| あるすべり台が、浜松の限られた地域(中心よりやや北)で 少年時代を過ごした者達に、強烈に記憶に残っている。 私たちはそのすべり台を「マンモスすべり台」と呼んでいた。 コンクリートのすべり台で、その名の如く広大で、中頃に段があった。 斜面を利用した単純なつくり、 ただ、幅がとてつもなく広いので、中央で滑るとつかまるところが無い。 なかなかの傾斜でスピードがつき、中間の段でぼわんと弾んで滑っていく。 今日的な感覚では危険で、おそらくは作られないような、 すべり台の原点を問うような怖さがあった。 当時小学生であった私は、とても怖くて中央では滑れなかった。 私は、そう何回もそこへ行ったわけではなく、 行った時は、はじっこで手すりに片手をかけて滑っていた。 同級生は何回も行き、慣れるとロウソクで更に滑りを良くしていたというから、 まあ、臆病者だったのだ。 当時、私の好敵手であった同じ町内の女の子がそんな滑り方をする私をバカにした。 その子ともう1人の女の子がおびえる私をつかまえて、 マンモスすべり台の真ん中まで連れて行き、 2人の間に私をはさんで、逃げない様にして、滑らせようとしたのだ。 もうホントにホント怖くて、私はなんとか逃げだそうと、 滑り出してすぐ、手でこぐように勢いをつけ、 2人の間を抜け出し、はじの方に逃げていった。屈辱の歴史である。ま、いいか。 中学になり、成長するにしたがい、 そんな小さな屈辱よりももっと大きな屈辱に打ちひしがれ、 やがて、そういった子供らしい遊びやその頃の友達もいったん忘れてしまう。 だが、大人になると、やはりその体験の強烈さから懐かしく思出す。 そういった人も多いようだ。 どこだったのだろう、まだあるのだろうかとぼんやり思い出す。 ・・・・実はまだ存在する。 あの斜面に魂をふるわせた子供たちだった者達はかなりの数いるようだ。 ここにはそんな方たちから寄せられた情報、証言をまとめてみた。 寄せられた言葉・写真に感謝を捧げるとともに、 マンモスすべり台がいつまでも存在し続ける事を願ってやまない。 |
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