神奈川総合法律事務所  
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憲法と弁護士と弁護士会 -相互関係私論- (2005年1月発行第30号掲載)

福田 護

 弁護士は、人間社会の病理に巣を喰ってこれをなりわいとする、依頼者の「代言人」にすぎません。その病理の多くは、個人の弱さや困難さの現れであったり、個人間の純粋に私的な争いごとや意見の相違であったりします。
 ただ、個人や個人間の病理の多くは同時に、その時々の社会と国家全体の病理の反映でもあります。たとえば個人破産の急増が、高利貸病理社会ニッポンの表現でもあるように。だから個人の病理を癒すことが社会や国家の病理を癒すことに通じることもあるのでしょう
 また、個人が直接、社会と国家の病理に向きあっている場合もあります。思想・表現・身体等の自由の抑圧、性別・人種・国籍・障害等による差別、一定の公害問題・労働問題、等々です。このような病理を、権力による「人権侵害」ということができます。
 そこで、こういった社会と個人の病理に立ち会い、これを治癒させようとする社会的立場にある弁護士の使命が、「社会正義の実現」とか「基本的人権の擁護」とか(弁護士法1条1項)いう、「代言人」にはいささか面はゆいことばで表現されることになるのでしょう。

 「権力」というのは、人の集団、とりわけ国家という集団を統制する力です。力に濫用は付きものです。権力は人権を侵害します。権力は腐敗します。放っておけば必ずそうなる力学があります。だからその権力に対して、国民主権と基本的人権を認めさせ、三権分立による牽制システムを用意するなどして、濫用と暴発を防ぐための根本規範が必要となる、その権力制限規範が憲法です。だから憲法は国民・市民の権利章典でもあるわけです。
 また、戦争は国による最大・究極の人権侵害です。だから憲法は、「政府の行為によって」再び戦争の惨禍が起きないよう、国民主権と平和主義を定めました。
 ところで弁護士は、基本的人権の擁護を使命とされています。それは、国民・市民の立場に立って、権力から独立し、必要な場合には権力に正面から対峙することが求められていることを意味します。またそういう職業の存在が、近現代国家システムとして必要だということでもありましょう。
 このような弁護士の使命・役割は、憲法の権力制限規範性の実現そのものということになります。こうして、弁護士の最終的な拠り所は憲法であり、弁護士のありようは、憲法とまさに一蓮托生の関係にあります。

 弁護士は必ず、弁護士会、神奈川県であれば「横浜弁護士会」に、加入しなければなりません。弁護士会は、弁護士の使命・職務にかんがみて、弁護士の指導・連絡・監督にあたる、公的な団体です。
 強制加入団体である弁護士会は、当然、さまざまな立場、思想信条、政党政派をも含む弁護士によって構成されています。そのため、弁護士会が政治的なイシューに関連する発言等をすることについては、反対論・慎重論が出てきます。
 しかし他方、弁護士の使命の遂行を確保することも、弁護士会の基本的な存立目的です。だから弁護士会が、弁護士の権力からの自由のための活動や、基本的人権擁護のための活動を、みずから推進すべきなのは当然であり、それはやはり、憲法の実現過程でもあるわけです。弁護士会の役割の最終的な拠り所も、やはり憲法です。
 したがって弁護士会もまた、少なくとも憲法に関する限り、自らの存立目的にかかわるものとして、たとえそれが政治的な性格を帯有するとしても、積極的に発言や行動をしていくべきものと思うのです。

 憲法改正をめぐる動きが、本当にあわただしくなってきました。弁護士も弁護士会も、正面から対応を求められることになると思います。そしてどの方向に向かうにせよ、2005年という年は、大きな曲がり角になりそうです。そんな中、今年もよろしくお願い致します。