もう決して失望しない家

「うち! あたしの、うち!」
志乃が列車の窓から見える家を見てそう叫ぶ……。
三浦哲郎の『忍ぶ川』のラストシーンだ。
私は何度読んでもここで涙を止めることができない。志乃の気持ちが痛いほどわかってしまうからだ。

自分の家をもたずに暮らしてきた志乃。苦労ばかりの人生でようやく見つけた小さな幸せ。
主人公の「わたし」と結ばれ、ささやかな式を挙げ、本当に近くへの新婚旅行のために二人で列車に乗る。
窓から見える景色……。その中に、志乃はこれから「わたし」と住むことになる家を見つける。その瞬間、周りの目も気にせず叫ぶのだ。
「うち! あたしの、うち!」と……。

私はずっと「家」が欲しかった。
ものごころついた時から、自分の家庭は何か違うなぁと感じていた。
両親は健在だし、住む家もある。けれど、恥ずかしい話だが、その小さな団地の家は、父親の借金のために担保にとられていたし、いつも家族の争う声が絶えなかった。
私がこどもの頃、母はいつもイライラしていた。
今ではこどもを生んで落ち着いた姉だが、昔はひどいわがままで、母との争いも絶えなかった。
当然、両親の仲は最悪である。
私はよく父親に連れられていろんな場所へ行ったが、そこに母は一度もついてきたことがない。家族でごはんを食べに行くなんて、記憶には一度もない。
よく友達が家族で旅行に行くとか、どこかに食事に行くというのを聞いて、本当に羨ましかった。
家に帰っても、そこは私の思い描く「家」ではなかった。

そんな生い立ちが影響しているのだろうか。
私は「家」にとても思い入れが深い。『忍ぶ川』を読んで泣いてしまうのもそのせいだろう。
だが、別に生い立ちが悪くなくても、「家」に思い入れをもつ人は少なくないと思う。人はなぜか自分の住みかに愛情を注いでしまうものなのだ。

最近、楽しみに見ているテレビ番組がある。
日曜日の夜にやっている「劇的ビフォアーアフター」という、家をリフォームする番組だ。
自分の家をリフォームしたい、それも暮らしにくい何らかの理由があっての人を募集し、その家を住みやすくするために「リフォームの匠」が立ち上がる。「匠」は一級建築士とか、かなりの実力者なのだが、毎回毎回驚かされるのが、住んでいる人の「思い出」をいかに大事にするかということだ。
単に上手にリフォームするだけではないのだ。住人の思いをちゃんと理解し、その思いを新しくなる家にも生かそうと最大限試みる。それがすごいのだ。

彼に言うと、「ほんまに感受性豊かやなぁ・・・」と言われたが、私はこの番組を見るたびに泣いている。
リフォームしたいほど住みにくい家なのに、それでもその家に愛情がある人が多く、解体作業の時に家が壊されるのを見て涙を流す人だっているのだ。
その家への思いが、じんじん伝わってきて、私まで泣いてしまう。
そして、さらにその思いをリフォームした家に残そうとする匠!!
技術と心のこもった仕事に、本当にいつも涙してしまう。

家には心がある。
私はずっとそう思っている。
でも、どんな家にでもあるわけじゃない。住んでいる人が心を入れてやらなくてはならない。心を入れてやれば、家は生きたものになる。
私はそれをずっと「灯りのともる家」と呼んでいる。

モンゴメリの『エミリーが求めるもの』でも、最後は家のことで締めくくられている。
誰にも住まれないままになった家。
エミリーはその家を「失望の家」と名付けていた。
けれど、その家を買い取り、最後はそこに愛する人と住むことになる。
その家はもう決して失望することがないのだ。

子供の頃、それを読んで思った。
私もいつか決して失望することのない家をもちたいと。灯りのともる家をもちたいと。
小さくてもボロボロでもいい。
いつも笑い声を聞いている、優しい気持ちの家をもちたい。



◎今回のテーマ◎
      「家に思い入れはありますか? あなたの家は生きていますか?」


                                    2002.11.23