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| 観光地名 | : | 鹿児島カテドラル・ザビエル教会(鹿児島カテドラル・ザビエル大聖堂) |
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| 電話番号 | : | 099-222-3408 |
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| 住所 (リンク先は地図) |
: | 鹿児島県鹿児島市照国町13−42 |
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| 地図 (powered by Google Map) |
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| 訪問日 | : | 2006年10月1日 |
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| HP | : | 鹿児島カテドラル・ザビエル教会公式WEBサイト 鹿児島カテドラル・ザビエル教会 (リンク先は楽天トラベル(旧・旅の窓口) ・ 旅コミ(クチコミ) ・ 鹿児島県 ・ 旅コミ(鹿児島・桜島)(口コミ)のサブ・コンテンツ。) ( その他、 鹿児島県公式観光ガイド「ゆっくり・悠・遊・観光かごしま」でもザビエル記念聖堂として、 @あっと九州.com ・ 九州ものしり情報・文化でもフランシスコ・ザビエルを知る六つの「なぜ?」 〜その1〜, フランシスコ・ザビエルを知る六つの「なぜ?」 〜その2〜の中で、 よかとこBY・写真満載九州観光でもザビエル滞鹿記念碑(鹿児島市)の中で、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でもフランシスコ・ザビエルの中で、 建築作品検索サイト - 建築作品データベース pocket NAVI.でも鹿児島カテドラル ザビエル記念聖堂として、 「グルポ・エスパーニャ」(熊本スペイン協会)でも鹿児島・熊本見聞記(早川 育さん)の中で、 でもとして、 オノケンノート(ブログ)でもW016 『鹿児島カテドラル・ザビエル教会』として、 天津の癒し人(blog)でも鹿児島カテドラル・ザビエル教会として、 鹿児島散策(blog)でも鹿児島カテドラルザビエル教会として、 Slow Runner(blog)でも薩摩と長州の中で、 NO DAY BUT TODAY(blog)でもいつの話だか....の中で、 祐輝薫(blog)でもフランシスコ・ザビエルの中で, 誰かを忘れられない貴方へ(blog)でも旅日記(第26話)フランシスコ・ザビエルの軌跡★外から見る近代日本の中で紹介されています。 かつてあった旧聖堂の建物については、 ALL-A(blog)でも鹿児島のザビエル聖堂を宗像市に移築の中で、 相ノ浜総合研究所(blog)でも宗像にザビエル聖堂として、 家づくり.org(blog)でもザビエル旧聖堂:ザビエル旧聖堂大移動 斬新な木造建築再生へとして、 ザビエル聖堂再生(blog)でも聖堂再生CGムービー等の中で、 ここち日記 〜建築士のひとりごと〜(blog)でも宗像市、ザビエル聖堂の移築見学として紹介されています。) 関連HP:ザビエル上陸顕彰会 鹿児島県マレーシア友好協会マラッカクラブ, 鹿児島県マレイシア友好協会 |
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| 交通案内 アクセス |
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鹿児島中央駅からの道筋を示せば、観光地周遊路線バスカゴシマシティビューに乗り、「ザビエル公園前」バス停下車すぐです。鹿児島市外からお見えの方であれば、市電・市バスも乗り放題のカゴシマシティビュー1日乗車券が便利です。 |
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| 鹿児島の温泉地&観光地 | : |
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| 鹿児島県の温泉宿,ホテル宿泊予約 | : |
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| 解説 | : |
鹿児島市は、キリスト教 ・ 旧教(カトリック教会) ・ イエズス会の宣教師・フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)により、日本にキリスト教が最初に伝来した場所です。鹿児島カテドラル・ザビエル教会は、このキリスト教日本上陸の街を記念して建てられた、カトリックの教会(聖堂)です。 ==[↓ ここから先はザビエル滞麑記念碑と同じ]== 松尾千歳『鹿児島歴史探訪』(高城書房,2005)pp.46-47によれば、ザビエルが上陸したのは天文18年7月22日(太陽暦1549年8月15日)のことです。上陸地点は、同書pp.46-47や鹿児島県高等学校歴史部会編『鹿児島県の歴史散歩 歴史散歩 (46)』(山川出版社,2005)pp.5-6によれば鹿児島の稲荷川河口付近であり、埋め立てられて現在は祇園之洲公園(石橋記念公園)になっているため、祇園之洲公園(石橋記念公園)内にザビエル上陸記念碑があるとの由です(私は何回も祇園之洲公園(石橋記念公園)に行ったのに気づきませんでした)。鹿児島県高等学校歴史部会編『鹿児島県の歴史散歩 歴史散歩 (46)』(山川出版社,2005)pp.5-6によれば、日本人最初のキリスト教徒であるヤジロウとジョアン・アントニオらに案内されてのことです。ザビエルの日本での布教開始前に日本人の信者がいたのは一見不思議に思えるかも知れませんが、これはヤジロウやジョアン・アントニオが国外にいたためであり、JR九州 ・ @あっと九州.com ・ 九州ものしり情報・文化 ・ フランシスコ・ザビエルを知る六つの「なぜ?」 〜その1〜によれば、マラッカにいたザビエルに罪の告白をするべく、ヤジロウが会いに行ったことにより知り合ったとの由です。 フランシスコ・ザビエルは後述するとおり当時の領主・戦国大名のの島津貴久の許可を得て布教を開始します。鹿児島での布教では、鹿児島県高等学校歴史部会編『鹿児島県の歴史散歩 歴史散歩 (46)』(山川出版社,2005)pp.5-6によればヤジロウの親戚など数百名がたちまち信者になったとの由ですが、松尾千歳『鹿児島歴史探訪』(高城書房,2005)pp.46-47に翌年7月20日頃まで約1年間滞在した旨が記されているとおり別の場所を求めて鹿児島市を出て行った事実がありますので、この布教状況は所期の目的を達したものとは言い難かったのであろうと推測します。後の江戸時代に薩摩藩は、全国的なキリスト教禁止令によるキリシタン取締りを行っただけでなく、一向宗も禁止にして厳しく取り締まった程に「領主以外の指揮命令系統を持ちかねない宗教」を禁止した藩としても歴史通の間では知られている藩であるため、その薩摩の島津氏がキリスト教の布教を許したという方が不思議な程です。この点に関しては、さつまグローバルネット(関東鹿児島県人会連合会事務局) ・ 児島歴史探訪シリーズ8 封建政治下の思想統制・キリスト教の伝来によれば島津貴久自身が後にキリスト教禁止していますが、この禁止の時期がザビエルが出て行った時期と平仄が合うのか後日のことなのかは確認できませんでした。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ・ 島津貴久によれば禁教の理由は、「寺社や国人衆の反対が激しかったことや、期待したほどに南蛮船も訪れなかったこと」であるとの由です。鹿児島県高等学校歴史部会編『鹿児島県の歴史散歩 歴史散歩 (46)』(山川出版社,2005)pp.20-21によれば、来鹿中にザビエルは福昌寺住職・忍室和尚と宗教論争を交わしたとの由です。 島津貴久が1549年にキリスト教布教を許可したのは日置市の旧・伊集院町にあった一宇治城であるとの説が有力で、このため、日置市の旧・伊集院町にはザビエル会見記念の碑があります。しかし、松尾千歳『鹿児島歴史探訪』(高城書房,2005)pp.46-47や鹿児島県高等学校歴史部会編『鹿児島県の歴史散歩 歴史散歩 (46)』(山川出版社,2005)pp.5-6によれば、この場所には国分の清水(きよみず)城説もあるとの由です。松尾千歳『鹿児島歴史探訪』(高城書房,2005)pp.46-47によれば、フランシスコ・ザビエル来鹿の時期の島津貴久は国分の清水城を拠点にして大隅国平定に力を注いでいた時期であるため国分を離れていたとは考えにくいことと、ルイス・フロイス(Luis Frois)による『日本史』の中に「国分城で会見した」と書かれていることとが、国分説の根拠であるとの由です。 鹿児島県高等学校歴史部会編『鹿児島県の歴史散歩 歴史散歩 (46)』(山川出版社,2005)pp.5-6によれば、1911(明治44)年に石造のザビエル教会が建てられたのが、鹿児島カテドラル・ザビエル教会の嚆矢との由です。残念ながら、この初代教会は1945(昭和20)年に太平洋戦争の鹿児島大空襲で焼失してしまい、石の外壁だけが残ったとの由です。1949(昭和24)年にザビエル教会が木造で再建される際に、焼け残った石の外壁を利用してザビエル滞麑記念碑が作られたとの由です。この再建木造教会は、さらに1999(平成11)年に現在の教会に建て替えられました。 なお、フランシスコ・ザビエルはイエズス会という修道会が1534年に創立された時の創立メンバーの一人です。修道会とは、キリスト教の旧教(カトリック教会)などにある、修道士が祈りと労働の共同修行生活を送るための組織で、その共同修行生活を送る場所を修道院と言います。旧教(カトリック教会)には修道会がありますが、新教(プロテスタント)には一部の例外的な宗派を除けば修道会はありません。 イエズス会が創立された1534年は、旧教(カトリック教会)による免罪符(贖宥状)発行をマルティン・ルター(Martin Luther)が1517年に批判したことを契機にして宗教改革が始まり、新教(プロテスタント)が旧教(カトリック教会)から分かれてから後のタイミングです。宗教改革に対して旧教(カトリック)側はカトリック教会内改革にしてアンチ宗教改革である対抗改革を始めますが、イエズス会が創立されたのは丁度このアンチ宗教改革運動開始の直前の時期でした。この時代背景の下、イエズス会は対抗改革の先頭に立つようになりました。 また、その少し前の15世紀までイベリア半島(スペイン,ポルトガル,アンドラ,イギリス領ジブラルタルがある半島)は半島全てではありませんがイスラム教徒に治められていましたが、これに対抗するレコンキスタ(国土回復運動,再征服運動)を、カスティーリャ王国とアラゴン王国が統合されて発足したスペイン王国が1492年イスラム教国・グラナダ王国(ナスル朝)を首都グラナダを陥落させて滅ぼして実現させ、イベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻しました。この1492年は、1月にグラナダが陥落して、スペイン王国の援助を得て8月に出航したクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)の艦隊が新大陸(新世界)を発見した年です。元々宗教的動機もあって国土統一を果たしたスペイン王国が海外進出を開始するに際しては、レコンキスタの精神的な影響によって、海外植民地獲得や軍事や交易だけでなくキリスト教布教の色合いが強くなっていった模様です。 イエズス会は、創立メンバーがスペイン,ポルトガルの出身者であったため、「アンチ宗教改革(が言い過ぎであれば対抗改革)」と「レコンキスタ成功直後のスペイン王国海外進出の状況下に、海外布教に力を注いでいくことになります。日本へのキリスト教伝来がイエズス会のフランシスコ・ザビエルによって行われた背景には、当時のこのような国際情勢があります。逆に申せば、「宗教改革(と、それに対する対抗改革)」と「レコンキスタ」と「大航海時代」とが分からなければ、「日本へのキリスト教伝来」の世界史における位置付けは分からないことになります。 本解説執筆時点の日本の学校教育では高校で日本史と世界史とに歴史科目が分かれており、かつ片方だけ勉強すれば済むようになってしまっているため、このような世界史と日本史とのつながりについては、学校のお勉強だけでは総合的に理解できるような授業になっていません。このため、「学校でお勉強するだけでは分からないこと」について解説するために、念のため補足しておきます。 ==[↑ ここまで(ここから上)はザビエル滞麑記念碑と同じ内容]== なお、鹿児島カテドラル・ザビエル教会は一般入場も可能な観光スポットではありますが、観光のために建てられた施設ではなく宗教施設ですので、ご訪問される際には信者の方々の宗教活動の邪魔にならぬよう、お願い申し上げます。 |
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| 関係あるスポット | : | ザビエル滞麑記念碑 |
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| 感想 | : |
鹿児島カテドラル・ザビエル教会は、とても綺麗な教会でした。観光スポットとは申せ観光用施設ではなく宗教施設ですので、別に何もザビエルの博物館があるとかいう訳ではありませんが、荘厳な感じのする教会でした。一般には旧教(カトリック教会)の教会は、教典(聖書)原理主義の新教(プロテスタント)(の全ての宗派ではありませんが多くの宗派)の教会だったら十戒の偶像崇拝否定の戒めに反するため考えられないような、「聖母マリア像があったり、十字架にイエス像があったりする(プロテスタントの多くの宗派では、十字架にイエス像は付いていない)状況」であるなど、妙にデコデコ・ゴチャゴチャと過剰装飾であるように思える場合が多いです。しかし、鹿児島カテドラル・ザビエル教会は違っていました。新教(プロテスタント)の教会だと言っても通用する程、「余計な飾り」感を感じさせない「良い意味でシンプル」な作りで、余計なものが無い美しさが荘厳さを醸し出しています。まぁ、でも、十字架にイエス像は付いていましたが、気になる程ではありません。 中に入る機会がありましたら、2Fの大聖堂のステンドグラスは必見だと思います。正に荘厳な美しさが漂っています。鹿児島カテドラル・ザビエル教会はお薦めの観光スポットの一つだと思います。 ==[↓ ここから先はザビエル滞麑記念碑と同じ]== 実は、正直なところ、私はイエズス会があまり好きではありません。それは、15世紀から20世紀までに至る欧米列強による植民地化の歴史の中でも、「この時代のスペイン & イエズス会」ペアは非ヨーロッパ人にとっては最も過酷な存在だったと思うためです。そう思う理由は、スペインとポルトガルによるものは最も苛烈なものであり、レコンキスタによる風潮も相まってその植民地化は布教とワンセットになっていたためです(ただし、後述するように、ミクロ的には、イエズス会宣教師は原住民を守ろうとし、その意図に反して総督や軍人が残虐だった場合が多いのでしょうが)。スペインは中南米で、コルテスによるアステカ王国征服、ピサロによるインカ帝国征服の際等土着の国々を滅ぼし尽くし、アステカ王国征服の際にはコルテスは略奪と破壊の限りを行いました。『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の著者として知られるドミニコ会修道士・バルトロメ・デ・ラス・カサスが告発したような虐殺も行われ、(虐殺とは異なり意図的ではありませんが)元々現地住民が免疫を持っていなかった西洋からもたらされた疫病もあり多くの民族が滅びました。例えばカリブ海諸国に黒人国家が多い理由は、元々の原住民が滅びたために黒人奴隷を連れてきたためです。また、多くの先住民が奴隷にされました。 とは申せ、イエズス会自体は必ずしもこのような残虐行為を行った訳ではなく、むしろ後にインディオの擁護をしようとしてスペイン,ポルトガル両国から嫌われて弾圧を受けるようになったり、時代が下って現代では「解放の神学を唱えるイエズス会所属神父が多くて、個別の宣教師や神父単位では『いい奴』がいる」状況だったりするのも確かでしょう(解放の神学が社会主義的であるが故に、モチベーションは良くても判断がミスジャッジであるか否かは別にして)。実際には中南米で直接的に虐殺を実行したのは「冒険者達」であって、イエズス会宣教師ではないのでしょう。ですが、さはさりながら、中南米での布教は、原住民をキリスト教徒に改宗させることを征服統治者に義務づけるエンコミエンダ制の下での布教でしたので、この制度での布教はインカやアステカの文明や文化を滅ぼすことになったと思います。 百歩譲って人道的に非道なことをしていなかったとしても、文明や文化を滅ぼすということ自体に問題があることです。キリスト教は、他の神をあがめてはならないという一神教の宗教ですので、キリスト教を布教して住民全員をキリスト教徒化するということは他の宗教の宗教施設を破壊することにならざるを得ず、このため、現地の元々の文明は滅びざるを得ないことになるのだと思います。実際、当時のキリスト教徒には「信教の自由」などという発想はサラサラ無かったので、ましてやレコンキスタの情熱に燃えていた時代のスペインのことですから、「キリスト教を信じていない奴がいてもいいや」という発想自体がありませんでした。 なお、「宗教⊂文化」ではあっても「宗教=文化」ではないため、「キリスト教化=既存民族文化の滅亡」は短絡的ではないかという反論もあり得ますし、建前の理屈の上ではそうなのですが、それは、宗教が廃れて世俗化した現代の一部の先進国には当てはまっても、現実的には布教によって文化自体が消滅する確率は高いと思います。現代の一部の先進国の世俗化した文化ならば「宗教は必ずしも文化ではない」と言えましょうが、世俗化可能な水準に社会が成熟進化できていない場合、文明や文化自体がかなり宗教と密接に連動している場合が多いため、民族宗教を滅ぼすことが文明や文化自体を滅ぼす確率は高いです。また、民族文化の宗教以外の基盤の一つである「言語」に注目すれば、中南米がラテン・アメリカと呼ばれるようになり、国ごとにスペイン語やポルトガル語語文化圏になってしまった事例のように、言語文化自体もラテン(ロマンス諸語)化されてしまいました(ただし、現地語が完全に消えた訳ではありませんが)。 中南米が宗教的はカトリックになり、言語文化的にはラテン(ロマンス諸語)文化圏になったことは、例えば18世紀から19世紀にかけてイギリスやオランダの植民地になった、インドや今日のパキスタン、バングラデシュ、スリランカ等の西南アジア諸国や、ミャンマー(旧ビルマ)、マレーシア、インドネシア等の東南アジア諸国で、独立後の現在も独自の宗教と言語文化が残っているのとは、明らかに状況が異なる旨は明らかだろうと思います。シンガポールはほとんど英語圏ではないかという方もおられるかも知れませんが、シンガポールはイギリスが押しつけて英語圏になったのではなく、独立後に首相を務めていたリー・クアンユーが経済発展志向の国作りの過程で英語化を採用したという、むしろ独立後の政策によるものです。ちなみに、東南アジアでも一時期スペインの植民地だったフィリピンは、民族言語こそ残りましたが、(全員ではありませんが)宗教は多くがカトリックになっています。このように考えてみると、まぁ、植民地化自体が有色人種にとって酷薄なことは言うまでもありませんが、相対的な程度問題としては、スペイン,ポルトガル両国の方がイギリスやオランダよりも現地文化の破壊の弊害が大きい旨は、事実によって明らかだろうと思います。 実際、日本でも、文化全ジャンルではなく宗教に限っての話ですが、キリシタン大名 ・ 大友宗麟(大友義鎮)が島津氏を攻めようとして敗れた耳川の戦いの際には、日向国(今の宮崎県)で宗麟は行軍途中の地域の神社と寺院を破壊し尽くしました。耳川の戦いでの宗麟の敗因の一つに、この寺社仏閣破壊による兵士達の心理的離反があったとも言われています。一神教であるが故の他宗教に対するこの狭量性故に、例え人道的な神父ばかりだったとしてさえ、キリスト教の布教とは即ち現地の文化を滅ぼすことにならざるを得ないと私は思うのです。また、別の例では、鎖国政策のルーツとなった豊臣秀吉のバテレン追放令発布の契機が九州のキリシタン大名 ・ 有馬氏や大村氏による寺社仏閣破壊や、九州で日本人奴隷が国外に運ばれていくのを知ったからだと言われています。 さらに、豊臣秀吉は、サン=フェリペ号事件によって「布教と宣教師の手引きによってスペインが広大な海外領土を獲得してきた」とのスペイン人航海士の発言を知り、単にバテレン追放令を出すだけでなく、キリスト教禁止にまで至ります。この植民地獲得の仕組みは、たとえ個別個人単位のミクロで見ればフランシスコ・ザビエルのように日本を大切に思ってくれて純粋に布教だけを動機にしている良心的宣教師も少なからずいた事実を踏まえたとしても、個人個人の動機の問題ではなく「仕組みやシステムやメカニズム」の問題なので、個別宣教師がどう思っているかにかかわらず布教を許すこと自体が植民地化への第一歩になってしまうリスクがあります。繰り返して申し上げますが、これはシステムの問題ではあっても個人個人の「思い」の次元の問題ではないので、たとえ個別のイエズス会宣教師個人の希望が「植民地化とは逆」だったとしても(そんな良心的な宣教師がいたとしても)、布教自体や現地民族文化の破壊がスペイン型の植民地化プロセスに組み込まれてしまっているため、布教が植民地化への第一歩になってしまうのです。日本の場合、もしも植民地化されてしまっていたら、上述のとおりキリスト教は一神教であるが故に寺社仏閣は存続を許されず、日本の文明はアステカ文明やインカ文明やマヤ文明のように、「滅びてしまった幻の文明」と化していたリスクがあります。 このような植民地化初期時代の国際情勢に鑑みれば、当時キリスト教を受容するということは日本が植民地化されてしまい日本文化が滅びる危険性への第一歩なので、キリスト教禁止は的を射ていたとしか言いようがありません。キリスト教禁止と密接に関連する鎖国の重要性や意義は、このような当時の国際状況抜きには理解することができないのではないでしょうか。今日(2008年現在)の世界史と日本史とが分かれてしまっている日本の高校教育では、高校生達に学校教育だけで鎖国に関して総合的に理解させることは不可能だと思います。ちなみに、鎖国中でも日本が例外的に交易したオランダは、プロテスタント国家であり、貿易はしても布教しなかったからこそ、日本が植民地化されるリスク抜きに貿易が可能だったという側面があります(側面というよりはむしろ、主因ですが)。 上述は日本がキリスト教禁止だけでなく、「鎖国をした理由」でもある訳ですが、一方、「した理由」だけでなく「鎖国をできた理由」は、戦国時代終了直後で、戦慣れした血気盛んな武士を大量に抱えており、かつ、当時鉄砲保有数世界一という、当時の陸軍兵力世界一を争う状況に日本があったので手が出せなかった、という要因があった旨は有名な話です。言い換えれば、日本が強かったからこそ、「植民地化のための侵攻」を未然防止できていたのであり、善意だけでは平和を守れない場合には、平和を維持するためには武力が必要不可欠である旨を示唆する話だと思います。そうでなければ、鎖国を意思表明した途端に攻め込まれて、植民地化されて終わっていたでしょう。 フランシスコ・ザビエル自身は決して植民地化の手引きを行う意図があった訳ではないのですが、上述のような歴史を思えば、私は本音を申せば、少なくともこの時代の日本におけるイエズス会の(個別のイエズス会宣教師個人の意図が逆だった場合も含めての)機能・役割に良い印象を持つことができない訳です。この点に鑑みれば、島津貴久が布教を禁じたのは、後講釈で見れば、的を射た判断だったと思います。さすが島津貴久、「島津に暗君無し」と言われる島津氏歴代の中でも特に名君の中の一人だけのことはある、優れた判断力だと思います。ザビエルは一年余りで鹿児島を去ることになりましたが、ザビエルが上陸した、日本のキリスト教伝来の地は鹿児島市です。 ただし、ここでイエズス会のために弁護すれば、上述は全て植民地化時代の話であり、現代のイエズス会等旧教(カトリック教会)の話ではありません。400年前のシステムで批判攻撃されたのでは、現代のイエズス会はたまったものではないでしょう。また、一部の例外を除けば日本に来たイエズス会宣教師は、個人個人はスペインの植民地化の最前線だなどという意図はなく、純粋に布教するためだけに来ていた旨も補足しておきます(ただし、植民地化の「手先」というのはシステムの問題であって個人の意図ではない可能性が高いので、この場合、本人の意図とは無関係に「仕組み」が動いていくリスクがあった訳ですが、それでも、一部の例外を除けば本人の意図は別の所にはありましたので、問題はイエズス会宣教師ではなくスペインの手口にあります)。この点、くれぐれも現代のイエズス会に対して誤解なきよう、お願いいたします。また、私が毛嫌いしているのは大航海時代のスペインによる植民地化の手口ではあっても、決して今日のスペインではありません(むしろ、パコ・デ・ルシアなどフラメンコが好きなこともあり、スペインは好きです)。この点についても併せて、誤解無きようお願いいたします。 また、併せて、悪くばかり書いてはいけないのでザビエルの時代のイエズス会でも1点もう少し積極的に弁護すれば、イエズス会宣教師・ルイス・フロイス(Luis Frois)に始まるイエズス会によるキリシタン版日本語訳新約聖書の存在は良いことだと思います。理由は、ルターによる宗教改革へのカトリック教会からの批判項目の一つがドイツ語訳ルター聖書であり、当時の西欧では自国語訳聖書の刊行はカトリック教会から見れば言語道断であったためです。カトリック教会では当時、ミサの際の公用語はラテン語だったのです。対抗改革の主力でもあったイエズス会がラテン語に代えて現地語を使うというのは、宗教改革のこの経緯も踏まえれば凄いことです。西欧でならば(彼らにとっては敵である)ルターがカトリック教会から非難されていたことと同じことを、アジアでは「カトリック教会内部改革過激派」たるイエズス会が自ら行っていた訳なのです。このことは、イエズス会宣教師達の現地適応能力や柔軟性の高さを示すことだと思います。 ==[↑ ここまで(ここから上)はザビエル滞麑記念碑と同じ内容]== 何はともあれ、鹿児島カテドラル・ザビエル教会は純粋に綺麗な教会ですし、日本の宗教史上貴重な施設ですので、必見のお薦めの観光スポットです。 |
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| 鹿児島市内(含む桜島) | 天保山公園(坂本竜馬新婚の碑,共月亭,砲台跡,調所広郷の像) |
| 鹿児島市内(含む桜島) | 鹿児島カテドラル・ザビエル教会 |
| 鹿児島市内(含む桜島) | ザビエル滞麑記念碑(ザビエル公園) |
| 鹿児島市内(含む桜島) | 桜島納涼観光船 |
| 鹿児島市内(含む桜島) | 桜島フェリー |
| 鹿児島市内(含む桜島) | 桜島(特に湯之平展望所) |
| 鹿児島市内(含む桜島) | 桜島焼窯元・桜岳陶芸 |
| 指宿周辺 | 岩崎美術館・工芸館 |
| 指宿周辺 | 時遊館COCCOはしむれ(指宿市考古博物館),橋牟礼川遺跡 |
| 指宿周辺 | 知林ヶ島 |
| 指宿周辺 | 特別快速なのはなDX |
| 知覧周辺 | 知覧特攻平和会館 |
| 知覧周辺 | 知覧武家屋敷群 |
| 知覧周辺 | ミュージアム知覧(南九州市立博物館) |
| 知覧周辺 | 薩摩英国館 |
| 南薩地域(指宿市山川) | 長崎鼻 |
| 南薩地域(指宿市山川) | フラワーパーク かごしま |
| 南薩地域(指宿市山川) | JR日本最南端の駅「西大山駅」 |
| 南薩地域 | 開聞岳 & 開聞山麓自然公園 |
| 南薩地域 | 池田湖 |
| 南薩地域 | あじろ浜(網代浜)訪問記&坊津観光案内 |
| 霧島周辺 | 霧島神宮 |
| 霧島周辺 | 霧島神宮古宮址 |
| 霧島周辺 | 高千穂河原&高千穂河原ビジターセンター |
| 霧島周辺 | 霧島連山登山(霧島トレッキング・霧島縦走コース:韓国岳,獅子戸岳,新燃岳,中岳) |
| 霧島周辺 | 高千穂峰登山 |
| 霧島周辺 | 高千穂牧場 |
| 霧島周辺 | 生駒高原 コスモス園 |
| 霧島周辺 | 特急きりしま |
| 霧島周辺 | 観光特急「はやとの風」(肥薩線の旅行) |
| 霧島周辺 | 観光列車「いさぶろう・しんぺい」号(肥薩線の旅行) |
| 隼人・国分・姶良地域 | 龍門滝 |
| 隼人・国分・姶良地域 | 長年寺跡と島津墓地・亀墓 |
| 隼人・国分・姶良地域 | 加治木島津館跡(加治木護国神社) |
| 隼人・国分・姶良地域 | 蒲生八幡神社 |
| 隼人・国分・姶良地域 | 蒲生の大クス(特別天然記念物) |
| 北薩・中薩 ・ 日置市 | さつま湖公園 |
| 北薩・中薩 ・ いちき串木野市 | 薩摩金山蔵 (鉱泉水利用温浴施設,焼酎蔵[焼酎工場]見学,金山跡坑道見学,薩摩料理&焼酎お食事処) |
| 北薩・中薩 ・ 薩摩川内市街地 | 川内川花火大会 |
| 北薩・中薩 ・ 薩摩川内市街地 | 泰平寺 |
| 北薩・中薩 ・ 薩摩川内市 | 藺牟田池(いこいの村いむた池入湯記) |
| 北薩・中薩 ・ 出水市 | 出水市ツル観察センター |
| 北薩・中薩 ・ 出水市 | 出水麓武家屋敷群 |
| 北薩・中薩 ・ 出水市 | 出水市出水駅観光特産品館「飛来里」 |
| 北薩・中薩 ・ 出水市 | 日本一のお地蔵様(出水市・八坂神社) |
| 北薩・中薩 ・ さつま町 | 紫尾神社(紫尾区営温泉「神の湯」入湯記) |
| 島嶼地域2(屋久島等) | 屋久島大社 |
| 島嶼地域2(屋久島等) | 屋久杉自然館(+「縄文杉の写真」,杉の茶屋) |
| 島嶼地域2(屋久島等) | ボタニカルリサーチパーク(屋久島有用植物リサーチパーク)+トローキの滝 |
| 島嶼地域2(屋久島等) | 屋久杉ランド(ヤクスギランド) |
| 島嶼地域2(屋久島等) | 紀元杉 |
| 島嶼地域2(屋久島等) | 白谷雲水峡 |
| 横浜 | ホテルニューグランド |
| 横浜 | 横浜伊勢佐木町ワシントンホテル |
| 横浜 | 横浜ランドマークタワー&横浜ロイヤルパークホテル |
| 北九州,下関他 | 門司港レトロ地区:全般 |
| 北九州,下関他 | 門司港レトロ地区:旧門司税関 |
| 北九州,下関他 | 門司港レトロ地区:門司港駅 |
| 北九州,下関他 | 門司港レトロ地区:旧門司三井倶楽部 |
| 北九州,下関他 | 門司港レトロ地区:海峡プラザ(赤煉瓦ガラス館 & オルゴールミュージアム門司港を含む) |
| 高知の観光 | 高知城 |
| 名古屋の観光 | 覚王山日泰寺 |
| 名古屋の観光 | 末森城址(末盛城址)&城山八幡宮 |
| ここで紹介しきれていない最新の訪問記or体験記はこちらへ | |
| 「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」の温泉・温浴施設の入湯記 | |
|---|---|
| 温泉,地域 | 入湯した温泉・温浴施設 |
| 鹿児島市内温泉(ホテル,旅館) | 城山観光ホテル・城山温泉・さつま乃湯(桜島と海が見える露天風呂があります。) |
| 鹿児島市内温泉(ホテル,旅館) | ホテル吹上荘 |
| 鹿児島市内温泉(ホテル,旅館) | 温泉ホテル中原別荘 |
| 鹿児島市内温泉(ホテル,旅館) | 錦江高原ホテル |
| 鹿児島市内温泉(ホテル,旅館) | ホテルエスポワールタナカ |
| 鹿児島市内温泉(ホテル(兼)立ち寄り湯) | 健康プラザ田中温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 芦刈温泉(市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 池田温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 一本桜温泉センター(市内西部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 今村温泉(市内中心部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | うちの温泉センター(市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | お乃湯(市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 温泉錦湯(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | かごっま温泉(天文館最寄り) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 春日温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 霧島温泉(天文館最寄り) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 花野温泉たぬき湯(市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 郡元温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | さつま温泉(天文館最寄り かつ ウォーターフロント・ベイエリア)(注) (注)残念ながら2007年6月に廃業したとの由です。 |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 野天風呂 薩摩いろはの湯(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 慈眼寺温泉(市内南部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 寿康温泉(市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 城山長寿泉(市内中心部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 新川温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 新とそ温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | ジェルめいわ温泉(旧・めいわ温泉,市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 太陽ヘルスセンター(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 武岡温泉(市内西部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 竹迫温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 中山温泉(市内南部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 中村温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 永吉温泉(市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 滑川温泉(市電沿線,JR鹿児島駅最寄り) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 南開温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 西田温泉(鹿児島中央駅最寄り) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | はらら温泉(市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 真砂温泉(市内南部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | みずほ温泉(市電沿線) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | みやこ温泉(市内北部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | みょうばん温泉(鹿児島中央駅最寄り) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | みょうばん温泉まきばの湯(市内南部) |
| 鹿児島市内温泉(立ち寄り湯) | 薬師温泉(市内北部) |
| 鹿児島温泉(桜島地域) | 国民宿舎レインボー桜島・マグマ温泉 |
| 鹿児島温泉(桜島地域) | さくらじま白浜温泉センター |
| 鹿児島市・桜島古里温泉 | ふるさと観光ホテル |
| 鹿児島市・桜島古里温泉 | 桜島シーサイドホテル |
| 鹿児島市・桜島古里温泉 | さくらじまホテル |
| 鹿児島市内温泉・足湯 | ドルフィンポート・足湯 |
| 指宿温泉 | 指宿いわさきホテル |
| 指宿温泉 | 指宿白水館 |
| 指宿温泉 | 指宿こころの湯(日帰り温泉立ち寄り湯のスーパー銭湯。旅館「指宿こころの宿」も併設されています。) |
| 指宿温泉 | 二月田温泉殿様湯(指宿温泉でも特に歴史と伝統のある、日帰り温泉立ち寄り湯) |
| 指宿市(旧・山川町地域)・鰻温泉 | 区営鰻温泉 |
| 指宿市(旧・山川町地域)・鰻温泉 | うなぎ温泉まつまえ |
| 指宿市(旧・山川町地域)・伏目温泉 | 山川ヘルシーランド露天風呂(海が見える露天風呂がある日帰り温泉立ち寄り湯) |
| 南薩地域・枕崎市 | 枕崎なぎさ温泉(海が見える露天風呂がある日帰り温泉立ち寄り湯) |
| 霧島温泉郷 | 霧島いわさきホテル |
| 霧島温泉郷 | 霧島国際ホテル |
| 霧島温泉郷 | 霧島第一ホテル スパヒルズ |
| 霧島温泉郷 | 硫黄谷温泉霧島ホテル |
| 霧島温泉郷 | 静流荘 |
| 霧島温泉郷 | 旅行人山荘 |
| 霧島温泉郷 | 前田温泉カジロが湯(日帰り温泉立ち寄り湯) |
| 霧島温泉郷 | 新湯温泉・霧島新燃荘 |
| 霧島温泉(霧島山麓) | 野々湯温泉 |
| 霧島温泉郷&霧島山系山麓の温泉地 | 栗野岳温泉南洲館 |
| 霧島山系周辺平野部・吉松温泉郷 | 吉松駅前温泉 |
| 新川渓谷温泉郷 | 塩浸温泉福祉の里 |
| 新川渓谷温泉郷 | 日の出温泉きのこの里 |
| 日当山温泉 | 日当山温泉・花の湯 |
| 国分,隼人,姶良地区・足湯 | 鹿児島空港天然温泉足湯「おやっとさあ」 |
| 国分,隼人,姶良地区 | 船津温泉 |
| 国分,隼人,姶良地区 | 重富温泉 |
| 国分,隼人,姶良地区 | 蒲生町多目的温泉保養センター「くすの湯」 |
| 国分,隼人,姶良地区 | 龍門滝温泉 |
| 北薩・中薩・吹上温泉郷 | みどり荘 |
| 北薩・中薩・いちき串木野市 | 薩摩金山蔵 「杜氏乃湯」 (鉱泉水利用温浴施設) |
| 北薩・中薩・川内市街地温泉 | 温泉平佐城(平佐城温泉) |
| 北薩・中薩・藺牟田温泉 | いこいの村いむた池 |
| 北薩・中薩・紫尾温泉 | 紫尾区営温泉「神の湯」 |
| 屋久島等・屋久島の温泉 | 屋久島いわさきホテル |
| 屋久島等・屋久島の温泉 | JRホテル屋久島 |
| 屋久島等・屋久島の温泉 | 平内海中温泉 |
| 屋久島等・屋久島の温泉 | 湯泊温泉 |
| 屋久島等・屋久島の温泉 | 尾之間温泉 |
| 屋久島等・屋久島の温泉 | 楠川温泉 |
| 屋久島等・屋久島の温泉 | 旧・大浦温泉(大浦の湯) |
| 横浜の温泉 | 横浜みなとみらい万葉倶楽部 |
| 横浜の大浴場付きホテル | ブリーズベイホテル・リゾート&スパ,& リゾートカプセル桜木町 |
| 東京都の温泉 | 麻布十番温泉 (注) 残念ながら2008年3月末で廃業しました。 |
| 福岡市内温泉 | 薬院しろやま乃湯 (注) 残念ながら閉館しました。 |
| 福岡市内温泉 | 萃豊閣ホテル&南福岡グリーンホテル温泉 |
| 福岡市内温泉 | 八百治博多ホテル・八百治の湯 |
| 人吉市内の温泉 | 球磨川ラフティング MAIN STREAM & ビジネスホテル白山山荘 附属温泉 |
| 高知の温泉 | 龍河温泉(香美市) |
| 高知の温泉 | 物部川ほとりの温泉 夢の温泉(香美市) |
| 高知の温泉 | 高知黒潮ホテル・黒潮温泉「龍馬の湯」(香南市) |
| 高知の温泉 | 高知三翠園・高知三翠園温泉水哉閣(高知市) |
| 高知の温泉 | スーパーホテル高知・長岡温泉・龍馬の湯(高知市) |
| 高知の温泉 | 国民宿舎 桂浜荘(高知市桂浜:人工温泉) |
| 札幌市内温泉 | JRタワーホテル日航札幌・スカイリゾートスパ「プラウブラン(月の島)」 |
| 札幌市内温泉 | ホテルモントレエーデルホフ札幌・スパ |
| 大阪市内温泉 | スーパーホテルCity大阪天然温泉(なにわ天然温泉「花乃井」) |
| 大阪市内温泉 | ホテル阪神「徳次郎の湯」(天然温泉スパ&サウナ) |
| 大阪市内温泉 | 天然温泉なにわの湯 |
| 大阪府・箕面温泉 | 箕面温泉スパーガーデン |
| 県外温泉(秋田県) | 乳頭温泉郷・鶴の湯温泉 |
| 長野県の温泉 | 奥蓼科温泉郷 渋御殿湯 |
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| 全国と鹿児島県の温泉&観光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 横浜 (全般,観光) (横浜のホテル) |
東京 (全般,観光) (東京のホテル) |
川崎 (全般,観光) (川崎のホテル) |
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| 横浜温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
東京の温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
川崎温泉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 湘南・三浦・鎌倉の温泉・観光 (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
相模原市,厚木市,相模湖,丹沢,小田急沿線(箱根,東京,川崎以外)の温泉・観光 (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
札幌市内観光・温泉(定山渓温泉も含む) (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
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| 夕張の温泉・観光 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
花巻温泉郷 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
名古屋・愛知県の温泉・観光 (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
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| 京都市の温泉・観光 (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
大阪府の温泉・観光 (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
神戸市の温泉・観光(有馬温泉も含む) (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
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| 高知の観光・温泉 (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
松山市の観光・温泉(道後温泉も含む) (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
北九州&筑豊&豊前&下関の温泉・観光 (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
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| 福岡市の観光 (全般,観光) (福岡のホテル) |
福岡市及びその近郊の温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
甘木朝倉地域の温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
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| 荒尾・大牟田地域の温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
黒川温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
由布院温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
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| 別府温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
人吉温泉 (温泉宿の宿泊予約ができます。) |
その他の地域の温泉・観光(全国各地) (ホテル宿泊予約, 観光案内, 温泉) |
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| 各地の温泉入湯記 | 各地の観光訪問記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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