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【 ブッシュベイビーについて 】






はじめに
『ブッシュベイビー』は名作劇場では初のアフリカを舞台にした作品で、 その作品の特異性から敬遠された方が非常に多かったのが残念でした。 私も92年の放送当時、すごく風変わりな作品だと、いぶかしげにテレビを見ていたのですが、 初めて見るアフリカでの生活やそのリアルな情景などすべてが新鮮で、いつの間にか作品に 引き込まれていました。 中でも私を強く引きつけたのは「テンボ」という勇敢なカンバ族の戦士の存在でした。こんな キャラクター見たことない!それが当時の印象で、主人公のジャッキーよりもテンボばかりを 興味津々に見ていたのが記憶に残っています。後に振り返っても、テンボというキャラクターは名作 劇場でも殆ど類を見ないであろう強烈な個性を持っていて、作品を見終わった後もずっと心に残り 頭を離れませんでした。原作の最後に語られる「ここは人間が自分の持ち物の重みで背中を丸めずに、 まだまっすぐ立っている、地上で唯一の場所」 というのは、まさしく作者がテンボを通して描いていたことであり、 彼こそアフリカそのものなのだ、と思わずにはいられません。 アニメではやや説明的な台詞回しも多かったのですが、 実際ジャッキー達家族がそうであったように、 私達もテンボを通して沢山のアフリカを知ったような気がします。 この物語はそんな個性溢れるテンボと一人の少女がブッシュベイビーを自然 に帰すべく、厳しいアフリカの大自然の中を旅をする、友情と冒険の物語なのです。 (だた友情という点は原作のように深く描かれていませんが、 冒険の方に重点を置いたのは、子供向けアニメということで意図的でしょう。)



ミッキーについて語る
物語は中盤に入ると大きく動き出します。ケニア独立の影響でジャッキーの 父の野生動物保護官としての仕事が現地の人間と入れ替わることになり、 ジャッキー達親子はイギリスに帰国することになったのです。(原作はここから始まります。) やはりこの作品を語る時、どうしてもミッキーの話は避けて通れません。 本来の物語をすっかり変えてしまうほど、彼はあまりに物語に干渉し過ぎましたから・・・(笑)。

序盤のミッキーというと、何かにつけてジャッキーにちょっかいをかけてくる ガキ大将的な存在でした。 けれどいがみ合いながらも(マーフィー効果なのか)ジャッキー達と次第に 仲良しになっていき、探偵団を結成する辺りでは最初の頃のような乱暴な部分は すっかり抜けていました。 ジャッキーの為にバオバブの木に登ろうとする場面など、とても良いシーンだと思います。 (もっとも、この後一人で降りられなくなるのだけど。) 原作では母のバックの中に入っていたマーフィーの許可証ですが、 アニメではマーフィーと別れたくないミッキーが許可証を盗むことになります(汗)。 そして物語も中盤に入りクオリティー的にも最高の盛り上がりを見せた矢先、 偶然ジャッキー達の前に姿を現したミッキー(コーラーを飲みながら畑でバナナを 盗んでいた)の為に、この作品は名作劇場史上最低とも言えるひどい展開に突き落とされます。 せっかく盛り上がっていた物語も「そんなのピクニックと一緒だよ〜」、 「あ〜、お腹すいた〜。何か食べるものない〜?」というあまりに強引過ぎる ふざけた展開に、この物語はギャグなのか?と一気に気持ちがしらけてしまいました。 (ミッキーがマーフィーにボラを投げつけてカヌーから突き落とす場面など、 いったい何を考えているんだと、スタッフに対して怒りがこみ上げてきたほどです。) 鈴木監督はミッキーを後半の引っ掻き回し役として考えていたそうですが、 冒険についてこさせるにしても、もう少し何とかならなかったのかと、 物語を駄目にしてしまった中盤以降の展開が残念でなりませんでした。

#フォローするようですが、 ミッキーがジャッキー達の冒険について来るようになったのは、 どうもスポンサーなどから要望があったみたいですし、 そのついて来たミッキーが途中でリタイアするのも当初は予定外のことだったそうです。 (ナレーションでは謎の高熱だともっともらしく言っていたけど。) そんなバタバタとした中での制作ですから、監督や脚本家など、 一概に誰々が悪いというのは、ちょっとスタッフに気の毒なのかもしれませんね。



物語終盤の解説
中盤に色々問題があるものの、終盤『ブッシュベイビー』は息を吹き返します。 前半のほのぼのとした開放的な展開とは違い、終盤は大掛かりなアクションの連続です。 ジャッキー達は野火の中を駆け抜け、ヒョウを倒し、ワニにも食べられそうに なりながらも目的地のヌディに到着します。 ですが、ここに来て最後にして最大の問 題が発生します。なんと、大雨が引き起こした洪水によって線路が決壊してしまってい たのです。ここを電車が通るまでもう時間がない!このままでは大惨事になってしまう。 その時、決壊の向こう岸に父達の姿を発見するジャッキーですが、 無情にも暴雨が声をかき消してしまうのでした。そこでテンボの考えた最後の 手段は、マーフィーに手紙をくくり付け、給水用パイプの中を向こう岸まで駆け抜けされる ことでした。マーフィーにそんな危険なことをさせるなんて!ジャッキー は激しく抗議しますが、それしか手段がないことを悟ると、巻きつけた手紙と一緒に すべてをマーフィーに託すのでした・・・。

マーフィーの活躍により大事故を回避してから2週間後。ジャッキー達親子はケイト の家にお世話になっていました。マーフィーを野生に戻す前に、まず夜行 性の性質に戻さなければいけなかったのです。あれだけ苦労してマーフィーの夜行性 を直した日々も、もうずっと昔のことのように思えます。でもこれからは生きるこ とも、死ぬことも、常に隣り合わせの厳しい自然の中で、マーフィーはひとりで生きてい かなければならないのです。本来の野性を取り戻し、力強く、そして自由に。厳しい大自然の営 みを目の当たりにしてきたジャッキーが、いったいどんな気持ちでマーフィーを自然に帰す のか。その気持ちは小さなお母さんにしかわからないのかもしれません。ただマーフィーと 一緒に過ごした掛け替えのない日々が、少女を確実に大人に近づけたのは間違いありませんでした。

そして別れの夜がやってきました。 ジャッキー達は森の入り口で、マーフィーの入ったバスケットを囲むようにして座って います。しばらくすると林の中に沢山のブッシュベイビーが現れ、まるでマーフィーの 来るのを心待ちに待っている様子です。ですが、マーフィーは一向に森の方に行こうとしません。 ジャッキーは追い払うようにして、マーフィーを森の方へと急かしますが、近くにいる ケイトやミッキーの頭の上を楽しそうに飛び回るだけで、何も知らずにマーフィーは 遊んでいるのでした。とうとう我慢できなくなったミッキーは、ポケットから隠していた 輸出許可証を取り出し、これを持ってマーフィーをイギリスに連れて帰るよう頼みます。 けれど心を決めていたジャッキーは、静かに一言お礼を言うと、 ゆっくりとその許可証を破りだすのでした。その時です。ジャッキーの破り捨てた 許可証が突然無数のチョウに姿を変え、森の方に飛んでいきます。マーフィー はそれを追いかけるように、森の方へと飛び跳ねていきました。

とうとう本当のお別れです。 仲間の待つ森の中に入って行こうかという時、マーフィーは一度だけ振り返り、 「さようなら」そうジャッキー達に言うのでした。 マーフィーが告げた最後の言葉は、ジャッキー達の耳ではなく、子供達の心に届いていました。

さようなら、マーフィー
さようなら、アフリカ
大きくなったら、また来ます




『ブッシュベイビー』は失敗作?
『ブッシュベイビー』の打ち上げの席で、脚本の宮崎晃はこの作品を「失敗作」だと 言っていたそうです。またそういった社内での評判の悪さを裏付けるように、 『ブッシュベイビー』は名作劇場で唯一きちんとビデオ化されていない作品でもあります。

本当にこの作品は失敗作なのか?
『ブッシュベイビー』で初めて監督を任せられた鈴木孝義を筆頭に、 今までにない目新しさを出す為にキャラクターデザインに抜擢された加藤裕美など、 『ピーターパン』以降続いている若手中心の新しい名作劇場とも言える作品が この『ブッシュベイビー』であり、『あしながおじさん』であり、『ティコ』なのだと思います。 DVDに掲載されている鈴木監督のコメントを聞いていると、『ブッシュベイビー』は最後まで 悩みながら苦労して作った作品だということがわかります。少しコメントが頼りない感じ がしましたが、恐らく制作当時もこんな感じでスタッフ全員が試行錯誤しながら、この難しい 作品に取り組んでいたのでしょう。『ブッシュベイビー』には色々悪い部分もあり、 完成度の高い作品だとはとても言えませんが、アフリカという未知の舞台を題材にし、 その情景や空気を見事に表現したスタッフの努力とチャレンジ精神には賞賛という言葉が 価するのではないでしょうか。 強烈な個性を持ったキャラクター、他の作品では味わえない開放的で気持ちの良い雰囲気、 一見真剣味に欠けるように思えますが、最後まで湿っぽさを出さずに、程よい緊迫感の中で 明るく作品を纏め上げたスタッフの努力(こだわり)など、 見るべきものがある以上、私は決して『ブッシュベイビー』は失敗作ではないと思います。

作品を見る時に、人によっては脚本家で見る人もいれば、脚本で見る人もいます。 何か言葉遊びのようですが、つまり大御所が脚本を手掛けたからといって、脚本 そのものが必ず良いものとは限らないということです。 また「名作劇場の作品は原作を大切にする」というイメージを持たれている方がかなり 多いと思いますが、実際はその作品を手掛ける脚本家やスタッフによってそういった意識は 様々のようです。宮崎晃の場合、『カトリ』でも原作はシチュエーションしか使って いませんし、『ブッシュベイビー』でも(良く言えば)宮崎晃流の大胆な脚色が されています。何でも一概に原作通りにすることが良くて、原作を変更することが 悪いとは言えないのかもしれませんね。



若手中心の作画スタッフ
名作劇場が変わったから古いスタッフが出て行ったのか、 古いスタッフが出て行ったから名作劇場が変わったのか。 名作劇場の作品は『ピーターパンの冒険』以降、 良い意味で言えばチャレンジ的な、悪い意味で言えば非常に模索的な 作品が続くことになり、良くも悪くも、 若手スタッフを中心にした新しい名作劇場の作品が誕生することになります。

『ブッシュベイビー』ではベテランの関修一が主人公以外のキャラクター デザインを担当し、主人公のジャッキーを『トラップ一家物語』での活躍 から大抜擢された加藤裕美が担当しています(#あとマーフィも)。 『ブッシュベイビー』の作画監督はその加藤裕美を含め、田中穣、細井信宏、伊藤広治 の4人がローテーションを組んで担当していました。

■加藤裕美 作画監督10回
(1、5、9、13、17、21、26、30、35、40)
最も多く『ブッシュベイビー』の作画監督を務めたのは、主人公を デザインした加藤裕美です。当然と言えば当然なのかもしれませんが、 それだけ良い作画の回が増えるということですからやっぱり嬉しいですね。 加藤裕美はこの作品を最後に日本アニメーションを退社し、 その後『天使になるもんっ!』などのキャラクターデザインで熱烈な 美少女系ファンを獲得することになります。 そういう経緯を知った上であのDVDのジャケットを見ると、 「なるほど」と思わず納得してしまいます。

■田中穣 作画監督9回
(3、7、11、15、19、24、28、32、36)
佐藤好春と共に『ナンとジョー先生』の作画を支えていた田中穣ですが、 『ブッシュベイビー』でも加藤裕美と並ぶ、右と左の二枚エースという感じで 作画を支えていました。この二人の時は見ていて何か得した気分になります。 作画の特徴は目に一番表れるみたいで、慣れてくると コロコロとした丸い目を見て「今日は田中穣だ」とすぐにわかるようになりますね (私のお気に入りの作画監督です。)。 残念なことに『ナンとジョー先生』以降、日本アニメーションを退社されたようです。

■細井信宏 作画監督9回
(4、8、12、16、20、25、29、34、39)
4人の作画監督の中でもこの方は一番印象が薄いですね。 特にコメントはありません。

■伊藤広治 作画監督8回
(2、6、10、14、18、22、33、38)
伊藤広治は前半はあまり良くありませんでしたが、 慣れてきた後半はグンッと良くなります。若手スタッフの暴走が 密かに囁かれる『ブッシュベイビー』ですが、伊藤広治が作画監督を 務めた第38話など、時々テンボがものすごい美形キャラになっている回を 見ていると、「これも一種の暴走なのか」とふと思わずにはいられません(笑)。



原作について
「世界がわびしい、寂しい場所に思われた。老いが骨身にしみた。」
ジャッキー達を乗せた船の出港を前にして、 テンボは少女がもう自分を必要としないことに落胆し、 うなだれ、自分のことを人生の失敗者だと非難します。 ジャッキーの父が自分も一緒に連れて行ってくれるのではないかと 密かに期待しているテンボの姿など、最後までヒーローとして描き抜かれていた アニメのテンボからは想像出来ないことでしょう。 原作のテンボはアニメのような完璧なヒーローではありません。 ことあるごとに自分のことを罵り、「自分も老いた象のような気分だ。」、「無駄だよ。 俺の頭には石ころが詰まっているんだ。」と弱音を吐きます。 それでもテンボは自分の持てるすべての力を駆使して、最後までジャッキーを守り抜きます。 (恐らくこの世の何よりも大切な)ジャッキーという一人の少女を守りたいという 気持ちが、テンボに尽きることのない超人のような力を与えていたのだと思います。

原作では最後、許可書が母のバックの中に入っていたことがわかり、 あっさりカウマ(マーフィー)をイギリスへ連れて帰ることになります(汗)。 「すぐにこれも思い出になるんだわ。」と甲板の上でジャッキーは呟きながら、 一人残されたテンボのハーモニカが寂しく波止場に響くラストは、とても哀愁に満ちていて 印象的です。・・・ですがこれって命がけの冒険に付き合わされた上に、誘拐犯扱いさ れて殺されかけたテンボの立場はどうなるんでしょうか?(笑)。(お〜い、ジャッキ〜。)

ただそれでもジャッキーが自分のことを必要にしてくれたことを、 また一緒にいられたことを、テンボは何よりも幸せに感じていたのでしょうし、 物語の終盤にジャッキーが思う、普通の時間では到底計れない この長い一週間というのは、テンボにとっても一生忘れられない大切なものになるのでしょうね。 (原作のテンボだと一生引きずってしまう気もしますけど・・・。) 最後はちょっとアレですけど、原作にはアニメにはない深みがあり、 アフリカ人と一人の少女との奇妙な友情など、冒険ものでありながら心理描写が とても面白い、大人でも楽しめる冒険小説になっています。

それにしても、ジャッキーが言葉を遮った 「大切にしているものをあげれば二人は兄弟になるんだ。もし女がそうすれば・・・」 というテンボの含みのある台詞がすごく気になりますね。

#この原作は作者のウィリアム・スティーブンソンがケニアでの実生活を 元に書き上げたもので(実際にブッシュベイビーも飼っていた。)、最初のページにある 「ジャッキーに捧げる」とは、実娘のジャクリーヌに献辞していることを意味しています。 物語の中の少し甘やかされた感じのジャッキーの描かれ方は、 恐らく作者の娘への愛情からきているものだと思われます。



『ブッシュベイビー』はキャラで見る?
キャラで作品を見る、なんていうとちょっと誤解を招くかもしれませんが、 中期作品の『セーラ』や『ポリアンナ』など、 キャラクター性が強いというか、全体的なストーリーより、キャラクターの 魅力で物語をぐいぐい引っ張るような、言ってみればキャラクター中心の物語では、 「キャラで見る」という言葉がちょうど当てはまるような気がします。

『ブッシュベイビー』というとまずテンボ。
現在は確かブッシュマンのような言葉は放送禁止用語になっていると思いますが、 もし10年前に『ブッシュベイビー』が作られていたなら、恐らくテンボも (昔の日本人がイメージするような)ブッシュマン的キャラにされていたのでは ないでしょうか。(実際初期設定はそんな感じです。)この作品は、アフリカの ことを何でも知っている、テンボとは一体どんな人物なのだろう?と興味津々の目 でテンボを見ているうちに、いつしか物語に引き込まれていきますね。 DVDのコメントにあった「困った時のテンボ頼り」とは、鈴木監督の正直な気持ちでしょう。 (それにテンボ役の小杉十郎太の好演がどれだけこの物語を救ったことか。)

猪突猛進少女ジャッキー。
物忘れ名人うんぬんというより、向こう見ずなところがかなり問題(?)ですが、 主人公のジャッキーはとても魅力に溢れていて、テンボに負けないほど強い個性と 存在感を持っていると思います。加藤裕美デザインの顔や表情がとても可愛いですね。 (髪型が女鉄腕アトムとかスーパーサイヤ人だとか色々言われていますけど。) それにしても、物語の中のジャッキーは本当に色々な意味で身体を張っていました(笑)。 どんなに危険な目に遭っても、次の瞬間にはすぐに立ち直るところなど、 図太いというか、アクションものの主人公ならではな感じです。 序盤に何度も見れますが、「ジャッキーのテーマ」をバックにマンダリンに またがって草原を駆けるシーンなど、とても開放感があって気持ちが良いですね。 この作品はどんな時でも決して明るさを失わない(湿っぽくならない)ところ が大きな魅力だと思います。(さすがに家族の心配を他所に、楽しく海で 泳いでいるジャッキーの姿には「これでいいのかな?」と思ってしまいましたが。) かなりの方がお気づきだと思いますが、名作劇場の主人公というのは、 その時代の子供達が一番共感出来るような性格作り(肉付け)がされているみたいですね。 (『ポリアンナ』以降は殆ど前向きで明るいタイプの主人公ばかりです。) 基本的に名作劇場の主人公は良い子ばかりなのですが、ジャッキーの今いまどき風 とも言える普通っぽさなど、見ていてとても親近感を抱いてしまいました。 ジャッキーの一番の魅力は、キャラクターデザインの他に、その親しみやすさに あるのではないでしょうか。元気娘系ですが、ハイジやポリアンナとはまたタイプの違う、 (俗に言う)萌え系キャラとしては名作劇場最強かもしれませんね(笑)。







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