に通っている。よく判らない人の為に少し説明すると、自動二輪(所謂オートバイ、バイク)には免許の 区分が幾つかあり、一般的に『バイクの免許』と言うと普通自動二輪の事を指し、これは排気量400cc以下限定の免許となる。これより大きな排気量のバイクに乗ろうと思ったら 大型自動二輪の免許が必要で、H7年の法改正の前は教習が認められておらず、試験場の一発試験で取るしか免許取得方法が無く超難関であったが、先の法改正により、教習が
可能となり、現在ではお金と体力さえあればそれほど取得が難しい訳ではない。
かく言う僕も、一度は大型自動二輪に乗ってみたいという誘惑が強くなり、何とかお金(普通自動二輪&普通自動車の免許を持っていれば11万位で取得可能)の都合をつけて 教習所に通い出した訳だが、普段バイクに乗っている身としては免許を取ったら乗ってみたい大型バイクというものが当然ある。金銭的なものやその他もろもろの条件はあるにせよ、
そういうの一切抜きに考えてただ純粋に僕が一番乗りたいと思っていた大型自動二輪は
『TRIUMPH Scrambler :イギリス \1,228,500』
だったのだ。
もともとスクランブラーと言う名称は、バイクにまだオフロード車と言う概念が無かった時代に、オンロード用のバイクのマフラーやハンドル等をオフ仕様に
乗りやすくカスタムしたタイプの総称であり、スティーブ・マックウィーンが『大脱走』で乗っていた事でも有名だ。
上記の『スクランブラー』はトライアンフ社伝統のバーチカル・ツインに、キャプトンマフラーを採用したレトロスタイルを再現した『ボンネビル』(カワサキのW1、通称ダブワンの お手本となったバイク。ちなみにカワサキからもダブワンの復刻版として現在W650及びW400がラインナップされています)をスタイル変更したもので、
排気量:865cc
最大出力:57PS /7,000 rpm
最大トルク:69Nm/4,500 rpm
と、排気量に比して馬力(PS)は、国内で普通に手に入る400ccネイキッドの53馬力と殆ど変わらず(国内市販ネイキッドの750ccだと70馬力位)小さいですが、低中回転を強く 意識したトルクの太さに大きな魅力があり、実際に日本の一般道を走る分にはこちらの方が適しているのではないかとも思います。
僕がスクランブラーに強く引かれていた訳は、上の様なバイクの特性の他に、柵超えをしたかった…訳ではなく、
@スペックの割には値段が高めで、若造はあまり興味を示さない(興味があっても買わない)と思われた
A外車に金銭的にも興味を示せる中高年層バイク好きには、ハーレーやドカッティの方が人気が高く、あまり興味を示さないと思われた
B中高年層でハーレーやドカッティよりもおしゃれ感覚にバイクを選ぶ人にはBMWの人気が高く、あまり興味を示さないと思われた
などの考えから、乗っていたら目だってカッコいいじゃん!!おしゃれだし!!道行く人が、
『おっ?あのおやじの乗ってるバイク見たこと無いな〜何てバイクだろ?とらいあんふ?何だかおしゃれだな〜』
となると思っていたのですハイ・・・。実際に今まで乗っている人を僕は街で見たことがありませんでした。
雑誌以外で唯一見たのは(乗っているのとは一寸違うが)少し前のJRAのコマーシャルで一瞬写っていた気がするのですが、どのレースのCMだったのかも判らんし(競馬には 全く興味が無い)、そのCM自体一回しか見なかったので、本当にスクランブラーだったのかどうかも今となっては判りません。ただ、緑/白のスクランブラーの前輪側半分位が 一瞬見えた様に思います。
大分長くなったが、それなのに、ああそれなのに、『有閑倶楽部』のドラマで『魅録』君が『スクランブラー』に乗っているじゃないですか!?!?
いや、ドラマの設定自体はセレブな高校生ですから確かに『トライアンフ』は如何にもです。でもね、なにも『スクランブラー』じゃなくたっていいじゃないですか!!
どうせ乗るなら『ワンテンタイガー』とか乗ればいいじゃないですか!!そっちの方が漫画の『魅録』君っぽいし。
これじゃ、もし免許をとって『スクランブラー』乗ってたら、ドラマ見ていた若造に
『なにあのおやじ、いい年してカトゥーンかよ?何考えてんだ?かっこわる〜』
となりそうです。そんな訳で少し凹んでます。ハイ。
インドネシア 3/cincin '07.08.23
それなりの日数が経ちインドネシアの記憶も薄れつつある。
それでも予告しちゃた以上、律儀にまたもやインドネシアの事を書こうとしている僕は結構エライと思うので誰か褒めて下さい。
インドネシアの人間は概して人懐っこい。ジャカルタあたりだと既に都会人特有の冷たい感覚があるのは仕方が無い事だけれども、 まあそれでもやっぱり彼らは人懐っこい。けれども意外とこずるく変にずうずうしいところもあるので是非見習いたいと思ったりもする。
彼らと話をしていると、僕の年齢からか、大体「子供は何人居るのか?」みたいな話になる。答えると「写真はあるか?」と続けてくる。 僕も出張には子供の写真をもって行く程度は親バカなので写真を見せる。すると必ずと言ってよい程「この写真をくれ」と言われる。
初めに言われた時は『変な事を言う奴だな〜誘拐する気でもあるまいし、人の子供の写真をもらってどうするんだ?』と言った人間の感性を疑ったのだが、
この展開から写真を見せるとほぼ100%「この写真をくれ」となる。どうもこれは普通のインドネシア人の感覚らしい。写真が珍しいのかどうか知らないが、
未だに意味がよく判らない。
僕は開き直るしかないが英語も満足には喋れない。第二外国語だったドイツ語は全く喋れないし喋る気も無い。それなのに会社で派遣社員が喋るスペイン語や ポルトガル語(この二つは結構似ているからトドベン)、出張で行く中国語(主に北京語)やインドネシア語が頭の中でごちゃごちゃになっていて、もう何が何だか
サヤティダビサバハサインドネシアプーミンバイチュンコーイー。
ところが語学のセンスはともかく、ベンキョウもしていないのにある種の単語だけはやたらに頭に入ってくる。例えば「丼ぶり」みたいなお椀の事を インドネシア語では「mangkok」と言う。インドネシア語の発音は基本的には英語と違いローマ字読みで良い。語末のkは殆ど発音しない。ngは鼻にかけて弱く音を出す。 従って、「mangkok」は「ま○こっ」になる。日本人にはどう聞いたって「ま○こ」にしか聞こえない。現地工場の現製造部長(現地人)が20年近く前の新人の頃、 研修生として日本の工場に来た時、食堂のおばちゃんに「お椀を下さい」と言おうとして思わず「ま○こっ下さい」と言って悲鳴をあげられたらしい。ちなみに
彼はとても真面目な人間だが外見はボビーオロゴンみたいな奴である。
同様に、「指輪」の事は「cincin」と言う。まあそのなんだ、「ち○ちん」だ。
ワーカーレベルの女の子だとまず指輪などしていない。ところがある時一人の女の子(多分20歳位の結構可愛い子)が見た目高そうな指輪をしているのが目に付いたので
思わず「それ幾らだ?高いのか?」と聞くと、「マハル!15万ルピア!」と答えた。「高い!\2,000もした」と言う事だ。ふ〜ん\2,000だと高いのかと思ったので、
続けて「ソウダラ スカ cincin?」と聞いたのだが、言った後に思わず『う〜ん、エッチだ 日本人には「お前、ち○ちん(指輪の事だよ)好きか?」にしか聞こえんな〜』
と考えていると「ヤー、サヤ スカ cincin!(ええ、私はち○ちん(だから指輪だってば)好きよ!」と満面の笑みで答えて来た。ハッキリ言うとその顔が
『買ってくれるの?』と言わんばかりである。そこで思わず「そうか、そんなにち○ちん好きか!欲しいか!ち○ちん欲しいか!!俺のでいいか!!?」と 言いそうになってしまった。まあそんな会話もある意味楽しいが、結局は本当にcincinを買う羽目になりかねないので注意が必要である。
結局何を言いたかったんだか、まあその、ごめんってば。
インドネシア 2/bandara '07.07.26
インドネシアへ行くにはビザが要る。
もちろん日本でも取得出来るが、スカルノハッタ空港(ジャカルタ)でも取れる。
(JALの場合)飛行機を降りて、人の流れに沿って歩いて行き、大きな?通路に出たところで左に曲がると直ぐに通路の両端にビザ取得カウンターがある。確か黄色い看板が出てて、
空港の案内人には見えない案内係っぽい人がそこで「ビザ〜なんたらかんたら」と叫んでいる事が多い。
ちなみにビジネスクラスにでも乗れれば飛行機から早く降りられるので問題ないが、そういう訳にもいかないので、僕の場合飛行機から降りたらひたすら早歩きで
このカウンターまで来る。出来れば走りたいくらいだが流石にそれは大人気ない。このビザ取得に結構時間がかかるのだ。悠長にのんびり歩いて行くと、 カウンター前は長蛇の列。間が悪いと片方のカウンターが閉まっていたりする。そうなればここで一時間位並ぶ羽目になる。
順番が廻ってきたら最初の窓口で何か聞かれる。多分「何日滞在するのか」?みたいな事を言っているのだろう。滞在が7日以下なら10US$、30日以内なら25US$をここで払う。 それ以上の滞在については僕は知らない。滞在が2週間であれば、聞かれた時に「トゥ〜ウィ〜クス」と言って25$出せば、「Oh! two weeks!!」と言ってビザをくれる。
何で「Oh!」と言うのか判らんが、僕は毎回そう言われる。ちなみに本当かどうかは知らないがここではUS$以外受け取ってくれないという話だ。持ってなければ成田で両替しておく必要がある。 更にちなみに「トゥ〜ウィ〜クス」と言って10$札3枚出すと、多分お釣りの5$を寄こさない。文句を言うと5$帰ってくるが、黙っていると当たり前の様にピンはねされる。気の弱い人だと5$損する羽目になる。
成田で両替の際は、1$札5枚を入れておいて貰った方がいい。間違っても金持ちぶって100$札など出してはいけない。
貰ったビザは隣の窓口へパスポート共に出すと処理してもらえる。
そのまま歩いて行くと今度は入国手続きとなる。ここでもまた並ぶ羽目になるが、まあそんなに長くは掛からない。ちなみに夜も遅い時間で最後の一人状態になったりすると、入国管理人が
「おみや〜げ」と言って手を出したまま手続きをしてくれなかったりもする。ここで「お土産」を払う道理は全く無いが、気の弱い人だとまた100$位損する事になる。黙〜って5分くらい下を向いて言葉が 通じない振りをしていると相手が根負けして多分手続きをしてくれる。
また、場合によっては、「このパスポートは使えません」みたいな事を言われて、「1万5千円払ってくれたら、私は偉いから私の権限で通してやる」みたいな 事を言われたりもする。パスポートを偽造した覚えがなければ勿論金など払う必要ないが、下手に交渉すると相手の思う壺になりかねない。やはりここは、
言葉が通じない振りをするのが一番いいと思うが、全く持って保証の限りではない。
以前、入国カードを指差して何かいちゃもんを付けられた事があり、何と言ってるのかよく判らず、名前を書けと言っているみたいだったから、 指差した所に自分の名前を書いたら相手が激怒した。「あれ?」っと思ってよくよくカードを見たら、インドネシアの滞在地名(ホテル名)を書く欄だった。
無事?に入国手続きを終え、荷物を受け取ると手荷物検査だ。ここでは機内にあずけた荷物はX線に通す必要は無い。手荷物だけで良い。僕は初めての時、機内荷物を載せようとしたら
係員に手荷物を指差して何か言われた。何と言われたかよく判らなかったので、「アイシ〜、アイシ〜」と言ってそのまま荷物を載せたら何だか係員が不機嫌になった。 後で聞いたら、手荷物だけ載せれば良かったためだと判明した。
ちなみに機内荷物にでっかくチョークで印をつけられている事がある。「なんじゃこりゃ?ひで〜な〜」と思ってそのまま進むと荷物をあけさせられる事になる。
チョークは重量などが大きさの割りに怪しかったりすると開封検査をせよとの印らしい。面倒くさかったり、ご禁制の品を持ち込もうとしていた場合等は、見つからない様に
こっそりコスってチョークを消してしまえば、そのまま通して貰える。機内荷物のカバンの生地は落書きされたチョークが消しやすい素材を選んでおいた方が 何かと便利かもしれないが、全く持って保証の限りではない。
もっと色々書こうと思ってたんだけど、また長くなっちゃたんでまた今度
インドネシア 1/kecoa '07.07.21
そんな訳で、またインドネシアに行って来た。
もちろん仕事でね
最近日本の景気は上向きらしいが、僕は絶対にそんな戯言は信じない。大体この低金利をいい加減に何とかしてもらわんと、円レートはどんどん 悪くなるじゃないか、バカ。
そんな訳で海外出張に行く度にホテルのグレードがどんどん下がってくる。その内出張の際に寝袋が支給されるんじゃないかと本気で心配になってくる 今日この頃。
けれども今回の出張では、なんとホテルの部屋に冷蔵庫があった。「何を当たり前な…」と思うかもしれないが、僕の場合全然当たり前じゃない。 インドネシアの様な南国で、部屋に冷蔵庫があるのは結構重要な事だ。円レートの悪さにホテルのグレードが伴う様な出張を強いられる会社に
勤めていたりすると、夜に気軽に出歩くような資金は殆ど無い。あっても僕の語学力の問題でどっちにしろ部屋にこもらにゃならんだろうという事はこの際 気にしないでおいてくれたまい。
従って、スーパーなんかで飲み物を買い込んで来て夜中に飲んだりする訳だが、この際の冷蔵庫君の重要性は判って貰えるだろう。えっ?判らないって?大体どんなに喉が渇いてたって水道水なんか飲めませんよ?日本じゃあるまいし、運が良くて腹を壊します。
運が悪いとコレラかなんかで死にそうな目に逢います。場合によってはホンとに死にます。何だったら今から冷蔵庫に入っているビールなんかを全部外に出しておいて、月曜日に会社から帰ってきたら、
縛り@水道水は絶対に飲んではいけません。
縛りA飲み物は冷蔵庫から出したものではなく、常温下にあるものしか飲んではいけません。
縛りBこれを実践する日は、最高気温が少なくとも35℃を超えている日に実行する事。南国だから。
を実践してもらえるとどんなに冷蔵庫君が愛おしいか判って貰えると思います。
そんな訳で部屋に入って冷蔵庫を目にした瞬間、感動のあまり立ちくらみを起しそうになりました。人生悪い事ばかりじゃ無いな〜と。こんな事で感動できる
自分はすごく安上がりの様な気がしないでもないですが、まあスカルノハッタ(空港)でビザを取得するのに長い事並ばにゃならんイライラも少し 和らいで、早速冷蔵庫君を「かぱっ」と開けて見たら、いきなりゴキブリ君と目が合ってしまいました。やはり人生山あり谷ありトラップありです。
まあ、インドネシアに常駐でもしてれば「ゴキブリin冷蔵庫」位では動じないんでしょうが、出張ベースの初日では十分に動じます。以降その箱は
二度と開けませんでした。しかし最初から無いなら諦めもつきますが、 冷蔵庫の形をした箱が部屋にあるけど使う気になれないというのは精神衛生上宜しく無い。お蔭様で僕の精神力レベルは既に40は越えていると思います。
蛇足ですが、経験上こんなケースでクレームをつけて部屋を変えてもらっても99%事態は変わりません。変えてもらったその時間にたまたまゴキブリが目に付かなかった
部屋をあてがわれるだけです。
もっと色々書こうと思ってたんだけど、長くなっちゃたんでまた今度
時間よ止まるな '07.07.10
時計の針が止まって見える
気ばかり逸り 世界がそれについて来ない
好きこそものの上手なれ 文なんてものは書き込んでいるうちにこなれて来る。誤字脱字の多さは性格上どうにもならんがな。
たまに掃除なんか始めると、昔書いていた日記まがいの帳面なんぞが出てきたりする。人には見せられたもんじゃないが、自分で読む分には懐かしくこそばゆくも
束の間の想い出の中に心地よい。
上手いか下手かと言えば、どうしようもなく下手な20年前の自分の文。けれども思いつくままを書き散らかしているのは決して嫌いではない文。
時々嫉妬を感じる位に、気持ちが素直に乗っている文。冒頭の2行。今の僕には書き切れない。今素直に書いたら
時計の針が止まって見える
じれったいったらありゃしない
がいいとこよいとこ関の山。もっとも冒頭の2行もそれ以降10行ばかり続く「君」に会えないもどかしさ(多分日曜日か何かに書いている)を綴った「詩」はなんとも頂けないがな。
書く事が夢ですらあった日々の文は、今の文と明らかに違う。書くことが楽しかったり悲しかったり辛かったりした文には、書く事の諦めも書くことの苦痛の欠片の気配すらない。
色々と諦めたり、色々と言い聞かせたり、色々と折り合いをつけたり、自分を貫き通した結果の意味を思い知ったりした文は、感情を少しコントロール出来る様になった分だけ穏やかなり。
そういうことを良いとか悪いとか、とがっているとか丸くなったとか、こだわる気持ちは無いし、そういうこだわりをなくした事まで論じていたらきりが無いけど、とがった気持ちのままのその手で
子どもを抱けやしない事だけは確かに判る。
そんな訳で、明日からまたインドネシアに行って来ます。
もちろん仕事でね
マヨネーゼなんてシラネーゼ '07.06.30
『えいご漬け』(任天堂DS)を買ってきた。
理由は話せば長くはならないが、英語が苦手だからだ。
どの位苦手かというと、街で突然英語で話しかけられた時に、周りの人に自分が一瞬でもかっこよく見えるように、20年位前に、
”あいむそ〜り〜、ばっとあいくどぅんときゃっちわっちゅ〜せっど、ぷりーずすぴ〜くも〜すとすろ〜り〜”だけ 必死に暗記した位は苦手だ。20年前の暗記なので、すでにどこかにぶんぽ〜あるいはたんごの間違いが生じているかも知れないが、それすらよく判らないくらいには苦手だ。
この20年でこのフレーズを使う機会が3度程あったが、3回ともこれ以降の会話については思い出したくない位には英語が苦手だ。
何より、ふと目にとまったこの手のソフトを買おうかどうしようか見るたびに少し迷う人と、同じ程度には英語が苦手だ。そしてついに買っちまった程には
英語が苦手だ。
話は飛ぶが、DS本体は、遊びに来た甥っ子が持っていたのを見て、妻に「俺も欲しい!!」と上目遣いで笑いながら言ったら「買えば?」とお金をくれて、
びっくりしながらも、妻の気の変わらないうちに走って買いに行ったものである。走りながら、何事も言ってみるもんだという思いと、どうせだったら、DSじゃなくて 新しいバイクと言えば良かったかもという思いと、でもバイクは高いから無理だったろうなという思いが入り混じっていた事を、DSを見るたびに思い出す。
しばらく『えいご漬け』をやっていたら、突然 "I love you"をDSの音声に続いてマイクに向かって発音しろと命令された。言われた通りにしたら、次にゲームを開始した時に、 録音された私の声で”あい〜らぶゆう〜”と来たもんだ。何の心の準備もなしに、自分の声で唐突に告白されるのは、かなり滅入る。開発者ももう少しその辺を考えて欲しい。
どの位滅入るかと言うと、男性用の小用のトイレで、他にも便器がいっぱい空いているのに、何故か後から来た人が直ぐ隣の便器で用を足し始めて、そこはかなとなく ホモっぽく気が滅入る位は気が滅入る。
バンジル '07.05.01
インドネシアに行ってきた。
仕事で
ナシゴレンは美味かった。
前回に引き続き、バンジル攻めにあった。
最初に覚えたインドネシア語は「バンジル(洪水)」
イエス、バンジル、パナスバンジル、ティダアダバンジル! スラマッパギバンジル! アダアパバンジル!サヤボ〜レピンジャンコ〜レックアピバンジル!
濁流の中を泳ぐのは「いい経験だったね」とか言われても返答にこまる…というか殴って良いですか?
今回のホテルは陸の孤島とはならず、テレビも映った。
映ってもインドネシア語は判らないし、英語もよくわから無いし、サッカー見てるだけ
よくよく洪水に縁がある様だが、ローカルにそう言われるとやっぱり返答に困る…というか泣いていいですか?
ジャカルタの交通事情は深センより悪いかも知れない
というか、バイク多すぎ
三車線道路の追い越し車線を逆走するのは少なくともやめて欲しい。怖いから
YAMAHAでストライキやってました
地下鉄つくらなどうにもなんないと思うけど、地下鉄はバンジルで水没するから却下
まあ、その、なんだ、バンジルは嫌だ
暑いのよりも大分嫌
三年坂 '03.11.15
「第六回雑文祭」参加作品
「第大回雑文祭」
ドアの開く音で目が覚めた。僅か10分ばかりの距離だというのに居眠りしてしまったらしい。舌打ちしながら駅名を確認すると
『霞ヶ関』とある。ドアが締まるすんでの所で地下鉄から飛び出した。
A13番出口へと歩きながら小腹が減っている事に気付く。無意識にポケットを探るとアメ玉が一つ出てきた。妻が好きでいつも
家に置いてあるやつだ。何故ポケットに入っていたのか不思議に思ったが、何かの拍子に紛れ込んだのだろう。少し考えてから口の 中に放り込む。多分このアメを舐めるのはこれが最後なんだろう。
地上に出て財務省の前を横切る。次の角を曲がり、文部科学省との間の坂道を上っていく。吐き気がするほど通い慣れた道だが 今日で見納めだと思うとまた違って見えてくるから不思議だ。ビルの間から見えるここの空はこんなに青かったのか…。少し感傷的に
なった私は、再度自分の意志を確認する様に内ポケットの辞表にそっと手を伸ばした。
瞬間、言いようの無い眩暈が私を襲った。まるでその一瞬に世界の全てが反転してしまった様な激しい錯覚の中、私は何かにつまずいて 転んでしまった。舐めていたアメが口から飛び出す。
コロコロと坂道を転がっていく舐めかけのアメ玉は、全てを捨てて黙って家を出ていく自分への、妻からの無言の抵抗のような気がした。
「なあ、そろそろ僕の話を真剣に聞いてくれてもいいんじゃないか」
「…その話なら何度もお断りしているはずです」
「まあ、君の気持ちも判らないではない。けれどもあいつは君を捨てて蒸発したんだよ?そんなもう生きているかさえ判らない 奴をいつまでも待ち続けていたら、君の身体だって持たないだろう」
「…平気です。今まで大丈夫だったんです。これからだってきっと大丈夫です」
「しかしね〜、『石の上にも…』って言うだろう。もう君は彼の呪縛から自由になったっていい頃だ」
「…でも、私は今でも彼の妻ですから」
「民法770条1項3号によれば、そろそろ君もそうである必要は必ずしも無くなる。君次第で彼がいなくてもいつでも君は自由に なれるんだ」
「…それでも…今でも…そしてこれからも私は、あの人の妻ですから」
「しかしね〜、案外彼の方だって今頃はどこかの女とよろしくやっているんじゃないのか?ほら、歌にだってあるだろ」
「…『七年目の浮気』ですか?まだそんなに時間は経っていませんけど」
「そりゃ、マリリン・モンロー、アメリカの話だ。私は日本の話をしてるんだ。なあ、いい加減僕と一緒になってくれよ」
彼の言う事ももっともだとこの頃では思う。いなくなったあの人を待ち続けるだけの生活に、私自身疲れ切ってしまったのも事実だ。 けれどもあの人が生きている可能性が少しでも残っている限り、他の人と一緒になるなんて私には想像すらできなかった。あの人はまだきっと
生きている。確かに、彼の言う通り他の女の人と暮らしているのかもしれない。私自身内心そうだと思い込んでいた。けれどもあの人が 生きている限り、私はあの人の妻のままでいたかった。
ケースの中からアメ玉を一つ取り出す。いなくなったあの日の朝、私はあの人のポケットにこれを一つ入れた。どうしてそんな 事をしたのか今でも判らない。そんな事をしたのはそれが初めてだった。あの頃、心身共に疲れ切っていたあの人の疲れが、
少しでも和らげばと心のどこかで思ったのかも知れない。けれどもあの日、あの人は帰ってこなかった。私に何も言わずに… どこかへ消えてしまった。
取り出したアメ玉をじっと見つめている内に不意に涙がこぼれてきた。こみ上げる嗚咽にアメ玉が手からこぼれ落ちる。 『パキン』と音をたてて床へ落ちたアメ玉は思いがけず綺麗にまっぷたつに割れた。
その二つに割れたアメに、何故かあの人と私の最後の絆が断ちきられた様な気がした。
窓の外から騒々しいざわめきが聞こえてくる。近くの競技場で何かの大会でもやっているのだろう。病状の悪化は既に絶望的だ。 起きあがる事もままならない身体に自分の命がもう幾らももたないことをハッキリと自覚した。
私は一体どこでつまずいてしまったのだろう。高校から大学、そして国家試験合格から社会人へとエリート街道の坂道をまっしぐらに 登り続けていたはずだった。けれどいつの頃からか狂い始めた歯車は、気が付いたときには手の施しようも無くなっていた。
そんな生活に嫌気がさし、妻にも何も言わずにあの世界から出て来た私には、全ての未来が自由になったはずだった。けれどもそれまで他人が 引いたレールの上を歩くことしか知らなかった私は、そんな自由の荒波の中、わずか数年でその命さえこうしてここに尽きようとしている。
一体何がいけなかったのか、どこで転んでしまったためにこうしてたった一人で死ぬような羽目にまでなってしまったのか。 薄れていく最後の意識の中に、コロコロと坂道を転がり落ちていくアメ玉が浮かび、そしてぼんやりと消えていった。
家庭訪問 '03.05.29
恭祐は、小学校一年の時の友達だった。
恭祐の家はものすごく判りやすい貧乏な家だった。当時は概して日本全体が貧乏だったのだが、恭祐の家はそんな中でも群を抜いてい た。だからその象徴的な外見結果としてハッキリ言うと彼は汚かった。それが原因で仲間はずれになるような事は無かったが、小学校一年当時の
言葉を借りれば、『ばっちい』奴だと思われていた。
そんな恭祐がある日僕に言った。
「た〜君(注:僕の事)、水ようかんってうまいんじゃな」
意外だった。恭祐の家でおやつだなんて考えられなかったからだ。恭祐はいつ、どうやって水ようかんを 食べたのだろう?彼の家程貧乏でなかった僕の家でも水ようかんなんて、お客さんの残り物以外にありつける方法は考え付かなかった。
「何、恭祐?お前水ようかん食べたんか?」
「うん、食べた」
「いつ食べたん?」
「先生が来た時じゃ」
成る程、家庭訪問か。そういえば僕の家でも、それまで見たこと無いような化粧をしたかあちゃんが、『しゅーくりーぷ』なるものを (食べれなかった。畜生、残しとけよ、先生!)出していた。恭祐の家でも水ようかんが用意されて、そのおこぼれを彼が食べたのだろう。
だけどそれでも子供心に、恭祐の家で水ようかんを買うのはかなり無理があるように思われた。彼の家は確か給食費も免除されていた記憶がある。
「ほ〜う、家庭訪問じゃな?」
「おう、家庭訪問じゃ」
「ええな〜、俺んときはしゅーくりーぷだけど、先生残さんかったんじゃ」
「俺ん家では先生、捨てたんじゃ」
「捨てた?」
「おう、捨てた。先生、水ようかん嫌いじゃったんじゃな」
意味が良く判らなかった。詳しく聞くと、大体こんな話だった。
家庭訪問の時に出された水ようかんを先生は紙に包んでポケットに入れた。一日に4〜5人の家を回り、その度に出されたものを 全部食べていたのでは先生も大変だ。持ち帰ったとしても不思議ではない。けれども恭祐はその水ようかんをどうしても食べてみたかった。
だから先生が残すことを期待して、こっそり物陰から見ていた。けれど先生は全く手を着けずに紙にくるんで持ち帰ってしまった。残念だが 仕方がない。普通はここであきらめるだろう。けれど恭祐は先生に頼んでみようと思ったのだ。先生の後を追いかけていって、頼めば
少しくれるかも知れないと。
先生が帰った後、すぐに恭祐は追いかけた。先生は道の向こうにすぐに見つかった。追いかけようとしたその時、先生はポケットから 何かを出して、脇の草むらにポイと放るのが見えた。先生が行ってしまった後、恭祐が見てみると、それは水ようかんだった。
恭祐はそれを家にもって帰り、母親に見せた。食べて良いかと聞くつもりだった。母親は見るなり血相を変えて土間に水ようかんを叩きつけた。 その残骸を恭祐は黙って食べた。何故かあちゃんが泣いているのか判らなかった。潰れた水ようかんは何故か食べてはいけない様な
気がしたけれど、どうしても恭祐は食べたかった。母親は止めなかった。少し泥の付いた水ようかんはそれでもうまいと思った。
「水ようかん、あんなにうまいのに何で先生嫌いなんかな〜」
「……」
恭祐が不思議そうに言った。僕はそれ以来、未だに水ようかんが苦手だ
伊豆 '03.05.18
五月の連休を利用して、伊豆へ出かけた。
普通の人が、伊豆、箱根の響きにどんなイメージを感じるのか判らないが、僕の場合は『手軽な近場』『庭状態の遊び場』である。だって近すぎるんだもん。
逆に神戸と聞くと、歩いているだけで外人に話しかけられてオーマイガーで、歩いているだけで百万ドルな夜景は僕のもので、 歩いているだけで豪華客船にのってトレビア〜ンなイメージだし、広島だと、歩いているだけで仁義無き抗争に巻き込まれて山守の首獲ったれやぁー!!うおぉぉぉ!で、歩いているだけで道行く男性の10割が角刈りで 日本刀を常に持ち歩いて、歩いているだけで9割が菅原文太か高倉健で、残りの1割が矢沢永吉に違いないと思っている。
今回は沼津から戸田、土肥、修善寺と周り、熱海、箱根を抜けて帰ってきた。箱根はともかく地元じゃないとワカラン地名を書いてどうするよ?
土肥では金山を見てきた。金山と言っても今だに金が採れるわけではない。初めて行った時は真剣に金の塊を見つけて帰るぞと意気込んでいたが、観光地で
そんなもの採れるわけがない。けれど未だに「ひょっとしたら金塊が落ちてないかしらん」と気が付けば下を見ながら歩いている自分がちょっと情けない。
ここには世界一大きい金の延べ棒と言うか、金の塊(200kg)が土産物屋の横に無造作に置いてある。時価2億円だが3億円だがらしいが、一応アクリルケースみたいなもので 囲ってはあるが(手を入れて触れる小さな穴付き)、警備員が居るわけでもないし無防備だ。重くて簡単に持っていけない事は判るが、重機でキャッシュディスペンサーを
ぶち壊していく昨今だ。何が起こるか判らない。僕はその大きさに驚いてぺたぺた触っている振りをして、何とか爪の間に金のクズが詰まらないものかと きょろきょろしながらガリガリ引っ掻いていたのだが、歯ならぬ爪が立たない。ふと注意書きを見ると、
『故意に破損させた場合弁償してもらう』とか書いてあるのに気付いてあやうく心臓が止まる所であった。
修善寺では『虹の郷』へ行ってきた。ここは子供が喜ぶアミューズメントパークというイメージが強いらしいのだが、僕でも十分楽しい。 これは僕がガキだという事ではなくて、それだけスバラシイ場所だという事を特に強調しておく。
ここの『匠の村』の中に色紙等に個性的な文句を個性的な字で書いて売っている場所があった。おばさんの団体がそれを見て、
「まあ、これ『せんだみつお』にそっくりね〜」
「あら、ほんと。どこかで見たような色紙だと思ったら、確かに『せんだみつお』によく似てるわ」
「ほんと、ほんと。画風がそっくりね〜『せんだみつお』に」
「盗作じゃないかしらね」
「『せんだみつお』とどっちが古いのかしらね」
とわいわい騒ぎながら眺めていた。僕が見ても故意か偶然かはともかく、確かにそれは(どちらがオリジナルかは知らないが)盗作だと言っても良いくらいよく似ていると思われた。
だけど、それは『あいだみつお』の画風だと思われる。
一番奥の『カナダ村』から小型の蒸気機関車に乗り込んで戻ってきたのだが、機関車の窓から園内を眺めていると5歳以下くらいの子供達のほぼ10割が 機関車に向かって手を振ることに気が付いた。それは僕に向かって振られたものでは無いことは判っていたが、何だか嬉しくなってしまって、
僕も窓から乗り出すようにしてその全員に向かってブンブンと笑顔で手を振り続けた。子供の内の何人かがそんな僕に気が付いて泣き出しそうな 顔になってしまった様に見えたのは多分気のせいだろう。
それにしても、子供は本当にほぼ全員が機関車が来ると手を振り始める。中にはハッキリと
「ばいば〜い」
と叫んでいる子供さえいる。手を振るという事は、別れる事だ。別れるという事はその前に必ず出逢いがある。この場合の出逢いは、 単に機関車で(が?)すれ違うという事だけだ。子供にとってはそんな一瞬の出逢いさえもが大切で、だからあんなに一生懸命その別れに対して手を
振れるんだな…と、そんなことを考えながら僕は一生懸命負けじと手を振っていた。
延期 '03.04.20
「小津村総理、この問題はかなりやっかいなんです」
「…どうしたんだ?」
「確かに前世紀末のバブル経済崩壊により日本経済は壊滅的なダメージを受けましたが、我々の試算では2005年を境に税収は上向きになるはずでした。
ところがこちらのグラフを見て下さい。確かに2005年前後にその兆しは見られたものの2022年現在でも税収はまるで何かに足を引っ張れられる様に下降の一途を辿っています。 このままでは後10年程で日本国そのものが存続できなくなります」
「足を…引っ張られる…?一体何が足を引っ張っているんだ?」
「…はい。こちらの別なグラフをご覧下さい。このグラフは2000年前後まではほぼ横這いで推移していたのですがそれ以降急激な
増加を見せています。特に2006年辺りからの増加率は経年で250%をオーバーし続けています。この増加量と税収の減少が計算したところ完全な反比例相関を持つことが確認されました」
「原因はそれだと言うんだな。で、それは一体何のグラフだ?」
「…日本人の…毎年の自殺者数です…」
「おい、聞いたか?あの話」
「あ?ああ、あの話ね。聞いた聞いた。死者にムチ打つとはまさにこの事だな」
「それで、お前の場合は幾らになるんだ?」
「ええと、ちょっと待ってくれ。結構面倒臭い計算になるんだ。え〜と、俺の場合扶養家族は無し。もちろん子供もなし、 年齢は35歳、男性、検診結果異常なし、年収550万、土地無し、持ち家無し、その他諸々で、心中じゃない単身の場合…まあざっと見積もって450万円位かな…」
「ええ!そんなになるのか!?そりゃ大変だ」
「でも場合によっては最大で5000万位になる場合もあるらしい。それじゃ死ぬに死ねないな〜。まっ、もっとも俺達レベルじゃ
どう計算してもせいぜい500万を超えることは無いみたいだけどね」
「それにしても自殺税とはね。何で死ぬのに税金払わなきゃいかんの?」
「でも考えようによっては、今まで自殺者およびその親類はおろか友人関係までを、拷問に近いきびしい取り調べと罰則で処罰し、 酷い場合には死体の見せしめ公開までしてきた小津村政府が、一転して金さえ払えば何にも言わずに自殺を認めてくれるって言うんだから
それはそれで死にやすくなったのかも知れないな。何でも別料金で安楽死までやってくれるという話だし」
「ふ〜ん、で、お前結局どうするの?」
「そうだな、今までお前らにも迷惑がかかるかと思ってそれだけが心残りだったんだけどこれで安心して死ねるよ。 今貯金が200万程あるから、頑張ってあと250万くらい貯めてから自殺申請書を出すことにするよ。こんな世の中生きていても何の張りあいも無いしな。まあ2年もすれば何とか貯まるだろ」
「小津村総理…実は少し困ったことになりました」
「何だ?どうしたんだ?」
「はい、例の自殺税なんですが、導入当初の半年ほどは我々のもくろみ通り申請者が殺到しまして大幅に税収が増加したんですが、その後申込者が急激に減ってしまいまして…
まあ、当初この状況自体はお金に余裕があった連中の申し込み殺到の後に、余裕がない連中がお金を貯めるまでに2年ほどのブランクがあるとの計算が出されていましたので放置していたのですが、
導入から3年半経った現在でも申請者がほとんど現れないのです。それどころかここ半年ほどは自殺者数がほぼ0%近辺を推移しています。こんなはずでは無かったのですが…今至急原因を調査しているところです」
「ふむ、それでは今の税収は減る一方なのか?困るではないか!至急原因を調査せよ!!」
「そ、それが…全体の税収自体は下げ止まりの傾向を見せており、むしろ増加の気配を見せています」
「なに?どういう事だ?」
「はあ、私にもさっぱり…」
「よう、お前どうしたんだよ。あれから4年近く経つのにまだ金が貯まん無いのか?」
「いや、金ならもう貯まったけど、あの話はもういいんだ」
「何、自殺やめたの?」
「ああ」
「またどうして?」
「うん、いや何かさ〜、今まで漠然と生きてきたところに突如自殺税の導入だろ?最初は俺も死ぬつもりで必死になって働いたんだけど、 変なもので例えそれが死ぬためであっても、働くことに意味が生まれたって言うかさ、何かこう生きる目標が出来てそれに向かって働くことに
生き甲斐みたいなものを感じちゃった訳よ。それで毎日に張りあいが生まれて、気が付いたら結構なお金も貯まってるだろ?遊ぶのにも不自由しないし、何だか急いで死ぬのが
馬鹿らしくなっちゃってさ。とりあえず死ぬのは延期だな」
親父の卒業式 '03.04.13
この3月、親父は高校の卒業式に出るために郷里の徳島へと足を運んだ。
親父は今年60歳になり、先日会社を無事に定年退社した。18の春にほとんど無一文で徳島からここ神奈川にやって来て42年、 結婚して、土地を買い、家を建て、子供を3人大学へやった。煙草は吸うが酒はほとんど飲まない。打つも買うもしない。寡黙で曲がったことが
大嫌いで、自分の意見はてこでも曲げない。趣味は趣味の域を遙かに超えた2反ほどの家庭菜園をいじること。自分の事はほとんど語らないそんな
親父の大きな心残りが高校の卒業式だった。
親父は高校を出るときに、一応二つの選択肢があった。高校時代、あるスポーツで地元では結構有力な選手だったらしい。 先日退社した会社の実業団チームと、日本体育大学の2つから声がかかっていた。けれど当時、田舎の農家の次男坊が大学へ行くなんて まず考えられなかった。親父は当然のように実業団チーム(会社)へと就職した。けれどすぐに身体を壊した。徳島と岡山の年輩の人なら
判るかもしれないが、風土病というやつだ。親父の背中にはまるで刀で袈裟懸けに斬りつけられた様な肩口から脇腹へと抜ける大きな手術の跡が今もある。 それは、スポーツ選手として会社に入った親父の存在の意味を根本から否定する傷だった。だから親父はがむしゃらに働いた。あまり喋らない
人だが「弱音を吐くな」が口癖だった。僕は生まれてこの方親父の弱音じみた台詞を只の一度も聞いたことがない。
そんな親父のただ一つの心残りが高校の卒業式だった。実業団の合宿へ参加するため、卒業前の一足先に親父は神奈川に出てきていた。 当然卒業式には一時帰るつもりだったのだが、式の2〜3日前に、会社で大量食中毒事件が発生して親父もこれにやられた。式には親父の母親だけが
出席し、卒業証書だけは貰ってきた。だから親父は高校はちゃんと卒業している。だけど卒業式には出席してない。それは親父一流のけじめの美学 からは大きく逸脱していた。そんな親父がこの冬に会社を定年になり、三交代勤務を私的な理由で休んで同僚に迷惑をかける心配が無くなった。
だから親父は今年、母校に手紙を出した。卒業式に出席させて下さいと。
同行した母が言うには、蛍の光を歌う時、親父は大粒の涙を流して声を詰まらせながら歌っていた。妹の結婚式でさえ涙を見せなかった 親父がだ。僕は親父の子供として生を受けてから、その35年間で一度も親父の涙を見たことがない。涙目になっているのさえ見たことがない。 そんな親父が蛍の光を歌いながら泣いていた。ぽろぽろと大粒の涙が流れていた。それは多分、42年越しの、42年間の想いが積み重なった 卒業式の涙だったのだろう。
親父、卒業おめでとう。
ハート型期間限定 '03.02.26
実は今、非常に妙なことになっている。
いや、花粉症で酷い目に遭ってるのを言ってる訳ではない。この時期は気分が鬱に近く、HPの更新が滞るのも
もはや年中行事となってしまったが、そんな気分を吹き飛ばしてあまりある事態に陥ったのだ。
始まりは風呂場からだった。
「うげげ!!」
気持ちよく身体をワシャワシャと洗っていると、青いタオルが泡と混じり鮮血で染まっているではないか!
「うひょー!」
よくよく見れば、床タイルがスプラッタ状態だ。思わず大事な部分の先を確認した。瞬間伝説の赤玉がでたのかと思った 自分が情けない。まだ40にもなっていないんだぞ?おい。次に後ろのちょっと大事な部分を確認した。切れ痔の自覚はないが、 私は腸が弱く、軽いそれになることはある。しかしそこも大丈夫そうだ。
「?????」
慌てて立ち上がり、体中を確認した。不思議な事に、身体のどの部分も痛みを訴えていない。
したたり落ちる赤い筋を辿っていくと、何と大事な部分の袋の裏側辺りが震源地であることが判明した。痛みは全くないが、 裏側であるが故に状況が全く確認できない。しかも出血量が半端じゃない。鏡はあるが位置が位置だけに良くワカラン。え〜い、
背に腹は代えられぬ。
「お〜〜〜ほ〜〜ひ」
かなり情けない気持ちでさいを呼んだ。もちろん傷の具合を確認してもらうためだ。しかし、女性はやはり血には強い。 彼女によると、
『かなり深い傷みたい』
ってな事をしらっと言われた。詳細はよく判らないが、かさぶたがはげたものと思われる。男の此処はむれるのだ。
しかし、風呂に入っているからとにかく血が止まらない。一刻も早く身体を冷やさねばならない。暖かい湯船を恨めしげに 見つめつつ、私は渋々風呂から上がった。
その甲斐あって、出血はおさまってきたが、やはり傷はかなり深そうだ。完全に止まる気配が無い。オロナインを塗って絆創膏 を貼ったが、このままでは今夜、下着はおろか寝間着や布団が酷いことになる可能性がある。
「しょうがないわね〜ほら」。
そう言ってさいが差し出したのは、予想通りというか何というか、二日目でも安心とか言うあれであった。
「しかもこれ、期間限定ハート型包装だったやつだよ」
いや、ハート型って言われてもね…期間限定って言われてもね…何か根本が…
そんな訳で今、私、あれを装着状態でこれ書いてます。何だか少し屈辱的です。多分男性では異色の趣味がある人はともかく普通は 出来ない体験です。そんな状態にあるだけで何だか気分がカマっぽくなってくるのは何故でしょう?
しかし、明日(今日)出張なんだけど、やはり装着状態で行かねばならないのだろうか?まかり間違って、はがれてズボンの 裾から落ちて来ちゃったりしたらどうしましょう。
今日、出張に来た人が普段と違って少し内股で歩いていたら多分それは私です。
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