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算数のできない人が作った裁判員制度

「バカの壁」を読めばバカになる
 (「正論」 04年5月号掲載)

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藤原正彦の品格

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最近の主なコラム


棒読み答弁を恥じない人たち

「全員死に至るまで抵抗せよ」

"絆"という言葉の不快感

パンクで横転事故、即逮捕、厳罰化進む

マスコミは褒めるのが大嫌い?

複雑化は利益の源泉、けれど迷惑

朝日新聞は性悪説?

LEDシーリングライトは1.8倍も電力を食う
猫と方丈記

自転車は車両に区分すべきか

政治家の顔

顔は口ほどにものを言う

チャーチル「第二次世界大戦」


集団の狂気と老人の美徳

罪なき者、オリンパスに石を投げよ

高利を追って天罰下る

泥縄式ストレステスト

オリンパス報道の副作用

TPP論議のいい加減さ

震災で見えたマスコミの職務放棄

アメリカのデモ騒動の行方

格差を願う心

子供まで政治利用する神経

戦後首相ワースト1位の意味

日本の戦争とカルト

信用ない人の言葉は逆効果を生む


中国新幹線事故の過熱報道

性善説と性悪説を反面教師に

ワルとバカとズルの民主党

偽善者

究極のクールビズ・・・南方熊楠
お薦め
電球色LEDは蛍光灯に及ばない
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理念を優先すると原理主義になる

B級政権はB級マスコミから生まれる

思想と性格の関係

携帯電話で脳腫瘍・・・誤解を生む報道

ペテン師と嘘つきの見苦しい対決

正義論の流行と新自由主義の退潮

震災後の価値観変化、今も昔も

「デフレの正体」・・・書評

競争社会の光と影、天才たちの悲劇

老人達の合理精神

大震災に見る神のプロパティ

安全と親交と満腹感

フクシマ50と消防隊、どちらが英雄?

NHKの存在理由

たかがカンニング如きで

ネットが思考力を低下させる?

教師労働者論の罪

嫉妬と公平さ

アメリカン・デモクラシーの逆説・・・書評

大事なことがいい加減に決まる?

メディアは中国の軍事的脅威を正しく伝えてきたか

恥の文化の衰退・・・民主党の文化大革命

抽象化の落とし穴
お薦め
ある少女の延命拒否

権威と信頼性の関係

マスコミの政治責任

思想は虚構に過ぎない

来て見れば聞くより低し・・・

お薦め
思想の毒

民主党の歪んだ構造
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「鳩の恩返し」

新聞が作る「現代の迷信」

バブル本の被害者

特攻と新聞

お薦め
衣食足りて「退屈」を知る

「共感の時代へ」 フランス・ドゥ・ヴァール著

日本経済新聞のジレンマ

裁判員の理解能力は3/115なのか

私の辞書に恥という言葉はない

もうひとつの豊かさの基準

テレビと選挙制度が生んだ無能政権

お薦め
テレビ民主主義

消費者は王様、売る人は奴隷

モラル崩壊を先導する鳩山首相

選挙不信の理由

弁護士は多ければよいのか?

「タダ乗り」を目指す若者たち

流言は智者に止まる

最高裁の欺瞞

科学への不信感

反対できない自殺

高学歴社会の落とし穴

民主党の非民主的性格

「文は人なり」

お薦め
ばれるまで黙っていよう、贈与税

お薦め

誰も触れたがらない大事なこと

顕示的消費とユニクロ現象

終末期医療と安楽死

安楽死に殺人罪を適用すべきか

お薦め
視聴者を安心させないで

お薦め
マスコミが幸福感を蝕む

仕分け人の態度と監獄実験

お薦め
砂上の楼閣

新聞の科学リテラシー

お薦め
「申告漏れ」という軽さ

他人を判断する基準

ただの見物人

ダーウィンと神とイモムシ

新聞が生む誤解・・・年収と進学率

謙虚と傲慢

がん検診無効論の危険性

個性を伸ばす教育」の成果

「街の声」の欺瞞

JR西日本社長起訴と処罰の希望

お薦め
科学技術は役立たず、環境を壊すという教育

社会ダーウィニズム

処刑の方法

宗教は妄想である

お薦め
厳罰化とマスコミ報道

お薦め
NHKクロ現の不可解な論理

痴漢事件、罪と罰の不釣合い

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検察の理系音痴を暴露した高裁判決・・・東京女子医大事件

派遣切り報道の虚実

合成の誤謬

般若心経解説本673点出版の意味

社会貢献度と所得の関係

競争社会がもたらすもの

Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる

看護師監視装置・・勤労者受難時代

民主主義信仰

ソーカル事件の教訓・・・裸の王様は生きている?

野生動物を殴り殺し、感謝して食う・・・京大卒猟師を朝日が紹介

日本は急速に安全な社会へ・・・犯罪急減を知らせないメディアの事情

朝食を食べると成績がよくなる?

環境問題を食いものにする人々・・・恐怖を煽る本が出版される背景

東条元首相の手記・・・なぜこんな人物が指導者に選ばれたか

聖職の碑・・・木曾駒ヶ岳大量遭難の跡

「卑怯」という感覚の衰退・・・通り魔からテレ朝まで

テレ朝・スーパーモーニングの恥ずべき商法

朝日記事の信頼度が最も低い理由

ドリオンの薬・・・自殺用常備薬

お薦め
フル電動自転車の公道使用を認めよ

合理主義のオランダと建前・形式の日本・・・自殺における違い

ALS 延命措置を推進する事情

「新聞記者 疋田桂一郎と仕事」

医療崩壊についてNHKの珍解釈

UFOの次は9.11陰謀論

小3に嘘と誇張を教える教育

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医療崩壊を推進するマスコミ報道

誰のための「ゆとり教育」であったのか



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                                                                         2012/02/09

恥の上塗り「適材適所」

 田中防衛相の素人ぶりを示す場面をマスコミはニュースなどで競って取り上げています。マスコミが国会でもっとも興味深いと思うのは重要な議論などではなく、どうやら大臣などのエライ人が失言や無知無能などみっともない姿を披露したときのようです。

 初めは面白く見ていましたが、前例をまねて知識を試すような質問をする議員が次々と現れてくると飽きてきて、ついには見苦しくなりました。ほとんど抵抗できない人物に対する、よってたかってのいじめと見えるからです。調子に乗って、枝葉末節の知識を問う質問者には不快感を覚えます。

 まあそれでも田中氏が防衛相にふさわしくない人物であることは十分明らかになったと言えるでしょう。一川前防衛相に続いて2回目です。野田首相の「適材適所」はご丁寧にもウソであったことが2度も証明されたわけです。恥の上塗りですね。

 首相は閣僚の任命権をもち、彼らに政策の実行を分担させるわけですから、任命の意味は重大です。無能な素人を大臣に任命することは、その担当分野はどうでもいいと思っているに等しいわけです。

 あるいは首相が、この人物なら立派に職責を果たしてくれるだろうと、勘違いして任命したのかもしれません。しかし2度も勘違いが続けば、それは首相に見る目がないことの証明となります。

 さらに、無能であることはわかっているが派閥均衡のために任命した、という可能性があります。それならば民主党の構造自体がおかしいことになります。

 最後にもうひとつの可能性、首相に同情しなければなりませんが、それは民主党には有能な人がいない、ということです。まあそれらのいずれであっても、明るい希望に胸が膨らむような気持ちにはなりません。

 「個別の案件については答えを差し控える」などの二つの言葉で国会は切り抜けられると言ったのは柳田元法相ですが、法務大臣ならまだそれでもよいかもしれませんが、防衛相が無能なら長年巨額の予算を費やして築いてきた抑止力が台無しになります。いかに優れた兵器を保有していても、組織のトップが無能であると知られれば、敵に攻撃への誘惑を生じさせ、自ら戦争の種を蒔くことになりかねません。

 防衛相の任命は実に大事な問題なのですが、首相に対するマスコミの批判はあまり強くありません。JR西日本の脱線事故や明石の歩道橋事故などのように過失に基づく事故責任の追求には異常な熱心さを示すのに対し、この寛容さ(本当は鈍感さ?)はずいぶん不思議な気がします。

                                                                         2012/02/06

詭弁と二項対立と教育

 昨年はTPP加入に関する議論が盛んに行われました。朝日の社説が加入に賛成の立場から「資源に乏しい日本は戦後、一貫して自由貿易の恩恵を受けながら経済成長を果たしてきた」と述べたように、これをTPP加入の有力な根拠として挙げている議論が多く見られました。

 つまり日本は自由貿易の恩恵を受けてきたから、これからも自由化を進めれば日本はさらに大きな恩恵を受ける、という論理です。一見、説得力があるようですが、これは自由化とそれによる恩恵がいつまでも正の比例関係にあるという前提に立っています。ならばその前提の根拠を示す必要がありますが、それはなかったようです。

 自由化は全体の生産効率という点では優れていますが、特定の重要産業の保護という点では問題が生じます。自由化のために日本の林業が衰退し、山林が荒れてしまったのはその例です。保護の必要があるからこそ関税などの貿易障壁が存在する意味があるわけで、自由化と産業保護は二律背反です。

 たしかに貿易の自由が全くない状態と完全な自由貿易という極端な場合を比較すれば自由な方が利点が多いと思われます。しかしこの両極端は現実的なものではなく、現実には両者の中間のどこかに最適な点(確定は難しいとしても)があると考えられます。

 TPP加入の議論ではすべての物品の自由化率についての得失を予測した上で全体を評価することが重要であり、素人には難しいものです(にもかかわらず堂々と賛否を言う方々の勇気にはまったく感心しますが)。したがって自由化で恩恵を受けたからその方向が正しい、といった単純・抽象的な議論はわかりやすい反面、たいへん怪しいもので、詭弁といってもよいでしょう(意図的な詭弁ではなく単に本人の無思慮によるものでしょうけれど)。

 ここでTPP加入の是非を言うつもりはありません。事例の説明が長くなりましたが、このような中間の最適点を求めるべき場合でも、抽象的な二項対立の議論になりがちであることを言いたいのです。

 所得の再分配をしなければ格差拡大よって不安定な社会を招き、再分配を徹底すれば社会の沈滞を招くことは既に経験したことです。このように二律背反を含む二項対立の構図はしばしば見られます。何十年も意見が対立したまま、不毛な議論が延々と続くことはありふれたことです。まあ勝った負けたと議論を楽しむのであれば勝手ですが。

 議論の明確化のためもあるでしょうが、二つの立場は概ね対極にあります。孔子やアリストテレスの中庸を持ち出すまでもなく、現実の最適解は両者の中間にあることがほとんどですが、それはあまり重要視されないようです。地道な実証研究によって最適解を求めるべきところが、わかりやすさや好みによって決まることが少なくありません。わかりやすい意見は多数の支持を得やすく、多数が決定するのが民主主義なのですから。

 最適解が中間に存在するというのは世の中の多くの事柄が単純な正比例の関係、つまり一次関数で表せる関係ではないということです。むしろ極大値や極小値が中間にある二次関数や高次の関数の一部分に似ています。関数はこのような現象を理解するのに役立つ筈です。

 現在の教育はこのような不毛な議論を避けるのにあまり役立っていないと思います。上記の例のように、世の中には二律背反の事象が多くあり、その対立概念が適切かどうかにはあまり注意せず、単純に一方を是とするような人が多くては困るわけです。これは今の教育の欠陥であると私は思っています。

                                                                         2012/02/02

棒読み答弁を恥じない人たち

 国会中継はたまにしか見ません。答弁に立つ大臣らが他人の書いたものを棒読みするのを聞いてもあまり面白くないからです。顔を下向けたままの棒読みも少なくありませんが、それさえ恥しいという気持ちがないようです。「皆で棒読みすれば怖くない」なのでしょう。棒読みは録音再生機と大差ありません。

 "素人"を自任する防衛相まで誕生したように、棒読みが普通になったおかげて誰でも大臣が務まります。職務に伴う専門知識がなくとも大丈夫です。少子化担当相など、民主党政権になってから7人目だそうです。平均在任期間はなんと4ヶ月。優秀な方々が7人もかかればさぞかしご立派な仕事ができたことでしょう。

 資質が問われるような大臣が続出しましたが、これはその仕組みの副作用でしょう。またこのために議論が儀式化して本来の面白さが失われ、国会や政治への関心の低下を招いたとも考えられます。

 一方、現在の小選挙区比例代表並立制では政党の力が選挙結果に大きく影響します。そのため候補者の適性や能力などの影響力は相対的に低くなります。○○チルドレンが大量生産されるのはこの選挙制度のおかげでしょう。芸能人やスポーツ選手などのように、政治家として有能でなくても政治家になれる道が開かれたました。これを民主政治と呼ぶのでしょうか。「棒読み可」の慣習はこの選挙制度をしっかりと支えています。

 しかしながら政治家にとってコミュニケーション能力はきわめて重要です。自分の知識と自分の言葉で説明できない人はやはり資質に問題があると言わざるを得ません。

 いっそのこと、棒読み答弁をやめることにしては如何でしょうか。テレビカメラが望遠で答弁者の視線とその先にある"読本"を交互に映し出せば格好悪さが引き立つでしょう。メモ程度は仕方がないにしても、録音再生機のように全文朗読という恥ずかしいものだけは止めてほしいものです。もしそうなれば、資質に問題がある大臣はいなくなるでしょう。もっとも大臣が足りなくなるかもしれませんが。

 ついでながら、ふさわしくない人物を任命したのではないかと野田総理の任命責任が取り沙汰されています。しかし、もしかすると民主党にはふさわしい人物がどこにもいないと考えるのが自然かもしれません。

                                                                         2012/01/30

「全員死に至るまで抵抗せよ」

「全員死に至るまで抵抗せよ。降伏を考えてはならない」
これは1942年1月、日本軍の攻撃にさらされたシンガポール守備軍に対して、チャーチル英首相が出した命令です。(第二次大戦回顧録より)

 全員死ぬまで戦え、などという苛酷な命令を下すのは日本だけかと思っていたので、このチャーチルの命令は意外でした。チャーチルはその代償として兵士たちは永遠の栄誉を得るとしています。

 指導者は栄誉や名誉というタダ同然のもので兵士に命を提供させ、兵士は勇敢にそれに応え、勇敢さは賞賛されます。戦争になればどの国も似たり寄ったりだという気がします(しかし実際には兵士の命に対する扱いのレベルに大きな差があったのは周知のとおりです)。

 戦争は言わば殺し合いです。人間は部族間で、あるいは民族間、国家間で争いを続けてきました。勝利を得るためにはそれぞれの構成員が集団として力を合わせて敵と戦うことが必要です。猫のように個々がバラバラな集団は淘汰されるでしょう、戦争に対するそうした適性を備えている集団だけが生き残ってきたと考えられます。

 とはいえ、戦争が悲惨なものであることに変わりはありません。兵士には徴兵を拒否する自由はなく、意に反して兵士に仕立て上げられた者が大半です。死亡率の高い突撃でも拒否することができない仕組みが作られ、アッツ島や硫黄島の突撃ではほとんどの兵士が命を落としました。

 昔、ロシアでは敵前で逃げたりすれば後ろから味方に撃たれるので、前進する方がまだ生きるチャンスがあったという話を聞いたことがあります。まあそうでなくとも敵前逃亡は重罪です。

 話がそれますが、大変な犠牲を払わされた兵士ですが、少なくともマスコミでは民間人の犠牲ほどには取り上げられていないような気がします。一部の職業軍人以外は無理やり戦闘員にさせられた人たちであり、多くが過酷な戦場で長期にわたり塗炭の苦しみを舐めました。犠牲者の数においても、その悲惨さのレベルや時間の長さにおいても民間人を凌駕することでしょう。

 話を戻します。先日、中国の世論に関する、気になる報道がありました。中国は南シナ海をめぐってフィリッピン、ベトナムなどが争っていますが、中国の人民日報系の環球時報がネットで約23000人に南シナ海問題の解決法を尋ねると83%が軍事力を挙げたそうです。軍事力で解決とは戦争による解決であり、国民の83%が戦争を支持するということです。背景には軍事的に優位であるという意識があるのでしょう。隣国にとって、これはとても恐ろしいことです。

 これは1月25日の朝日新聞「中国軍解剖」という連載記事の中に小さく載ったのですが、お隣の国の戦争に関する考え方を知る上で大きい意味を持ち、日本の安全保障に重大な影響を与える可能性があります。そのわりには記事があまりにも小さいことが不自然に思われます。

 第二次大戦に敗れた後、日本ではもう戦争は懲り懲りという気分が広がり、非武装中立などという妄想までが広がりを見せました。しかし他国もそうとは限りません。現在、多くの国では政治的、あるいは経済的、道義的な理由によって戦争は抑制されています。しかしナショナリズムの台頭などで抑制が外されれば好戦的な本性が目覚める可能性があります。それどころか国民の多数が戦争を望む国すらあります。

「全員死に至るまで抵抗せよ」などという命令が出される日が来ないことを願いますが、それを未然に防ぐには抑止力が重要であることは歴史が教えています。急速に軍事力を強める中国とは逆に、日本は防衛費を減らす一方です。マスコミは防衛費の増加を抑えてきた主役であり、攻撃される可能性など、まったく考えていないようですが、そのような認識が後の世に無責任といわれることがないでしょうか。

                                                                         2012/01/26

"絆"という言葉の不快感

 旧知のおっさんと世間話をしたときのことです。震災後に広まった"絆"という言葉の不快さが話題になりました。そのおっさんは歯の浮くような感じがあるといいます。私も"絆"という言葉は恥ずかしくて口にできず、多くのマスコミが"絆"という言葉を恥じらいもなく連発するのを、不快感をもって眺めていました。

 世の中にはストーカーや腐れ縁のような、困った"絆"もありますが、"絆"は一般的にはよい意味で使われます。それなのにこの言葉に対して不快感をもつ人が少なくないのはなぜでしょうか、

 野口悠紀夫氏は著書「超 文章法」の中で不快感を与える表現として、"ふれあい"や"共生"などを挙げています。私は"絆"や"癒し"をその仲間に追加したいと思います。

 "絆"、"癒し"、"共生"は依存性を強調し、自主性を軽視するから嫌だという人もありますが、まあそれもあるでしょう。しかし私はむしろそれらの単純な言葉がものごとの一面だけを強調して、全体をよく見せようとする欺瞞が潜んでいるような気がしてなりません。きれい事で誤魔化そうという態度です。ここにはひとつのキーワードで全体を特徴づけようとする態度に共通するいい加減さがあります。

 また"愛してる"などという言葉を従来の日本人はほとんど使いません。日本にはそのような気持ちは言葉で表すものではないという文化があり、"絆"にも似たような感覚があります。「あなたとは強い絆で結ばれている」などと無理に言おうものなら強い恥ずかしさに耐えなければなりません。

 さらに、それらのはやり言葉を臆面もなく使う人間の、言葉に対する無神経さ、軽さのために言葉のイメージが悪くなってしまったという部分もあるでしょう。

 むろんそれらの言葉を平気で使う人が少なくないように、素直に受け入れる人も多くいることでしょう。私などが単にひねくれ者であるだけのことかもしれません。まあどうでもいいことをあれこれと書き連ねました。

                                                                         2012/01/23

パンクで横転事故、即逮捕、厳罰化進む

 昨年の12月20日午前4時15分ごろ、阪和自動車道の内畑第一トンネルで、乗用車が道路中央のガードレールに接触、弾みで横転した事故がありました。乗車していた男性5人のうち2人が死亡、運転者は現行犯逮捕されました。走行中にパンクしたのが原因とされているようです。

 もうひとつの例。これより少し前の17日午前3時10分ごろ、滋賀県甲賀市信楽町黄瀬の新名神高速道路上り線で、事故で停車していた乗用車に大型トラックが追突し、大破した乗用車の男性1人、女性2人が死亡しました。県警高速隊は大型トラックの運転者を現行犯逮捕。乗用車が別のトラックに追突して走行車線で停車していたところに大型トラックが突っ込んだらしいということです。追突された乗用車は無灯火で、車体は黒色でした。

 最初にあげた例では事故の原因はパンクとされています。パンク事故まで逮捕に値する過失にされてはかないません。これを大きい過失とするなら、普通の運転者は高速時のパンクでも安全に止められるということが前提になります。そのためには運転免許の試験で高速走行時に予告なくパンクさせ、安全に停止できるかをチェックする必要があるでしょう。

 次の例ではトラックの運転者が前方をよく見ていなかったのでないかという疑いをかけられているようですが、深夜の高速道路に黒い物体が置かれていれば誰かが衝突するまでにさほどの時間はかからないことと思います。運転者に大きな過失があると主張する人は黒い服を着て深夜の高速道路に立ってみればよいと思います。衝突する車が決して珍しくないことがわかるでしょう。雨天時のカーブなら最高の条件です。

 余談ですが、昔ドイツの会社が自動車の色と事故の関係を調べて発表したことがあります。当然、明るい色の方が安全だということであったと記憶しています。他の調査でも黒は事故率の高い色とされているようです(異なる結果の調査もあり)。

 2007年6月の朝日新聞の記事「交通事故逮捕 基準はどこに」には次のような記述があります。

『逮捕されると、20日間以上にわたって身柄を拘束され、取り調べを受ける可能性がある。被害者の人生ばかりでなく、運転者側の生活にも大きな影響が出るのは必至だ。
 逮捕について定めた刑事訴訟法によると、逮捕は証拠隠滅や逃亡のおそれがある場合に限ると規定されている。
 実際の運用はどうなっているのか。(神奈川)県警交通捜査課によると、飲酒運転による事故やひき逃げの場合は逮捕、被害者が死亡したり、運転手の過失が大きかったりする場合も原則逮捕という。しかし、判断に迷うケースも少なくなく、そうした場合は現場にゆだねられるのが実情のようだ。
 同課の松原敏勝課長代理は「近年は交通事故の被害者が厳罰を求めるケースが増えている。警察も、交通違反者に対して厳しい姿勢でのぞむ傾向にある」という』

 被害者が加害者に対して厳罰を求める風潮を煽ったのは正義面をしたマスコミですが、警察が過失の少ない者まで生贄(いけにえ)にして迎合するのは、情けないことです。警察はマスコミの下請け機関になり下がっているかのようです。

 厳罰化傾向を推し進めたのは2006年に起きた福岡の飲酒運転事故だといわれています。しかしこの事故はきっかけに過ぎず、厳罰化を推進した主役は事故を大々的に報道したマスコミであります。

 読者・視聴者の歓心を買うために、マスコミが正義(偽善?)を振りかざし、悪を糾弾し続けることによって、社会からは寛容さが徐々に失われていくように思います。おそらくそれは皆が望んだ結果ではないでしょう。

                                                                         2012/01/19

マスコミは褒めるのが大嫌い?

 1月17日のNHKクローズアップ現代は184人全員が津波から逃れた釜石小学校を取り上げました。地震直後、100人近い子どもたちが津波で浸水した場所で遊んでいたのですが、全員が各自の判断で安全な場所に逃げたということでした。学校の管理下で全校児童108人の約7割が犠牲になった大川小学校の悲劇と対照的な結果となりました。

 番組は子供たちの的確な判断と行動に賛辞を送る内容となっています。子供たちは「津波てんでんこ」つまり、てんでんばらばらに自分で責任を持って逃げろという教えに従って行動したとされています。しかし、誰がどのようにその教育を行ったか、なぜこれほどまでの教育効果が実現したか、などついては残念ながら触れられていません。

 子供たちを英雄視するのは筋違いです。子供たちを救った本当の功績者はこの教育を実施した方々でありましょう。子供たちは役所が作ったハザードマップを信じるな、とまで教えられていたそうですから、この教育方針を作った人物はただの凡人ではなさそうです。

 子供たちを主人公にした感動ものに終わるのでなく、この教育を実施した方々に対する評価や教育方法の紹介があって当然だと思われます。評価されれば、当人も報われ、さらに広範囲で好ましい影響も生まれることでしょう。優れた題材だけに残念です。

 釜石小学校の津波教育についてほとんど言及しなかったのは、それを褒めたくなかったからだ、とまではいいませんが、マスコミには褒めるのを嫌う傾向があるようです。前横浜市長の中田宏氏の著書「政治化の殺し方」には「阿呆なマスコミが日本を滅ぼす」という一節があります。節の最後の部分を引用します。

「我々を褒めてくれと言っているのではない。我々も他者のいい事例をもっと知りたいのだ。いい取り組みが報じられれば、それが共有されて、次の事例につながる善循環になっていくはずだ。しかし、現実には悪いことしか報道されない。悪いニュースで溢れる日本は、悪循環のスパイラルにあるように思えてならない。」

 マスコミは活躍したスポーツ選手を手放して褒めることはあっても、政治家を褒めることはまずありません。「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」という言葉があります。だから権力など力を持つ者を常に監視するのが自分たちの役割だと思っているのでしょう。そこには権力者は悪、という観念が染みついているように思います。

 こういう観念に支配されていると暗い記事が多くなります。皮肉や揶揄、ユーモアもなく、クソ真面目一辺倒の批判記事ばかりでは面白くもなく、こちらまで暗くなります。それは叩かれるばかりの政治家にも好ましくない影響を与えるのではないでしょうか。

 子供は叱るだけでは駄目で、褒めることも必要だと言われます。良いことを褒められれば、好ましい方向への意欲が生まれます。これは大人も、政治家も同じでしょう。人は衣食住に満足すると名誉が欲しくなると言われます。褒められることは名誉欲を満たすことです。

 政治家が叩かれるばかりで、名誉心を満足できなければ、名誉を重んじる人間は減り、権力志向の人間が増えるでしょう。金や権力を追い求める政治家より、名誉を求める政治家の方がまだマシです。尊敬されるような政治家が少ないのは「阿呆な」マスコミの暗い姿勢と無関係ではないと思っています。

                                                                         2012/01/16

複雑化は利益の源泉、けれど迷惑

 世の中が便利になるにつれ、複雑化することはある程度止むを得ないことかもしれません。しかし中には故意に複雑化しているように思われる業種があります。

 例えば、携帯電話を購入するとき、数十ページの説明書を読んで契約内容を理解するのは一苦労です。様々なコース、様々な割引制度が用意され、店頭で説明する担当者も大変で、1人の客に長い時間を要します。一見それは利用者の利便を図っているかのようにも見えますが、複雑化によって他社との比較を難しくして、価格競争を避ける狙いがあるのでしょう。利用者にとっては迷惑な話で、高齢者など十分理解せずに契約する人は少なくないと思います。

 生命保険や投資信託も複雑になりました。生保の本来の目的は掛け捨て保険にありますが、それに貯蓄を混ぜ合わせ、その混ぜ方やオプションなどにより無数の組み合わせを用意しています。その目的のひとつは複雑にして他社と比較しにくくすることですが、理解が難しくなります。そして販売などに手間暇をかけるため、高いコストがかかり、支払われる保険金は支払った掛金に対して5割とか6割の水準だと言われています。

 第三者の立場で助言する保険コンサルタントという妙な商売があります。生保の勧めるままに契約すれば「してやられる」という気持ちが背景にあるのでしょう。こんなものが成り立つのは、生保会社の資料を見ただけでは判断できないように複雑化されているからであり、そして生保の営業は顧客の利益より自社の利益を優先するという評価が浸透しているためでしょう。

 保険コンサルタントの存在自体、生保の営業方法に対する不信感を表すものであり、恥ずべきことです。また利用者は保険コンサルタントがどこかの生保のひも付きでないかということにも神経を使うことになります。

 証券会社が売っている投資信託や仕組み債も同様で、複雑な仕組みを用いて、購入者が評価することは困難です。とりわけ仕組み債ではリターンとリスクの妥当性を素人が判断するのが難しく、運用コストや手数料が適切かどうかもわかりません。だからハイリスク、ローリターンの仕組み債が売れるという不思議な現象も起きるわけです。多くの自治体が証券会社の口車に乗せられて仕組み債を購入し、巨額の評価損を出したのは最近の話です。

 簡単に理解できないように複雑化すれば客を手玉に取ることができ、高齢者や理解能力の低い人、欲の深過ぎる人は格好のカモになります。理解力のある人でも、細かい字で書かれた説明を注意深く読まねばならず、時間の浪費を強いられます。

 これらの業界における競争は極言すれば、いかによいサービスを低価格で提供するかというよりも、いかに客を騙しやすい商品を開発するか、という点で競われているかのようです。明らさまなウソをつかずに、リターンを大きくリスクを小さく見せ、有利と思わせる商品の開発に努力を傾けます。しかしリターンとリスクは比例しますから、うまい話はないと考えるべきでしょう。

 豊富な情報を持つ売り手と情報が不足する買い手の間に公正な取引は期待できません。経済学でいう情報の非対称性なんて小難しい話を持ち出さなくても、知らない方がカモられることは明らかです。そして複雑さのためにかかるコストは結局利用者全体の負担となるわけで、実に迷惑な話であります。

                                                                         2012/01/12

朝日新聞は性悪説?

 元旦の朝日の一面トップ記事には少し驚きました。年初のトップ記事とはその年の抱負や展望などを含む大局的見地に立ったもの、という期待があったのですが、朝日のトップ 記事は「原子力安全委側に8500万円」「計24人、業界から寄付」。年頭の記事にしてはずいぶん卑小という印象を拭えません。

 寄付によって原子力行政が歪められた可能性を匂わせる内容でしたが、後追いしたメディアはほとんどなく、単発で終わりました。他紙が無視する程度のネタを、元旦にふさわしい記事を排除してまでトップ報道したことから感じるのは、この種のネタに対する朝日の並々ならぬ意気込みです。恐らくこの記事は偶発的なものではなく、体質を反映した象徴的なものと考えてもよいでしょう。

 世の裏側には様々な利権などで結びついた不正な関係がいっぱいあり、それが歪んだ世をつくり出しているいう見方は間違っているとは思いませんが、そのような見方が強すぎるのは問題です。「人を見れば泥棒と思え」という言葉があります。これは性悪説の立場ですが、犯人を捕えるのが商売である警察には必要なことかも知れません。しかし一般の人がそう思えば、互いに疑心暗鬼になり、住みにくい世の中になってしまいます。

 朝日は警察でもないのに、裏側の不正行為に異常な興味を持っているように感じます。マスメディアが性悪説の立場をとれば不正を見つけるのには好都合でしょうが、それが行き過ぎれば、強調された報道を通じて性悪説を世に広めることになると思われます。

 「読者が気に入った新聞を選んでいるのではなく、読者が新聞によってそのように変えられているだけだ」といわれます。朱に交われば赤くなるというように、日常的に接するメディアの見識や価値観は知らないうちに伝染します。私見ですが、朝日の読者は社会を悪く、あるいは悲観的に見る傾向が強いように感じます。購読紙による考え方の違いを明らかにするような調査があれば面白いと思います。 どの新聞が世の中を暗くしているか、わかるでしょう。

 政治不信は既に定着した観があります。むろんその責任の大半は政治そのものにあると思いますが、メディアの姿勢がそれを助長したことは否定できないでしょう。政治だけでなく、医療や食品などにまで不信感が広がりましたが、メディアはその片棒を担ぎました。希望ならいいのですが、不信に満ちた社会など誰にも歓迎されないでしょう。

 性善説をとる人もいれば、性悪説をとる人もいます。どちらに傾くかはその人の境遇や経験によるところもあるでしょうが、自分自身の心を観察した結果によるところが大きいのではないかと思われます。自分の心はわかるけれど他人の心はわかりにくいからです。

 とすれば朝日が性悪説の立場をとるのは、自らの心を観察した結果ということになります。さすがにそこまで言うつもりはありませんけれど。

                                                                         2012/01/09

LEDシーリングライトは1.8倍も電力を食う

 天井に取り付けるシーリングライトは蛍光灯が中心でしたが、そのLED化が急速に進み、2011年の12月には販売数量の47%を占めたそうです。これは1月7日の日経に載った記事によるものですが、その記事には「LEDタイプは従来の蛍光管タイプに比べて消費電力が2〜3割少ない」と書かれています。

 これはまったく逆で、シーリングライトに関して言えば、LEDは蛍光管より大きく見劣りします。つまりLED式シーリングライトのエネルギー消費効率は蛍光灯式よりかなり低いのが実情です(エネルギー消費効率はlm/W、つまり消費電力1Wあたりの全光束で表します)。

 価格.comの絞込み機能を使えば両者を簡単に比較できます。家電→照明器具のシーリングライト→すべてのメーカー→「シーリングライト 詳細スペック検索」と進み、 ここで絞込条件を光源はLED(または蛍光灯)、並び順を「発売日の新しい順」として検索します。

 LEDの検索で表示されるのは163件、新しい順の60件のエネルギー消費効率は60〜85lm/Wの範囲で、65ml/W程度のものが多くを占めています。これに対し蛍光灯での検索では2626件表示され、同様の60件は87〜127lm/Wの範囲で、118m/W前後のものが多くを占めています。

 65ml/Wと118m/Wをそれぞれの代表値と考えれば、LEDと蛍光管のエネルギー消費効率の比は実に約1.8倍となります。将来、LEDの効率は改善される可能性があるでしょうが、現在のシーリングライトは、世評とは全く逆で、蛍光灯に大きく劣ります。

 上記は最近の機種を取り上げているので蛍光管は高効率のものが使われています(寿命も20000時間程度あります)。しかし古いタイプのものでも70ml/W程度の効率のものが多く、これでもLEDとほぼ同等です。記事にある「従来の蛍光管タイプに比べて消費電力が2〜3割少ない」という記述はごく一部の低効率のものを基準にした場合にだけ言えるもので、このような表現は実質的にはインチキです。

 LEDを無条件で省エネに貢献するものであると無知なマスコミが宣伝した結果、1.8倍も電力を食い、しかも2〜4倍もする高額のものがよく売れるという奇妙なことになりました。シーリングライトは比較的使用時間が長く、こんなものが普及すれば原発1基分程度の電力が余分に必要になるかもしれません。

 たとえば1リットルのガソリンで10km走る車と18km走る車があれば、その差はすぐ理解できます。照明の場合も同じエネルギー効率の問題であり理解は簡単です。しかしマスコミが伝える話からは、彼らはまったくわかっていないということが推測できます。その結果、節電とは逆の方向へと導きかねません。

 現在、エネルギー効率はとりわけ重要な要素です。中学生でも理解できるものにもかかわらず、何万というマスコミの方々がそろいもそろって理解し検証しようとしないのは実に不思議なことですが、このような理解力の方々が大真面目にエネルギー問題を論じ、国の政策にも影響を及ぼすというわけです。

 LEDのエネルギー効率など、ちょっと調べればわかることで、裏も取らずに報道するのは彼らの怠慢のためなのか、それとも科学的な思考能力の低さのためなのでしょうか。あるいは殺人事件や事故、政治家や芸能人の不祥事だけに関心を持つように彼らの頭が「特化」されているためなのでしょうか。恐らくこの三つすべてが該当するのではないかと私は思っています。

 

 

 

管理人 岡田克敏
(京都市在住)

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