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【 ナンとジョー先生について 】


Illustration : 猛牛千葉さん


■ 裏・ナンとジョー先生について ■


はじめに
こんにちは。プラムフィールド学園でお庭番をしておりますペンデルトンと申します。 この度、同じサイトの中にプラムフィールド学園という場所がふたつも出来てしまい、 非常に紛らわしくなってしまいました(笑)。尚且つ同じサイトの中に単枠指定さんの 『ナンとジョー先生』HPがありますので、これまた色々と迷うこと必至です。 でも同じサイトに二つの『ナンとジョー先生』HPがあるというのは、考えるとちょっとすごいですね(笑)。 HPを見て物語の思い出を紐解くきっかけになってもらえたり、 少しでもプラムフィールドにいるような感覚を楽しんでもらえれば幸いです。


今回、『ナンとジョー先生』のHPを作るにあたり、イラスト関係を中心に本当に多くの方々にお世話になりました。 MAYUKIさん。猛牛千葉さん。雪山雪男さん。三田かさん。ちばさん。Noriさん。汐々さん。ゾンビーさん。大帝野村さん。まつさん。タキさん。 それと以前からプラムフィールドの名作美術館にイラストを投稿し て下さった沢山の方々。本当にありがとうございます。イラスト以外でも、 小坂先生にコメントを頂いたり、月代さんにアイコン作りのコツを教えて頂いたり、 メグさんにパンプキンパイのレシピを教えて頂いたり、多くの方に作品の感想を投稿 して頂いたり、いつもアンさんに素敵なHP素材を提供して頂いたり・・・。 本当に協力して頂いた方々のお名前を挙げていたらきりがないくらいです。この場を借りて深くお礼申し上げます。 沢山の方々にご協力して頂いたおかげで、一人では決して出来ない”表現や発想の豊かさ” のようなものがHPに彩りを添えられたのではないかと強く確信しております。


さて、今回の『ナンとジョー先生』HPですが、作業量が非常に膨大で8月からコツコツと始め、 完成したのは11月下旬というとても長丁場の制作になってしまいました。 ビデオを見ながら様々な情報を書き留めていく若草ナンノート(全40話の自家製台本のようなもの)が2、3冊と増えていき(笑)、 途中本当に苦しくてしんどかったのですが、こんな話を書いてもつまらないと思いますので省略します(笑)。 ですがどんなに作業量が膨大でも、少しずつでもコツコツがんばっていれば、いつかは 完成するんですよね。「忘れないで。心を込めて努力すれば、夢はきっと近づいてくる。」 HPの制作中、いつもジョーのこんな台詞が頭をよぎっていました。 苦しかったですが、無事に完成出来てほんとによかったです。 今は長いマラソンを走り終えた時のような、充実感と達成感で胸がいっぱいです。








        



夢を信じて努力することの大切さ
プラムフィールドの子供達は夢を抱いて学園を去っていくことになりますが、 『ナンとジョー先生』ではこういった夢を信じて努力することの大切さを 子供達を通して伝えたかったのではないでしょうか。将来何になれたかとい うことはあまり関係なく、夢を持つことで子供達は成長し、夢を持つことで それが自分の可能性を伸ばすことに繋がるのだという。幼いトミーが自ら学 園を出て行く決心が出来たのも、やはりその先に夢があったからだと思いま すし、確かな目標があると人は強くられるのではないでしょうか。 またそれが人が自立していく上での自信に繋がるのだと思います。 ジョーは子供の頃小説家になることを夢見ていましたが、小説家になれなかっ たからといってそれは決して無駄なことではなく、今も教師という職業の中 でその時の糧はしっかりと息づいているのだと思います。子供だからこそ、 夢を大切にすることが大事なのでしょうね。




子供達が抱える三つのテーマ

自由の中で自立心が養われ、
動物を育てることで思い遣りの心が育まれ、
夢を抱いて努力することで成長する。


”自分で考えること” それはベア夫妻の教育方針の中でも最も大切にしている部分 ではないでしょうか。ジョーは言います。 「本物の好奇心を持っていなければ、先生になって自分の言葉で話すことは出来ないわ。」 人に言われて何かをするのではなく、 勉強でも遊びでも、自らが興味を抱き、自分で考えることで、 それは本当に自分のものになっていくのだと思います。 ”本物の好奇心を持つ”それはまさに自主独立の象徴であるような気がします。

プラムフィールドには思い遣りの心が溢れています。 それは子供達に他人の痛みがわかる想像力が養われているからだと思います。 だから子供達はどんな時でも決して他人を労わる気持ちを忘れません。 そういった気持ちは誰かに教えられて覚えたのではなく、子供達が毎日の生活の中で 自然に養われていったのだと思います。 プラムフィールドでは「他人を労われ。」と頭から言い聞かせるのではなく、 動物を育てさせることで自然に思い遣りの気持ちを学ばせているのでしょう。 ”思い遣りの心” それはこの作品の一番の魅力です。

”夢を抱いて努力することの大切さ” この作品では主にナンの話を通してそういったことが伝えられていましたが、 終盤ではむしろダンとトミーの話の方が印象的でした。特に12歳のトミーが 自ら学園を出る決心をする場面など、どんな劇的な場面より、私には感動的に 思えました。不安を抱きながらも果敢に人生に飛び込んで行こうとする姿に胸を打たれたのです。 夢を抱いて成長し、学園を巣立っていく子供達。 『ナンとジョー先生』と夢は決して切り離せない存在だと思います。 「俺達はみんな大人になっていくんだ。いつかはプラムフィールドを出ていく時がくる。」 このダンの台詞は、物語の中で最も印象的な台詞でした。



名作劇場史上類を見ない
”ただ平和に生活しているだけの主人公”
『ナンとジョー先生』は平凡な物語です。 そして主人公のナンもやはり劇的な運命などとは無縁の平凡な主人公です。 ですが、平凡だからこそ『ナンとジョー先生』は誰もが共感出来る作品なの ではないでしょうか。私は『ナンとジョー先生』のような作品にとって、 素朴や平凡というのは最高の誉め言葉であるような気がします。

私が作品を見ていて思ったことは、ナンとダンでは作品の中での役割が明らかに 違っていたということです。学園中を賑やかに駆け回り、毎日をのびのびと生活するナンは、 作品の明るく楽しげな雰囲気を作り出していた一番の立役者ですし、 暗い人生の境遇を背負っていたダンの改心していく姿はとても見応えがあり、 物語としての魅力がありました。 雰囲気や生活感を担当するナンとストーリー担当のダンは、それぞれ別々の役割をはっきりと 担っていたのだと思います。ナンの視点から見ているからこそ、ダンの更生物語 が暗くならなかったのでしょう。 ナンは名作劇場史上類を見ないただ平和に生活しているだけの主人公ですが、 雰囲気や日常生活そのものの暖かさが一番の魅力だと言える『ナンとジョー先生』 においては、平凡なナンこそ最も主人公に適していた存在だと思います。

ナンを作品のダシだとすると、ダンは作品の具でしょう。




ダンとプラムフィールド
嘘と喧嘩に明け暮れ、ボストンの路地裏でずっと汚い大人を見て育ってきたダンは、 頑なに心を閉ざしたまま、決して大人を信用しようとはしません。その 異常なまでの大人(社会)への憎しみと警戒心は、騙され続けてきたダンの人生を 無言のまま物語っているように思えます。 また、誰からも愛されず、誰からも必要とされず、荒くれたサバイバル生活のよ うな毎日をたった一人で生き抜いてきたダンは、奇麗事でパンを買えないことも知っていました。 外界から孤立したジョー達の築いた小さな理想郷に、社会の闇の部分をすべて 凝縮したような存在であるダンがやってきた時、 『ナンとジョー先生』の本当の物語はようやく動き始めたように思えます。 他人から裏切られることを恐れ、頑なに心を閉ざしていたダンは、 プラムフィールドにやってきてからも幾度となく問題を起こし、ジョーを苦しめます。 人から信頼され、期待されることがダンには重荷になり、反発せずには いられないのでしょう。 それでも「大人は信用出来ない。」、「汚い大人を腐るほど見てきた。」 というダンの言葉からは、自分はそんな大人にはなりたくないのだという ダンの気持ちと、心の奥底では良い人間になりたいのだという本心が 見え隠れしているようで、何か印象的に感じられました。 そして本当に自分のことを愛してくれるジョー(母)という存在と、 プラムフィールドという帰るべき家(足場)が出来た時、ダンの野生を 剥き出しにしたような警戒心は解け、自分を必要としてくれる人の為に 生きるという(心の奥底で望んでいた)生き方をようやく見出したのだと思います。 ダンを見ていて、環境が人を良くも悪くもするのだということを つくづく考えさせられました。本当にプラムフィールドという存在が必要だった のは誰なのか。そんなことをふと考えてしまいます。

何度裏切られようと辛抱強くダンのことを信用し続けるジョーと、 それに反発しながらも徐々に心を開いていくダン。 やはり『ナンとジョー先生』の物語としての最大の見所というと、ダンの更生していく姿と、 その葛藤の過程にあると言って間違えないでしょう。



Illustration : にわとりさん



魔法のような思い出
私は第39話「おてんばジョー自転車に乗る」の話が好きです。 子供達の巣立ちの時を前にしてシリアスな話がずっと続いていましたから、 突然とも言える、第39話の明るい話に驚いた人も多かったのではないでしょうか。 実際、最終回を前にして、この話をここに持ってきたことがシリーズ構成上の 難点だと批判されているのを何度か見た事があります。 確かにこのエピソードには女性参政権など女性の立場に関する問題が根底にあるものの、 落ち込むナンをジョーが身体を張って励ますという ”ただの話 ”でもあります。 スタッフは何故こんなところにこの話を持ってきたのでしょう。

私はこう思います。
第39話ではジョーは何度も何度も転びながら、必死に自転車に乗ろうとします。 自転車に乗れた、乗れないではなく。 ジョーはジョーなりのやり方でナンに勇気を与えたかったのでしょう。 そんな姿に落ち込んでいたナンはすっかり元気を取り戻し、 みんなと一緒に笑顔でジョーを応援します。 ナンの言う「魔法のような思い出」とはいったいなんだったのか。 それは特別なものではなく、愛すべき仲間達と過ごした子供時代の 「何気ない日々」のことだったのではないでしょうか。 何気なくもあり、過ぎ去った後では二度と戻ることのない、魔法のような日々。 私は第39話を見ていて、何か卒業式を前にして、一日だけ平日をプレゼントして もらったような気持ちになりました。もしかすると、子供の頃や、初めて見た時に気付かなくても、 いつかその大切なものに気付いて欲しいというスタッフからのタイムカプセルのようなメッセージ だったのかもしれませんね。



『ナンとジョー先生』は『愛の若草物語』の続編?
『若草物語』の原作は、『若草物語』〜『第四・若草物語』までの計4冊が出ていて、 『ナンとジョー先生』は原作の『第三・若草物語』のアニメ化になっています。 『第二・若草物語』は主にジョー達のロマンスが中心のお話になっていて、 その『第二・若草物語』の最後で結ばれたジョーとベアが、マーサおば様が遺産として 残してくれたプラムフィールドのお屋敷で、理想の教育を実現させようと学校を 開くことになります。それが『第三・若草物語(ナンとジョー先生)』のお話なんです。 ただアニメではプラムフィールドを孤児院か何かと勘違いする人もいるみたいで、 この辺りの説明がややあやふやなのは否めませんね。

『ナンとジョー先生』は『愛の若草物語』の続編なのか。
私は『ナンとジョー先生』を『愛の若草物語』の続編だと思ったことはありません。 それだけ独立していると思っているからです。 どうも『ナンとジョー先生』では『愛の若草物語』を見ていないとわからないような 設定やエピソードは省いたり最小限にしているようですね(他に話数的な問題もあり)。 その考慮に『ナンとジョー先生』に前作との繋がりなど、続編的な部分を期待した 一部のファンから少し不満の声が出ているようですが・・・。 例えば、ローリーなどの描き方にしても、ちょうど子供達から見た親戚のおじさんといった 感じで描かれていて、それ以上細かく描かれてはいませんでした。 それは中途半端に繋がりを描くことが『愛の若草物語』を見ていない人を混乱させる マイナス要因になると考慮して(ある程度割り切って)切り離しているからだと思われます。 私の中では『ナンとジョー先生(第三・若草物語)』は『新・若草物語』だと思ってい ますから、その点に特に不満はありません。 物語がほぼ独立していて、『愛の若草物語』との繋がりが希薄なのは、 初めて見る人達への考慮と、プラムフィールドの子供達を丁寧に描く ことに力点をおいた結果なのではないでしょうか。



自由の学園プラムフィールドから
とうとう犯罪者が出現!?
物語後半、計4話を割いて一連の泥棒事件が描かれていますが、 『告白の置き手紙(第28話)』にしろ『素敵な5ドルの使い方(第31話)』にしろ、 何かダンのカッコ良さばかりが際立たされていたような感じがします。 確かに部分的に見ると28話も31話もラストは感動的なのですが、 冷静に泥棒事件全体を見ると、どうも消化しきれていなかった感じは否めません。 泥棒事件というプラムフィールド始まって以来の大事件は、喧嘩などという 単純な(表面的な)ものではなく、互いが互いを疑い始め、信頼関係などが内部 から崩壊していくような恐ろしいものだったはずです。そして一度失った信頼を取り戻すことが どれだけ難しいことなのかという・・・。ジャックが戻って来てどんな展開を 見せるのか期待して見ていたのですが、ジャックはただとぼとぼと少し歩いただけで、 後はダンのカッコ良い見せ場があっただけでした。 4話も割いたエピソードですが、一番釈然としなかったのはジャックのことではなく、 何事もなかったようにすんなりとジャックを受け入れたプラムフィールドの 子供達に対してでした。確かにこの話はダンとナットの友情も大きな見所のひとつ ですが、泥棒事件をきちんと描くのなら、ダンのカッコ良さを描くだけではちょっと 問題があるのではないでしょうか。ジャックは計算高くとても口が悪いですが、そんなに 悪いやつではないはずですよ。何かこの話では単なるダンの引き立て役でしかなかったような 気がします。話数的な問題はあるにしろ、 あれでは泥棒事件という大事件を乗り越える、また乗り越えようと努力しながら成長していく 子供達の様子が描ききれていない感じで正直不満が残りました。 いくらプラムフィールドの子供達が心の優しい良い子ばかりだとはいえ、 失った信頼を取り戻すのはあんなに簡単なことではないはずです。



それぞれの夢
最終回のエピローグでプラムフィールドの子供達の将来を少しだけ覗くことが 出来ますが、みんな思い通りの職業に就けていたことに違和感を覚えた人も多いのでは ないでしょうか。一部の名作ファンからは「しらけた。」という言葉まで聞いたことが あります。確かに子供の頃に描いた夢がそのまま現実になるなんて稀だと 思いますし、しかもそれがプラムフィールドの子供達全員となると、もうこれは 嘘だと言われても仕方がないと思います。

ですが、あくまでそれは大人の視点で見た時の話であって、 この作品が物語を通して何を伝えたかったのかを考えると、 私はあれで良かったのではないかと思います。 例え一部の人達から批判されたとしても、この作品を通して伝えられていた 「心を込めて努力すれば、夢はきっと近づいてくる。」ということが 作品を見ていた子供達に伝わっていれば、私はそちらの方がずっと 価値のあることだと思います。『若草物語』がモラルや良心など、理想の 家庭モデルを描いていたのに対して、『第三・若草物語』では理想の 学校(教育)が描かれています。やはりどちらも理想であって、描かれて いない現実の細部というのは数多くあるのだと思います。

『若草物語』がすべてではない。
そう思うと、夢を大切にしたこの作品で、最後に夢を叶えてあげたとしても 決して悪いことではないような気がします。あれはプラムフィールドの子供達の 夢を叶えてあげたのと同時に、現実の子供達への夢を育んだのですから。



『ナンとジョー先生』の魅力について
『ナンとジョー先生』には他の作品のように劇的な物語などはありません。 また、1話完結の話が多く、全体的にストーリー性が弱いのも拭えません。 そんなところがストーリーを中心で物語を見る(楽しむ)人からは退屈で 物足りないとやや陰口を叩かれているようですが・・・。

ではいったい『ナンとジョー先生』の魅力とは何なのか。
確かに『ナンとジョー先生』には劇的な物語などは殆どありませんが、 先生と生徒達とのふれあいや成長が丹念に描かれていて、 ひとつひとつの事件が平凡だからこそ誰もが共感出来る物語なっているのだと思います。 ストーリーというよりも、むしろ学園での生活そのものが、この物語の核となっているのでしょうね。 そして『ナンとジョー先生』のもうひとつの特徴は、どんな時でも決して明るさを失わないところだと 思います。印象的な場面では、第34話 『雪の日の使者』 で、 何とかジョーの力になろうと子供達が必死に頑張っている姿です。

気付けにと持っていった紅茶はブランデーが入り過ぎて真っ赤。
ひっくり返ったようなキッチンを見て怒鳴りにくるエーシア。
ジョーを気遣いそっと部屋を出てくる子供達に感動し、涙を流すエーシア。

怒ったり笑ったり泣いたり・・・。この場面で私は笑いながら、いつの間にかエーシアにつられて貰い泣きをしていました。 明るさの中にも、必死にジョーを支えようというみんなの思い遣りの気持ちが痛いほど伝わってきたからです。そしてふと思ったのです。 ああ、この物語は笑いながらホロリと優しい涙が 零れるような作品なんだな、と。『ナンとジョー先生』で見られる、誰もが共感出来る 小さな感動の数々は、どんな劇的な感動にも決して引けを取るものではないと思います。 プラムフィールドというジョー達の築いた小さな理想郷。 夢と思い遣りに溢れるこの物語を見ていると、何かずっとその世界観に浸っていたいような 暖かな気持ちにさせてくれます。そしてそれが『ナンとジョー先生』の一番の魅力 ではないかと私は考えています。



Illustration : 汐々さん






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