| ツーリング・レポート | 添付映像やその他の情報 | |
| 2003年12月29日 月曜日7時35分に稲佐を出発。あわてて茂木港に向かう。8時発の熊本県天草、富岡港ゆきのフェリーれいしゅうに間に合うために、寒気の中を急いだ。出航直前に到着し、どうにか間に合った。 海路70分で苓北町富岡に着き、今度は本渡港へ急ぐ。10時発の水俣行きフェリーに乗るためだ。 乗れば2時間25分で水俣に行ける。 楽に間に合って再びフェリーの利用だ。 ぼくはフェリーが好きで、まったくよく利用する。 水俣港からは左折後、大口方面に行った。この段階で、宮崎から大阪行きするか、南下して沖縄方面へ行くか決めず。 途中、大口市内の豚カツ屋で黒豚トンカツを食べる。1,200円だが、なかなか美味しかった。 東進し、九州自動車道に乗った。2者択一。鹿児島方面を選ぶ。鹿児島港には、午後3時半に到着だった。新港は貨物港のようで、どこが乗り場かすぐにはわからず。 今夜の出航は大島海運フェリー「あかつき」18時ちょうどの那覇ゆきである。帰省ラッシュのころとて、難しいかと思われたが、予約なしでも乗れた。ただし幅50センチ、長さ190センチ程度のスペースしかない2等指定である。 午後4時半には乗船していて、眼下で巨大なコンテナを軽々と扱うフォークリフトの動きを眺めつつビールを飲んだ。 夕食は530円の船内で買った弁当だ。貧相なおかずだ。レストランは営業していないから、しかたがない。 やむをえず眠る。寝返りも打てないが、乗れただけでもいい。名瀬には午前4時すぎ到着する。 まずは、初上陸の奄美大島が楽しみだ。 |
| 2003年12月30日 早朝、名瀬港に着いたが、どっちへ向かうか即断できず。やがて最北端に向かう。まっくらである。夜明けまで3時間ほどもある。 夜明け前から、小雨が降り、奄美空港から名瀬に戻る道を西に外れると本式の雨に変わった。今回は荷物が少ない。従って、雨具はない。濡れるままに濡れて本渡に戻ると雨は止んだ。しかし、停車せずそのまま大和村への険路を行く。気温が15度ほどあるので、我慢できるし、乾きつつある衣服を脱いで着替えるその着替えがない。 背負った、腰ベルト付きザック1つの荷物には、ビニール袋が10枚とそれで防水した衣類が3日分ある。上着類は1回分。来たきりのこれしかないんだ。古仁屋発10時○分の徳之島( )行きに乗るので、あまり休む暇はない。 大和村は中心部だけちゃんと集落があったが、あとは漠然としていた。宇検村の方が、立派なグラウンドがあった分、印象が深い。ガソリンスタンドも2つあった。 いったん瀬戸内町に入ってあと、○村に行く。 全自治体に足を記したい。 旧三太郎峠を越えて、古仁屋に向かった。時間は厳しく、道は険しく、前走車は遅い。 鹿児島を昨日の17時50分に出航したフェリーあまみ・きかいは貨物港にしか見えない古仁屋から西に向かって出航した。今日は、徳之島天城町の○港に上陸すると、もう宿泊するしかない。 徳之島町のビジネスホテル○に泊まった。亀徳港の観光案内所で聞いた。近所を歩いて、夜読む本と酒を入手。ご飯はここのレストランで食べた。まず、うまかった。沖縄が近いからか、牛肉が安い。 (続く) |
| 2003年12月31日 伊仙町は、選挙のたびになにかある町なので、興味があった。道路沿いには目立ったものがない。島を巡る県道が一部工事中で、谷間を渡る橋梁は工事中断の状態だった。天城町も徳之島町もフェリーが着くし、天城町には空港があるのに、伊仙町には直接本土に開けた交通がない。 島をおおまかに2周した。なおこロードと名付けられた北側の道で、女性ランナーが走っていた。伴走の車がハザードランプを点けて徐行しているのを、ぼくはあっさり抜いた。 ランナーを守るには、後方、エンジン音がしない距離20メートルがいいようだ。(のちに町内の駅伝を先導したことがある。後ろでエンジン音がすると、走っている人が気にするようだ。) 亀徳港からはマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル1」。沖永良部島を飛ばして、今日は与論島まで行く。 出航して奈留島の友人に電話した。 南に行くと言って別れたので、鹿児島か宮崎に行ったと思っていたらしい。これほど南に行っていると聞いて、「たくさん写真を撮って来てね。」ということを言った。 ポケットにカメラがある。取り出そうとして、失敗した。七千円飛ばしてしまったのだ。 千円札は巡航20ノットの風に舞い、一枚だけ船の吸気穴に張り付いた。運のいいその一枚は、今ぼくの財布の守り神にしている。 |
大晦日の漁港(削除) 船の造りがヤマトとちがう。 |
|
| 2004年1月1日 年越しは与論島だった。着いてすぐ「与論パナウル王国」の観光パスポートをもらい、民宿の案内をしてもらって、さっそく東浜の「星砂荘」に入った。荷物を置いたらすぐに2周した。最高地点でも100メートルを超えない標高だ。海岸はあくまで美しく、これが新婚旅行なら、最高いい思い出になると思った。与論島の産物を選んでみやげにし、荷物が増えるのをきらってすべて自宅宛送った。 「与論献奉(よろんけんぽう)」 12月31日の午後6時すぎ、ただ1軒あいていた床屋で散髪をして民宿に帰る。夕食のあと、ビールを飲もうと食堂に下りたら誘われた。杯に黒糖焼酎を注いで、一気に飲み干し、「何の誰」と名乗るのである。旅人と知り合う儀式のようだ。名乗り会ったのは店の主人と、老夫婦、若夫婦とぼくである。老夫婦は酒に強く、互いに注ぎ合って酔っぱらって、紅白歌合戦が終わるころ、部屋に帰っていった。ぼくは若夫婦と一緒にのんだ。二人は苗字が違い、つまり結婚していない秘密旅だ。 退屈させて、あっさり部屋に帰してしまっては危険なので、ぼくは一生懸命接待し、話をのばして、午前2時過ぎまで頑張った。神奈川から来たこと。男性の父や親族が教員であること。どっかの研究員をしてることなど聞いた。女性は控えめで、あくまで尽くす態度だった。(よかねえ!) 1日、午後二時過ぎまで船が来ないので、島のすべての道路を巡り歩いた。与論民俗村に入ると、古いこの地方独特の民家や、サトウキビ搾り器を見ることができた。なんかたくさん買ってあげたいと思ったのだが、欲しいものがなかったので買わなかった。折りたたみ木の枕は、そこの主人の手作りなのだそうで、たたむとまっすぐな板になる。開くと枕になって気持ちよさそうだった。バイク旅は荷物を増やしたくない。興味はあったが買わずに帰った。 |
与論島唯一かも知れないテーマパーク(削除) 「与論民俗村」 海は非常にきれい(削除) でも、こんな場所がある。 |
|
| 2004年1月2日 午後、マリックスライン「クイーンコーラル」で隣の沖永良部島へ移動する。ビジネスホテル、民宿、旅館に泊まって、まだペンションというものに泊まってなかったので、この島唯一のペンションに電話した。「フーチャランド王国」なんて、妙な名のペンションである。 ここは西郷隆盛が流刑にされた地。「敬天愛人」 国頭小学校の校庭には、大きなガジュマルの木がある。100年子どもの成長を見守ったおおらかな木である。100年の間に、いったいどれくらいの子どもが遊んだだろう。静かに子どもを見守る木の気持ちがわかるまでそこにいた。 さて、「フーチャ」だが、それは島の北端にあり、波を受けて吹き上がる潮の穴だ。波が来ると岸にあたり、岸の穴から吹き出してくる。今日の波は少しで、たまに吹き出してもわずか。農業被害が大きいので、よく吹き出す穴はダイナマイトで吹き飛ばしたんだって。 午後5時すぎ、電話で予約した「フーチャランド王国」に行った。レストランは台風かなにかで壊れていた。本館に行って、案内を求めると、2部屋紹介してくれた。海岸の宿なので、眺めの点で2階の方がよかった。行ったらすごい! ダブルベッドで壁には星座の絵がある。防音もしてあって、これはいわゆる「ラブホテル」の装備である。 同伴する女性がいるなら、沖永良部島では最善の施設だろう。砂浜と磯の境目にあたり、眺めも自然の音もいい雰囲気を出す。 ひとり旅なので、胃腸が変なので、あっさり寝た。昨日の2人なら、こっちの方が楽しめるんじゃないかな? 2004年1月3日 旅には終わりがある。終わりがないのは「生活」である。奄美諸島(奄美大島・徳之島・与論島・沖永良部島)をバイクで走り回っただけの冬の旅は終わった。戻り旅の船は、大島海運の「フェリーなみのうえ」である。臨時席の非常に狭い空間を、それでもありがたいと思う。予約なしで年末年始の島の旅なら、これは当然だ。 鹿児島に朝8時過ぎについて、○号線をすっとばし、佐敷−大道フェリーで天草に渡る。3太郎峠のうち2太郎を越えてフェリーの時間待ち。そして、富岡−茂木のフェリーで長崎に帰った。宿泊は、「ザ・ハミルトン」。長崎の浜の町を少し上った正覚寺電停そばにある。シングルでも、十分に広い落ち着いた雰囲気のプチホテルだ。今度の冬の旅は、与論島の2人に会わなかったらつまらなかった。ぼくは彼らの恋路をじゃましたけど、たくさん話せて嬉しかった。 |
国頭小学校の校庭にある ガジュマルの木(削除) 沖永良部島から(削除) マリックスラインのクイーンコーラル |