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『スノー夫人の一日』 著 : 雪山雪男


Illustration : MAYUKIさん





 ぬけるような青空。ベルディングスヴィルの町は今朝もさわやかな天気に恵まれた。
 けれどそれを素直に喜ばない者がすくなくともここにひとり。
 そう、我らがミセス・スノーその人である。
(ああ、やだ、やだ)
 起きぬけのベッドの中、既に高くのぼった日差しをうらめしそうにしてスノー夫人は顔をしかめた。なんだか頭が重い。ただの頭痛か、それとも前から気になっていた奥歯がしくしくするのか。
 重苦しい頭に追い打ちをかけるように、隣の部屋からはミシンの音がガタガタ響く。たまりかねてもう一度布団にもぐり込んだスノー夫人だったが、一度覚めた目はそうそう寝つけるものではない。
(ああ、やだ、やだ)
 生活をささえるため娘のミリーが頑張って働いてる。その一生懸命の音だと分かってはいる。だけど分かったからってこの頭のズキズキがおさまるわけじゃない。
「ミリー。朝なんだからもう少し静かにしておくれ。私ゃ頭が痛くて」
 気がつくと自分の口が勝手に娘に怒鳴っていた。
「ごめんなさい」
 申しわけなさそうな娘の声が聞こえてきて、けれどミシンの音はとまらない。
(ああ、やだ、やだ)
 けれど自分はいったい何に不満なのだろう。
 ミシンの音に? それを止めない娘に? この安眠をさまたげる日差しに?
 多分、そのすべてにだろう。
 そしてなにより、そんなささいなことに不満をもらしている自分に。
 まあ、どっちにしろ。
 ため息をついてスノー夫人は思った。
 今日もまた退屈で死にそうに長い一日が始まるんだ。なにしろこういう事に限って私の感ってものははずれたためしがないんだからね。


「ごめんなさいね」
 ようやくミシンかけをやめたミリーが温めたスープをもって入ってきたのは、それからしばらくしてからだった。
「母さんには悪いと思ったけど、仕事がたまっちゃってて」
「結構な事だね、仕事がたくさんあるってのは」
 ぶっきらぼうな返事もスノー夫人なりの気配りのつもりだった。
「本当にごめんなさい」
 それにも気づかないのか、あやまるのがすっかりクセになったミリーだった。
 ベッドから上半身だけ起こしてミリーの差し出すスープをながめると、スノー夫人は頭を押さえるようにして言った。
「今朝はいいよ。なんだか歯がしくしく痛むんでね」
「まあ」
 ミリーはスープ皿をテーブルに戻し、スノー夫人の顔をのぞきこんだ。
「どの辺が痛むの?」
「多分、奥歯じゃないかね。分からないけどなにせ痛むんだよ」
 もごもごとスノー夫人はつぶやいてベッドにもぐろうとする。
「駄目。ちゃんと見せて… なんともないようにみえるけど」
 首をかしげるミリーだが、
「でも、こういうのはやっぱりちゃんとお医者さんに診てもらわないと」
「そんなお金がこのうちのどこにあるっていうんだい」
 さあ、はじまった。
「だいたい、診てもらうったって、どうやって診てもらうんだね。馬車を仕立てて行くにしろ、またうちに来てもらうにしろ、目の玉が飛び出るような金をとられるのが関の山さ。そのあげく医者が一体なにしてくれるっていうんだね。身体の弱ったこのご婦人ひとり、まともに歩かせることもできないじゃないか」
 スノー夫人が実に見事な愚痴っぷりを披露するその間、ミリーにできるのはただ首をすくめて嵐の通り過ぎるのを待つだけだった。
「お前さんより長く生きてるぶん、あたしにゃ分かってるのさ。医者なんてあてにできるものかね。わたしのようなものはこうしておとなしくベッドに横になって痛いのをこらえるしかないんだよ」
「でもね… 母さん」
 おそるおそる訊ねるミリーにも、スノー夫人はぷいっとそっぽを向くばかりだった。
 疲れた表情で、それでもミリーは優しく言った。
「じゃあ、先生に症状を言って、お薬だけでもいただいてくるわね」
「出かけるのかい?」
 そっぽを向いたままのスノー夫人がもごもごつぶやいた。
「ええ。仕立てた服を届けに… それとちょっと買い物も済ませてくるから、ちょっと遅くなるかも」
「鍵はちゃんとかけていっとくれ」
「鍵!? ああ、そうだわ」
 言われてミリーの表情がパッと明るくなった。
「鍵はあけておくわ。今日はハリントンさんのお宅から、お食事を届けてもらえる日だから」
 ハリントン、という名を聞いてスノー夫人はパブロフのイヌのようにふりむいた。
「ポリアンナさんかい?」
「どなたが来てくれるのかは知らないけど…」
「あのつっけんどんなメイドならごめんだよ」
 ベルディングスヴィルでも一二を争うつっけんどんなご婦人はそうぼやいた。
「あのメイドときたらいつもブスっとした顔で鍋を無造作にドン、とテーブルに置いたきり、決まり文句のようにこういうのさ。『来週取りに来ますから、鍋はきれいに洗っといてくださいね』ってね。まったく、愛想のかけらもありゃしない」
 そのしぐさが例のナンシーというメイドにそっくりだったので、ミリーは笑いをこらえるのが一苦労だった。
「ポリアンナさんだといいのだけれど… じゃ母さん、行ってきます」
「あ、ああ行っといで」
 実のところスノー夫人は、食事だの鍋だのの話をしているうちになんだか食欲がわいてきて、それにテーブルに置かれたスープ皿からいい匂いがしてくるものだから、前言を撤回してミリーに食事の用意をたのもうと思っていたのだが、それもなんだかいいそびれてしまい、今はこうしてミリーがドアを閉める音を黙って聞いているしかなかった。
 そうして食べさせてくれる人のいないスノー夫人は、食べてくれる人のいないスープと共に後に残された。
 やれやれ。
 仕方ないのでスノー夫人は頭の中で愚痴の続きをはじめた。
 まったく。ミリーも少しは気をきかせて、ちゃんと手の届くところにスープ皿を置いとけばいいのに。少しくらい冷めてたって、そんな事くらいで文句を言う私かね。
 空腹のおかげでさきほどからの頭痛もすっかりおさまってしまった、そんなよかったにも気づかずにスノー夫人は愚痴り続ける。
 おやおや、お腹も空くはずだよ。こんなに痛いくらいの日差しだと思ったら、もうお昼すぎじゃないか。
 まぶしさに目を細め、スノー夫人は青空を見上げた。
 けれど、まあ。
 以前より少しはよくなった事もあるさ。
 固く閉めきっていたカーテンを今はこうして開け放ち、毎日の空を、雲を眺めるようになった。ただそれだけでも、少しは心のなぐさめができたってものだ。これもみんな、あの子のおかげ。
 身を起こし、流れる雲をながめるともなくながめながらスノー夫人は、空の青さを教えてくれたあの子の笑顔を思いおこしていた。
 けどね。
 幸せというやっかいな代物は、少し手に入れるともっと欲しくなってしまうもの。そして一旦失ってしまったら、それを知る前よりも悲しくなってしまうもの。だから考えないようにしていたのに。忘れようとしていたのに。
 そして私を元気づけてくれたあの子の笑顔も、また会えなければ悲しい思い出になるばかり。
 だからね。
 スノー夫人は心の中のあの子の笑顔に、そっとつぶやいた。
 また来ておくれ、ポリアンナ。


「おばさん、スノーおばさん」
「ん…」
 いつの間に眠り込んでしまったのだろうか。誰かが起こす声がする。
「おばさん、スノーおばさん」
 聞き覚えのある、そして待ち焦がれていた可愛らしい声。
 スノー夫人はガバッ、とはねおきた。
「おばさん、私よ」
 いつものお気に入りのセーラー服を着た、ポリアンナのまぶしい笑顔がそこにあった。
「あ、ああ。あんたですか」
 スノー夫人はせいいっぱい気のない返事をした。
「ノックしたんだけど、返事がなかったから入ってきちゃったわ」
「そりゃ、かまいませんけどね」
 思わず笑みがこぼれそうになるのを不可解なプライドで必死に押し止め、スノー夫人は渋い顔でそっぽをむいた。
「ちゃんとドアはしめといてくれましたか」
「ええ、ちゃあんと。でも…」
 ポリアンナはそんなスノー夫人を心配そうにのぞきこむ。
「おばさん、今日は具合が悪いの? そんなに布団にもぐりこんで」
「そりゃ病人ですからね。具合のいいはずはないですよ」
「ほんと、顔色もよくないわ」
 ポリアンナは残念そうな顔をした。
「ほんとはいろいろお話したかったんだけど… ますます具合が悪くなったら大変だわ」
 そう言いながらポリアンナはいそいそとバスケットの中身をテーブルに取り出した。
「お料理、テーブルの上においとくわね。今日はダルギンが作ってくれたの。空豆とじゃがいもの煮っころがしよ。とってもおいしいの。じゃあね、おばさん」
「じゃあっ、て、あの…」
 気の早いポリアンナはいったん置いた麦わらぼうしをひっつかむと、
「また来週来れると思うわ。お大事にね、おばさん」
 ちょこん、とお辞儀も早々にそそくさと帰ろうとした。
「あ、あの、ポリアンナさん」
「心配しないで。忘れずにちゃんとドアを閉めて帰るわ」
「いや、そうじゃなくて…」
「?」
 不思議そうな顔でポリアンナが立ち止まる。
 さすがのスノー夫人ももはや体裁などかまっていられない。
「さっきはだいぶ具合が悪かったんだけど、今はだいぶよくなったんですよ」
「…ほんと?」
「ああ。ほんとほんと」
 ポリアンナの目が輝いた。
「じゃ、お話してっても大丈夫?」
「あんたが話していきたいっていうんなら、私は別に構いませんよ」
「うわあ、よかった!」
 ポリアンナは手にした帽子を放り投げ、ベッドの上のスノー夫人に抱きついた。
「ああ、これ」
 ほっとしたスノー夫人の気がゆるんだのか、その時。
 クウ
 空腹の限界にきていたスノー夫人のお腹がなった。
「まあ」
 ポリアンナは目をまんまるくした。


「私、またはしたないことしちゃったわ。部屋で帽子を投げたりして」
 台所から元気な声がスノー夫人の耳に届いてくる。
「西部の町にいる時はいつもホワイト夫人に怒られてたわ。分かってはいるのよ。でも嬉しいとつい忘れちゃうの… よっ、と」
 料理の音と、いい匂いと、ポリアンナのおしゃべりとバタバタする足音でいつもは静かな家が今日はまるでお祭り騒ぎだ。
「でもね、さっきおばさんのお腹が鳴ったのは全然はしたなくなんかないわ。だって、朝から何も食べてなくて目の前にごちそうをだされたら誰だってそうなるもの。おばさんもそう思うでしょ」
「そ、そうですね」
 真っ赤な顔でスノー夫人は言った。
「まっててね、もうすぐできるから。いそいであっためないとお腹を空かせたおばさんがお気の毒」
「私は冷めたままでかまいませんよ」
「だめよ」
 クックッ… とかわいらしい笑い声が聞こえてくる。
「今日の料理はね、ダルギンのとっておきなのよ。ダルギンはこういう田舎風の料理が得意なの。だからちゃんとあたためて『おいしい』って言ってもらわないとダルギンに悪いわ」
 実のところスノー夫人は料理があったかいか冷えてるかよりも、ポリアンナが台所でヤケドでもしないか、火事でも起こすんじゃないかとそっちの方がよほど心配だった。
「ポリアンナさん。それはいいですけど、火の扱いにはくれぐれも…」
「大丈夫」
 台所からの声は自信にみなぎっていた。
「こうみえてもわたし、西部の町じゃずっと… キャ〜ッ!」
「どうしたの!」
 スノー夫人は思わずベッドから身を乗り出した。
「ああ、よかった」
 ポリアンナの言葉に、スノー夫人は本人以上にほっと胸をなでおろした。やれやれ、これじゃ体がいくつあってももたないよ。
「ほら見ておばさん」
 ミリーのエプロンを借用したポリアンナが鍋の把手を持ち、なべつかみで鍋の底をささえるようにして部屋に戻ってきた。
「今のは私が下手だからじゃないのよ。ほら、このお鍋、把手がとれかかってるの」
 ちょっとすねたようにポリアンナは言った。
「おかげでせっかくのミリーさんのスープを台無しにしちゃうところだったわ」
「ああ、その鍋ね。ずっと前からそうなんだよ」
 この世のなにもかもがなっちゃいないという風情でスノー夫人は答えた。
「けれどミリーはいつもそれでうまくやってるよ」
「まあ。さすがミリーさんね。尊敬しちゃうわ」
 ポリアンナは言葉どおりのまなざしをここにいないミリーにむけた。
「でも、やっぱりこれはちゃんと直すべきだわ… おばさん、今度来るとき代わりのお鍋もってくるわ。だからその時、このお鍋、お屋敷にもっていっていい?」
「え、ああ。そりゃ構わないけれど」
「よかった。じゃあこれ、トムが直してくれるわ。それこそ瞬きする間によ。そりゃ、力仕事だったらティモシーのほうが得意よ。でもこういうのを修理したりするのはもちろんトムの役目なの。横でこうやってトムの仕事を見ているだけでうきうきしちゃうの」
「ええ、ええ」
 その頬杖をついて鍋に見入る仕種が楽しくて、スノー夫人は相槌をうった。実のところポリアンナの言ってる事の半分も話が見えなかったけれど、この子が楽しげに話すのが、ただそれだけで楽しかったから。


 スノー夫人のベッドに病人用のテーブルがおかれ、そこにひときれのパンと湯気のたったスープとダルギンご自慢の料理が並べられた。
「じゃあおばさん」
 ポリアンナはミリーのこざっぱりとしたエプロンを外し、椅子の上にたたんで置いた。
「本当はおばさんに私が食べさせてあげたいんだけど…」
「いいんですよ、ありがとう」
 ポリアンナは帽子とバスケットをとって駆け出していった。
「さようならぁ」
 その後ろ姿を見送るスノー夫人は、
(やれやれ… 春の嵐のような子だこと)
 そう思わずにおれなかった。
 テーブルの上にはいい匂いのする料理が、ポリアンナのドタバタした外見とはうらはらにキチンと並べられ、それはスノー夫人の食欲をそそらずにはいられなかった。
 ともかくこれでようやく今日最初の食事にありつける。あの子が帰ってしまったのは残念だけど…
(おや?)
 その時、スノー夫人は帰ったはずのポリアンナが戸口の陰からこちらをのぞいているのに気づいた。
「どうしたの」
 スプーンを持つ手をとめてスノー夫人が訊ねる。
「忘れ物?」
「ええ、すっかり忘れちゃってたわ。おばさんに、前から聞きたいことがあったの」
 はにかんだ顔でポリアンナが訊ねる。
「あのね、おばさんの誕生日はいつ?」
「…誕生日?」
「ええ。だってね」
 ポリアンナは小さな胸を希望にふくらませるようにして言った。
「だってその日が来たら、おばさんのこと、いっぱい祝ってあげられるでしょ。ごちそうをいっぱい用意して、お花でこのお部屋をいっぱいに飾るの」
 スノー夫人の表情がほころんだ。
「そんなことを心配してくれたのかい」
「心配じゃないわ。楽しみなの」
 ポリアンナはスノー夫人のベッドに寄り添った。
「私、その日のためにわくわくするような素敵なこと、いっぱい考えておくわ。だからおばさん」
 自分の空腹も忘れ、スノー夫人はそんなポリアンナをみつめた。
「ありがとう」
 けれどなぜか、スノー夫人の笑顔はさびしそうだった。
「どうしたの、おばさん」
 ポリアンナは心配そうにスノー夫人の顔をのぞきこむ。
「まさか、自分の誕生日を忘れちゃったんじゃないでしょ? そんなわけないわ」
「私はね…」
 ポリアンナの言葉を肯定も否定もせず、スノー夫人の口からそっと言葉がこぼれでた。
 その、ため息にも似たつぶやきに、ポリアンナの顔色が変わった。
「そんな…」
 ポリアンナは信じられない思いで目の前の病人をみつめるばかりだった。


 ようやく買い物を終えたミリーが荷物を抱えて戻ってきた。そうしたら家の中から、あのかわいらしい声が聞こえてくるものだから、
(ポリアンナさん)
 ミリーはなんだかうきうきした気持ちになって、リボン飾りのついた包みを抱きしめるようにして母の部屋に入ろうとした。けれどもなにやら部屋の空気が重々しく感じられて、ミリーはドアのノブに手をかけたまま、中の様子をうかがった。
(どうしたのかしら…)


「そんな… 誕生日を忘れてしまいたいなんて」
 信じられない表情のポリアンナに、スノー夫人は誰にも話した事のない自分の気持ちを話した。
「だってそうでしょう… こうして毎日毎日ベッドの中、世間とはなんの関わりもなく生きてきて。そうしたらね、今が何日だろうが何曜日だろうが、関係なくなってしまう。どうでもよくなってしまうんですよ」
 いつもの愚痴とは違う淡々としたスノー夫人の言葉は、かえってポリアンナの心に深くしみこんだ。
「だから… だから誕生日も忘れてしまったの?」
「ええ… 忘れてしまいたかった。思い出したくなかった」
 年中、ミリーと二人きり。誰も祝ってくれる者のないそんな誕生日。  ならばいっそ忘れたい。昔の日々を、もう戻ってこない幸せを今の自分に重ねるのがこわいから。
 静かに空を見上げるスノー夫人の横顔をポリアンナはただ、気の毒そうにみつめるしかできなかった。
「おばさん…」
 ポリアンナにはスノー夫人の言葉の意味がわからなかった。ただ彼女の悲しみだけが伝わってきた。
「…けどね」
 スノー夫人がふっ、と言葉をもらした。
「…忘れられなかった。どうしても」
 スノー夫人は弱々しく、ポリアンナに微笑んだ。
「なぜだろうねえ」
 そのひとことが、スノー夫人の悲しみに覆われていたポリアンナの心を溶かした。
「おばさん!」
 思わずポリアンナはスノー夫人に抱きついていた。
「そんなの、ちっとも不思議じゃないわ」
 そして、しごく当たり前のようにポリアンナは言った。
「だって神さまがおばさんをそうおつくりになったんですもの」
 あの天使のようなポリアンナの笑顔がそこにあった。


 誰かに祝ってほしい。「おめでとう」って、言ってほしい。愛されたい、その証がほしい。
 自分はそんな弱い人間じゃないと言い聞かせて自ら封じ込めた気持ち。だのに目の前のこの子はとびきりの笑顔という秘密の鍵で、それをいともたやすく開け放ってしまった。
(ポリアンナさん)
 まじまじと自分をみつめるポリアンナに、スノー夫人は心でそっとつぶやいた。
 心を 開いてもいいんですね


「母さん」
 もう入ってもいいかしら? ミリーが顔をのぞかせた。
「ミリーさん!?」
 ポリアンナに笑顔をむけたミリーは、リボンのかかった包みを母のベッドの上に置いた。
 スノー夫人は驚いた顔でミリーを見上げた。
「そうかい… 覚えててくれたのかい」
「当たり前でしょ」
 ミリーはにっこり頷いた。
「母さん、誕生日おめでとう」
「ええっ!?」
 ポリアンナはあっけにとられてスノー夫人とミリーを交互にみやった。   スノー夫人は恥ずかしそうにコクリ、とうなずいた。
「そうなの。今日が母さんの誕生日」
 そう言ってポリアンナに微笑もうとしたミリーは不思議なものを見た。
「…どうしたの、ポリアンナさん」
 ポリアンナの目に光る涙を。
「わからないの」
 自分でも涙の流れる理由がわからず、ポリアンナは涙をぬぐった。
「びっくりだわ。とっても嬉しいの、今日がおばさんの誕生日なんて。でも、なんだか悲しいの。だって、だって…」
 涙をこらえようとして、こらえきれなくて、
「うわ〜ん!」
 とうとうポリアンナはミリーの胸にとびこんだ。
「ポリアンナさん…」
 ミリーは困った顔でポリアンナをみつめるしかなかった。
「私、私、おばさんのためになんにもできなくて、なんにもしてあげられなくて…」
「ごめんなさい」
 ポリアンナは涙をなすりつけるようにして首をふる。
 どうしていいかわからず戸惑うミリーは、けれどポリアンナのやさしい涙に、なんだかこのままこうしていたいような、不思議な気持ちにかられるのだった。
 ミリーはハンカチをとりだし、そのちっちゃな天使の泣き顔をぬぐってあげた。
「うん…」
 まだしゃくりあげるポリアンナに、
「ポリアンナさん」
 スノー夫人が優しく声をかけた。
「さあ、ミリーのくれたプレゼントを開けるのを手伝ってくださいな」
 涙を拭いてポリアンナは顔をあげた。
「はい!」
 スノー夫人とポリアンナは二人してプレゼントの包みをほどいた。
「うわあ、素敵」
 それは濃い青色をした、よそいきの服だった。
「ポリアンナさんが来てくれてから、母さん、少しずつよくなった気がするわ。だからはやくこれを着て外にでられるようにって」
「朝早くからミシンかけをしてたのは、そういうわけだったのかい」
「まあ、そうだったの!?」
「間に合わないんじゃないかとひやひやしたけれど…」
 照れを隠すようにミリーは、もうひとつの包みを取り出した。
「それと、それに合う小物も探してきたの。これは帽子…」
「わあ、これも素敵」
「ほんとに」
 ポリアンナはその素敵なプレゼントにちょっとうらやましそうにため息をついた。
「いいなあミリーさん。私も何かプレゼントしたかったなあ…」
「いいんですよ、気持ちだけで」
「よくないわ。だいたいおばさんが悪いのよ、私にちゃんと誕生日のこと教えてくれないんですもの」
 ポリアンナはプイとふくれてスノー夫人を困らせてみせた。
「ねえおばさん、何かしてほしいことない?」
「え? そうですねえ…」
 何がほしいといわれて素直になれたことがないスノー夫人が、今こうしてこの子のまっすぐな瞳でみつめられると、自分でも驚くくらいまっすぐな気持ちが言葉になって出てきた。
「じゃあ… 一緒に夕御飯を食べていってくれますか」
「母さん、それは…」
 規則にやかましいハリントン家のことを気づかうミリーを、ポリアンナがさえぎった。
「ええ、喜んで」


 そうして、一枚きりのテーブルクロスに人数分しかなかった不揃いのコップを並べて、ささやかなパーティーがはじまった。
「スノーおばさん、お誕生日おめでとう」
「おめでとう、母さん」
「ありがとう」
 こうしてようやく(!)スノー夫人は今日最初の食事にありついた。
「ああ、このじゃがいもは本当においしいねえ」
「お豆の煮込み加減も絶妙ね」
「でしょう? ダルギンのご自慢よ。でもミリーさんのスープも同じくらいおいしいわ」
「ふふふ… ハリントン家では毎日こんなのとは比べ物にならないごちそうが食べられるんでしょ?」
「う〜ん… ほんとは私、お行儀よく食べるのは苦手なの。パレーおばさまには悪いけど、ごちそうよりもみんなとおしゃべりしながら食べるほうがおいしいわ。ねえ、おばさんもそう思うでしょ?」
「そうですねえ」
 食べるのに夢中で生返事するスノー夫人だった。
「よかった! ああ、こうなるってわかってたらジミーも連れてくるんだったわ。それにチップマックも。ねえおばさん、来年はふたりとも連れてきていい?」
「チップマック… さん? ええ、いいですとも」
 変わった名だと思いつつスノー夫人は安請け合いした。
「それに来年はもっと豪華なお料理も用意しなくちゃ。そりゃ今日の料理もとってもおいしいけど、けれどやっぱり田舎料理ですもの。お祝いにはもっとふさわしい料理があるはずよ」
「これで十分ですよ」
「そうだわ! 昨日ナンシーがローストビーフを作ってたの。それにオレンジチキンもよ! あれこそ誕生日にふさわしいわ。私、今から行って分けてもらってこようかしら」
「まあ」
「それは豪勢だこと」
 安易に頷いた二人はすぐさま後悔した。
「じゃ、ひとっぱしり行ってくるわね」
 今にも席を立って駆けだしそうなポリアンナをミリーは慌てて引き止めた。
「いいのよポリアンナさん」
「あら心配しないで。こうみえても私、駆けっこなら自信あるの。今からひとっ走り…」
「ポリアンナさん」
 スノー夫人がやさしく言った。
「これだけあればじゅうぶん」
「…ほんと?」
 ちょっとうたがわしげにポリアンナが上目づかいでスノー夫人をみる。
「ええ」
「そう… そうね。そうしたらそのぶん、来年の楽しみが増えるわ。ちょっと先は長いけど…」
 ポリアンナのおしゃべりは果てしなく続いた。
「私ね、西部の町にいたころ、毎週火曜日が楽しみで楽しみで仕方なかったの。だって火曜日にはハムエッグが食べられるんですもの。それがある日ハムエッグが出なかったの。もうがっかりなんてものじゃなかったわ。私きっとすごく不機嫌にしてたのね、それでその時お父さんが言ったの。今ハムエッグがなくっても…」
 と、そこまで言って急にポリアンナが黙り込んだので、二人は逆に不安になった。
「どうしたの?」
「続きを話しておくれ」
「ううん」
 ポリアンナは首をふった。
「今日はやめとくわ。だってその話してたら、なんだかとってもハムエッグが食べたくなっちゃった」
 ポリアンナの残念そうな表情に、スノー夫人とミリーは顔を見合わせた。
「ふふふ…」
「うふふふ…」
 こらえきれずに笑いだした二人に、何がおかしいのかとポリアンナは首を傾げた。
 と、まさにその時!
「ポリアンナお嬢さま!」
 背後から怒りのオーラを感じてポリアンナがふりむくと、まさに仁王立ち、という感じで立ち尽くすナンシーの姿があった。
「まあナンシー、ちょうどよかったわ」
 ポリアンナが嬉しそうな声をあげる。
「今ちょうどスノーおばさんの誕生日をお祝いしてたのよ。ナンシーも一緒に…」
「とんでもございません!」
 ナンシーはまゆをひくつかせて言った。
「まさかと思って来てみたら… お嬢さま、今何時だと思ってるんです!?」
 言われて窓の外を見れば、あたりはもう夕焼け色に染まっていた。
「まあ」
「ほんと… いつの間に」
 ミリーとスノー夫人も窓の外を見て驚いた。
 呑気な二人にナンシーは呆れて言った。
「あなたがたも少しは常識ってものを考えてくださいな。小さな女の子をこんな暗くなるまで家に帰さないなんて」
「すみません、本当に」
 おろおろするばかりのミリーだった。
「ナンシー」
 ポリアンナはすっ、と席を立った。
「わざわざお迎えに来てくれてありがとう。じゃなかったら私、本当に帰るの忘れてたわ。だってあんまり楽しかったんですもの」
 ポリアンナはベッドのスノー夫人に駆け寄った。
「じゃあ、おばさん」
「とても楽しかったですよ」
 ほほにキス。それがポリアンナからスノー夫人へのプレゼントになった。
「さあお嬢さま、急ぎませんと」
「ええ。さよならミリーさん。あ、帽子ぼうし、それにバスケットも」
「私がお持ちました。さあ!」
 慌ただしくナンシーとポリアンナは出ていった。  スノー夫人とミリーはなかばあっけにとられてあとを見送った。


 夕焼けの空の下、ようやくポリアンナを取り戻したナンシーは、安堵感と、そして待っている試練に身を引き締めるのだった。
「さあお嬢さま、これからがひと仕事ですよ」
「ひと仕事!?」
 きょとんとした顔でポリアンナが訊ねる。
「お帰りになれば分かります。とにかくパレー様ときたら、まるで火にかけっぱなしのヤカンのよう」
「まあ、おもしろい事いうわね」
 ポリアンナは笑って言った。
「でもおばさまはそんな人じゃないわ。きっとわかってくださるわ」
「世の中がみんなお嬢さまのようなお方ならよろしいのですけれど…」
 ナンシーはいましがた見てきたパレーのむっつり顔を思い浮かべた。
「さあ、気合を入れてまいりましょう」
「気合!? どうやるの?」
「まずこうやって腰に手をあてて」
「うん」
「でもって、お腹に力を入れるんです。えいっ!」
「えいっ! …こう?」
 お腹をつきだしてふんぞりかえるポリアンナを、ナンシーは頼もしくみつめた。
「それでこそポリアンナお嬢さまです」
 素直であどけないこのお子を見るにつけ、なにがあろうとも私はお嬢さまの味方でいよう、たとえパレー様にこっぴどくしかられる事になろうとも。ナンシーは改めて固く心に誓うのだった。ええ、そうですとも。
「それにしても…」
 とナンシーは不思議そうに指を口にあて、スノー夫人の家を振り返って思うのだった。
(あの頑固なミセス・スノーが笑ってた… やはりお嬢さまはただものではないわ)
「ナンシー、ねえナンシー。早くしないと置いてっちゃうわよ」
「ああ、待ってください。お嬢さまぁ!」
 駆けていくポリアンナと追いかけるナンシー。二人の影が夕日の中に溶けていった…


 ナンシーがポリアンナを連れて帰ったあと、スノー夫人の家には嘘のような静寂が戻ってきた。
「なんだか… 悪いことしちゃったわ」
 気の毒がるミリーをよそに、
「大丈夫ですよ、あの子なら」
 自信に満ちた声のスノー夫人だった。
「早く帰れと言われているのも、きっと家で可愛がられている証拠…」
 ちょっとうらやましそうに、スノー夫人は言った。
「万一それで追い出されるようなら、うちで引き取ればいいんです」
「まあ、母さんたら」
「やれやれ… それにしてもあのとっちらかった子が来ちまったせいで、な〜んにもしないうちに一日が終わってしまったよ」
「ほんと… なんて楽しい子かしら」
 スノー夫人もミリーも普段の一日の倍しゃべり、倍笑い、そして倍つかれた。
 ふう、とスノー夫人はベッドにへたりこんだ。枕元からお日さまのほのかな甘い匂いがした。少しあの子の匂いに似ていた。
「ハリントンの奥さまはしあわせものだ… あんな子をいつも手元においとけるなんて」
「でも、それはそれで大変かも」
 テーブルを片付けはじめたミリーがクックッ、と笑う。
「まったくだ」
 スノー夫人は肩をすくめた。
「ねえ、母さん」
 ミリーはなにげなく訊ねた。
「私の小さい頃ってどんなだったの」
「お前かい!? そりゃ、今と同じで」
 スノー夫人は遠い目で昔を語った。
「…いい子だったよ。優しくて、よく気がついて。そう、あの子に負けないくらい」
 目に入れたって痛くない、私の自慢の娘。
 お前は気づかなかっただろうけど、だからこそ私は日に何度も悲しい思いを巡らせてもいたんだよ。体の弱い私は、そんなお前が大人になるのを見届けることはないんだろうってね。
「…母さん?」
 いつの間にかミリーが、目をうるませた母を心配してベッドに寄り添っていた。
「ごめんなさい… 思い出させちゃったのね、昔の事」
「いいんだよ、いいんだよ」
 こうして頼もしくなった娘を、優しい気持ちを抱きつづけたまま大人になってくれたミリーを、スノー夫人は誇らしく思わずにはいられなかった。
 けれど、やっぱりまだ子供なのかねえ。
 悲しい涙と、嬉しい涙の区別もつかないなんて。


 とっぷりと日も沈み、はだ寒くなった窓の下、スノー夫人はいろんな事のあった一日を反芻していた。
「カーテン、閉めましょうか」
 傍らで繕い物をしていたミリーは手を休め、母に訊ねた。
「そうだね」
 しばらく、窓の外の星空をみつめていたスノー夫人だったが、
「ねえ、ミリー」
 スノー夫人はそれがさも今なにげなく思いついたことのように言った。
「あの子の誕生日って、いつなんだろうね」
「ポリアンナさんの?」
 さあ、とミリーは首をふった。
「そうね。今度聞いておくわね」
「ああ、いや、いいんだよ、知らないなら」
 スノー夫人は慌ててつけ加えた。
「私ゃ別にそんな事知りたくはないんだよ。ただちょっと気になっただけさ」
「はいはい」
 クスッと笑ってミリーは言った。
「それとなく聞いておくわ。母さんが知りたがってた、なんて言いませんから」
「いや、あたしゃ」
 いいわけを1ダース、頭の中で考えて、けれど結局、
「ああ、そうだね。そうしておくれ」
 スノー夫人は両手で布団をひっつかんでもごもごともぐりこんだ。
 ちょっぴり素直になった母を、ミリーはかわいいと思った。
「ねえミリー」
 もごもごとスノー夫人は言う。
「あの子の欲しいものって、なんだろうね」
「さあ、なんでしょうね」
 裁縫道具をしまいながらミリーが言う。
「それを考えるのが母さんの仕事でしょ」
 スノー夫人はふむ、とうなずいた。
「そりゃそうだ」
「あかり、消すわよ」
「ああ」
 あかりをもってミリーが部屋に戻ったのもスノー夫人は気づかないようだった。
 あのおもしろいお嬢さんは明日も来てくれるだろうか。
 多分、来てくれないだろう。あの子は自分だけのものじゃないのだから。
 そう思うと少し、悲しくなった。
 でも、まあいい。そうしたら、あの子の誕生日に何をあげたらいちばん喜ぶか、一日中考えていられるというものだ。
「ふふふ…」
 様子を見に戻ってきたミリーは、母がベッドの中で一人笑っているのを見た。
「どうしたの」
 カーテンを閉めながらミリーがたずねる。
「なんだ、簡単じゃないの」
 不思議そうなミリーにスノー夫人は言った。
「よかった探しだよ」
「…お休みなさい」
 スノー夫人はそっと目を閉じた。
 ミリーはそっと部屋を出た。
 そして二人して同じことを思った。
 ありがとう、素敵な今日をくれたあの子に。
 そして、素敵な明日を置いていってくれたあの子に。

(完)





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