短歌総合誌『短歌WAVE』に載せた拙歌に付した写生と私性についての論説です。 : Keywords = 写生,私性,論説,短歌,神山,卓也
写生と私性について
私は、写生と私性という二分法は無意味だと思う。それは、子規の写生は、古今調の言葉遊戯へのアンチテーゼとしての抒情詩創作方法論だからだ。写生が客観的事実ではない旨は「六たび歌よみに与うる書」で強調されており、抒景の印象で写生を捉えるのは誤りである。ただし、赤彦流に言えば自己の衝迫が必要であるため、主観的に実感すれば客観的事実でなくても写生になるが、頭で作った虚構や思いの薄い抒景は写生ではない。
言い換えれば、写生では抒景歌でも作者の思いを詠むものであり、かつ写生では歌材が客観的事実でなくても構わないという二点において、写生を私性と区別する必要はない。作者の内面を歌材とする場合でも全心の集中をもって写生すれば良いだけのことである。今回は歌材が景色か内面かで形式上写生と私性とに分けたが、本当はこれは歌材の相違ではあっても写生と私性という方法論の相違ではないと思う。写生は私性をも含むのだ。
短歌総合誌『短歌WAVE』に載せた拙歌に付した写生と私性についての論説です。 : Keywords = 写生,私性,論説,短歌,神山,卓也