さわやかーでいい気分!
どっかに旅行に行きたくなるよ!
2002年9月19日(木)
このところしばらく曇りがちの日が続いていましたが、きょうはまたほんとにいい感じに晴れて「秋晴れ」という感じです。空気はひんやりとさわやかだし、なんともいい日ですね。こんな日は家のなかにたれこめているのがむなしくなります。たとえ買物でもただの散歩でもいいから、外の空気にあたってみたくなりますね。あとでちょっと出かけてこよう。
いろいろとご心配かけてしまいましたが、指のほうはさいわいにして1日大人しくしているだけで85%以上正常に復帰しました。瞬間の衝撃と痛みはすごかったのですが、じっさいに受けた傷はそう大きくなかったんでしょう。きのうの朝にはもう中指がかなり使えるようになって、薬指は一応夜まで包帯してましたが、けさになったら叩くときにちょっと一瞬こわばるていどで、そう痛いってわけでもありません。どっちにしても、「指を休めなくちゃヤバイかな」と思いつつきのうはやはり小説のノルマのほうはうだうだやってしまったんですけどね。薬指は包帯してたので、やはりいつもよりキータッチがだいぶ遅くなりましたけど、もう大丈夫そうです。ただ、キーはいいですけどピアノや三味線はまだちょっとしんどそうで、ガンガンピアノを弾いたり指をまげて三味線の絃を押さえたりしたらかなり痛い感じなので、まあ、最初にピアノひくのはあしたでジャズピアノのレッスンをあしたに変えたんですが、それまでは大事にして大人しくしていようと思います。まあでもとりあえずかなり復活しましたんでご心配なく。いやあ、それにしてもたまげたたまげた。このしばらくケガとかそういうの、まったく無縁だったし、お料理たくさんする人なんですが、指切ったりとかそういうのって、もう10年以上覚えないしその前にも数えるほど、っていうくらい、「うかつなケガ」ってしない人なのですね、私は。ことに指先ってのはケガしない人なので、すごくびっくりもしてしまいました。ほんとに、かんしゃくをおこすってのは自分に危険なことかもしれません(苦笑)
ところでなんとなく、きのうからずっと「横田めぐみ」さんのことが頭から離れません。一番いろいろとデータがあるのが横田めぐみさんだから、ってこともあるでしょうが、やはり「13歳だった」っていうのが大きいのだろうな。世間の90%以上の人にとってはこれは「政治問題」として意味があるし、私にもその「政治問題」の部分というのは理解はできますが、私は作家ですから、日朝の政治問題として、というよりもはるかに「その人の一生」というものが重大なのです。そういう見方をする人間がほかにもいるかどうかはわかりませんが、13歳で学校の帰りに拉致され、そしてきのうの報道を信じるとすると27歳で殺害?されたか病死したかして、それまでに、いま15歳の娘がいてその娘が4,5歳のときに亡くなった、ということは、22歳くらいで結婚したわけですね、けさの新聞ではその娘さんはお父さんがめぐみさんの死後再婚してその弟たちなどと暮らしている、とありましたが。
それが全部本当かどうかってのはこれはもう私たちにはわかりませんが、27歳で死亡というと、13から14年間たっているわけですね。めぐみさんにとっては、「拉致以前」よりも、亡くなるときにはもう、「拉致以後」のほうが1年長くなってしまっていた、つまりは人生の半分以上はすでに「北朝鮮に拉致されたあと」に過ごしてきたわけです。
中学生の娘さんを突然拉致されたご両親にとってはそれはあまりにも許し難い酷い犯罪だし、いきなり「死にました」といわれたって「ふざけるな」となるのは当たり前だし、日本政府やマスコミの責任というのはまた、まったく別の問題だし、ご両親にすれば「あのまま日本にいて自分たちの手元で育っていれば27歳で死んだりせずにすんだ」という思いも当然あるでしょう。でも、結婚して子供までなした、ということは、どうあれめぐみさんが「ずっと監獄のなかでむなしく幽閉されている14年間を過ごした」だけではない、ということですよね。その14年のあいだに、恋愛もあれば(恋愛で結婚したのかどうかわかりませんけれども)妊娠出産という女性の体験をすることもできたし、たぶんその14年のあいだずっと泣き暮らしていたわけではないだろう。前に「めぐみさんに会った」という証言のなかで「めぐみさんと思われる若い娘がいて、男性の労働者などに『可愛い』と声をかけられると頬を染めて微笑んでいた」というくだりがあったときに、なんとなく胸をうたれたのを覚えています。どういう場所でも青春の花は咲くんだ、というか、いまの日本人にとっては「この場所」「いまのこの社会」だけが「正常」になっていますけれども、じっさいには、この世界にはありとあらゆる数奇な人生というものがありうるわけで、それを「めぐみさんが拉致された13歳以後」は存在しなかった、ただひたすら「拉致の被害者」としての人生しかなかった、と考えてしまうのは、たぶん「いまの平和ボケ日本」にすまう私たちの愚かさです。どこでもひとは生きられるし、どのようにも生きられるし、どこで生きていてもそれなりの人生をみつけることはできる。結婚して子供を産んだりしているあいだには必ず、「空がきれいだなあ」と感じる瞬間もあれば、「生きていてよかった」と感じる瞬間もあり、また「お母さんに会いたい」という狂おしいほどの悲しみと望郷がある瞬間もむろんたくさんあったことでしょう。だが、13歳の横田めぐみさんはあまりにもはっきりしていますが、44歳で生存が認められた蓮池薫さん、大学が「復学を認めた」そうですけれども、いま日本に帰って44歳で大学生に戻っても、もう、蓮池さんには「あたりまえの日本の平凡な大学生」としての青春は戻ってこない、それは不当に奪われたのですが、そのかわりに蓮池さんは「拉致された人」としてのたぐいまれな悲劇的な運命を20年以上も生きてくることができたわけで、それは「平凡に大学を卒業して平凡に就職して平凡なサラリーマン」になることにくらべてそんなに悲劇的なことでしょうか。他の人間と「まったく同じコース」をたどることだけがそんなに幸せで無難でめでたいことでしょうか。私にはどうもそうは思えないのですねえ。いまさら蓮池さんが大学生になってどうする、そのあとの20年間、蓮池さんだってちゃんと苦しんだり悲しんだり、ときに喜びもあって生きてきたんじゃないのか、と思います。時をかえすことはできないのです。
小野田少尉とか、横井庄一さんのことを思い出します。あのときごく普通に降伏して日本に復員していれば、たぶんかれらはごくごく平凡な人生を歩んで終わっただろうと思うので、数奇な運命によってかれらは歴史に名前を残す人になりました。ジョン・万次郎とか、阿部仲麻呂とか、あるいはもっと名もない漂流者や拉致された人というのは歴史のかげにはいくらでもいるのでしょう。そして、よくある都市伝説で、「香港の洋服やで試着室に入っていった新婚の妻のほうがそれきり出てこなかった、どこかに売り飛ばされてしまったらしい」とか、「中国の奥地で両手両足を切られた『だるま』と呼ばれる娼婦ばかりいる売春宿にいった日本人が『自分は**大学の**というものだ、なんとかして助かりたいから日本に戻ったら親に自分がここでこうしていることを伝えて助けてくれ』と『だるま』のひとりに声をかけられた」などというのがありますが、それはこうした「神隠し」や、「突然奪いとられ、見知らぬ異郷に連れ去られる人生」への人々の恐怖とおそれと、同時に一抹の憧憬にさえ似たものを象徴していたのではないか、と思われるのですね。「無難に平和に、このまま誰でもが当然と思っているあたりまえの人生をあゆむこと」――日本人はずっとそれを「一番いいこと」としてきたのですが、「脱サラ」とか「ひきこもり」「登校拒否」など、「そのレールからはみだすこと」へのおそれと怯えとあこがれが、いまの日本社会にとってはひとつの、メインストリームに対するアンチテーゼとしてしだいに大きくなりつつあるような気がする。本当は私たちはなにものであることも、どのような存在であることも、どのように生きることもできるのです。傭兵として飛び出して海外の戦いに身を投じることもできるし、燃えるような不倫の恋に身をこがして駆け落ちして消息をたつこともできる。拉致された先でほのかな幸福を見出すこともできれば、すべての「幸福の条件」のそろったマンションの一室で、「こんなはずじゃなかった」と育児ノイローゼになって子供の首をしめてしまうこともできる。そしてまた、わずか9歳で酔っぱらった義父に刺されて失血のためにゆっくり死んでいった志歩ちゃんのような人生もある。
「人生はこうでなくてはならない」という思い込みはいけないものです。それは、何か本当の真実を決定的に見えなくすると思います。これはもちろん親御さんの思いとはまったく別の話ですけれども、拉致された人々は、その場で銃殺されたのでないかぎり、たとえ数年でも生きていたのであるかぎり「人生のすべてを奪いとられた」わけではない、「まったく違う人生のなかに拉致された」のであること、それは親が望んでいた「平穏な人生」ではないけれども、もしもすぐれた資質や感受性を持つ人ならば「何故自分が」と考えたり、望郷や運命の不条理に苦しむことによって、必ず、凡庸なありきたりの人生のコースを歩むよりも多くのものを得ることができたはずだと思う、それはある意味「チャンス」でさえあったはずだ、と私は思うのです。これはまったくもう、政治問題とは何の関係もない、作家として、「ひとの一生」についての考えですが。ですから、それと「まがりなりにも世界に公的に国家として通っている国家がこういう犯罪をしていいのか」という事実とはまったく関係ありませんが。でも、両親の悲しみは当然ですけれども、子供の人生とは、ある意味、もう両親のものではないのです。ですから、むしろそれは「横田めぐみさんの悲劇」としてではなくて、「大事な娘を13歳で奪われた両親の悲劇」として考えなくてはいけないことなんだと思います。めぐみさんに対しては、ただいたずらに「こんな可愛想な目にあって」と考えてしまうのは、めぐみさんが北朝鮮で生きた14年の年月をあまりにも主体性のないものとしてしまうことになるでしょう。それの長い短いはたぶん本当には関係ない、人生とは「どのような状態におかれても、どのように生きたか」によって充実したり、失われたりするのだと思います。誤解のないようにまたいいますけど、もちろんだから、これは「政治問題」としてのこの一連の事件とは違う見地からの見方ですよ。それだけはくりかえしいっておきますが。というよりも私のほうが、「めぐみさんは13歳で拉致されたけど、でもきっと幸せな瞬間もあったに違いない」と思いたいのかもしれませんねえ。
2002年9月19日(木)AM10:40
★追記
この文章を更新日記に発表してから、それに対してその日から翌日にかけて、いろいろな反響やご批判などをいただいたので、それに対してまた翌日「追記」の文章を出して私の考えをあらためて述べました。
――→更新日記2002年9月20日(金)
さらにそれが波紋を呼び、「週刊文春」の取材をうけて記事になるという経過がありました。拉致されたかたの支援活動の中心におられる方から時期的に不適切であるというご指摘をうけましたが、それについては確かにそのとおりであったと思うところもありましたので、あらためて以下で所感を述べています。参考までにご覧下さい。
――→更新日記2002年9月26日(木)
2002年9月27日(金)