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ロールズを偲ぶ (2003年1月発行第26号掲載)

田中 誠

 11月24日に、アメリカの法哲学者ジョン・ロールズ氏が亡くなった。
 ハーバード大学の先生だから当然会ったこともないが、著書や論文、その引用等には、学生時代にふれることが多かった。
 ロールズは、「正義とは何か」との問に答を出そうという「規範的正義論」を復興させた法哲学界の巨人である。
 「正義とは何か」という問に解答はないという立場が「価値相対主義」という立場であり、例えばハンス・ケルゼンは「正義とは何かという問いほど、はげしく討論された問いは、ほかにはなかったし、この問題ほど多くの貴い血や、多くのにがい涙がそのため流された問いは決してほかにはなかった」とし、「正義とは何か」については、結局は各人の価値判断で違ってくるものであるから、客観的、普遍的な答などないとした。
 それに対して、ロールズは、普遍的な答を見いだせるとした。
 まずは、何もルールのない原初状態(社会契約説に言う「自然状態」の混沌とほぼ同義)を想定する。古典的な社会契約説だと、そこから生存のための社会契約として政府・国家を作るというところまで説明して終りだが、ロールズはそこから「正義とは何か」まで導く。
 原初状態で、人々は、自分だけに有利なルールを誰も提案できないよう「無知のベール」すなわち「各人は、自己の才能、人種、階級、富裕度等、自己の特殊利害を知らせる個別的事実を一切知らない」という条件下におかれるとし、その上で、人々が「最悪の結果が最善なものを選ぶ」という合理的選択原理により、全員一致で選ぶであろう社会構成原理を普遍的な「正義」と言えるとする。
 こうして制定される社会構成原理は、2つの原理からなる。
 第1原理は、各人は、全ての人々に対する同様な自由の体系と相容れる、最も広範な基本的諸自由の全体系への平等な権利をもつべきであるという「平等な自由の原理」であり、第2原理は、社会経済的不平等(再配分を含む)を、最も不利な状況にある人々の利益の最大化のためという条件(「格差原理」)と、機会の公正な平等という条件双方のもとで許容するというものである。
 ロールズは、この、「個人の自由を尊重しつつ、社会的弱者の地位の最善化を追求する」という立場が普遍的正義たる「公正としての正義」であり、それが「正義は何か」という問への答であるとする。
 勝手読みだが、このロールズの「公正としての正義」は、日本国憲法の根本規範と共通する部分があると思う(9条までこれで基礎付けるのは無理であろうが)。
 また、ロールズの復興した規範的正義論は、普遍的正義の姿を客観的に提示できない正義論(宗教・神学・特殊政治信条)と対立し、逆に「僕は相対主義者でね」とか「立場の違いだから仕方がないね」「考え方はいろいろあるよね」という相対主義の「クールな感じ」に酔うことも許さない骨太の議論であるから、憲法議論を分厚くするものでもある。
 ロールズ死去の一週間後の12月3日付朝日新聞夕刊で、規範的正義論の研究者である井上達夫教授が「現代思想の知の測量点 哲学者ジョン・ロールズ氏を悼む」という追悼文を書いておられた。
 井上教授の著書「共生の作法ー会話としての正義」も思い出の書であり(当時同教授はよその大学におられたので講義を受けることができなかったのが今も残念だ)、久しぶりに目を通してみた。
 昔、自分で欄外に書いたメモの意味がわからなくなっているのには苦笑した。しかし、楽しかった。