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| 観光地名 | : | 西郷隆盛銅像 |
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| 電話番号 | : | 099-216-1327(鹿児島市観光課) |
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| 住所 (リンク先は地図) |
: | 鹿児島市城山町4-36 |
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| 地図 (powered by Google Map) |
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| 訪問日 | : | 複数回(何回も) |
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| HP | : | 西郷隆盛銅像 (リンク先は鹿児島市観光ガイドのサブ・コンテンツであり、この場合、公式WEBサイトです。その他、観光案内サイト楽天トラベル(旧・旅の窓口) |
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| 交通案内 アクセス |
: | 鹿児島への切符の予約は、【楽天トラベル】航空券予約, 【楽天トラベル】ANA楽パック(航空券+宿泊併せて)予約, 九州新幹線「つばめ」等のJR九州(九州島外のJR各社の予約も行う場合、JR CYBER STATION), 【楽天トラベル】高速バス予約で行うことができます。レンタカーご利用の方は【楽天トラベル】レンタカー予約でレンタカーの予約ができます。
鹿児島中央駅からは、おしゃれな観光地周遊(路線)バス・カゴシマシティビューの西郷銅像前バス停(リンク先は地図)で降りればすぐ目の前である他、或いは、鹿児島市電(リンク先は鉄道艦船航空陸自マニアのサブ・コンテンツ)・朝日通電停(リンク先は地図)で降りれば下車5分程度です。 鹿児島市外からお見えの方であれば、市電・市バスも乗り放題のカゴシマシティビュー1日乗車券が便利です。 |
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| 最寄りの温泉地,宿泊地 | : |
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| 解説 | : |
西郷隆盛銅像とは文字どおり、鹿児島市出身の幕末・明治維新期に活躍した西郷隆盛の銅像です。上野の西郷隆盛の銅像は高村光雲が作りましたが、鹿児島市の西郷隆盛銅像は鹿児島市出身の彫刻家・安藤 照の作品です。安藤 照とは、東京や横浜では、渋谷のハチ公前広場(リンク先は東京考察のサブ・コンテンツ)の忠犬ハチ公の銅像を作った彫刻家としても知られた人であり、鹿児島市立美術館でも展示紹介されている郷土・鹿児島市の芸術家です。 この鹿児島市の西郷隆盛銅像は、1937年に西郷隆盛没後50年祭記念事業として建てられたもので、鹿児島市立美術館のすぐ近くにあります。旧鹿児島市公会堂(現・鹿児島市中央公民館)前に、西郷隆盛銅像撮影のベスト・スポットとしての撮影台が設けられていますので、写真を写すのならばここがお薦めです。 西郷隆盛とは維新の三傑の1人であり、1828年に鹿児島市で生まれ、島津斉彬に抜擢されて活躍しましたが、島津斉彬没後は一時期、一橋慶喜(後の徳川慶喜)を将軍に擁立しようとした一橋派が安政の大獄で追及されるようになると、島津斉彬配下の一橋派だった西郷隆盛も江戸幕府から追及される身となり、鹿児島に伴った僧月照と入水自殺を試みるまで追い詰められてしまいました。月照は死亡しましたが西郷隆盛は蘇生し、奄美大島に潜居3年の辛酸を舐めるに至りました。 大久保利通の取りなしもあり、西郷隆盛は1862年に島津久光に呼び戻されて島津久光による薩摩藩率兵上京の手伝いをしましたが、寺田屋事件の際の独断「偵察」行為が、激派志士への同調と島津久光から誤解されたことから徳之島,沖永良部島に流罪2年となってしまいました。 1864年に再び島津久光に呼び戻されて、禁門の変の後の第一次長州征伐では征長軍参謀に任命されて、対長州藩融和策で臨みました。その後、坂本龍馬の周旋もあり、京都の小松帯刀邸で長州藩の桂小五郎(木戸孝允)と会談し、薩長同盟を成立させました。第二次長州征伐が江戸幕府の敗北に終わると、大政奉還に対抗して王政復古の大号令発布のための工作を大久保利通や岩倉具視と共に進めてこれに成功し、鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争で倒幕に成功しました。勝海舟との会談による江戸城無血開城は、この時の途中工程でのことです。 明治維新後一時期は鹿児島に帰っていましたが、大久保利通や西郷従道達に請われて再び上京し、大久保利通達と共に版籍奉還や廃藩置県を断行しました。岩倉使節団による大久保利通外遊中は、留守政府を率いて学制公布、太陽暦採用、徴兵令布告、国立銀行条例公布、地租改正布告その他の改革を行いました。 ところが、大久保利通が帰国すると板垣退助が主張する武力による征韓論を抑えるべく遣韓論(大使派遣)を主張したが、これでも内治優先を唱える大久保利通に反対されて明治六年政変で下野することになり、再び鹿児島に戻りました。 その後、私学校党の暴発により西南戦争が勃発すると薩軍の総大将となって政府軍と戦うことになり、かつての盟友・大久保利通と敵対する関係に陥ってしまい、最後は戦に敗れて城山で自刃し、別府晋介の介錯で倒れました。享年51(満49)歳。 |
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| 鹿児島県内の幕末・明治維新〜西南戦争にかけての歴史観光スポット |
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| 感想 | : |
私のような東京生まれのハマっ子にとっては、実は西郷さんの銅像と言われて条件反射的に思い浮かぶのは上野の西郷隆盛の銅像なのですが、ここで紹介するのは西郷隆盛の生まれ故郷・鹿児島市にある、いわば本場の西郷隆盛銅像です。 現在では鹿児島を第2の故郷として鹿児島市民である旨を誇りに思う私にとっては、生まれ故郷・東京の渋谷のハチ公前広場(リンク先は東京考察のサブ・コンテンツ)の忠犬ハチ公の作者と、第2の故郷・鹿児島の西郷隆盛銅像の作者が同じ安藤 照である旨に、個人的には「ご縁」を感じます。 鹿児島の顔と言えば何と言っても西郷隆盛ですので、西郷隆盛銅像はイチオシの観光スポットです。 |
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