最終更新日:2007/11/04
1954年10月26〜31日まで、泉北郡高石町字南(現在の綾園1丁目)のおよそ3000坪の会場に26軒の住宅が建設され、高石モデル分譲住宅展示会が開催された。各住宅は建設会社26社の設計施工による18〜20坪の平屋建てであり、会期終了後一般に分譲されたそうです。偶然、古い雑誌(「住宅復興 13号」大阪住宅復興促進協議会1955年発行)に掲載されている記事を発見しました。




「大阪市内より南海電車で25分、しかも高石町駅からの距離は徒歩で3分という理想的なところにあり海水浴場で有名な高師の浜海岸に近く空気は澄明で、閑静に恵まれており郊外住宅地としては申し分のないところである。」本当に申し分のないところだったんですね。できることなら当時の高石に住んでみたいです。


人気投票もありました。
人気投票による順位も、購入申し込み数による順位も、大末組の第9号住宅がダントツの1位でした。南からの採光を最大限重視した、生活の姿をイメージしやすいプランです。

私のおすすめは、竹中工務店の第4号住宅です。のびのびしたモダーン住宅です。人気投票では10位に入ってますが、購入申し込み数では番外です。1954年当時、購入する人がいたのでしょうか??

50年後の現在、第9号住宅も第4号住宅も建て替えられて存在しません。しかし、26軒全てが建て替えられてしまったわけではありません。現在も住み続けられているものも少数ですがあります。

 2005年10月2日現在の姿です。田圃の真ん中の住宅展示場の面影は全く見当たりません。当時は、線路の西側のお寺のことでしょうか「庭を通してお寺の黒い大きな屋根と白い細長い土塀とそしてこんもりとした森がみえ」たそうです。
 会場だったところをぐるっと一まわりすると、高石界隈の普通の住宅地とほとんど区別がつかないほど建て換わっています。しかしよく観察すると、外観だけですが、当時のままのもの2軒、増築されているが、当時の姿が残っているもの2軒、計4軒を確認することができます。
 戸田組大阪支店による第6号住宅です。
 上の写真は北側の外観で、手前の三角屋根部分がオリジナルで、向こう側は増築部分です。下の写真は南側から見たものです。
 平屋建ての伸びやかさを残しつつ、うまく増築されています。
 平野組による第10号住宅です。裏側に2階建てが増築されています。緑に隠れてよく見えませんが、窓に取り付きえられている格子などもオリジナルが残っています。
大成建設大阪支店による第16号住宅です。ちょっと窮屈そうですが、向かって左側の2階建て住宅が建っている部分は、もともとは第16号住宅の庭でした。
松井建設による第21号住宅です。26軒中2軒の非木造構造のうちの1軒です。コンクリートブロック造です。
当時としてはかなり思い切ったデザインだったのではないでしょうか。今でも非常にモダーンです。

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