再会の夜に
雲一つない夜空には、あまたの星々がキラキラと輝いていた。
街が一望できる丘の上では、星々の光と、街の灯が溶け合い、自然と人が調和しているように見える。
ものみの丘。
この場所を訪れるのは久しぶりだった。
出会いと別れの冬は終わり、雪に覆われた街にも春が訪れ、季節はすでに夏へと変っていた。
「相沢さんは、どうか強くあってください」とは天野の言葉。
目の前で最愛の人を失った少女。
心に同じ傷を持つ天野と約束をした。
どんな時でも笑っていると……。
冬から夏へと季節が移ろう中、俺はその約束を守れたと思う。
あいつの居ない世界がつまらなく思えた時もあったけど、それでも世界は輝き満ちて、俺を感動させてくれた。
名雪や秋子さん、それに天野も俺の事を気づかってくれた。
人のぬくもり。それがあったからこそ俺は笑っていられたのだと思う。
一陣の風が吹きぬけ、丘の草木を優しく揺らした。
夏の夜風は心地よい。
そんな風を全身に受けながら、俺はものみの丘に倒れ込んだ。
長く伸びた草が顔にかかり、緑の匂いが鼻をくすぐった。
仰向けになった俺の視界に、満天の星空が飛び込んでくる。
広大な夜空を、悠然と流れる天の川が綺麗だった。
七月七日、二人の男女が一年に一度の再会を許された日。
この星々の大河で、その二人はどのような言葉を交わすのだろうか?
もし、俺があいつと再会できたとしたら、どんな言葉をかけるのだろうか?
満天の星空を見上げながら、ふと、そんなことを考えてしまう。
俺とあいつが永遠を誓った場所。
ずっと一緒にいるための約束の儀式。
天上での再会の日。
ものみの丘という場所と、七夕という時間が、そんな考えを引き起こした原因なのかもしれない。
俺はそんな突拍子もない考えに苦笑しながら目を閉じた。
星々の光が消え、丘を吹きぬける風の音だけが聞こえてくる。
こうして目を閉じていると、あいつの存在を感じることができた。
街中での突然の出会い。
漫画に夢中になっている姿。
辟易するような毎晩の悪戯。
肉まんを頬張っているときの嬉しそうな笑顔。
今でもあいつの姿は、しっかりと瞼に焼きついていた。
――ちりん――
気のせいだろうか? 風の音に混じって、鈴の音が聞こえたような気がする。
――ちりん、ちりん――
いや、気のせいなんかじゃない。たしかに鈴の音が聞こえる。
懐かしい鈴の音、あいつの好きだった鈴の音。
その鈴の音がたしかに聞こえる。
俺は思わず跳ね起き、あたりを見回した。
星々の光と、街の灯りが照らす丘の上。
その中心にあいつはいた。
あの時とまったく変らない姿。
永遠を誓い、そして別れた時の姿。
頭にのせた純白のヴェールをしっかりとおさえ、この夜空を見上げている。
「ま…こと……」
俺は絞り出すようにしてあいつの……真琴の名を呼んだ。
その声が聞こえたのか、真琴はゆっくりとこちらに顔を向ける。
嬉しいような、戸惑っているような、どういう顔をしたらいいのかわからないといったような複雑な表情。
俺は今すぐにでも走り出したかった。
真琴を抱きしめ、その体温を感じたかった。
だけど、その意に反して体は自由に動かない。
喉はカラカラに乾き、全身は石のように硬直していた。
ふたりを隔てる距離はほんの僅かだった。
だけど、抱き合うことも、声を交わすこともできずに、
ただふたりは見つめ合っていた。
――ちりん――
風に揺られて鈴が鳴った。
ふたりの間を鈴の音だけが響いていた。
あの冬、俺が唯一真琴にプレゼントした安物の鈴。
他に高いものを買ってやるといったのに、真琴はこれがいいといった。
昔、真琴は鈴の音を聞くたびに、秋子さんにじゃれついた。
秋子さんのことだから、きっと優しく真琴につきあってやったのだろう。
だから、真琴にとって鈴は家族の温もり、その象徴のようなものだったのかもしれない。
――ちりん、ちりん――
再び鈴が鳴る。
人の温もりを求めて、俺の前に現れた真琴。
はたして俺は、真琴の求めるものを与えることはできたのだろうか?
いつも天邪鬼なお前だから、こんな風に聞いても、ちゃんと答えてくれないだろうけど、ただそれだけが心配だった。
ふたりはまっすぐ見つめ合う。
真琴、お前は本当にこれで良かったのか?
たいした事をしてやることもできなかったけど、お前は幸せだったのか?
問い掛けるような俺の視線。
その問に答えるように、真琴は笑ってくれた。
それは、永遠を誓い合うような幸せな笑みだった。
だから俺はそれに負けないように笑い返した。
――ちりん、ちりん、ちりん、ちりん――
突然、風が吹いた。
純白のヴェールが風に飛ばされる。
ヴェールは真琴の頭を離れ、はるか夜空を舞い上がる。
ふたりは、そのヴェールを見えなくなるまで見つめた。
夜空に吸い込まれた純白のヴェール。
それが夜空の彼方に消え、俺が地上に視線を戻した時、真琴の姿はもうそこにはなかった。
七夕の夜の奇跡。
天上でふたりの男女が再会する夜に、俺達ふたりも再会した。
それは決して幻ではない。
真琴が消え、体の自由を取り戻した俺は、
すぐに真琴が立っていた場所に駆け寄った。
そこにはひとつの鈴が落ちていた。
ある冬の日に俺が真琴に贈った鈴。
そのひとつが目の前にあった。
俺はそれを拾い上げ、そして握りしめた。
そこには、たしかに真琴の体温を感じることができた。
その温もりは失われることはなく、永遠に俺とともにある。
あの日、永遠を誓い合ったふたりが、今もともにあるように。
了
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