時効。当院は開設して8年目になるのでそろそろ時効(厳密な意味では少し違う)とおもわれるが開院当初小生の医院で胃カメラを施行した患者さんではじめて胃癌の女性がいた。どうもあちこちの医療機関に行っていたようだがカメラを施行しすでに進行癌であった。色々説明を考えていたが待てど暮らせど結果を聞きに来ない。病院であればそのままであるが当院はそうはいかず、とりあえず電話をしたところご主人がでたが、どうも要領が得られない。大きな病院に行った方が良いと説明したが、入院すると悪くなる。(ご主人が入院したことを言っていると思う)入院はできない。某都立病院の先生が往診してくれて診るもらっているが月に一回アメリカから帰国し診てもらっている(多分本人を診ている)。だんだん話が合わなくなってきた。とりあえず胃癌ですと言ったと思うが今となっては確証がない(もちろんカルテには記載してある)。その後、その女性が歩いていたとの話を1回聞いたが最近は聞かない。南無阿弥陀仏。
不審死(ふしんし)。これは本年の出来事。転居したばかりの独居老人の往診依頼を近所の人より受けた。どうも転居2日目であるようだった。普通、高齢者で独居ではトラブルが多く入居させることは大家はいやがるものだが不況のため簡単に転居できたのか。後で聞いた話で転居理由は不潔であったとのこと。さて、本題に戻るが、転居したてとのことで往診に行くと患者はとても歩ける状態ではなく横臥して、シーツの上の横シーツ(普通は、尿、汚物で汚れても良いように防水シーツの上におく小さなシーツ)に直径80センチぐらいの下血を思わせる出血痕(これは新鮮血ではなく、下痢に出血が混じったものを洗うと中心部はきれいで周辺部にうっすら血の痕があるもの)があり、本人を見ると痰が多いようで枕もとには痰を取ったと思うティシュの山である。見た瞬間、尋常(じんじょう)ではないことは明らかでとても2日前に転居できる状態ではなく犯罪の臭いさえした。ともかく診察をすると、意識はあり、口調はしっかりしているが、少し時間の概念がない痴呆が混じった状態であった。全身状態は痩せ衰え、呼吸は浅く速い、眼瞼結膜は貧血が強く、一見するとショック状態である。生きているのが不思議。推測するに肺癌の末期状態で治療をしていないために(化学療法が死期を早めるという意味ではない)最後まで意識をたもっているようであった。入院の必要性を付き人に説明したが入院したのは4日後で亡くなったのは10日後であった。小生、当初は気が動転し(これほど状態の悪い患者を初診で見たことがない)警察に電話をかけたが(犯罪性があるかどうか不安だった)、とりあってくれなかった。まあ、なんとか入院できたので、やっと枕を高くして眠ることが出来たことができたが、数日はこちらが生きた気持ちが無かった。入院して胸部レントゲンで肺癌であろうとの後日談だったので、小生の診断もあながち外れていなかったようだが、検査をしなくても一目で誰でもわかるような気がするが、不思議な経験だった。
今度は小生が医学生だった時の話。5年生(医学部は6年生)の夏の頃だったと思う。地方の行楽地の山奥の病院に夏休みに同僚と学生実習で4−5日宿泊したことがあった。夜の当直に患者が来たらいっしょに診察しろとのことで、小児のヘルニア患者が来院したまではよかったが、救急車が交通事故のけが人を搬送してきた。たしか3人搬送してきて当直医があたふたしていたので、小生に比較的軽症の一人(若い女性)を見てろと言われた。小生はなすすべも無く脈をとっていたが、救急隊と当直医のやりとりに小耳をたてていると現場に2人置いてきた、既に死亡しているとの会話あり。脈をとっている女性は軽いショック状態と思われるが「なになにさんは元気ですか」の問いに「大丈夫元気ですよ」と言うのが精一杯だった。翌日、交通事故の骨折患者の手術を見て、病棟では意識も無く、身寄りも無い患者(あと1週間ぐらいと言われていた)が血圧が下がりその患者の血圧を計って来いといわれ一人で計りに行った。病室の中で患者と二人きりで血圧を計れば呼吸が止まるのではと肝試しに近かった。また、病死した患者の病理解剖を手伝ったりした。山奥の病院でテニスコートがあり若い看護婦さんもいたような記憶があり。もう今となってはおとぎ話ようである。
開業医の収入の季節変動。昔から柿が赤くなる頃開業医の顔が青くなるという話があるそうだ。ちょっとピンとこないはなしだが、患者の来院数に季節変動がある。内科は慢性疾患患者が多く、常連さんが収入の基礎票になるが常連さんも永遠に長生きできるわけもなく時々会えなくなる。季節的にはインフルエンザ等冬場に感冒症状が多く集まる。今シーズンはインフルエンザ患者はやや少なく当院の冬のボーナスは少なくなった。もちろん夏は患者も少なく夏季休暇で当院も休診するため収入減である。医療収入はレセプトを提出し銀行口座に振り込まれるまで2ヶ月かかるため7−9月に患者が少なければ9−11月の銀行振込が少なくなる。となれば冒頭の格言が生きてくる。もし、開業医で夜逃げするようならこの時期である。小生はなんとか来年も餅代がでるようにしたい。
往診中、患家で、巡回の警察官が挨拶に来た時の、天井に太い鉄の柱があり生活を苦に一家三人首をくくった時はよろしくお願いしますと冗談でいったら、警官が驚いて時々訪問するようになったと大笑いしていたが、小生はこの話が、昔、真剣に話し合われたふしがあるのを前に聞いているので、しばし、沈黙してしまった。本日は暑く小生には冗談が通じなかった。
新聞によると殺人事件の犯人は49歳がトップの記事があった。小生も団塊の世代前後で、いよいよあぶない年齢である。インターネットは仕事で使用しなければせいぜい40歳までの世代で小生は化石時代の人間である。小生の業界では50−60歳代がまだまだ中心で活躍されている。ということはこの業界はインターネットにはふさわしくない可能性があり、医療系のホームページを鵜呑みにすると危険性があるとも思われる。(当サイトも鵜呑みにしないでね。) 小生がこのサイトを続けている理由の一つに小生の年齢がある。今、発信しなければと言うあせりがある。なんとなく男の更年期障害かこの世の未練でもある。
4月は学校医としては多忙な月で、健診、ツベルクリン注射、BCG接種等がある。ツベルクリンは医師が2名必要なため、かけもちになることあり。この月は、皆緊張するためか外来患者は少ない。春先は、感冒症状も少なく少し毛色の変わった症状の患者が多い。先日も若い男性が、来院し、バイアグラが欲しいとのことである。もともとこの患者さんは常連さんで、もともと毛色が変わっているが、茶髪、バイアグラが欲しいというのである。従来より不眠症とのことで睡眠薬を時々とりにくるが、もともと毛色が変わっているのでハルシオンは渡していない。今回は睡眠薬ご指名で来院、とりあえず悪さをしないよう他の薬を処方。話の中で「娑婆(しゃば)に戻ったから眠れない。」と発言あり。えーと、刑務所でも入っていたのかな? 6年前母親が胃癌で死亡、お婆さんと同居しているが現在十二指腸潰瘍にて入院中、オイオイお婆ちゃんには心配かけるなよ。前回来院時は車に追突されてムチウチで1回来院。かように言われればバイアグラはだせない。もともと当院にはない。「先生なら何でも言えて相談に乗ってくれるから、バイアグラが欲しい。」 そうはいっても小生は話にくい。小生いわく、「先日バイアグラを希望の人がいたが直ぐにことわった。ここは、住宅地だから、バイアグラを服用し誰か心臓発作で亡くなると家族にうらまれる。バイアグラを保管すると中国窃盗団に侵入される。だから置いていない。君だから話やすいが、実は品川区内の某医院がバイアグラ専門だから、そこに行きなさい。バイアグラは自費だから高価だが、そこは、バイアグラ専門だから通常価格より倍する。だからバイアグラだ。」なんだか良くわからないがこんなことをしゃべったような気がする。今となっては良く覚えていない。
午前中に小児が来院。もともと熱性ケイレンの既往があったが、おたふくかぜの診断で解熱剤の座薬を使用し、帰宅する途中でケイレン発作出現。呼吸停止のまま当院に運ばれたが1分位で回復、ことなきをえた。小生は何回もケイレン発作患者を診ているがいやなものである。診察室では何人か患者もいたし、小児もいたので、ここで急変したらたいへんで、冷や汗ものである。昔、勤務医時代の当直勤務で癲癇発作の屈強な男性と鎮静剤を静脈注射するためにベットの上で血だらけ(ちょっとおおげさ、ケイレン発作のため静脈注射が難しく何回か失敗したため)になったことがある。翌日主治医が理由は忘れたがなぐられたそうだ。意識のなくなる発作は怖いものである。午後、6時間後に電話をいれたら、解熱し食欲もでて元気だとのこと。やれやれ、こちらも寿命が短くなりそうだ。小児は変化が早い、大人とだいぶ違う。開業医の皆様ご注意下さい。
先日の熱性ケイレンの患者が再来した。すっかり元気で、最後に本人から握手を求められた。こんなことは医師になって初めての経験である。やっと開業医らしくなってきたか。
循環器外科の話。一年前の話。知人の子供が先天性奇形で某大学外科病院で心臓手術をすることになった。小生も相談を受けたが、日本で一番手術数の多い病院を紹介した。:外科手術は見えない場所にメスをいれるため、また血管奇形も多く、神経の走行は見えず、一発勝負のこともあり小生も祈るような気持ちだったが、結果は良好であった。担当医師は某病院の同僚のご主人であった、小生は拝顔したことはあったが交友は深くなかったので連絡は取りにくかったが、その後の経過観察の検査入院の時に、知人が余りにも疲れ果てていたので思い立ってe-mailを送ったら快諾していただいた。小生はじめてのメールであったが。従来の感覚からすれば非常に便利である。
心臓外科手術は死屍累々(ししるいるい)の歴史である。約40年前、小生が小学生時代に同級生が心臓弁膜症の手術で死亡したことがあった。当時、弁膜症の手術でさへ5人に1人の生還率であったと思う。現在では弁膜症の手術は内視鏡下で手術が可能と聞くが隔世の感がある。小生が中高時代に大きく感化を受けた同級生も心臓手術を受けてていた。彼は医学部の受験を目指していた秀才であった。小生より博学で医学部合格は間違いないとおもったが小生が医学部に合格し、彼は、徐々に心不全を起こし、入院生活を繰り返していた。小生は地方の公立大学生活をし、時は流れ、彼の消息は知れないが小生が現在の姿であるのも彼の影響と思っている。医学生時代、彼から心の吐露を書いたはがきを数十通いただいた。十二分には返事を書けなかったが、彼の文調は次第に過激になって小生もほとほと困窮したことがあった。五体満足な小生と、生への不安のある彼とは精神の高さが違っていたと思う。運命とは過酷なものである。
カルテの話。昨今、新聞紙上カルテ開示の話題もあるが、よく目に付くところは医療ミスが多い。医療には必ずカルテがあるが、必ず開示されれば医療ミスの原因もより明白になるがどこでも不利な証拠は隠したいものかもしれない。カルテはなかなか開示されないので、もし、裁判等になった時に看護日誌を調べられることもありそうだ。さて、電子カルテを耳にするがあった。神奈川県の新規開院の港北病院(?)ではカルテは電子カルテだそうだ。大学病院等では処方箋はパソコン末端に入力するようになった。人間のケアレスミスの予防にもなり、処方、事務処理も迅速になっている。そこで問題はカルテの改ざんが簡単にできるかであるが、紙のカルテでは筆跡、紙質、指紋等で改ざんのあとは容易に判定できることがあるが、電子カルテは改ざんが容易であろうか。小生の知らぬとこだが少し心配である。改ざんできないようであればカルテ開示も信用性があるが、まさか裏ワザ的に改ざんできれば電子カルテは信用できない。さらに、電子媒体は一瞬で破壊されることもあるので注意が必要だ。長期保存するときは紙に出力して保存するのかしら?そんなこともないだろうと思う。
開業医でも時折電子カルテを利用している医師のニュースも見る機会も増えてきている。小生はもう電子カルテを利用する機会は経済的に年齢的にないものと確信している。紙とボールペンがあればすべてそろうのが開業医で、あと聴診器が一本あれば大威張りか。ちょっと前近代的であるが、あながち外れてはいないと思う昨今である。小生のデスクには18.1インチの液晶デスプレイが鎮座しているが患者さんは進歩的と見ているのであろうか。実際はこっそりホームページに手をくわえているだけである。これは企業秘密であるため他言せぬようお願い申し上げます。笑。
高齢者の転倒。今冬は何故か80−90歳の女性が転倒し腰痛で寝たきりが3名いる。夜間トイレ起床しての転倒である。今冬はしばらくぶりの厳冬で暖をとるため日中寝ていることが多く筋力が低下し、そして夜間冷え込みトイレ起床時に体調不十分のため力が入らず転倒しているようだ。転倒は2月が多かったのもそれを物語っていると思う。3人とも患者は骨折はなく(腰椎の圧迫骨折はあったと思う)入院せずに在宅にて治療したが幸い2ヶ月かけて痛みは軽快している。しかし体動時には時々疼痛があるため転倒以前の状態にはなっていないが回復傾向である。この年齢で転倒骨折すると回復が悪く寝たきりになり死亡することが多く、入院させると2-3ヶ月の入院は痴呆が進行し死亡することもあるが、ここでも在宅での治療は効果をあげている。女性は守りに入ると忍耐強く頑強である。また女の強さを再認識した。我々男性軍は弱きものである。それにつけても季節要因がいろいろあった冬であった。
今日は13日の金曜日である。悪魔は夜に来る。病院勤務時に患者にいい医者と呼ばれるには点滴、採血時の針刺しのうまさが評判をよぶ。そういえば今裁判中の看護士の点滴は悪魔の点滴とおそれられていたが、小生が勤務していた病院では、年配の医師が点滴すると必ずあとで血管より針がはずれ、看護婦があとから刺し直すことがあった。針刺しがうまい医師はそれだけで患者の評判を呼ぶ。内科病棟では長期入院患者も多く朝晩の点滴はかかせない。点滴は医師が交代で当番になっているが夕方の点滴は当直医師が点滴をすることも多い。となれば悪魔の点滴は定期的に夜くることになる。小生も寄る年波にかてずそろそろ悪魔の点滴魔か。もっとも開業医では点滴をすることはすくない。そういえば悪魔の看護婦は夜に来るとか、天使の看護婦は明るいことアホのごとくという格言もあったがこの話はしないことにする。
今日は朝から動悸がする。最近男性の更年期障害の話題があったが、2−3年前より小生もストレスがかかると動悸がする。今朝6時10分に携帯電話あり、看護ステーション管理者より他院患者の死亡確認のお願いコールがあった。ちょっと距離があり同僚の先生にお願いする様指示した。そのまま起床しホームヘージの変更、出勤、電話が2本入り、ひとつは品川区高齢福祉課、隣で大型バイク(スズキの刀、小生も1回乗ったが、立ちこ゛けした)が倒れていてひと騒ぎ、ちょっと休もうとしてトイレで休息していたら患者が三人いてトイレからだされた。3人目が高齢者で、話をくり返され、思わず動悸がしている。昼は往診4件と小学校の内科健診を予定しているので、まだまだ動悸が続きそうである。たしかに13日の金曜日だ。悪魔に気をつけないといけない。
卒後教育について。小生が医学部を卒業したのは約20年前である。国家試験は1回目で合格したが当時は合格できなければ医学部の6年間(医学部は2年間教養課程と4年間の専門課程がある)の苦労が実にならず誰もが必死であった。
はれて医師になり、希望の専門科に入局し新米医師となるが、すぐに先輩医師のもとに病棟の患者さんを受け持ち、六ヶ月後には一般病院の外来で患者を診察しアルバイトができるようになった。とにかく症例を見なければ一人前になれず精力的に当直業務をこなしたが、当初はわからないことも多く、当直に行っては当直日誌を読み勉強と度胸をつけたものだ。
医学教育とはいっても当時は卒後研修制度がなく医師も不足がちのため、医師は即戦力であったので卒業後実地訓練なしに患者を診察して患者に教えていただいたという表現が正しいと思う。誰しも新米医師に診察されたくないと思うが経歴が知らされなければ大病院で白衣を着て外来で座っている医師を信じるであろうし、ミスさえなければ信頼も勝ち得るものだ。
その後、徐々に経験を重ね専門科目を研鑚した。そして医学博士号を修得したのは卒後6-7年目であった。当時は某都立病院に勤務していたが、幸いその病院は他科の先生と親しくでき一般医学も研鑚できた。機会があり開業医になったが開業医は病院勤務医以上に独力で経験を積まないと安心して診療はできない。このような経歴であれば医学教育とはいっても実際はミスのないように細心の注意をはらい、同僚のミスは小生自身のコヤシとしてミスの無いようにする努力が医師としての自信をつけるものであり、話術と技術は徒弟職人の様に先輩医師より盗みとっていた。最近マスコミで医療ミスが騒がれているがミスをしない態度が少し足りないかもしれない。小生の卒後教育はなかったような気もするが、十分、学生時代に教育は受けてきて実地教育が不足していただけだと思う。
しかしながら、開業医の教育は皆無である。開業医は別の経験が必要であるが、現在開業医のための教育はない。開業医は医療は専門医療ではなく一般医療でも内科(呼吸器、循環器、消化器など内科全般)、小児科、皮膚科、整形外科、脳外科など(ひらたく言えば産婦人科以外)の知識が必要で、それにくわえ経営、事務、人事管理等々が必要である。。また、開業医が信頼を得るのも病院という大看板はなく一苦労である。先輩開業医はたとえミスがあっても誠意を見せ信頼を勝ち取れば納得していただけるという発言を聞いたことがあるが、きわめて印象的だった。
病院では組織が守ってくれるが、開業医の責任は1人にかかってくるのにこの発言の意味は大きい。当ホームページの本来の目的はこれから開業めざす勤務医にみて欲しいと思って立ち上げたが、ちょっと恐れ多いことでもある。もっとも勤務医は忙しくてホームページをみる時間もないか。本当に誰が見ているかわからないのがインターネットである。医療職以外の人には開業医の努力が垣間見られればそれで小生は満足である。
昨日に続いて新米医師の時の当直風景。小生が他病院への当直を許されて2-3回目の時、まず安全だといわれている企業病院(夜間患者が少ない)の当直の時に小児の喘息発作患者が来院した。もう記憶はたしかではないが、再診患者の小児3歳前後で、かたのごとくカルテを見て大体前方どうりに処置をすればよく、注射を打ち吸入をしたら軽快したので帰宅していただいた。2人目も小児の喘息発作患者だったので1人目と同様に注射をしたら軽快せず、どうも重症発作のようで徐々に顔面蒼白になり酸素テント(小生この型の酸素テントを見るのは初めてで以後見たことはない)に入れたら口角より泡を吹き意識不明になっていた。ワー、カニサン、カニサンたいへんだ。と思った瞬間、後ろのほうから病院勤務の医師が現れ処置をしていただいて、ことなきを得た。その日はもう患者を見ないでくれといわれたがそのまま当直し一夜を過ごした。大分寝苦しかったと思う、後から考えると当直していた看護婦さんが新米医師を信用できず常勤医に連絡したものと思う。新米医師にとってはベテランの当直看護婦は神様みたいなものであった。もし、この時に死亡事故があったら現在の小生はなかったと思う。修羅場は当直しているかぎりはどこにでもあった。
過去、冷や汗を覚えた例がもう一つある。当直を開始し3-4年目のころだった。朝の7時30分頃当直病院に30歳前後の女性で激しい腹痛のため救急車にて来院した。小生は8時には大学病院に出勤しなければならず出かける矢先の救急患者だった。激痛のためとりあえず鎮痛剤を注射したら突然血圧が低下、あわてて点滴と昇圧剤を投与すぐに血圧も正常にもどった。安定したためすぐに大学病院へ出勤。(常勤医は9時前に到着するのでしばし当直医は不在・・・) 後日、その患者は子宮外妊娠のため救急車にて転送されたと聞いた。子宮外妊娠破裂は大出血するために緊急手術の対象で内科的処置は間に合わない。
当直で癌が診断できた例。これも10年以上も前の話。とある病院で当直していると24歳ぐらいの女性が腹痛で来院。ご主人と同伴でどうも結婚して2-3ヶ月の様だったが腹痛のため腹部エコー検査をしたら肝臓癌であった。すでに腫瘤も大きく末期癌であった。すぐ入院したが、小生は主治医にならず数日後女性は実家(地方)に帰り。付き添っていたご主人はどうなさったか定かではなかった。こういう症例は、出生時にC型肝炎に感染し20年間の活動性肝炎の結果肝癌になる可能性が高いが(要注意。これは可能性の問題でC型肝炎が必ず肝癌になることではない) 当時はC型肝炎ウイルスの測定ができず、非A非B型肝炎と呼ばれていた。この例がそうだったかどうかは小生記憶がない。通常、病院に入院すると症例のケースカンファレンスあるがこの症例はケースカンファレンスに登らなかったと思う。もう一例、高齢者の男性と思ったが、主訴は血便、便秘だったか腹痛だったか記憶はないが、肛門から指を入れて検査をする直腸診をするため横になっていただいたら、肛門より腫瘍が見え隠れして直腸癌の可能性が高く外科当直医に診察をお願いした。これもその後は定かではない。どちらも夜間救急外来にくる症例ではないが、本人にしてみれば病院へくること自体不安だったかもしれない。こういう時こそ開業医へとも思うが、小生も悲劇は見たくないので、重病のひとは是非病院の受診をお願いします。でも重病かどうかの判断はだれに相談すれば良いのかしら・・・・。
自殺にまつわる話。小生が医学生時代に山間部の病院へ病院実習に行ったときに、本当かうそかわからないが医師より年間何例か川に飛び込み自殺があると聞いた覚えがある。山間部の病院は人里はなれた場所なので夜になると本当に無気味で安眠できなかった。このときは解剖実習が終わっていたが、それは死体であって生と死のはざまの問題は大学では教育課程には取り上げられていなく生から死への過程は遠い世界の感じがしていて、当時は自殺と聞くと身震いし、川に飛び込み水死体が病院に搬送される話は気持ち悪く、小生はまだ学生だったため常勤医が作り話をして面白がっていたようにも思えた。
さて自殺の話であるが、某病院で当直していたときに、この病院は踏み切りの近くにあった、警察の方が検死をして欲しいと病院にきた。たまたま警察署も近くにあった。都会はなんと便利なことか。警察署におもむくと飛び込み自殺だという。検死といわれても行って見ると確かに死んでいる。動かないから死んでいると思った。警察官だから間違いないと思った。警察官が脳挫傷ですよね、耳から血を流しているからね。と言われた気がする。小生はそうだそうだと言った記憶があるがその死体を見た記憶はない。不思議なことに見たくないという気持ちが強かったと思う。妙なことだが自殺死体に興味はなかった。これは小生が最初でおそらくは最後の検死であった。
自殺は病気ではないので健康保険の対象ではない。なるべく自殺する時は病院に入院しないようにして欲しい。特に意識が無く呼吸状態が悪い時は人工呼吸器が装着され治療費が膨大になります。人工呼吸器が装着されても死亡すれば結果はよかったかもしれませんが、一番最悪のケースは首くくりで人工呼吸器が装着され脳波がフラットに近くなったが何日かたち、自発呼吸が出現し呼吸器ははずされたが意識レベルがすこし回復したが、知能レベルが回復せず、お人形状態である20歳ぐらいの女性を見たことがあるが、悲劇である。
つづけて某大学病院で当直の思い出。大学病院で、小生は呼吸器内科の当直だった。当直していた時によく再来する喘息発作の重症患者がいた。重症常習者のために当直していると顔なじみになるが重症発作のために来院すると点滴が長時間になるため当直医はいやなものである。ある時例のごとく救急室から連絡が入りいそいで診察室に行き、その顔なじみの患者が呼ばれてくると目の前で顔面蒼白で「死ぬーー」と前かがみになった時は小生も少々あわてすぐさま処置をした。点滴にて軽快したが、こんな経験は初めてであった。よく死ぬ死ぬと言う人は簡単には死なないと言うが、こういう時は死ぬとは言わないでほしいものだ。小生もあわてて信じるところであった。
喘息発作でのにがい記憶は、小生も医師になり3-4年目頃と思うがこの頃はある程度経験も積み、呼吸器患者の救急対応にも自信がつき始めた時であったが当時は医師は少なく大学病院の当直は1人にまかされていた。最近は大学病院に限っては医師も多く救急室には研修医も含め多数いるようだ。その1人当直の時に喘息重傷発作で入院させた患者がいた。たまたま内科のベットがなく(内科ベットはいつも空床がないことのほうが多かった)皮膚科泌尿器科病棟に入院させた。重症のため人工呼吸器の必要があり、管を気管に装着した。そこまでは良かったが、喘息重傷発作では肺が硬く、小生の力では空気を肺にいれることができず、いそいで人工呼吸器を探させたが内科病棟ではないため時間がかかり、そうこうしているうちに呼吸器の管がはずれた。肺が硬く空気が入らずみるみる外れてしまった。小生は手が2本しかなく、たまたま看護婦が小生のそばに居ず、いったん止まってしまった呼吸はとうとう戻らなかった。なんとか助けることができた患者だと思ったのに結果的にいろいろな要因が重なり死亡してしまった。小生としては非常に残念な気持ちであったが、死亡宣告したときに、家族が「ありがとうございました。20年間喘息で苦しんでやっと楽になりました。」と言われた時は、複雑な心境であった。
最近はステロイドの吸入薬で重症喘息患者のコントロールが比較的楽にはなっているが喘息患者の数は減っていない。
当直話のついでに、麻薬類似の注射用鎮痛剤について。この薬は管理が厳しく原則金庫管理で使用前に記録し使用したアンプルも保存する義務がある。麻薬類似のために頻回使用すると常習者になることもあり時々中毒患者として手配書がでることがある。また、医療従事者のなかでも中毒患者がいたりすることもあった。中毒患者は大学病院や総合病院を転々と夜間救急外来にくるため一回受診したら注意報が医局にまわる。医師として中毒患者に麻薬をもるわけにはいかない。
また中毒患者が何回か来ているとのうわさがあった。今回は、やくざ風の男性だから注意しろとあった。そんな時に1年先輩で大柄で長身の医師が当直にあたった。この医師は屈強そうに見え大声を出せばたいてい恐れをなして患者は声もでないであろうと小生はふだんから思っていた。どうやらその患者が来院したため診察におもむいた。さぞやきっぱり注射をせずに追い返したと思ったらあっさり注射をして逃げてきたそうだ。みんなで大笑いしたことがあった。医師は見かけによらないものだ。失礼、君主危(あや)うきに近寄らず。
最近、医療ネットのアンケート調査があったが、開業医のホームページ製作の勧誘と思われ断っている。小生も当院のホームページを立ち上げたいと思うがなにせホームページを開設している医院があまりにも少なくもう暫く様子見と思う。理由は、当院で半径500メートル以外からみえる患者は小生が往診している患者を除外すると非常に少ないからである。
某病院勤務の当直で内科と外科がもめていた時の話。救急患者が夜間来院すると大人であれば内科がよばれることが多い。ある時、内科部長が内科と外科の当直時の外来患者数を見て内科が多いために、部長会議の結果、腹痛は外科が見ることになった。当時、盲腸(虫垂炎)の疑いの患者でも、まず。内科医が患者を診て、診断をつけ、外科の先生にお伺(うかが)いをたて、診断どうりであれば外科に入院との形をとっていた。このことが腹痛は外科にお願いした根拠かどうかは、今となっては不明であるが、小生も夜間の患者が少しでも少なくなることは歓迎であった。
病院当直とは夜5時から翌日9時まで病棟と外来救急患者を診ることであるが、当直の日は朝9時から通常業務があり、当直翌日も通常業務があるため、夜間3時間ごとに起きて診察することは(朝、4時ごろに重症患者が入院すると、そのまま起きていることもある)、30-40歳までは、勉強の意味もあり頑張ることもできるが、50-60歳では相当、激務である。大学病院では、入局20年目で当直免除があったような気がする。よく覚えていない。
さて、本題にもどるが、ある時外科部長(55歳ぐらい)が当直したときに腹痛患者が来院した。どういう処置をしたか不明だが、翌日、死亡したとの知らせがあった。病院内で、このての噂がたつのは早い。心筋梗塞のため死亡したようだった。心筋梗塞は普通胸痛が主訴だが、中には腹痛、あごの痛み、左上肢の放散痛が少しではあるが存在する。また、進行性で歩いてきた患者が急変することもあり、心電図も数時間ごとに繰り返し検査しないと診断できないケースもあり、経験を積んだ内科医(ここの内科医とは一般内科、最近は専門医志向のため逆に専門医は他の専門はわからないかもしれない)では熟知しているはずである。
誰に責任があるかわからないが、その外科部長は胃癌のため鬼籍に入っている。合掌。
これもずいぶん前の話。昔々あるところで定年間際の部長医師がいました。年配なので部長当直の時はなにか大変なことが起きると若い医師は心配しておりました。ある晩、長期入院患者が苦しいと部長が駆けつけ処置をしておりましたが、患者は余りの苦しさにベットの上で暴れていましたが部長医師が「うるさい」と一言いって、上から押さえつけたら本当に静かになりました・・・・・・・・・。
当直で眠れぬ夜に、患者が急変したとのことで病棟に行き1-2時間たち死亡確認をした。朝方に別の外科患者が大部屋で呼吸停止していたと報告があった。術後2-3日で亡くなっては困る患者だったそうだ。朝方だったのでいそいで大学病院に逃げた。(急いで帰ったの間違い。)病院で夜にお亡くなるときは1人でないと病棟看護婦の手が足りず見過ごされますのでくれぐれも同時に呼吸停止なさらぬよう注意をお願いいたします。
もう一題。救急指定病院で何でも患者を引き受ける病院があった。当直医師は文字どうり眠れぬ一夜を過ごすことになるが、救急車で呼吸停止の患者を処置し、診療室のベットに安置し、その隣で外来患者を診たときは、さすがに野戦病院だなと思った。
上記は別々の病院のため特定の病院を誹謗中傷することではないことを申し添えておきます。
現在、小生が使用しているファイバーは光学式のファイバーである。最近、電子式のCCDカメラ使用のファイバーに置き換わっているが、値段が光学式に比べ2−3倍高価であり、器械物であるから故障率も高いかもしれない。(もっとも光学式ファイバーも先端部は衝撃に弱く、衝撃で水漏れしたことがあり修理代に50万かかると言われた時はびっくりした。開業医は検査でもとはなかなかとれない。) CCDであるため視野はテレビで再現され、使い勝手はやや落ちるが解像度は良好である。一方、小生が初めて胃カメラに触れた時はファイバーの前端部にマイクロフィルムを入れてレンズが側方についた本当の胃のカメラであった。前方が見えないため手探りで施行し胃内部全部を見ることは手技者によってだいぶ違った。現在はレンズが前方について視野も広く非常に使いやすい。当時は指導医はいたが、なかなか教えてくれなかった。盗むように手技を見ていたが、当初はカメラに連結できる補助ファイバーを装着し指導医と同時に病変を観察していたが、初めから一人で検査ができるようになるには研修病院で症例を重ねるようになってからで、2−3年はかかった。
当初は胃癌も見たことがなく、潰瘍病変の一部をとり後は病理診断をしていただいて、癌か潰瘍か他人まかせであった。最初の一年の時に、小生の検査した患者が胃癌だったがその検査結果がないという事件があった。内視鏡室で検査結果をその時書かなければ帰れないので、小生が書いてないはずはないが、胃癌か潰瘍か判断できない当時はあとあじが悪かった。その患者は心筋梗塞で入院しその時に胃癌に気がついたようだか、心筋梗塞のため手術はできたかどうか不明である。しばらくして小生は出張病院に行ったような気がする。(責任を取らせられて出張したわけではない。) そんなことも遠い昔である。
胃カメラについて2題。早期胃癌。20台の女性で貧血精査入院。胃カメラを小生が施行。胃粘膜も貧血のため白色調が強かった。そのなかで一箇所一筋の出血部位があり小さな潰瘍であった。潰瘍病変は小さいため、出血以外は悪性所見は認められなかった。しかし、病理検査では未分化細胞癌であった。通常、胃癌は腺癌が多いが未分化細胞癌の場合は好発部位が不特定で見逃すこともありうるが本当に幸運(なにが幸運?)な症例であった。
これは病院の医師から聞いた話。年齢不詳、男性。本人が食道癌の検査希望にて早期癌が見つかった症例。本人が食道癌と思ったため(理由は不明)国立癌センターにて2回胃カメラ施行、2回とも異常なしだった。でも、本人が食道癌と思ったため小生の勤務していた病院の同僚医師が検査したところ、食道癌だった。これは国立癌センターが見逃したのではなく、3回目の検査の時にあったとしか考えられない。いずれにしても早期だったため手術は成功し元気だと、故人になった外科部長が言っていた。以上、記憶に残っている2症例でした。
聞き役。81歳女性。独居。病院通いが多く。女子医大。某都立病院に月1回通っている。何で通院しているか小生もよくわからない。やはり病院志向なのであろう。病院では診察中に話はあまりしていないと思うが、小生の前では良くしゃべる。入浴の話が冬場に洗髪するときは寒いので薄手の下着のまま髪を洗ったり、湯船では時々立ち上がって暫くしたらもう一度入浴する・・・。湯船で寝るのは怖いですよね・・・。いつも入浴中には目をつぶる・・・。入浴する時は浴室を暖めるため流し湯を暫く流してから入浴する・・・。小生も、22.3歳の娘さんならまだまだ聞いていたいが、困ったものだ。
肛門の絵が描いてある大人のカルテがある。当院は内科であるが、困ったことがあれば一応なんでも診察している。肛門も診る事もあるが、この患者の場合、初診時に肛門である。カルテの一番上に肛門の絵になってしまう。どうしたものか・・・。カルテを出すたびに肛門の絵である。
昨日は法事で出かける直前に電話が入り、患者が脳内出血のため大学病院に搬送されたと連絡が入った。まだ、時間があったので大学病院に駆けつけた。小生が駆けつけても家族には安心感を与えるかもしれないが何の役にもたたない。(当直医師にはじゃまだったかも?) 患者は入院のため当院はこの患者と一緒にくる母親の計2名が来院できなくなっただけである。さて、患者の容態は一般的な経過なので説明しないが、休日で大学病院の救急外来は大変混雑していた。救急患者のはずだが平穏な様子である。あまり重症患者はいない様子であった。診察室では重症患者を診察しているので待合時間が長いようで一部患者はイライラしていた。大学病院は3次救急施設のため、重症患者が救急車で搬送される。救急車がくれば割り込まれることもあり、ますます外来患者の待合時間は長くなる。
一方、昼前に医師会休日診療所に行ったところ患者も居ず閑散として、医師2名看護婦2名が談笑していた。休日診療所は1次救急施設であるが救急患者の9割は対応可能である。患者は建物で判断している様子だが、軽症患者は是非医師会も利用して欲しい。また、重症か軽症か判断に迷う時は電話にて連絡していただけば返事が出来るようになっている。これは宣伝ではなく待ち時間が長くイライラしている患者をみての感想である。