お見舞い
ある日、私がいつものように香奈子ちゃんのお見舞いに行くと、一輪の小さな花が飾られていた。黄色い花びらをつけ、ベットの脇の花瓶に一本だけ添えれていたそれは、灰色に彩られた無機的な病室の中で、ささやかな命の光を放ってるように思えた。
一体、だれがこの花を持ってきてくれたのだろうか? それは、私の頭の中に生まれた当然の疑問だった。最初に思い浮かんだのは、香奈子ちゃんのご両親だった。香奈子ちゃんのご両親は、二人とも、とても忙しい人で、あまり香奈子ちゃんのお見舞いに来ることができず、その変わり役として私が毎日香奈子ちゃんのお世話をしに来ていた。別にそのことに問題があるわけではない。お仕事が忙しいのは仕方のないことだし、この役目は私自身が望んで引き受けたことでもあるのだから、問題があるはずもなかった。ただ、その忙しい合間を縫って、香奈子ちゃんのお見舞いに来てくれたのかと思った。
でも、ご両親がお見舞いに来てくれたにしては、花瓶に生けらている花が一輪だけというのは少し不自然だなと思った。それならば、一体だれがこの花を持ってきてくれたのだろうか?
次に浮かんできたのが、同じ生徒会役員の由紀ちゃんと美和子ちゃんだった。香奈子ちゃんとは一緒に仕事をしてきた仲なんだから、二人がお見舞いに来てくれることは別に不思議じゃない。でも、お見舞いに来るなら、私に一言くらい声をかけるのではないだろうか? 二人とも私が毎日お見舞いに来ていることは知っているはずだった。
結局、いくら考えてもわかることはなさそうなので、私は、知り合いの看護婦さんに尋ねてみることにした。毎日、香奈子ちゃんの病室に通っている間に、私には何人かの看護婦さんとちょっとしたお話をするくらいになっていた。
「あっ、すみません」
ちょうど病室の前を、一人の看護婦さんが通りかかったので、私は急いで声をかけた。その人は、今年看護学校を卒業したばかりの新人さんで、患者さんや、その関係者とちょっとした雑談をするようになったのは私が始めてだそうだった。
「あら、藍原さん。どうしたの?」
「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど、よろしいですか?」
看護婦さんはこころよく「ええ、いいわよ」と言ってくれた。笑ったときに見せるえくぼが可愛らしいなと思った。
「病室に飾ってある黄色い花のことなんですけど、誰か香奈子ちゃんのお見舞いに来てくれたんですか?」
「お花? ああ、あれのことね。あれならさっき来てた男の子が生けていったわよ」
「男の子、ですか?」と私は思わず訊き返した。香奈子ちゃんのお見舞いに来てくれる男の子なんて思い当たるところがなかったからだ。
「そう、男の子だったわよ」と看護婦さんは言った。
「藍原さんと同じくらいの学年だったかしら? あまり自信はないんだけど、あの制服は藍原さんの学校のものだったと思うわ。藍原さんの学校の男子生徒の制服って詰め襟の学生服でしょ?」
私は「ええ」と肯いて考え込んだ。香奈子ちゃんのお見舞いに来てくれる同じ学校の男子生徒なんて、本当に心当たりがなかった。
「その人、どんな人だったか、憶えていませんか?」
私の質問に看護婦さんは「うーん」と小さく唸った。そして、「あの子のこと、知ってるかな?」と言った。
「あの子?」
「太田さんと同じ日に病院に運び込まれた兄妹がいたでしょ。その病室の前でじっと立ちすくんでいる男の子がいるのよ。その子が太田さんの病室に花を生けていったの」
私も、その人のことなら何度か見かけたことがあった。前期の生徒会長である月島先輩と、その妹さんが眠る病室の前で、その人はじっと病室の扉を見つめていた。その人の瞳は、目の前の扉を見つめているようで、もっと他のものを見ているような瞳だった。その人の存在は、この場にいて、この場にいないような、そんな感じがした。月島先輩か、その妹さん、どちらかのお友達で、お見舞いに来たのだろうか? 私はそう思い、しばらくその人のことを眺めていたのだが、結局その人は病室に入ることなく、その場を立ち去った。なにか、病室に入れない、もしくは、入りたくない理由があるのだろうか? もし、そうなのだとしたら、私にはその人の気持ちが少しだけわかる気がした。私も、今の香奈子ちゃんの姿を見るのは辛いものがある。ただ、虚ろな瞳で天上を見つめる目の前の香奈子ちゃんと、かつて私がいじめられているところを助けてくれて香奈子ちゃんが同じ香奈子ちゃんであると信じられないことがある。できることなら、あの時の香奈子ちゃん姿だけを記憶の中に留めておきたいと思ったことすらある。月島先輩達の病室でひとりたたずむその人も、きっと変わり果てた友達――もしくは恋人?――の姿を目にしたくはないのではないかと思った。元気なままの友達の姿だけを、ずっと記憶の中に留めておきたいのではないかと、そう思った。
ともかく、その人が月島先輩の知り合いであるならば、香奈子ちゃんと知り合いであってもおかしくはないなと思った。私は、看護婦にお礼を言い、それ以上のことは考えないようにした。あまり人の心の深いところには、不用意に立ち入らない方が良いと思った。軽く頭を振って気を取り直してから、香奈子ちゃんのお世話に集中することにした。
それから数日、私はいつも通り学校に通い、その帰りに香奈子ちゃんの病室へお見舞いにいった。病室に飾られていたお花は、少しずつ元気をなくしていったけど、それを取り替えようという気はおこらなかった。せめて、このお花をもってきてくれた人に、一言お礼を言いたいと思っていた。しかし、あれから月島先輩の病室の前に、あの人が姿を現すことはなく、あらかじめ用意しておいたお礼の言葉は、私の口から外へと飛び出すことはなかった。胸の中に小さなもやもやを抱えたまま、ただ、日々だけが流れ過ぎていった。
それは、そんなある日のお昼休みの出来事だった。私は、由紀ちゃんや、美和子ちゃんと、お昼ご飯を買いに購買部へと向かうところだった。数多ある学校の購買部の例に漏れず、うちの学校の購買部もお昼時は戦争になる。人気のあるパンを求めて、多くの生徒達が購買部のカウンターに殺到する。しかし、私達は人気パン争奪戦に参加することはなく、いつものようにゆっくりとパンを買いに向かっていた。争奪戦に参加する気にはなれないし、こうやっておしゃべりしながら歩いている内に、購買部の騒ぎは沈静化する。「残り物には福がある」と言うわけにはいかないけれど、それなりのものは余っているものだった。
だから、私達はゆっくりとした足取りで、授業のことやら、受験のことやら、生徒会のことやらについて、とりとめもなくおしゃべりをしながら購買部へ向かっていた。普段、私達はおしゃべりに集中すると、あまり他のことに注意は回らないようになる。だから、その時、その人の存在に気がついたのはまったくの幸運と言ってよかった。
それは、教室を出て、階段へと続く廊下を右折する時だった。ふと、私の視界に一人の男子生徒の姿が写りこんだ。その人は、パン争奪戦に参加する他の生徒達にまったく関心を示すことなく、廊下の窓へともたれかかり、じっと遠くの空を眺めていた。空を眺めているようで、本当はもっと他のものを見ているような瞳。この場にいて、この場にいないような存在感。その瞬間、目の前のその人と、月島先輩の病室の前でたたずむあの人の姿が、私の中でぴたり重なった。
「瑞穂、どうかしたの?」
私は、どうやら無意識の内に足を止めてしまったらしい。由紀ちゃんと美和子ちゃんは、少し先に進んだところから、心配そうに私の方を見つめていた。
「ん? なにかあったの?」
私は「なんでもないよ」と言おうとしたが、その瞬間に由紀ちゃんが私の視線の先に割って入った。
「あれ? 長瀬くんじゃない?」と由紀ちゃんは言った。
「長瀬くん?」と私は訊いた。
「なに? 名前知らなかったの? あの人はA組の長瀬祐介君。瑞穂が見てたのって長瀬くんでしょ?」
私は「うん、まぁ……」と曖昧に返事をした。なんとなくだけど、はっきり「見ていた」と告白することが恥かしく感じられた。
「瑞穂ってああいうタイプが好みだったんだ。意外というかなんというか」と由紀ちゃんがニヤニヤとしながら私の顔をのぞきこんできた。
「そ、そんなんじゃないよ」
「でも、少しはわかる気もするな。長瀬くんって一部の女子には人気あるからね。あまり目立つタイプじゃないけど、結構かわいい顔立ちしてるでしょ。そういうところが好きな子にはたまらないんだって」と由紀ちゃんは言った。「でも、やっぱり意外だったなぁ」
「もう、あんまりいじめると瑞穂がかわいそうだよ」
私と由紀ちゃんのやり取りを見兼ねたのか、美和子ちゃんが助け舟をだしてくれた。由紀ちゅんは「はいはい、わかりましたよ」と両手を軽くあげる仕草をした。どうやら、この場は引き下がってくれるみたいだった。
「もう、由紀はすぐにそうやって調子に乗るんだから」
「悪かったわよ。もう瑞穂をからかったりしないから勘弁してよ」
私は由紀ちゃんの相手をしてくれる美和子ちゃんに心の中で感謝をしつつ、窓の外を眺める人――長瀬さんの方へと視線を戻した。
「あれ?」
視線の先に長瀬さんの姿はなかった。あるのは、窓の外に広がる正午の青い空だけだった。
「なに? 今度はどうしたの?」と由紀ちゃんが振り返った。「あれ? 長瀬くんがいなくなってるね? どこいったんだろ? 学食にでも行ったのかな?」
由紀ちゃんはそう言ってあたりをきょろきょろと見渡したが、長瀬さんの姿をみつけることはできなかった。由紀ちゃんの言葉通り学食に行ったのだろうか? でも、長瀬さんが学食でお昼を摂る姿を私は想像することができなかった。
「あっ、多分、学食じゃないと思う」と美和子ちゃんが唐突に言った。
「友達から聞いた話なんだけど、長瀬くんって、お昼休みとか放課後、よく屋上にいるらしいよ」
「屋上?」と私は聞き返した。
「うん、何人か直接見たって人もいるって」
私は、お昼の屋上で、ただ一人たたずむ長瀬さんの姿を想像した。長瀬さんは、そこでも空を見つめ続けているのだろうか? そして、空を見上げながら、その先に何を見ているのだろうか? よく晴れ渡った空の下で、その場所からの解放を求めているのだろうか? そんな長瀬さんの姿は、鮮明な写真のように私の頭の中に浮かんできた。学食でお昼を摂る姿よりも、よほどリアルな映像として網膜の裏側に映り込んできた。
「由紀ちゃん、美和子ちゃん。悪いんだけど、先にお昼食べててくれないかな? 私、お昼休みに先生のところに用事があるんだった」
「用事? そんなのあったけ?」
「うん、私もすっかり忘れてた。だから、今日のお昼は二人で食べて。本当にごめんね」
私はそう言うと、急ぎ足でその場を去った。後ろからは、由紀ちゃんがなにかを言っていたけど、その時の私の耳には届かなかった。私の足は、真っ直ぐに屋上を目指していた。
長瀬さんは屋上にいた。屋上のほぼ中央に立ち、両手をズボンのポケットに入れたまま、じっと空を見上げていた。
空はよく晴れていた。雲一つない青空だった。長瀬さんの視線は、その空を見上げながら、そのさらに向こう側にあるものを見つめているように思えた。その視線の先には一体なにがあるのだろうか? 私は、長瀬さんの視線の先を追いながら、ふと、そんなことを考えた。長瀬さんは、その視線の先になにを求めているのだろうかと――。
その時、ふいに風が吹いた。風は、私と長瀬の髪を舞い上げ、開けっ放しにしてあった屋上の扉を動かした。バタンッと、屋上の重たい扉が閉まる大きな音がした。長瀬さんもその音に気がつき、体をよじったところで、ちょうど私と視線が交叉した。先程まで空の向こう側を見つめていたその瞳には、私の姿が映し出されていた。
「あ、あの……」
急なことに、私はなにを言うべきか、言葉を見つけることができなかった。そもそも、どうして私は屋上に来たのか、それすらわからなかった。私は、頭が真っ白になり、真っ白な頭の中から必死に言葉を探そうとして、ただ、あたふたとするだけだった。
「こんにちは」
と、ふいに長瀬さんが口を開いた。私が想像していたよりも優しさを含んだ声だと思った。長瀬さんの表情もいつのまにか柔らかいものになっていた。
「こ、こんにちは」と私は返事をした。先に声をかけられて事で、なんとか気を取り直すことができた。
「君は?」と長瀬さんが言った。私は慌てて自己紹介をした。
「あっ、私は藍原瑞穂といいます」
そして、頭を下げてから訊いた。
「……長瀬さん、ですよね?」
「うん、そうだけど。どこかで会った事あったかな?」
「いえ、多分、初対面だと思います」
「そうか、そうだよね」と長瀬さんはなぜだかホッとした表情をして言った。「僕になにかようかな?」
再び言葉につまった。私はなんの為に屋上に来たのか、その理由を見つけ出そうとした。幸いなことに、今回は、なんとかそれを思い出すことができた。
「あの、長瀬さんは、太田香奈子という生徒は御存知ですか?」
長瀬さんは少し考えてから言った。
「うん、知ってはいるけど、それがどうかしたのかな?」
私は、一つずつ順を追って説明した。私が香奈子ちゃんと中学校からの友達であること、今年の3月に起きた事件のせいで、香奈子ちゃんは今でも入院していること、そして、その病室に、先日、一輪の花が生けられていたということ、その花を持ってきてくれた人が、長瀬さんにそっくりだということ……。
私がその話をしている間、長瀬さんは一言も言葉を発することなく、真剣な表情で聞いてくれた。私の話の内容を、一言でも聞き漏らさないよう細心の注意を払って耳を傾けているみたいだった。長瀬さんは私の話を聞き終わると、ゆっくりと口を開いてこう言った。
「多分、その花は僕の持ってきたものだと思う。太田さんという同じ学校の生徒が入院していることが知っていたし、その病院には僕の知り合いも入院していたから、こう言っては失礼かもしれないけど、"ついで"みたいなものだったんだ」
そして、長瀬さん照れ笑いのようなものを浮かべた。「やっぱり、花一輪だけっていうのは失礼だったかな?」
私は、慌ててそれを否定した。お見舞いに来てくれたこと、そのこと自体で十分すぎるくらい嬉しいことだということを言った。そうすると、長瀬さんは喜んでくれた。長瀬さんの喜ぶ姿を見ると、なぜだか私も嬉しい気持ちになって小さく笑った。それにつられて長瀬さんも笑った。こうして笑っていると、なんだか初対面の人のような感じがしなかった。以前にもどこかで会ったことがあるような気がした。少し不思議な気持ちだなと思った。
また、私は先程の長瀬さんの言葉が気になった。長瀬さんは『知り合いが入院している』と言った。それは、やはり月島先輩達のことなのだろうか? ふと、病室の前で一人佇む長瀬さんの姿が脳裏に浮かんできた。
「あの、長瀬さん……」
私は思いきって訊いてみることにした。月島先輩達が眠る病室のこと、遠くを見ついている時の長瀬さんの視線のこと、それらのことを聞くと、長瀬さんはすごく複雑な表情をして言った。
「そんなところまで見られてたんだね」
そして、長瀬さんは空を見上げた。でも、その視線は空ではなく、空の向こう側にあるものに向けられていた。
それを見て私は少し後悔をした。調子に乗ってこんなこと訊くんじゃなかったと思った。
やがて、長瀬さんは視線を私の方へと戻した。その瞳には、再び私の姿が映し出されていた。
「うん、確かに僕はその病室の前で立ち尽くしていた。僕にはその病室にはいる勇気がなかったし、なにより僕にはそこに入る為の資格がない。月島さん達があんな風になった責任は僕にあるんだから……」
「責任?」
「そう、僕の責任なんだ。どういう責任かは言うことができないけど、僕の責任であることには違いないんだ。だから、僕にはあの病室に入る資格はないんだ」
長瀬さんは少しうつむき加減になってそう言った。その瞳には、もう私の姿は映っていなかった。
「大切な人だったのですか?」と私は訊いた。
「うん、大切な人だった。生まれて初めて『大切だ』と言える人だった」
そうして、長瀬さんは大きくため息をついた。
「もうこの話はやめよう。第一、初対面の人間と話すことじゃない」
私は黙って肯いた。お互いの間には重苦しい沈黙が流れた。長瀬さんは再び空を見上げた。もちろん、その視線の先には空の向こう側に向けられていた。私は、その視線の先を追いながら、いくつかのことについて考えた。
それは、主に長瀬さんと、香奈子ちゃんと、私自身に関することだった。私達はとても似た境遇にあると思った。私は香奈子ちゃんを、長瀬さんは月島さん――恐らくは月島先輩の妹さんを失った。いや、香奈子ちゃんは完全に失われたわけではない。香奈子ちゃんに会おうと思えば会うことはできるし、回復の望みも断たれたわけではない。少なくとも私はそう信じている。だけど、失われたものが大きいことには変わりはない。私はときどき思う。香奈子ちゃんは永遠に回復することはないのではないかと――。そうして、私は私自身の思い至った考えてに震えている。それは恐らく長瀬さんにしても同じではないかと思った。ふたりの境遇は似ている。ならば、お互い助け合うこともできるのではないかと、そう思った。
「藍原さん」
ふいに、長瀬さんが私の名前を呼んだ。私はその声で我に返って長瀬さんの方を見た。その瞳には私の姿が映っていた。
「もしも、のことなんだけど」長瀬さんはそう言って続けた。「もし、世の中の嫌なこと、思い出したくないこと、今の自分を縛り付けているもの、そういうもの全てを忘れて、完全に自由になれると言われたら、藍原さんはどうする?」
私は、急なその質問を完全に理解することはできなかった。でも、なんとなくだけど、長瀬さんの言わんとしていることはわかる気がした。そして、この言葉を聞いた瞬間、私の脳裏には香奈子ちゃんの姿が浮かんできた。
「そうですね……」と私は少し考えてから言った。
「多分、お断りすると思います。嫌なこととか、忘れたいこととか、沢山あるのはたしかです。実を言うと、香奈子ちゃんの存在を忘れたいと思ったこともあったんです。できることなら、今の香奈子ちゃんを忘れて、昔の香奈子ちゃんとの思い出だけにすがっていたいって……。でも、それは結局嘘の世界なんです。夢みたいなものだと思うんです。それはいずれ醒めてしまうものだと思うんです。たとえ、醒めることのないものだとしても、私は嘘の世界に住みたいとは思いません。そこは、どこまでいっても同じ世界だと思うからです。それならば辛いことがあったとしても、現実の世界に生きたいと思うんです。少なくとも、そこには変化があると思うんです。『希望』と言ってもいいかもしれませんね。私は、その『希望』がある限り、この世界で精一杯生きてみたいと、そう思うんです」
それから私は少し照れ笑いを浮かべた。「自分で言っていて、なにを言ってるのかわからないですけど」
長瀬さんは、しばらくの間、私の目をじっと見つめた。そして、ふと空を見上げた。その視線は、相変わらず空の向こう側に向けられていたけど、その瞳にはなんとなくだけど優しさが感じられた。やがて長瀬さんは私の方へと向き直って言った。
「ありがとう」
了
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