| 読後雑感
日本で最初に盲導犬になった犬の名前は「チャンピイ」。「チャッピイ」だと勘違いしちゃった。
日本で最初の盲導犬を使用した河相洌さんは、なんと浜松に住んおられた。
河合さんは盲学校の先生で、本では最初の赴任地、彦根の様子が書かれている。
サイト「P-WELL」の記事によると河相さんはその後浜松盲学校に勤務され、
退職後は浜松の近郊で悠々自適に過ごされていたそうだ。(2001年7月15日発行の記事)
私自身はまだ盲導犬を見た事がないけど、
河相さんと盲導犬に会った事のある人が浜松にはたくさんいるはずだ。
犬が人の為に働く代表的な例が盲導犬。その盲導犬を日本で最初に育て上げた人の物語。
パイオニアならではの発想の妙と苦労と栄光が語られる。
今でこそ盲導犬と言えばレブラドール・レトリバーだと思うが、
日本最初の盲導犬はシェパードだった。昭和30年代、まだレトリバーは日本に知られていなかった。
塩屋氏も海外の盲導犬訓練施設を訪問して初めてレトリバーを知る事になる。
この物語の中心である塩屋賢一氏にとっては、盲導犬という呼称にも違和感がある。
盲人を導く犬では人が犬に従う事になる。
塩谷氏は上とか下ではなく、犬と人とが一体化する事が理想と考える。
盲導犬でなくアイメイトという呼称を造語する。その感覚が見事だ。
盲導犬を最初から犬の問題でなく、人間の問題としてとらえる視野の広さがあればこそだろう。
塩屋氏の苦労は、言ってしまえば自分の選んだ道であるが、それについて行く奥さんの苦労は
ただごとではない。本書でもたびたび語られる。
想像するにおそらく個性的で独立不羈のきらいがある塩屋氏は決めた道を突き進む。
その選ぶ道はつねに困難である。他の人がまだしていない分野を開拓していくのだ。
それが出来たのは家庭を支えた奥さんがいればこそだろう。
チャンピイが日本最初の盲導犬と認められたのは昭和32年。
塩屋氏は盲導犬の訓練方法を誰かに教わったのではなく、書物と自分の発想で組み立てていく。
すごいね。自分で目隠しし商店街を歩く、空き地に障害物を置いて訓練する。
写真もあり、当時の日本の状態が分かる。今と違い歩道があるわけでない、
商店には台があって道にはみ出している。野良犬もいる。車は少ないだろうが人よりも車の時代。
そういった中、自らぶっつけ本番的な訓練で盲導犬を育て上げる。
気持ち良いのは塩屋氏が栄光の為でなく、真に盲導犬=アイメイトの必要性から活動している事。
世俗的な二次的な目的でなく、当初の目標に向かって進んでいる事。
戦争が終わり、昭和20年代、30年代での犬の様子。50年以上が経ち飼い方がだいぶ変わった。
番犬が主体で野良犬や放し飼いもいた頃から、私のような普通の飼い主も自宅の中で飼うように
なった。人犬一体、共生を目指す塩屋氏はチャンピイを盲導犬にしようとした事から
シェパードを家の中で飼う。いわば50年以上先進的であったという事か。
塩屋氏の業績は他の盲導犬の本福澤美和著「フロックスは私の目」にも繋がっている。
福澤美和氏はラブラドール・レトリバーのフロックスとともに盲導犬の卒業訓練を1976年に
卒業する。その卒業するのは「アイメイト協会」である。
犬の本の中で盲導犬を扱った本はかなり多い。特に子ども向けの本に多い。
その源流として知っておくべき内容が多く書かれている本だ。
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