いつの間にか雨模様の日が多くなってきた。雨は気持ちを暗くする作用もある。病気でいえば喘息シーズンで、早速4人ばかり異変に気がついて来院している。病気で季節感を覚えるのは職業柄致し方ない。
自動車の騒音に負けまいと鳴いていたセミもいつの間にか騒音にかき消され、夕闇にまぎれて鈴虫が忍び寄る初秋である。蝉も良し、鈴虫はなお良い。
患者のいない診察室に居ると季節感が乏しくなる。季節感とはいわず、時間の止まる瞬間を感じている。瞬間のはずではないのだがそれだけ小生も年輪を重ね、少年老い易しの老いに近しい存在で、たしかに瞬間を感じる。精神病患者で病識の有る無しが行く末を決めるが、時間の緩急は如何様(いかよう)に感じるべきものであろう。遠い天竺に経典を求める玄奘三蔵の計り知れない無への探訪に近いかもしれない。空即是色、色即是空。そして輪廻は回る。
これも災難と呼べるかどうかわからないが、夏休みの宿題を添付つきメールで送ったつもりが添付文書が行かなかった。夜会議があって帰宅したら本文なしのメールありの返事であった。締め切りは昨日であった。とほほ。
会議は在宅終末医療に関するケーススタディであった。小生は症例2例提出したが、他の参加者の話を聞くと在宅末期癌は8割の「おみとり」は病院だそうだ。癌末期は家族も見るに見かねるとの追加発言もあった。緩和ケアでは癌疼痛には積極的にモルヒネを使用する。モルヒネの使用は厳しく単なる死への不安だけでは使用しないと思う。不安症状は通常一過性で死への受容期を経て死に至る。癌死の場合は年齢層も幅広く、在宅終末医療は難しいのだろう。
在宅医療で多いケースは脳梗塞、脳出血等脳血管障害が多く、栄養状態が良ければ長く延命する。入院中、胃ろうが必要だと言われ家族は承諾し設置したが、そのために介護が長期にわたることもある。まさに生命維持装置である。ここでも家族が後悔している事が、ケアマネージャーから報告があったが、医療への非難は直接医師の耳には入りづらい。
小生の感じた在宅終末医療の秘訣は家族の絆が強い母子か、ちょうど旨く交代して看護ができる家族数がある事、比較的体重が軽く介護の負担が軽い事が重要かと感じた。簡単に言えば介護力の問題である。小生は身重なのですぐに適用外となりそうだ・・・。人間愛情だけでは生きていけない。
後日、在宅リハビリテーションの評価も検討課題だそうだ。まだまだ、介護、医療と問題山積であるが、問題が解決する前に制度疲労しなければ良いと少し心配している・・・。
在宅患者で困った問題があった。ご主人がアルツハィマーに近いパーキンソン症候群で老夫婦二人住まいの老老介護である。寝たきりで要介護5。嚥下困難のため、すでに胃ろうがある。今回、神経障害があり舌根沈下のため呼吸困難になっている。ここ1週間増悪傾向で横臥すると苦しい苦しいと言って空気が肺に入らなくなるため上半身を少し上げてある。痴呆症があるので問題が複雑であるが、気管切開しないと窒息する。しかしながら本人にいくらか理解力があるので、本人に窒息の危険があるのでのどに穴を開けないといけないと説明すると、そんなのいやだと言う。死んでもいいかと聞くと、死んでもいいと返答する。返答がはっきりしているのでこれが本人の生命に関する意思であれば尊重しなければならない。思わず、呼吸が止まったら連絡して下さいと言ったら、三人でいじめていると返答した。確かに理解力がある。病院の先生にお聞きしたが、本人の意思がないと気管切開は出来ないと言う。困った。多分、呼吸が止まってもエアウェーを入れて気道確保することも判断を迷っていると時間的に難しいか。
昨日胃ろうの問題に触れたが、この場合も気管切開するかしないかで生命予後が著しく異なる。痴呆が進み移動の出来ない患者は移動のできる痴呆症より介護の手間が少ないが、気管切開すれば喀痰吸引を24時間する必要に迫られるので、この例では介護量が急激に増えてしまうので気管切開しないことも選択支の一つである。結論は一週間せずに出そうだが、結末は触れない事とする。結果は神のみぞ知る・・・。
先日の在宅終末医療の会議で一つ言い忘れた事に点滴の話題があった。
500mlの点滴はカロリーも少ないが、脱水、瀕死の状態では効果は大きい。また、点滴をすると比較的に血糖が上がり眠気を誘いその眠りが疲労回復に効果がある。開業医の点滴は大きな医療行為である。
終末期に点滴をしなければ医療機関はただ往診に行って見てるだけになる可能性が高い。見ているだけであれば誰でも出来そうなのでつい点滴をするのだろう。患者にしてみれば点滴の時間は苦痛以外の何物でもない感もある。ある医師はのどが渇いたとき一杯の水は嬉しいだろうと言う気持ちで点滴をしているそうだ。週末医療のため一本の点滴でも延命効果は期待できる。医師によって点滴派と非点滴派がいるそうだ。小生はといえば非点滴派である。
しかし全く点滴をしないわけではない。過去に肝臓癌の意識のない末期患者に点滴を1日500ml連日していたことがあったが、延命効果は大きく意識のないまま2週間ぐらいしたら家族が介護に疲労し家族から点滴の中止を希望され承諾した。それから真夏の暑い時期に丸4日間生命があった。飲まず食わずで1日500mlの点滴でこれだけの効果があり点滴を中止しても生きようとする生命力はすさまじいものを感じた。
この患者は小生が診た時は1週間ぐらいと思ったが点滴にて延命している。たしかに大した違いではないが家族の思いは複雑だ。肝臓癌の末期で意識はなく死は確実のため点滴する行為は限りなく無為に近い。それに引き換え、臨終を見慣れていない現代人の、「待つ」という行為は苦痛以外の何者でもなさそうだ。
真に終末医療は難しく、小生は家族の気持ちを諮(はか)りながら事にあたっている次第である。
医学生時代に病理学教室で勉強させて頂いたことがある。学生3−4人で組織のプレパラートを見たり、病理カンファレンスに参加したりしていた。興味本位であったが下宿していて閑なことも手伝って教室に通っていた。病理解剖があると時々手伝っていたが、最後の頃は腸を洗い流す仕事ぐらいはお手伝いした。最初は興味本位であった。何か崇高な事をしている様に感じていたが、徐々に力仕事になったため興味が失せてきた。解剖方法は何例か見れば要領は理解してしまう。
ある時、何時もの様に解剖を見学していた時、年配の助教授がやってきた。この助教授はパイプタバコが愛用で何時もパイプをくわえていた。その時もパイプをくわえ、剖検中の腹部を見たかと思うと露出している肝臓を見て、くわえているパイプの口元で肝臓を触り、ここを良く見るようにと何回もパイプで触り、意図が病理医に伝わったと思うと、やおらパイプを口にしてゆっくり離れていった。剖検は肝炎等感染しないよう厳重に注意されていたので肝を冷やした。
剖検に関する逸話に、何処かの地方病院で、入院していた母親を死亡後、病室で剖検した外科医がいたと噂を聞いたことがある。もう20年以上前の話で真偽の程はわからない。
以前学生実習で病院に行った話をしたが、田舎のため病理医がいなく外科医が剖検していた。もちろん後日病理医が組織診断する事になっていた。都心では考えられないが、二十年前の地方病院では剖検のため致し方なかったと思われる。
病理で大切な事は病変を探し出す事である。すでに臨床診断がついている事が多いが、臨床診断がついていず解剖して初めて診断のつくものもある。また目で見て診断できず、顕微鏡を覗いてはじめて診断のつく症例もある。のちに剖検症例はカンファレンスがあり、臨床医と病理医の真剣勝負の事もある。教室によっては病理教室と仲が悪い事もある。真剣であればある程仲が悪い事がある。まあ、ほどほどにして頂きたいこともあった。
臨床医は目立つことが多いが、地道な病理医は目立たないことも多い。ただ病理カンファランスになると病理医はその専門性を武器に内科医に対抗する。いささか病理医の方が優位に事が進む。もちろん病因を確かめる最終診断は病理医が下すことになるが、臨床医はその診断に限りなく近づきたいと思っている。
外来にて。60前後の女性。病院の循環器内科に高脂血症で通院していた。どうも医師が何も言ってくれないことが不満であるようだ。血液検査をしても検査結果の数字を教えてくれず、ただ高いですねと言われるそうだ。彼女は過去に人間ドックにてB型肝炎抗体が陽性のため肝炎が心配事になっていた。また、薬を飲み続ける事にも不安を覚えていたそうだ。
病院の外来で待たされて医師の前で聞きたい事が聞けず、聞いても医師は循環器が専門ですからとの返事であるそうだ。しかるに小生の所では時間があるので次のような会話になる。
「どうなさいましたか?」
患者「病院で高脂血症の薬を飲んでいるのですが肝臓が悪いのではないかと心配です。」
「病院の先生は肝機能について何と言われていますか。」
患者「正常だそうですが不安です。一度先生のところで血液検査をお願いします。」
「わかりました。」
数日後。
「検査結果がでました。肝機能は正常上限です。コレステロールは260を少し越えていますね。血糖も160を越えています。尿糖は陰性です。コレステロールは薬を飲んでいても高いですね。」
患者「コレステロールは薬を飲んでも下がらないのですか。」
「新しい薬を使用すれば正常に入ります。」
患者「でも先生、病院の患者の話ではコレステロールの低い人は癌患者が多いそうですね。」
「それは逆です、癌患者の末期にはコレステロールの低下している人が多いので、コレステロールが低いから癌患者ということではありません。でも、お友達が多い病院ですので、私のところより良さそうですね。」(ここで笑い)
「病院の方が安心そうですよ。」そんなことにはお構いなく。
患者「先生、肝臓は大丈夫でしょうか。不安です。」
「コレステロールが高く、血糖が高いので脂肪肝の可能性が高いですが、親兄弟の人で糖尿病の人はいませんか。」
患者「親兄弟に糖尿病は居ません。代々住職ですので確かです。」
「体型はいかがですか。」
患者「やせています。」
「住職で摂生されている可能性はありませんか。」
患者「坊主は生臭坊主が多いんです。法事の時にゴルフに行ったり、○○県の住職さんは後家さんに手を出して有名です。」言葉に困ったのでつい・・・。
「それは功徳です。何事も南無阿弥陀仏・・・。」
患者「そんな事言っても坊主ですよ。」だいぶ視線が強かった・・・。
「私はたんなる開業医。」 雲行きが怪しくなったので本題に戻って
「そんなことより、血糖が高くて、尿糖は出ていませんので年齢も考えるとインシュリン量は出ていますが反応速度が遅く、そのために食後過血糖の可能性があります。今後治療の必要があるかどうかHbA1cを測定しましょう。結果を見てから今後の方針を考えます。」
やっと、納得して?お引取り願ったが、まだまだ、言い残した事がありそうだ。
どうも、坊主憎ければ袈裟までも、君子危うきに近寄らず、台風一過である。今年は台風二過。当院は風前のともし火状態である。
15日に60前後の女性の寸劇を披露したが、すこし事実と違う事をお詫びする。余り事実であると、困ることがあったので、少し脚色してある。(南無阿弥陀仏がウソピー、他にもいくつか・・・。m(_ _)m )
本来、問題とすべく事は。60歳以降の年齢の人でインシュリンのでる反応速度が低下し、食後過血糖の話をしたかった。(何年も区民健診をしていると何人か同様の人がいる)
従来、糖尿病のコントロールは糖尿が出なければ良しとしたが、近年は非常にコントロールが厳しくなっている。また、血糖の一ヶ月の平均値をあらわすというHbA1cが正常であっても、前出の食後に血糖が正常より高くなる郡がいる。その郡を詳しく調べると、血中インシュリンの食事に対する反応速度が低下しているものがある。一日の総インシュリンは正常人と余り変わらないが、インシュリンを出す反応が遅い。だらだらとインシュリンがでる。
従来は話題にのぼらなかったが、その反応速度を速める薬と、糖を吸収する時間を遅らせる薬が出現してから、問題になっている。まず、薬ありきである。専門家は積極的に治療する根拠として、検診で糖尿病と診断できた時には、もうすでに糖尿病の合併症が進行していることを理由としている。
この事はは医学界ではまだ既成事実にはなっていないと思うが、難しいところだ。糖尿病で腎不全になり透析に移行する人が多い現在、糖尿病の早期治療が医療費減少に寄与するかもしれない。
逆に、先の60歳以上の食後過血糖の問題は、いかがなものか。今回60歳女性としたが、以前よりこの問題には気がついていて、70−80歳の人には注意しなかった。60歳の人はどうしたものかの寸劇であった。まことに医療は難しい。患者を多く来る事を望めば、すぐに投薬治療かもしれないが、治療は必要ないかもしれない。小生として現在は治療する気持ちはないが、そのやりとりが、今後の何かに大きく影響する可能性があると思う。
在宅医療で患者から24時間連絡出来ることは重要な事とおもうが、以前、当地区と、某医師会の話をしたことがある。最近、某地区の医師の談話を聞いた。2年前に発足し、医師数十名が連携し1週間おきに交代して医師会全体の24時間の連携をしている。かの医師は2年経って、うまくいっていないと話す。制度自体は存続しているものと思うが、患者は知らない先生が往診する事をいやがると言っている。もちろんすべての患者が言っている訳でもないだろうし、医師に対して本音を言っている訳でもない。緊急の場合は救急車にも乗ろうとする患者がすべてを拒絶する事はない。
かの医師の論理とすれば、その連携医師の多様性に驚き、グループには参加していないそうだか、何年かに1回、旅行時には、重病の患者が気になったことがあるそうだ。医師の論理はさまざまで連携の難しさがある。
もう一つは、緩和ケアの難しさをお聞きした。緩和ケア病棟を開設していた先生の事を聞いた。緩和ケア病棟は慢性安定期患者が入所するものと思っていたそうだ。しかしながら現実はその逆で急性重症期になってしまったそうだ。そのため閉鎖を余儀なくされた。緩和ケアの患者は安定期は在宅を望む人が大多数であった事が原因であった。当地区でも緩和ケア系が立ち上がっているが、やはり在宅ケアの重要性を示している。
今後もこの問題は継続するが、ニーズが高まれば本格整備になるが、都心で大病院が多いと患者の気持ちを考えると、その需要と供給バランスが難しい。もともと古くから緩和ケアに望んでいる地区もあるが都心型は模索中である。
ここでは触れないが人間と猫の関係は歴史が深い。医学的にアニマルテラピーという癒(いや)し系の動物は可愛らしく小型であれば飼育しやすく、猫は最適である。
猫は何処にでもいる。どら猫と思っていても生きるためにはテリトリィーがある。えさを確保するには、何とかご主人を探す必要があり、それにはお互い惹かれるもの同士が必要なようだ。
高齢者と猫の時の共有は不思議な時間が流れている。何を待つわけでもないが、お互いの存在を確かめ合っている様にも見える。小生も、邪魔はしたくないものである。それでも止まった時は進むことが必要で敏感な猫が、足音に細めた目を小生に向ける。猫も一役かって小生の診療のはばを広げるが、在宅診療も猫によるご機嫌うかがいには勝ちようがない。小生は逃げるように退散する事が精一杯の有りようとなった。
役者も子供には敵(かな)わぬ様に、小生は猫にかなわなかった・・・。
動悸がする。4月より帳簿を記載していなかったので、急いで記帳している。もともと、金融関係は記帳しているので資金繰りは問題はない。(貯金が増えないという問題は別。) 残るレシート類の整理が大半である。レシートはバラバラに保存してあるので、月別日付順に整理できれば出来たも同然である。問題はあるはずのレシートがなかったり、銀行の通帳と帳簿があわないと大変である。しかるに、パソコンに入力時に緊張感が否応にも高まる。以前はなかった動悸であるが、従来はセデスGを服用すればすぐさま消失したが、セデスGを頻回に飲むわけにもいかず、ジッとおさまるまで待っている。
更年期障害である。困ったものだ。緊張すると手も振るえ筆記が乱れる。専門の医師はいないかしら。誰か、心の休まる医師がいれば紹介してほしい・・・。でも、ここを出ることもできず、困ったことだ。あ、前にもこんなことを書いた。ボケてきたかな・・・。可愛い猫でも診察室の中に入れて。不安な時は猫とスキンシップかしら・・・。少し重症である。
某病院の院長は、入院患者が減っているという。これは何を意味しているか不明である。病気へのコスト意識が芽生えているとは思わないが、今後、健康保険の本人負担が2割から3割になれば病気でも通院しない人がでてくる可能性がある。過去に医療費の自己負担が増えたときは数ヶ月間は患者数が低下したが、直ぐに元に戻った。今回は元に戻るか予想ができない。例えば高血圧にて通院している人は1ヶ月約1万円弱負担していると思う。それが3割負担になると1万3千円ぐらいの負担と思われる。糖尿病と高血圧に罹患していれば医療費は倍の2-3万円負担する必要がでてくる。如何に健康志向でも医療費の負担増では納得できない人たちもいると思われる。
最近、不況の2文字であるが、リストラ世代はちょうど要医療状態の人が増える年代である。この世代は最近自殺率が増えているが、自殺しなくとも医療拒否率も増えているかもしれない。長寿時代を謳歌しているはずであるが数年後に平均寿命は低下するかもしれない。杞憂であればと願う。
緩和ケア。どうも今ひとつ理解していないようだ。
先日、世話人会に出席した。その場で感じた事は、患者が緩和ケアを望んだ時は壮絶な癌との戦いの結果最後の選択をしているようだ。という事は、外科手術、化学療法、放射線治療等々の治療後ということである。つまり癌を宣告され緩和ケアを一番に選択する人はいないと思う。この事は専門家会議だったので一言も触れられなかった。
何が問題かというと、モルヒネを選択する時は余命いくばくもなく、IVH(中心静脈栄養)が施行されているケースが多そうなことが推測される。勿論結果として1年位モルヒネを使用することもあるそうだが、食欲もなく点滴だけで生き長らえ、モルヒネを使用することは少し奇異な印象も感じる。
モルヒネの使用は現実感を薄め、多幸感に酔いしれるのであろう。点滴だけで生き長らえ苦痛を感じない状態であろうか。勿論、家族がいて本人を支えていると思うが、本人は多幸感があり、家族は対極の絶望感を感じ続ける場合は、そのかすかな生命を医療技術で支える事は究極の選択と言えるであろうか。
小生の経験では在宅でお亡くなりになる人への点滴期間は非常に短い。ここに、在宅医療の前提条件が違ってくる。勿論、疾患も脳血管障害が多い事も事実で比較的慢性疾患にて点滴よりも胃ろうの事も多い。
IVHも胃ろうも生命維持には必要不可欠である。モルヒネを使用すると腸管の動きが妨げられ胃ろうよりもIVHの選択は自然であるが、病院では自然であっても、開業医が積極的にIVHは施行しない。IVHの手技は小生もできるが、胃ろうの手技はできない。それでも在宅でのIVHには違和感がある。
これもまず薬ありきの選択であろうか。医学の正当性は、過去の実践の積み重ねと思う。それにつけても緩和ケアは異質な印象を受けるが、必要な医療としてイギリスでは歴史が深い。ここの点も小生は不勉強である。
日本では在宅ホスピスという言葉はまだ認知されていないそうだ。ここで開業医の登場である。本人は在宅を希望することもあろう。生活環境として、家族がいて、住み慣れた環境は必ず癒される何かがあるはずだ。それは思い出、人間関係、風景、臭い、草木、本人しかわからない大切な何かがあるはずである。そこに開業医が医療スタッフの一員として参加したい。
在宅でキーワードになる家族も、実際に介護して、その困難感により他人には在宅医療を積極的に勧められないと思っている人も現実的にいる事を付け加えておく。
先日相談の会があった。病気の診断はすでについている患者が多数であるが、この相談の会には、本当に相談に訪れている。どこの病院でも診療行為と相談とは同時に成しえない。もちろん患者の立場にたつのか医療従事者と思うが、医師の立場がありすべての相談には問題もある。
ここでセカンドオピニオンである。あくまでもセカンドであるため診療行為は担当医師である。今回は神経疾患の相談が主であったが、その病歴は長く、患者の苦悩は真剣なものである。多くの症例を診ている医師は、逆にこの程度であれば生活面で問題にならないと思っても、将来を心配する患者には大きな問題のようだ。特に有名な大病院に通院している患者ではなおさらのようである。詳細には触れられないがたしかにセカンドオピニオンは有用と思う。ただそれには医療行為以上に費用がかかる事も事実である。
我々開業医に来院する患者は病(やまい)を甘受している人も多い、その診察では世間話に終始する事も多い。天気の話、身内の話、近所の話、そして訃報である。
もうすでに開業医はセカンドオピニオン然として診察をしているようで、時々は患者が他の医療機関へ流れてしまう。嗚呼(ああ)それも善いであろう。
嚥下は通常意識せずに自然とできるのが普通である。しかしながら、この運動は複雑であり、高齢化で徐々に衰え、脳血管障害等でその運動力が低下すると嚥下困難におちいる。
最近は在宅医療が多くなりつつあるが一番苦労するのが食事介助である事も多い。嚥下困難のため少量の食事を1-2時間かけて介助することは徒労に近い。
食欲の旺盛な読者には不思議に感じられるが、年を重ねる事はこれが当たり前になる。高齢者が柔らかい物を好むと、硬いものは嚥下できなくなる様だ。とろみが少しあった方が嚥下しやすいが、水はそれよりも難しい。水でむせぶようなら、要注意ということである。
嚥下運動は、毎日、普通自然と200回程度ツバを飲み込む運動をこなしている。この運動が出来ないと急速に嚥下困難となる。その運動を回復させるため咽頭のアイス刺激、口唇のアイスマッサージ、10-15度Cの飲水等が効果的だそうだ。
嚥下は人間の基本的な動作でそれができなくなるとは大変悲しいことである。つい最近までは植物状態でも人工呼吸器で永遠と治療した事もあるが、自発呼吸があれば意識のない患者を補液や補栄養にて生き長らえることもできるし、また、意識はあるが高度痴呆の患者も人工栄養で生き長らえることもできる。
小生の印象だと入院しているより在宅で手厚く介護されているほうが重症感染症の危険も少なく長命のようだ。長命になればなるほど痴呆症の問題が出現し家族への負担が増大する。今後この問題が大きくクローズアップされるかもしれないが、痴呆患者に生きる権利があるかの命題には結論は出ないであろう。
今朝の新聞を見るといよいよ健康保険本人が3割負担が決定するようだ。まだ試案である。今回発表は、寝たきり老人での「在宅総合診療」の廃止もあるようだが、決定事項ではないにしろ自己負担率が増えるのは必死である。
医療保険が一割負担になると在宅医療は高額であることもわかる。高額であっても在宅医療は必要とされているので何らかの方法が必要かとも思うがいかがなものか。
今回の健保3割はある程度予想された事だが、この事より医師側で困ったことがある。それは一般病床より介護保険対象になる特養施設への変更である。厚○労○○は医療保険の削減が急務のためいよいよ特養施設の増床に向かう。特養施設は慢性疾患で病気も安定しているため医師は必ずしも常勤している必要はない。つまり一般病床が減ると医師も必要がなくなるという事である。いよいよ医師受難の時代の始まりのようである。
行き場をなくした医師は開業医の道へと進むのであろうか。医師はプライドも高く、すぐに開業医に転進出来るほど芸達者とは思わない。また、最低15年開業できることが条件と思うので65歳まで働くとして50歳までが開業できる限界でもちろん開業資金も十分に必要である。となれば50-60歳のリストラ医師は就職先がなくなる可能性があり、何千人単位の医師がこの対象になるかもしれない。これも杞憂であればと思う。
ここで開業医(内科)で成功する秘訣は小生にはわからないが、失敗しない方法はとにかく先行投資を少なくし、医師一人、事務0.5人ですべてできる体制を作ればよい。これならば大成功はしないが、そのかわり大失敗はない。不思議に思えるだろうが意外と真実かもしれない。
月下美人を一輪頂いた。一葉に一輪。小生の実家には月下美人が数鉢あり何回も開花を観ているが写欲が失せてしまう花である。構図が決まらない。葉肉がごつごつ勢いがない。花は下からのぞきこまないと花心を正視できない。夜咲くということは光が乏しく人工光源でしか鑑賞できない。夜目遠目傘の中。美人を見るのは難題である。小生も死ぬ前に一目でもよいから・・・。まあ、難題である。
もうすぐ10月だというのに日中は暑い。一日中エアコンをつけていたので急激な温度変化に小生も体がついていかない。男性の更年期障害と思っているが、動悸がして、少し切れやすい自分にいらだちを覚えている。
娘が熱ほ出したと連絡があり迎えに相方が出かけたがこういう時に限って胃カメラを予定していた患者が30分も早く来院、結局40分後に開始となった。症状は食べ物がつかえるであり、結果は食道裂孔ヘルニアであった。胃カメラと同時に喘息発作の小児がいて、たまたま点滴となった。小児の点滴は親御さんが付いていないと不安がる。この子は一年間点滴をしていないので、胃カメラと点滴が同時進行では目が離れてしまう。あたふたしている様が御分かりであろうか。
娘は連れて帰れば解熱しているようだし、昼は回転寿司で食べるし、車の中では歌わないと車酔いするとうるさいし、その間月末なので銀行に行き、待たされるとイライラし、道路は連休明けで混雑し小生は切れる寸前である。もともと勤勉実直で温厚な性格の小生であったが寄る年波と周囲の雑音で雄たけびをあげるゴジラの様な性格と頭脳に成り果てている。そばにはチビラ・・・。ガァォーーーー。
多忙。昼に往診4件。その足で医療懇談会。その間、携帯電話が、アンケート会社から2件、東京都医○会から1件、患者から1件。午後の診療時間にアンケート会社から電話インタビュー20分。本当に外回りが忙しい。で、患者はというと少ない・・・。開業医とは医院にじっとしているイメージがありそうだが外回りで忙しい。
8月の薬問屋の収入が前年同月比80%だそうだ、不況の影響が深刻かもしれない。デフレスパイラルであれば医療も減速のようだ。で、小生はというと相変わらず外回りで営業活動しているようなものだ。
北に小学校があれば注射に行き、南に保育園があれば0歳児とたわむれ、西に区役所があれば介護介護と鈴がなり、東に医師会があれば夜な夜な会議におぼれ、いたるところ向かい風あり、これが医療逆風世代の開業医の道。あれ、患者が抜け落ちている・・・。
痴呆系の患者宅で、盛り上がることしきり。食事は美味しいかと言うと嫁さんが良くやってくれる。美味しいという。どんな味が好きか聞くと、田舎者だからしょぱい物が好きだが、少ししょぱくないと微妙。嫁さんが良くやってくれるから助かると言うので、昔はどうと言うと微妙、そんなに良くやってくれるならおこずかいをやらないとねと言うと、もう年なのでおこずかいは欲しくないという。そうではなくて良くやってくれる嫁さんにおこずかいをあげたらどうと言うと、わかっていたかどうかムニャムニャ。
痴呆患者との会話はできるだけ笑いをとるようにしている。肉親であると痴呆に対して怒りの表現になることが多い。肉親は昔の姿をたえず思い出すので昔はこうではなかったのにの思いが怒りになる。そこで痴呆患者はわかる話の会話を続けることが大切で、覚えていることで笑うことができることが大切と思っている。特に女性は笑うことが好きなようで笑顔で若返るようだ。