| 昭和初期の桜橋周辺写真 (株)澤田ビルディング 社長 澤田 正造氏より、 「昭和初期の桜橋周辺の写真とご祝辞」を投稿いただきました! |
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| 拝啓 日新火災の皆さんへ (株)澤田ビルディング 社長 澤田 正造氏 このたび貴社におかれては創業100年の記念すべき年を迎えられ、深甚よりご祝辞を申上げます。 扨、日新火災大阪支店の在る北新地近辺で、昭和初期頃生まれ育った手に負えん悪ガキの兄弟が居た。今はもう兄だけが残され70歳半ばも過ぎた好々(よいよい)ならぬ酔々(よいよい)爺と変わり果てゝいるが、その爺さんは止せばいいのに今夜も酒を過ごし、卓袱台に凭(よ)り掛かって暫しまどろんでいる。 すると何処からともなく、拍子木の音が近づいて来る。驚いた爺さん酔眼朦朧を頻りとこすってみた。観ると正面にパッと明るい初夏の日射しを受けた舞台が拡がって来る。背景の大道具は、恰もヴィクトリア朝時代後半に建てられ、19世紀末のロマンを今にとどめたと覚しき洋館がセットされている。表玄関に豊国火災とある赤煉瓦で蔽(おお)われた建物の支柱は気品さえ感じられる御影石の造り。 舞台の袖からは悪童ら数人の声がして、ガキ大将とその舎弟に引き連れられた子分の2,3人が登場して来た。前庭に等間隔で植えてあるヒマラヤ杉の所まで来て、その下枝に爆竹の導火線を次から次と仕掛けて、回りの状況を伺い乍ら両端から艾(もぐさ)線香で点火する。火がパチパチと音をたて始めるや否や、悪童共の姿はもうどこかへ消えてしまっていた。・・・・・・・・大音響を連発し乍ら爆竹は炸裂を繰り返す。突然の椿事に魂消(たまげ)た守衛が飛び出して来て植え込みの周囲を大声で叫びながら小犬のように駈け廻っている。悪童らは、既に露路の立看板の隙間からその様子をのぞき見て喜んでいる。 ココデ又、―― 拍子木! ―― 幕が下リタ。 その後何日か措いて2回目を敢行したとき、バレて守衛が吾が家へ怒鳴り込んできたので、母親に、兄弟で正座をさゝれ大目玉を喰らったのも、今は遥か昔の幻の様な懐かしく優しい想いでの一齣(こま)となってしまった。 中学生の頃、昭和20年6月1日の空襲では、吾が家も(旧)豊国火災のあの気品ある洋館も皆灰燼(かいじん)と帰してしまった。6日後6月7日、昼間の大空襲が過ぎた夕刻、桜橋交差点の国道添いにいた私は、焼け跡に煤けた御影石の柱だけが数本初夏の夕日に浴びて佇む情景を見ているうちに、何故か独りでに悲しくなり自然と頬を伝い来る泪をどうしてもこらえ切れなかった事など、幽(かす)かな記憶の中に今も蘇ってくるのである。 昭和40年代に入り、先ずチッポケな駐車場を営み、更に立体駐車場では日新火災の月極駐車・特約代理店の一時駐車・「麻雀屋」でもご贔屓に預れた。そして日京商事黒島正三氏代理店とは40年代の当初から、親戚以上のお付き合いが続き、当社の損保一切をお世話して頂いている。 最後に一言。日新火災が次なる200年記念の目標に向け、更なる躍進を続けて行かれることを祈念しつつ、筆を擱(お)かせて頂くことにする。 |
![]() 昭和63年に発行された「日新火災の80年記念誌」表紙 (旧)豊国火災の本社ビル |
![]() (旧)豊国火災の本社ビル |