|
|
要害山(加護山)館岩の石塁 加護山の山頂、北端を館岩と称している。大きな岩石が色々組み合わされ、防備されたものであろう。岩つつじ、古武士の咲き乱れる五月頃が最もみどころ。四季星霜の風雪にさらされた岩肌には、今もなお昔のままの月が映すような懐古の情にひたれる。 |
|
|
要害山(加護山)全景 鎌倉、戦国の昔、この山城は、背後は幾重塁のの山々を楯に、前は河川と治沢をひかえた山城が標高281mの加護山として、四季折々の美しさがあり、羽越線車中より荒川の清流を経て、物見山のろし山等の一連の山姿を見せてくれる。 |
|
|
馬洗場 馬洗場(長辺田)、中世のなごりをそのまま伝えている。大正の頃、水面泥下から栗の厚板が発見され、池の一部に玉石の敷地があったと伝えている。新緑五月上旬、池は山あやめ等の花が咲き、登山する人をなぐさめてくれる。 |
|
|
保侶羽神社参門 平林城主色部長真公が上杉氏の命により、出羽の国平定に当り、かねて信仰厚い保侶羽大権現を護身仏に兜に秘めて闘われた。神の加護あらたなものあり、破竹の大勝を得て、所期の目的を達することが出来たので、由来千眼寺側山に保侶羽大権現の堂を建立し、後世に伝えることが始まりで、その参門である。 |
|
|
城址表面登口 現在の城址入口は、当時の通路であるとは確認できないが、かつて道路の一部に10cm前後の玉石が一面に敷かれていた形跡もあり、また、附近の遺構から推察して、往時の面影がうかがわれるのは幸いである。 |
|
|
三の丸擁壁 中世の城郭の土壁の規模構造をさぐる上に大切な土壁であり附近一帯が鍵形、屏風折りの擁壁が観察される。 |
|
|
色部氏顕彰碑 色部氏の祖先は秩父(畠山氏)にはじまり、鎌倉創業以後小泉庄加納の地頭職として入部してより慶長三年まで、略々400年間当地方の領主であった。累代の色部氏は代々上杉公の重臣として、内外の主要な戦いに参加し、その武勇はよく知られ、或いは産業を興し文化信教の興隆に努る等その偉業は今も郷土の青史に伝承されている。昭和53年平林城跡が国の史跡に指定を受けるに当り色部公累代の善政貴徳をしのび、建立された色部顕彰追念碑である。 |