| 先生は、紀伊藩の儒臣でしたが、藩主慶福が第十四代将軍家茂となったので、幕府儒官となりました。しかし、慶応2年家茂公の急逝により辞職しました。
維新後は、『大日本野史』(飯田黙叟著)の校訂に従事されています。また、阪谷朗廬の後を受けて、警視庁御用掛となりましたが、一年ほどでやめて明治7年に京都に移り住み、その後は著述生活をおくりました。先生の国史に関する著述としては、『国史略二編』(明治11年)『国史略三編』(明治12年)があります。
先生はことに戯文に長じ、成島柳北らと文名を競いました。依田学海とも親交がありました。先生の作品の中では『本朝虞初新誌』(明治16年)が漢文小説として、とくに高い評価を受けています。これは、当サイトでも紹介している『刀工助広伝』や、『木鼠長吉伝』、『紀文伝』など、面白い素材を漢文で巧みに叙述したもので、先生ご自身が「奇文観止」と銘打たれています。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』に、主人公(=鴎外)が少年のときに、この『本朝虞初新誌』を愛読していたことが出ております。
なお、先生の著作は、未刊の稿本も含めて、京都大学付属図書館に保存されているそうです。明治33年、同館が開設されてまもなく、先生の子孫が寄贈したのです。(神田喜一郎『森鴎外と漢文学』)
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