「ビルマの旅人」                                                 
 
 Kは一九六三年に日本で生まれた。ぼんやりしている子供で、遠くを見つめていてもそれは何かを見ているのではなかった。いつもひとりで遊んでいた。冬の午後椿の森に迷い、春の磯を歩いては遠い異国にあこがれた。今もあのころと同じ心を持っている。
 春の日射しが暖かい午後、彼はほおづえをついていた。ウトウトしては半分だけ目を覚ます。その時目の前を蝶が横切った。ひらりひらひら飛んで、すぐに落ちてしまいそうに頼りなく、どこか傷ついている様子だった。言語学の教授がピジン英語の解説をする声と、木造校舎の床がきしむ音と、学生のささやきが聞こえる教室を、迷子の蝶がさまよっている。もしもここが小学校なら、たぶん彼女は無事にはすまない。新米の女教師が金切り声をあげようとも、きっとクラスにひとりはいる元気な少年につかまってしまう。子供は力加減ができなくて、彼女の翅(はね)は傷んでしまうだろう。
 こんなことをチラと思って彼は机に突っ伏した。ねむりに引き込まれる感じがとても良い。
 
 ちょうはつかれて、しかたなくかれのてにとまった。すぐににげられるようにみがまえていた。けれど、かれはもうねむってしまって、うごきそうになかったので、あんしんしていきをととのえた。もうどこにいくはずだったのかわからない。
 
 そもそも蝶が思考するものか、生物学の教授にもわからない。だから彼は何を思ってもいいのだ。
 授業が終わって、教室はざわめいた。Kが口を拭いながら体を起こすと、机に蝶の死骸があった。ああ、彼女は死んだのだなと、なんとなく哀れに思って、Kは蝶をつまんで外へ出た。花の側に埋めてやろう。
 
 腹が減ったので、ポケットの小銭を確かめて学生食堂に行った。あまり旨くないカレーライスを食べていると、大島綾子が横へ来た。
「寝ているとき、何か夢を見てたでしょう?」
「俺が助けるから、きっと助けるからって、言ってたよ。」
 誰だって寝言ぐらい言うさ、と声には出さず、生返事で最後の一匙をすくい取る。
「眠るのだけは得意なんだ。」
 大島綾子は育ちの良さそうな一年生で、すこし勇敢すぎるところがある。最近スクーターを買った同級生にせがんで、乗ってみた彼女はいきなりアクセルをいっぱいに開けて走り出し、三号館の壁にぶつかってけがをした。
    ☆
 ひとりで酒を飲み、おそく寝たその夜、Kはふたつの夢を見た。ひとつは大きな河のほとりで、どちらかと言えば悪夢である。モンドリアンの絵のように引き裂かれた姿で少女は言った。
「わたしの心をさがしてください。」
 それが絵ならば、彼女のすべての人格を描きとったような絵だ。Kの心裏に彼女の若さと勇気と悲しみ、憎しみ、希望が一緒くたに流れ込んで、圧倒されて何も考えられなくなった。
 ふたつめは白い道の傍らに建つ石碑。どこか謎めいた構図だ。ビルマの僧侶がそこに立って、風雨に洗われて読めなくなった碑文を指でなぞっていた。僧侶は古い本を持っている。英語で書かれたその本は、知らない名前の探検家のビルマ旅行記で、中ほどのページにビルマ滅亡の顛末が書かれていた。ここは第三王女が討ち死にした場所で、その石碑はおそらく彼女の記念なのだろう。旅行記にはこう書いてあった。
 
「シュウェジゴン王女はその最期の時、法にしたがってナレスエン王への呪訴の言葉を吐いた。戦いぶりのあまりの激しさにアユタヤの将兵がひるみ、王女に呪いの言葉を吐く時間を与えてしまったのだ。王女を討ち取ったアユタヤの武将の指示により、遺体は七つに分かたれた。呪いをナレスエン王にとどかせない為の法である。首はアユタヤに持ち去られ、他の五つはアユタヤ領となったビルマの山野に捨ておかれた。王女の心は石になって、今もビルマのどこかで、呪いの解かれる日を待っているという。」
 
夢にしてはあまりに破天荒で、これは自分の夢ではないと思った。
 
 Kがこんな夢をみることはそう珍しくない。いちど眠りそこねたあとのまどろみ、ふとん以外の場所で寝たときにこんな夢をみることがある。
 大島綾子は愛知から来ている教育学科の一年生だ。Kが彼女の壊したスクーターを安く修理してやったら、その後、何かと話しかけてくるようになった。カウリングを取り替えただけなのに、彼女はKのことをすごい技術者だと思いこんでいる。Kは人間関係が面倒くさいタチなので猫のように逃げる。
 
 大島綾子は図書館でアルバイトをしていた。区民図書館の貸し出し係りは忙しくなくて、古い本の谷間を散歩することもできた。ある日の夕方、彼女はそこで不思議な本を見つけた。旅行記らしい題名なのにところどころ無関係な文章がはさまっている。さいわいと言うか、それはデフォーやスウィフトと同じ本棚にあって、同じだけホコリをかぶっていた。そうでなかったら、アレン・パークスなどという初めて聞く名前の作家の本を手に取ることはなかっただろう。
 
<それはあこがれである。ピグマリオの物語を知っているひとは、あこがれ続けることを選ぶことができるのだ。>
 
 作者がいったい何にあこがれていたのか、それは書いていない。そしてどこかしら彼女の心の琴線に触れる文章は他にもある。
 
<ぼくは悪い因果律と呼んでいる。ぼんやりしていると抜け出せなくなる。>
<ぼくの若さと勇気と悲しみ、希望、そのほか一切の感情が出口を求めて狂騒している。ぼくは弱すぎて、それらを口に出すことができない。だからぼくは取り繕ったり、謝ったりするのをやめることにした。利己主義者と呼ばれてあえて悲しまない。>
 
 今から七十六年前、一九一一年にイギリスで出版されたものらしい。略歴やあとがきのように、作者を知る手がかりになることは書かれていなかった。装丁を直した時に、痛みのひどい部分は削られてしまったのかもしれない。どうして利己主義者たらんと決心したのかは書いてなかった。
 " A toolist in Burma " アレン・パークスという人の作品である。
    ☆
 大島綾子は本屋でKを見つけた。いつもどおり声をかけようとして、彼女はやめてしまう。Kはグラフ誌のコーナーにはりついて、たっぷりの水をたたえて流れる河に、小さく舟が写っている写真を見つめ、心だけそこへ飛んでいた。
 Kが見ていたのはその国の内乱を特集した雑誌である。ビルマでは去年クーデターが起きた。そのニュースをKは知っていたけれども、これまでは遠い異国のこととして気にも留めなかった。気になりだしたのは、ついこの頃である。ビルマについて調べることは、Kにとっては珍しい充実した時間になった。なにも変わりなく過ぎて行く日常を、当時のKは惜しげもなく見送っていた。ありあまる時間のほとんどを自分を楽しませることに費やして、なお不足と感じていたのだ。
 今のビルマに外国人は入ることができない。旅券の発給は停止されている。海外旅行情報誌にも、ビルマ行きのツアーは載っていなかった。「○○の歩き方」や「フリー○○」も版が変わってなくて、自由に歩けた昔の記事がKの気持ちを高める。
 結局手に取ったのは写真集である。ゆったり流れるイラワジ河は、他の写真集でみる黄河や揚子江、メコンともナイルとも違っている。濁った水が大量に流れている風景に変わりはないのに、見つめていると引き込まれて、危険な感じさえある。
 声がしたので振り返った。
「気に入ったのなら買えばいいのに。」
Kは買わない理由を説明するのが面倒くさくて嘘をついた。
「お金ないんだ。」
「貸すよ。」
「いいよ。タダで情報が手に入るところで、それを欲しい為に金を払うのはラディカルじゃない。」
 とうとう訳のわからない言い訳をしなくてはいけなくなった。
 Kは「ノンセクト・ラディカル」という言葉を言葉だけ知っていて、それを信条としていた。たぶんそれは、ひとりで誰にも迎合しないで生きていくことだ。
    ☆
 夢を見るのは、嫌じゃない。このところ何度も自分の夢とは思えないほど突飛な夢を見て、むしろ彼は夢を望んだ。いつでも書き留められるように、枕元にノートをおいて眠りにつく。夢の日記は日増しに増えて二冊目に入る。以前に読んだどの本のストーリーとも違い、発想の飛躍ぶりにおいて既存のどんな作家の本よりも優れていると思えるのだが、本当にそんな体験をした人のルポルタージュや優れた作家の創造物はもっとすごいだろうと、自分の中に否定の声も聞く。
 これが四月七日の日記。
 私は脱走兵で、英印軍に見つかっても原隊に戻ってもつらい目にあうのは確実だから、虎も住む密林に潜んで息をひそめていることしかできない。私のような気の弱い男をこんなところに送り込んで、強い兵になれと言う方が無理なのだ。
 木のうろを見つけて、火で焦がしてすみかにした。火を使うのは危険だったが、私は熱帯の虫に刺されたくなかった。毎日雨ばかり降っている。糸を引くような雨が降り続いて、赤土の地面を浸している。少しの食料もなく、消耗を防ぐことに希望もなく、終日眠っている。ちょうど二度寝した朝のように、次から次へと夢を見て、神経が休まらない。
 
 以前になにかの本で読んだとか、人に教わったのではない初めてのことに出会う感動を、純粋経験というのだそうだ。そういうことは日本にはあまりない。でも、わたしたちはビラウタン空港からヤンゴン市内に入るまでにもいくつかの純粋経験をしたと思う。(続く)